4 COLORSの中で一番曲調が好きな曲。
歌詞を見ると「大人になってしまったなあ」という感じがする。SPEEDも自分も。
歌詞について
あとやっぱり大人の女性になったら女性が書いた歌詞を歌うべきだなと思った。こと恋愛模様に関しては。
なんというかこう、肌の接触が全てじゃあないわけですよね(性的な意味でもそれ未満の意味でも)。そりゃそう。現実もそりゃそうだし、歌として歌ったり聞いたりしたいのもそこじゃあないのよ。で、男性が女性の気持ちになって書いた歌詞というのは、そういったセクシャルな要素を含まないものであってもどうしてもイメージとしての女性像に寄ってしまう感じがあるので、女性が書いた歌詞の方がよりしっくり来る。
でも伊秩節に納得いってないのかというとそうではなく、若いうちってか子どもであるうちは微妙な機微のことなど理解できないのでむしろダイレクトに性的なニュアンスの方が女子も興味を惹かれると思うんだけど(歌っている本人たちもそうだったんじゃないかなあ)、まあ大人になったら「そこじゃない」になっちゃうよねという。その後の人生経験がどうであるかは関係なく、単純に人間として成長したらそういうモザイク的解像度で物を見なくなる。
当時を寛子と伊秩氏が振り返っている対談(2021年)を読むと、まあやっぱりそうだよね。
島袋 「Walk This Way」の歌詞で、伊秩さんに「hiroは恋に恋してる」って書いていただきましたけど(笑)、まさに夢見がちで、少女マンガが大好きな子だったんですね。だから「あなたのために生きていきたい」とかも、そういう思いを抱く恋がある、愛があるっていうイメージから抵抗なく歌えてましたね。歌詞の世界を自分事にしちゃってた。
伊秩 僕はまず、リリースの3年後に本人たちが歌ったときにダサいとか子供っぽいって思われるような歌詞は書かないということにこだわってました。女の子の成長は速いから。あとは、本人たちと同年代のリスナーは当然付いてきてくれると思ってたけど、少し上の層にも聴いてほしかった。一見尖って聞こえたり背伸びしているような言葉でも、奥底にはそうじゃないテーマをしっかり込めていたから、自信がありましたね。奇をてらおうとすると、本人たちに絶対見抜かれるからね。
とはいえ「子供っぽくない」の方向性は他にもあったやろがいとは思ってしまう。でもまあ、コケるわけにいかないというプレッシャーの中では仕方ないことだったのかも。「White Love」でさえ作っていた側は不安だったとなれば。四人の才能ある子どもの未来がこの一人の大人にかかっていたわけで、その状況を想像するとちょっと胃が痛くなってくる。
この対談は他にも色々面白いお話があって興味深い。
それはそうとこの曲の印象めちゃくちゃかっこいいなあ。ボーカル二人の強い声質がバシッと合っていると思う。声が多分ちょっと低くなったこともあり。(当たり前の変化。)
10年前に追っているべきだったと前の投稿で書いたけど、でもリアルタイムで聴いて今感じているのと同じ深さの感動を覚えたかというと微妙なところだ。
SPEEDが復活した2008年から2012年のあたりは自分に全く余裕がなかった。あらゆる意味で傷ついていたし、SPEEDにもせいぜい懐古の情しか湧かなかったかもしれない。癒やされるためにしがみつくみたいな感じで。
でも時が過ぎ、自分の環境や心境はあの頃から随分変わった。今は過去の思い出に縋る必要はなく、シンプルに楽曲そのものやパフォーマンスを楽しむことができる。前投稿(J-POP離れとニコニコ動画)で書いたように音楽観が変わっていることも感動に寄与している。まあだから、今更の今更になってこのアルバムに触れたのは、私の人生上は正解だったと思う。
なんか書いているうちにだんだん「勝手に過去のものにしてしまっていた感動」が蘇ってきた。自分の行動(=いつ何を聴くかの選択)が流行に左右されていたのは事実だけど、自分の感動は流行とは関係ないし、若かりし日の私はやはり心底この四人の姿に感動していたのだと思う。
茶の間に書いてなかったら凍結していた感動を解凍せずじまいだったかもしれないから茶の間効果おそるべし。
(ちなみにこの文は3日頃に書いたものであり、これを踏まえて無自覚に除外された体験をポストした。)