こちらの記事を読みました。
カフェで隣に座った会社員のグループが(その場にいない)同僚の生産性がいかに低いかという話をしていたのですが、その中で「タスク管理とかToDo管理のアプリとか使ってるやつに限って生産性が低い」みたいな発言があって(どっと笑)が起き、
生産性という業界用語めいた表現を外でフツーに使う姿を想像してちょっと笑ってしまったのですがそれはさておき。タスク管理アプリのような専用ツールを使っている人に限って仕事が捗っていない感じがする、という印象を彼または彼女らが持っているということについて、そう言われる可能性がある(あった)側として耳が痛く思いました。
この後でTak.さんが語られているお話とはちょっと別の方向性の話として、「アプリとかに飛びついてしまう状態の人の頭の混乱」を考えずにはいられません。まあ実際どういう人を指してその会社員たちが笑っていたのかはわかりませんが、多分その一部には、要領の良し悪しとか熱量の多寡とかそういう仕事力以前の問題に悩まされながら必死に毎日を乗り切っている人もいるだろうと想像します。本当は仕事なんかしてる場合じゃない苦しみの中にいながら、仕事をしないわけにいかないので無理に働いて、なんかズレた工夫を頑張ってみたりしてしまう。それはきっと、自分自身というものに悩んだことがない人にはわからないレイヤーの話でしょう。
その辺についてはBlueskyで呟いたりしたので置いておくとします。まあ単純に、アプリとかちゃんと使いこなしてるんですよフフンみたいな勘違い人間の実務能力のなさに苛立っているだけだったのかもしれません。「アプリとか使ってるやつ」から想像し得る人物像は案外多様ですね。
で、いろんな場所で見たいろんな人の事例を煎じ詰めれば、〈生産性〉が高いと感じさせる人たちは心身ともに健康で仕事に対して気持ちが入っている人、と表現できるかもしれません。
そのような状態に継続的にある人の〈生産性〉には、そうではない人がどんなツールや手法を使ってもかなわない気がする。
いわゆる「シゴデキ」な人たちは仕事が自分を何らかの意味で高めてくれるという状態にあるのだなと思いますが、そう信じられる状態でないと「気持ちが入る」ということになかなかならないよなと思います。
で、そう信じられるならもはやなんでも力技で成果を出してしまえたりしますよね。特に、交渉と段取りが得意な人は別に道具に頼らなくても仕事が進んでいくことでしょう。羨ましいことです。でも、「シゴデキ」イコール全部頭でやれている人というわけではなく、当然手帳や何かで自分を支えている人もいるわけですね。能動的に工夫して「心身が健康で仕事に対して気持ちが入っている状態」を維持している人です。
重要なのは、心身が健康で仕事に対して気持ちが入っている状態をどのように作り維持するかということです。ツールや手法は本当はそのためにある、とぼくは思います。
ライフを考え、ライフを生きること。その中で仕事や〈生産性〉をどう位置付けるか。それを助けるためのツールです。
ここで大事なのは、他ならぬ自分が、他ならぬ自分のライフを維持することを考えなくてはいけないということだと思います。つまり平たく言うと「自分で考えなくてはいけない」ということです。誰それが言った何とかという方法やツールにそのまま乗っても、それが奇跡的にマッチするものであったのでない限りは空回りに終わるでしょう(その結果同僚に陰口を叩かれたりするかもしれません)。全てを救う魔法の杖もシルバーバレットもこの世にはないのです。
正直なところ、「自分の『生きる』を考えなくては」と思えたなら、それで半分は解決したようなものと私は思っています。それが全くできない、言われてもわからない状態を知っているからです。「自分の人生を考えましょう」「自分なりを見つけましょう」と言われても、まるでヒトに擬態した地球外生命体かのように、字面だけを追って「頑張って」考えて、見当違いな方向に意識を向けてしまうのです。見当違いであることには気づきません。
その状態を解決してもらうために他者は何ができるのか。こうして訴えているうちにふと理解するに至ることを期待するほかないのかもしれません。多分、いろんな人がいろんな表現であの手この手で説いているうちに、そのうちの何かが響いて人生が変わることはあると思います。
自分が何度も言っていても、他の人が何度も言っていても、それでもまだ言い続ける必要があることだと思っています。
こちらも読みました。
括弧付きで「タスク管理」と書いていらっしゃるのでもちろん含意していると思いますが、「専用のアプリや手法らしきものを使っていない」ということは「タスク管理をしていない」ということではないんですよね。いわゆる「仕事ができる」人は、「タスク管理」然とした形になっていない程度の雑さでも事足りている(ように見える)ということで。Tak.さんの記事の冒頭で同僚を蔑んでいた会社員たちは、「タスク管理とかToDo管理のアプリとか」は使っていないかもしれませんが、そういう「大仰な」ツールではない何かで管理をしているのでしょう。
またTak.さんは「多くの人はキャンパスノートとかコピー用紙の裏しか使ってなかった」と書いていらっしゃいますが、逆にその人達も「キャンパスノートとかコピー用紙の裏」は使っていると言えます。「仕事ができる」人たちも別に超能力者ではないので、大抵何かはしているはずです。かつて日経ビジネスアソシエにあったような手帳術特集でも、とても凡人には真似できない独特な使い方をしている「仕事ができる」人の例がたくさん載っていましたが、他の人に真似できない再現性のない手法であるというだけで、その人なりの工夫はしていたわけです。(うちあわせCastでも繰り返しそのようなお話はされていたと思いますし、倉下さんの文章に反論しているとかではないです。念の為。)
個人的に、仕事ができる人というのを突き放して考えたくないので(他のことで言うと「本が読める人はいいよね、いや~私にはムリムリ」とか「勉強できる人はいいね、脳みそが違うんだろうね、はははっ」と書いてみるとじわっと嫌な感じがしてきますね)、仕事がものすごくできる人とそうではない人の間はあくまでグラデーションと解釈しています。自分がどの濃さにいて、どの程度補って濃くする必要があるのか、あまりにも千差万別なので自分で考えないことにはどうにもなりません。それゆえ、誰かが提唱したタスク管理法その他がそのままでは意味をなさない可能性があります。
タスク管理によって、そうした状態が作れたとしたら素晴らしいことです。逆に、タスク管理をしてしまうことによって、逆の状態に突入してしまうこともありえます。それは、読書のし過ぎが心身の不調に繋がる可能性もある、というのと同じことです。
自分を見失ってタスク管理のためのタスク管理をし始めてしまうと、自分の状態をよく保つこともできなくなってしまいます。それは結局タスク管理というもののせいではなく、自分を見失っていることに問題があります。
第一に大事なのはやはりTak.さんのお話にあったように「ライフを考え、ライフを生きること」でしょう。それを忘れた小手先の工夫は自分を幸せにはしません。
また、自分の仕事について最適なタスク管理法を見出して最善の補い方をできたとしても、必ずしも自分が超人になれるわけではありません。倉下さんがお書きになっているように「成功」も「ハイクラスプレイヤーになること」も確約されません。目指すべきは「自分なりの最良」であり、得られる可能性があるかもわからない社会的評価に自分を賭けるべきではないでしょう。
「自分なりの最良」が自分の理想に届かないということは、悲しいですがきっとよくあることです。で、自分以外の人も大抵その人の理想に届いていません。それを知り受け入れることはもはやタスク管理がどうこうの次元ではありませんが、それはつまり、タスク管理によって打開を試みている問題の解決策が実際はタスク管理ではないところにある可能性を意味しています。
もっと言えば、「自分なりの最良」が、自分の理想とは全く違う形でものすごく良い感じの人生に繋がることもあります。そのような話は割とよく聞かれます。自分の理想と自分の実際が違うことは、必ずしも「現実は理想より下」ということではないのです。
やっぱり「ライフを考える」が全ての要なのだろうな、と私は思います。
