mdファイルを用いたデジタルノートアプリケーション。
Obsidian - Sharpen your thinking
ローカルのmdファイルを使うところが特徴的。スマートフォンアプリもある。
開発者はDynalistを作った人たち。
愛用者たちの手により数多のコミュニティプラグインが作られ、機能は無限の広がりを見せている。
動じないために。
mdファイルを用いたデジタルノートアプリケーション。
Obsidian - Sharpen your thinking
ローカルのmdファイルを使うところが特徴的。スマートフォンアプリもある。
開発者はDynalistを作った人たち。
愛用者たちの手により数多のコミュニティプラグインが作られ、機能は無限の広がりを見せている。
Backlinks
他の「Application」カテゴリの語句
他の年の記事があるわけではないが、「今思っているだけに過ぎない」という意味で「2024年版」としておく。過去に断片的に書いた見解とは大きく違っている可能性がある。
「賢くなる」と情報ツールの位置関係で、「がらくた箱」と「賢くなる」ための情報ツールについて書いた。
何度も考えたような気はするのだが、なんとなく曖昧になってきていたので今この違いに気づきを感じている。
あらすじ
以前noteの記事にて、構造ノートの意義を「自分の問題意識に基づいて複数のノートを構造化し、文脈を与えるために存在しています。」と表した。
その表現に対し、自分で不満を感じたので言い直したいと思った。
前回は「構造化」の三文字について考えた。
構造化は自動的機械的にはできない。
うまくいった構造の型も使い回せるとは限らない。
事例の特殊性に気づくためには自己観察と言語化の努力が必要である。
今回考えたいのは、「文脈を与える」という表現で言い表したかった意味合いについてである。
タイトルに「Obsidian日誌」と示している通り、これは私個人の模索を記録したシリーズとして書くものである。
以前noteに書いた記事にて、Zettelkastenでノートを作る際には「Index or Structure notes」という役割のページが生み出され、私は(jMatsuzakiさんに倣って)それを「構造ノート」と呼んでいますという話をした。
この記事の中で当時の私は、構造ノートの意義を「自分の問題意識に基づいて複数のノートを構造化し、文脈を与えるために存在しています。」と書き、また「シールを集めるための台紙のようなものです。」と喩えている。
これを書いたときはそれで明瞭に定義できているかのような気分になっていたのだが、それから一ヶ月と少し経ち、なんとなく肝心なことを言えていないような気分がじわじわと滲み出てきた。
普段、日記や考え事にはObsidianというMarkdown管理ツールを使っている。
Obsidianとは何かということについては、簡潔に言い表すのが難しいので以前noteに書いた記事をお読みいただけると幸いである。この記事の最後に素晴らしい解説記事の数々へのリンクも貼ってあるのでご活用いただきたく。
さて、毎日Obsidianを使ってあれこれメモして考えて熟成させてということをしているのだが、ObsidianはPC用のデスクトップアプリであり、Obsidianの優れた検索・リンク機能はスマートフォンでは使えない。似た環境を用意できるものとしてiPhoneでは「1Writer」というアプリが良いらしいという話は聞くが、当方はAndroidを使っているのでそのアプリには頼れない。ゆえに、スマホからファイルを開きたくなったときにどういう格好であったらよいだろうかということを前から考えていた。
唸っているうちにはたと思い出したのが、「DoMA式」である。
Obsidianには多種多様な情報を格納していくことになるため、完全な無秩序状態を防ぐとするならノートを分類することが必要になります。