他の年の記事があるわけではないが、「今思っているだけに過ぎない」という意味で「2024年版」としておく。過去に断片的に書いた見解とは大きく違っている可能性がある。
現在、ScrapboxとObsidianにはそれぞれ以下の役割を持たせている。(「がらくた箱」「知の箱」については三つの箱(領域)の整理参照)
Scrapbox
がらくた箱(好きなもの、面白いと思うもの、へ~と思ったものを集める場)
特定の領域・ジャンルの調べ物や記録(ジャンル毎に1プロジェクト)
個人サイト用のデータベース
Obsidian
知の箱(知っておいた方がいいこと、考えておいた方がいいことを扱う場)
プロダクト型アウトライナー的用途
個人で使う場合、どちらも大雑把に言えば似たようなツールだ。ページ間リンクに優れているネットワーク型のデジタルノートツールと言えるだろう。なので使い分けに客観的な必然性はない。どちらでもやろうと思えば同じことができるからだ。
有志が作ったプラグインの多彩さから言って「できること」の幅はObsidianの方がずっと広いようには思えるが、それにしたって、自分でスクリプトを書けるならScrapboxのUserScriptでもかなりのことができる。決定的な差があるとは言えない。
大きく異なることを挙げるならば、ページがひとつひとつファイルとして存在するかどうかの違いがある。Scrapboxはページそれぞれをファイルとして扱うことはない。エクスポートする際も全部まとめてひとつのjsonファイルに入った状態で出力される。Obsidianは個別にmdファイルとしてローカルに存在している。Scrapboxの中身を分類することは仕組みとしてほぼ不可能だが、Obsidianが扱うmdファイルはフォルダを分けて分類することが容易である。また、ただのmdファイルであることにより他のアプリケーションを併用することも可能だ。
ページがひとつひとつ存在していることが常に良いかというと、必ずしもそうとは言えない。というのは、例えば今現在私が「がらくた箱」として使っているScrapboxプロジェクトには4000ページほど存在しているが、これが全て個別のファイルとしてローカルに出力されたらちょっと耐えられない。ファイルが何千もあるということ自体圧倒される感じがして嫌だし、実体を持った形で並んでしまうとページの無秩序さが気になってくる。適当に使うことが難しくなるのだ。
その点Scrapboxはページの数が増えればほとんどのページが視界から消えていくので、見えていないものの無秩序さは(一覧しないということに慣れてしまえば)無視できる。無価値なページが存在していても、その存在が視界に入る機会自体がほぼないので気にならない。
逆に、内容によってはScrapboxではちょっと困るのだが、その要因はこの「視界に入る機会」にある。あるページが存在していても、そのページに至る導線がその後全く作られなければ、そのページに行き着くことはない。そういうページは別に見えなくなっても構わないのだ、と思える領域ならそれで全く困らないが、そういう「必要が生じた時に見つかればいい」型の情報ではないものを扱うとするならば、それでは少し不便になる。
例えばその典型が「常識として知っておいた方がいいこと」みたいな情報だ。自分の関心と強く結びついている情報なら「そういえばあれがどこかにあったよな」という感じで探しに行く機会が発生するが、個人的には別に興味はないという場合には思い出すことが難しい。つまり自分がどういう人間かと関わりなく覚えなければならないもの、時折見返して思い出しておかなければならないものの扱いが難しい。こういう時、Ankiを活用する人も多いだろう。それはひとつの有効なアイデアだと思う。
もちろん、Scrapboxでもきちんとリンクやタグを整理して網羅的に辿れるように整えていけば問題はない。なので「Scrapboxではできないこと」の話をしているわけではない。ただ、そのような几帳面さを維持するのは私には不可能なので、ページが個々に存在し、フォルダを開けばそれらが整列した状態で確認できるObsidianの方が、自分の感性や生活、仕事と直接的に関わりのない情報を扱うのは楽だろうと思う。(そういう情報を扱う必要があるのか?というのは個々人のスタンスによりけり。ない人はない。ある人はある。)
まとめ
現時点での私の中での使い分け。
Scrapbox
体系的でないもの
自分の関心、生活、仕事と直接的に結びつくもの
- =情報にたどり着くトリガーが自分の中に存在するもの
見つかったり見つからなかったりしてもいいもの
Obsidian
体系的なもの
自分の関心、生活、仕事との結びつきが薄いもの
- =情報にたどり着くトリガーが自分の中にないもの
確実に見つかってほしいもの、ぱらぱら見たいもの