Capacitiesの画期的な特徴は全ての情報をオブジェクトとして扱うことにある。
種類が曖昧なものは「とりあえずただのPageにする」という使い方をしてもいいし、公式ドキュメントにもそのように書いてあるが、基本的には情報は何かしらのオブジェクトタイプに属するものと考えるのがCapacitiesである。
「情報をオブジェクト単位で扱う」とは
予め用意されているオブジェクトタイプを見れば、なんとなく「オブジェクト」というものがわかってくるような気がする。
ベーシックオブジェクト(予め定義されている特別な働きのオブジェクト)
カスタムオブジェクトの例(自分で定義するオブジェクトのテンプレート)
なんとなく納得したような気持ちになるかもしれない。でも、本当にわかっただろうか。わかった気がするとして、これがそれほど素晴らしいものと感じられるだろうか。
正直なところ、この例をなんとなく見ただけではCapacitiesの真価はわからない気がしている。特異さが現れているのは「Query」オブジェクトや「Project」オブジェクト、「Definition」オブジェクトなど一部のオブジェクトだけに思える。
開発者がどれほど自覚的なのかわからないのだが(当然踏まえているのかもしれない)、「情報をオブジェクト単位で扱う」ということには少なくとも二つの意味がある。ひとつは「オブジェクトについての情報を扱う」ということ。もう一つは「オブジェクト化した情報を扱う」ということだ。
例えばベーシックオブジェクトの「Image」や「PDF」などは、前者の「オブジェクトについての情報を扱う」ものだ。画像やPDFファイルは明らかにオブジェクトであって、それについてリンクを貼ったりメモを取ったりするためにこのオブジェクトタイプがある。
一方で、例えばカスタムオブジェクトの「Project」は後者の「オブジェクト化した情報を扱う」ものと言っていいと思う。プロジェクトというのはオブジェクトとして自明ではない。自分がここからここまでのプロジェクトと思っているものを、他の人も必ず同じように思うわけではない。会社でやっているプロジェクトは関係者の間で範囲と意味を共有するが、関係者以外にはそれが何を指しているのかは明確にはわからない。しかし自分が関わっているものを「あの話」として指し示すためには、オブジェクトの体裁を人為的に整える必要がある。
この二種類は形としては両方「情報をオブジェクト単位で扱う」ということでまかなえるものだが、その性格は実は随分違っていると思う。Capacitiesが革命的なのは――いや、Capacitiesが私の情報管理に革命をもたらしたのは、と言うべきかもしれない――明らかに後者の扱いの道を広げたからだ。
私もしばらくはこの両方、つまり「オブジェクトについての情報」と「オブジェクト化した情報」を合わせて扱っていたが、やがて前者の「オブジェクトについての情報」はほとんど撤去してしまった。行き先はほぼNotionである。Notionは「オブジェクトについての情報」のプロフェッショナルと言っていいだろう。(もちろんNotionは他のこともできる。)
Capacitiesを「オブジェクト化した情報」のために使う
結果的に今の私のカスタムオブジェクトはこうなっている。
このうち下段の「Belonging(所有物)」と「Place(この先訪れる可能性のある場所)」、「Person(自分と関わりのある人)」は明らかにオブジェクトだが、他のカスタムオブジェクトは「私がこの情報をオブジェクトと見なしている」というだけである。そしてそれこそがCapacitiesで扱うべきものと思って使っている。
重要なのは、或る種類の情報の、その「種類」というのがなんなのかに目を向けられることだ。これらの情報が、種類で分ける発想のないツールにばらばらに入っている場合、それらに自分の頭が焦点を合わせることはかなり難しい感じがする。
また、オブジェクトらしいオブジェクトでも、例えば「書物」の中に「文字だけの本」「図鑑」「雑誌」「写真集」「漫画」といったタイプが当たり前にあるように、あらゆる種類の情報に、更になんらかの分類があり得る。つまり二段階以上の整理が必要なことが多い。そう考えると、まず「種類」を捉えてオブジェクトタイプを作り、更にその枠の中で傾向を捉えてタグやラベル(※最近実装された)、コレクションで分けていく、という流れが自然にできることは情報整理に於いてとても有用に思われる。
プロジェクトのようなものは「あの話」と指して扱えないと不便なので、オブジェクト化して考える必要がある。しかしオブジェクトとして自明でないし、更にプロジェクトの種類まで考えるとなると、プロジェクト自体が自明でないのにその種類が自明であるはずもなく、整理するのは容易でない。だが不可能ではないし、人生の自己コントロール感を得るためにはむしろ努めてやっていかなければならないことだろう。そのヒントになることを多くの人が語ってもいる。
Capacitiesの仕組みはその難しい努力を形式の力でサポートしてくれる。
ちょっと語弊があるかもしれないのでここで補足すると、私は「オブジェクト化した情報」の方をうまく扱えることがCapacitiesの強みと解釈してそれに特化させているが、別に「オブジェクトについての情報」の方を除去することを勧めているわけではない。むしろその両方を一体に扱えるのはCapacitiesのすごいところであって、つまりCapacitiesひとつで全てをまかなえるポテンシャルがある。ただ個人的には私はCapacitiesで自分の「やること」に集中したいので、直接自分に関わらないオブジェクトは他の適したアプリケーションに任せる道を選択している。
そして仮に「オブジェクト化した情報」を扱う気がそもそもなくて「オブジェクトについての情報」だけでいいのなら、それは既に市民権を得ているNotionやObsidianが得意としていることなので敢えてCapacitiesでやる必要はないと考えている。
事物化の意義
オブジェクトというものがそもそも難しいので、オブジェクトというのは例えば画像とか本とか、という話になってしまう。そうすると、例えばCapacitiesのオブジェクトタイプとしてわかりやすい例に「Book」オブジェクトの話を出してしまうことになる。しかしそれはCapacitiesの本質を捉えられているとは言い難い。
まあ横文字を使っているから曖昧なのであって、「事物」と言ってしまったほうが話は早いと思う。自分がやっていること、やろうとしていることはそのままでは事物として形をなしていないが、その範囲に名前をつけて事物化すれば、例えば歴史上の「○○事件」などと同じような感覚で「あの事柄」として扱うことができる。
例えばまさに今起きているなんらかの不祥事についてニュースで見たとする。それに「○○事件」「○○問題」とはっきり名前がつかないうちは、それについて調べるのは結構骨が折れる。しかし名前が定まれば、みんながその名前で「あの事柄」を指して話をするから調査が簡単になる。Wikipediaに記事もできる。
それと同じことを自分の生活上の事柄について行うのがプロジェクトの事物化である。そしてただ名前をつけるだけでなく、その事柄の種類を見出していくことまでサポートするのがCapacitiesなのである。
また、自分が思う「事柄」は、他人が思うそれとは区切り方が違っている可能性がある。自分が自分のために考える限り、それは違っていてよいのであり、自分オリジナルの区切り方で事柄を扱えるということが自分の思考の世界を自然で豊かにするポイントだろう。Capacitiesのカスタムオブジェクトはそれを可能にしている。可能にするばかりでなく、それを促す設計になっていることが意義深い。可能かどうかだけで言うなら別に他のツールでも可能である。
Capacitiesは「情報をオブジェクト単位で扱う」というコンセプトであるがゆえに「オブジェクト単位の情報」とは何なのかというところで混乱が生じる可能性があるし、Capacitiesを使うのならばそのことについて突き詰めて考える必要があると思う。
しかしCapacitiesに限らず、自分自身が生活していく上での情報を何らかのツールで扱う中で、このことの検討は避けては通れないことだと思う。自分以外誰も区切ってくれる人のいない事柄について自分で事物化していく必要はある。個人的にはCapacitiesは助けになるだろうと思っているが、別にCapacitiesを使わなくてもいい。大事なのはどこに焦点を当てるかである。
もしツール難民から抜け出せないということがあるならば、その解決のヒントはこういったところにあるかもしれない。