総集編の続きです。これで終わり。
70:「机の上」引き出し
明示的に「机の上という共通項」で括った場所を作ることで、互いに全然関係がないようなものも普通に同居させていいことにする。これが「適当な箱にとりあえず入れる」に留まると雑然とした感じが拭えないままなのだが、「机の上」コーナーにすると気分として納得しやすい。
71:知見ノートを作る/タグ機能と仲良くなった②(Dynalist)
存在感が大きいことは変わっていないが、書きだす取っ掛かりがもうわからない。最初にもやもやとあったイメージはどこかに飛んでいき、その時点で残したメモを見て今想像できる世界というのは最初のイメージよりずっと小さい。今書こうとするとそのメモに依存しすぎてしまう。当時は全体の中の部分でしかなかったメモが、時が経った今では残されているものの全体になってしまっている。
73:デジタルツールは自分の記述にデータ感をもたらしてしまう
デジタルデータであるということ、フォントが整ってしまっていること、デジタルツールに頁や冊子のイメージが乏しいこと、あるいはそもそも重複を嫌う文化に触れてしまっていること、何がどう影響しての結果かはわかりませんが(人それぞれかもしれません)、それらの一つ以上の要素によって「一手毎にデータとして正しく整っていく」ことを目指す気持ちが知らぬ間に膨張し、私たちから自由を奪っているように思います。
仮に重複が気になったとして、「でも書く」か「だから書かない」かは大きな分かれ道になるでしょう。「気にしなくて良い」と言われてすんなり「じゃあ気にしない」と切り替えることは難しくとも、「でも書く」を選択することはできます。前に書いた! 気持ち悪い! 私の脳は貧困! と思ってしまいながら、でも書く。
極度の飽き性の人間はたぶん一日当たりの作業量を事前に意識してはならない。それは作業量の多寡とは関係ない話で、「毎日たったこれだけ」みたいな計算は慰めになるどころかむしろ邪魔なのである。
ひとつひとつ順番に着実に片付けていくという美徳に馬鹿正直に囚われない。ぐるぐると高速巡回して、完了に至ったものを順番に並べていけば、実情を知らない人間からすると恰もそれらをひとつひとつ片付けたように見えるだろうし、実情はどうでもいいのだ。
すいすい書ける人というのは、思いつくネタ自体多いかもしれないが、すいすいとは書けない人が諦めているようなネタを使って書けるというのもあるんじゃないかと思っている。
背伸びが合うか合わないか、ネタを厳選すべきかそうでないかは各々見極める必要があるだろう。自分にホームランしか許さないとして、それが自分自身にとってプラスに働くのかどうか。
T15:2023年10月時点のメモ環境
77:個人サイトを作りました
ブログを書いていてすごく気になるのが、続きとして書いた記事に前の記事へのリンクを貼っても前の記事からはそれが分からないこと、そして単語やフレーズを対象とした記述(つまり事典風の記述)を書きにくいことです。
肝心なのは、「自分から滲み出させる」ということに真剣であるかどうかだ。滲み出た結果がどういうものになるかはわからないけれど、前提として「滲み出させる」ことに真剣でなければ面白くはならない。取り繕わないこと。他人のことの前に自分自身を見つめること。自分の感じたことを言い表すために労を惜しまないこと。
ブログを開設して、あるいは投稿サービスにアカウントを取得して何かを書こうとする時、自分の関心や強みの最前線を表現しようとしてしまいがちだと思う。なぜなら、埋もれないため、書き続けるためには、少なくとも自分の中での最前線を走り続けないといけないような気がするからだ。
この先、「それでもブログを書く」という奇人変人がどんどん凝縮されていき、ブログというのは異様な迫力に満ちた謎空間になっていくのかもしれない。そうなったら面白いなと思う。
(自分が感じたことを書いて発表することは)世界と接続するものとしての公開であり、それは「発信」とか「アウトプット」とかではなく、世界にある小さな舞台に立って「私はこういうものを持っているんですけど」と「発表」する。それによって、私ははじめて世界に姿を現すのだ。
自分の生活に納得して自信を持っているように見える人というのは、やっていること自体が何かすごいとか立派だとかいうのではなく、そういう自問自答の蓄積で「私としてはこれが最善」と言い切れるようになっているということだろう。私たちが実際に憧れているのは、目に見えている部分の洗練された格好良さより、それを結果として導き出している、生活や人生というものに対するそういう堂々とした態度の方ではないかと思う。
82:デジタル手帳会議
手帳というのは日々の生活を記録したり管理したりするものなので、手帳の在り方を問うということは、同時に自分の生活そのものを問うことでもある。手帳会議というのは自分の生活を設計する時間と言えるだろう。
(ツールを)自分で自由に作れるとなれば、ぼくのかんがえたさいきょうの情報ツールを作ってしまいたくなる。頑張って考えて頑張ってコードを書いて、すごいものが爆誕したような気持ちになる。しかし最強に思われたそのツールは、どうにも上手く働かない。プログラミングが下手だからか。欠けている要素が何かあるのか。いや、全てを兼ねようということ自体が自分に合っていないのだ。
84:サイトの作り方①ホスティングサービスを使って公開してみる
86:ブログの書き方ド下手問題⑫~経緯を説明しようとし過ぎている~
未来の自分に向けて書くならば省略できることは省略するものを、内容はそのままに不特定多数の他者を想定し始めると「自分とはどういう人物であるか」「どういう前提で話をしているか」の説明が必要になってしまう。そうすると未来の自分には全く意味を成さない自己紹介が文章中に増えていく。自己紹介するからにはそれは誤解されては困るので、十分な説明に努めようとしてしまう。
88:ブログの書き方ド下手問題⑬~知らせたいことと言いたいことは分離する~
自分の「表現」の前提に何か情報が必要なら、それを伝えるための「共有」の文が要る。その文が複雑化して読み手の負担が増えていくと、よっぽど面白い話でなければ「表現」の部分が霞んでしまう。抽象的な領域の話は、前提の共有がどうしても複雑になるので紀行文的に書くのは難しい。
自分に対する自分の忍耐が報われる瞬間を作るひとつの手立てとして、新規作成ボタンをなくして検索を強制することが私には有効だったということだ。
90:2023/12/17――AmazonからScrapboxにクリップするブックマークレットを改良した
91:デジタルなノートを作った
92:2023年の振り返り
T16:今年の情報整理・書き物振り返り
また、このサイト内に設置している「茶の間」というコーナーの存在が私の中で重要です。つまるところこれもブログで、且つどうでもいい感じのことを書いていくだけの場なのですが、こういうことをやるのにちょうどいい場というのが今までなくて不完全燃焼感があったので、どうでもいい感じのことを生き生き書ける場を作れて元気になりました。
以上です!
一年分の投稿を読み直すのは非常に大変でしたが、こういう機会を設けないとただ書きっぱなしになるので、年末年始や年度替わりのようなタイミングで見直すのは大事です。今年は余計自分の文章を読むのが辛かったので(悪文が多かったため)、来年末は楽しく読み返せるように良い文章を書いていきたいと思います。
さて、今年のブログ更新はこれが最後です。今年も一年ありがとうございました。
あなたにとって、私にとって、そして全ての人にとって、来年が今年よりも平和で苦しみのない年になりますように。皆様良いお年を。