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動じないために。

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じゆうちょうノート術

のらてつのノート使いを体系化しようと試みているもの。

  • 無地のノートを使う
    • インデックスを作る
    • 4列×4行に分割できるガイドをつけ、自由に仕切って書く

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「じゆうちょうノート術」タグの記事一覧

2024/02/04

じゆうちょうノート術(仮)⑤インデックス

 前回までの記事はこちら。


 今回はインデックスの話をします。一番最初の記事でも少し触れましたが、インデックスというものをどう解釈するのかについてより詳しく書いていきます。
 また、この先の内容には関わりませんが一応の前提として、私のインデックスは「見開き単位でノートを作ることにしたので先頭1ページが空いているから」という理由によって発生しています。インデックスの効能というのは色々ありますが(そしてそれを今から書きますが)、それでもその程度の軽さで存在しているものだということはちょっと留意しておいてください。

実例と恒例のパターン

 最初の記事にも貼った実例をもう一度掲載します。

画像

 ちなみにこれは右下に「8」とあるように、今使っているノートの見開き8番目のページに書いて作ったサンプルです。前後の見開きは全然関係ない内容になっています。こういうものが唐突に挟まっていても構わないのがじゆうちょうノート術です。
 さて、書き方の恒例パターンをまとめておきます。(あくまで恒例のパターンであり、「決まりごと」ではありません。)

  • 最初の1ページ目に書く(1ページ目のみ使う)
  • 左側上部に「INDEX」と書き、右側上部にノートの使用期間を書く
  • 左端に見開き番号を書く
  • 左半分に左ページの内容、右半分に右ページの内容を書く
  • 続きなら矢印(→/↓)を書く
  • 内容の頭には四角囲みで漢字一字の分類を書く
    • 生:生活に関すること、ライフログなど
    • 知:知ったこと、調べたこと
    • 思:思考したこと
    • 読:読書ノート
    • など(適宜作る)
  • 必要に応じて分類の四角内または内容部分をマーカー等で彩色する

 書き入れるものとしてはこのようになっていますが、重要なのは書く内容より書くスタンスの方だと私は考えています。

書き入れるタイミング

 私はインデックスへの記入は少なくとも見開きの10番目くらいまで進んでからにしています。ノートが1ページ進むごとに几帳面にインデックスを更新する、というのは、そうしても構わないのですが(使い方は自由なのです)、私の場合はそれがプラスに働かないのでやらないようにしています。
 というのは、そのような几帳面さを発揮してしまうとノート全体を雑に使うのが難しくなってくるからです。囚われが酷い場合には「インデックスを作るに相応しいページにしよう」という発想も生まれかねません。
 子どもの頃に「じゆうちょう」を使っていた時、インデックスを作ろうとしたり「相応しいページ」を考えたりした人はあまりいないと思います。自分で自分の自由を奪わないように、「こうしたら良さそう」という一見ポジティブなアイデアにも慎重になることが肝要です。
 なお、私は規範性が自分にとって邪魔になりがちなので避けていますが、むしろそうした方が捗るという人は構わずそのようにしてください。判断基準はあくまで自分が自由でいられるかどうかです。

書き入れる文言

 インデックスを見ただけでたちどころに内容を全部思い出せるように的確な文言をスパッとビシッと書いてやろう、というふうには思わなくていいです。おそらくどう頑張ってもそれは無理なのです。
 インデックス作りに囚われないために重要な大前提がひとつあります。それは「インデックスとにらめっこして内容を思い出すよりパラパラめくった方が早い」ということです。ノートがよっぽど大量でなければ、インデックスはなくてもどうにかなるでしょう。
 インデックスという小さい欄では「何をどのように書いたか」を示すのは困難です。でも「何について書いたか」は表示することができます。例えば「○○という本について」とか「正規表現について」といったようなことです。考え事なら「ノートの書き方について」というような感じです。
 そのページで何をどう考えたかまで要約しようとしても、おそらく時間が経ってしまえば結局わけがわからなくなってしまいます。前後の流れが肝心なこともあるでしょう。なのでインデックスは適当なくらいで良いと思います。
 経験上、後からノートを探す際に必要な情報は「何について」の部分です。例えば読書ノートを探しているならば、その書名が書いてあることが唯一必要なことです。インデックスはなくてもどうにかなると書きましたが、インデックスに書いてあればもちろん探しものは格段に早く済むでしょう。

インデックスを作るのは何のため?

 今述べたように、インデックスがあれば後から記述を探しやすくなるという利点はもちろんあります。ないよりはあった方が便利です。
 ただし、実際どの程度活きるものなのかはちょっと考えてみた方がいいかもしれません。例えばこういう自問をしてみます。

  • そんなに探しものをするのか
  • それは一瞬でズバッと探し当てたいものなのか
  • 付箋をつければいいのではないか
  • デジタル化した方が早いのではないか

 インデックスはないよりあった方が便利なのは事実としても、どれほど几帳面にやるべきかはノートの使い方の実情によって変わってきます。もしも「後のことを考えて」インデックスを作ろうとしているのであれば、これまでの経験上何があってほしかったのか自分に問うてみるのが有効性を高めるポイントになると思います。
 インデックスを作る理由は「後から探しやすくするため」だけとは限りません。まず「気分が良い」ということがあり得るでしょう。役に立つかどうかはさておき一覧を作るのは気持ちが良いのだと思うのなら、それだけでインデックスを作る理由として十分です。

振り返りとしてのインデックス作り

 私にとってインデックス作りの理由はもうひとつあります。それは「振り返り」です。振り返りと言っても反省するという意味ではありません。もっと単純に、最近の自分は何をしているのかを把握するということです。
 上の方で書いたように私はある程度ノートを書き進んでからインデックスを作りますが、その理由は規範性への囚われ回避に加え、ちょうどいいタイミングで振り返りの機会を設けるためです。
 インデックスを作る時、そのページに紐付ける文字列を考える必要があります。これを「タイトル」と呼んでしまうとちょっと適当でないので、あくまで「ページに紐付ける文字列」としておきます(タイトルっぽくなくてもよいのです)
 で、どんな文字列にするかを考えるには、そのページの内容がどのようなものでどんな意味を持っているかを確かめる必要があるでしょう。頑張って要約的な言葉をひねり出そうとはしなくていいのですが(前々項で書いたようにその努力は意味をなさない可能性があります)、これはつまり何についてのノートかというのがわかるとインデックスとして有効な文字列を作りやすくなります。そしてその過程で、自分は何のために何を考えてきたのかを思い出すことになります。
 几帳面に1ページ進むごとにインデックスを更新していくと、振り返りの機会は別に設けることになります。そして振り返りの際に何をするのかが曖昧では、「やった感」がいまいち生まれないので私はやる気が起きません。ただ漫然とノートをめくって見直しても脳が刺激されませんが、振り返りを通じて改めて何かを書くというのもちょっと大変です。その点、「インデックスを作る」という作業が振り返りを兼ねていれば、インデックスを作った時点で必然的に振り返りが完了しているので流れとして自然になります。

まとめ

 インデックスは「作らなければならないもの」ではなく、なきゃないでもまあそんなに困ることにはなりません。
 あった方が後々便利なことは確かで、どうせなら作る過程を活かして振り返りをすると、自分がノートとともに何を考えているところなのかが整理されて頭がクリアになるかもしれません。
 

2024/02/01

じゆうちょうノート術(仮)④読書ノート

 前回までの記事はこちら。


 無地のノートの四辺に印をつけて16分割できるようにする、ということを前回書きました。
 これは「じゆうちょう」ですから好きなところを好きなように区切ればいいわけで、この印に従って線を引かねばならぬというものではありません。でもガイドがあるとカオスになりすぎないという利点はあります。
 私の個人的な性質として、ガイドにできるものが多いと(例えば方眼罫)、それを活かそうとしすぎてしまうということがあるので、あくまで無地のノートにこだわっています。一方で、そのように「ガイドがあればなるべく従いたい」と思う程度に秩序好きな面があるということでもあります。間を取って、やろうと思えば4列×4行をぴしっと作れる、というゆるめのガイドを活用しています。

 さて補足はこの辺にして、じゃあ具体的にどうしているか。今回は読書ノートの取り方を書いてみます。
 例えばコマ割りはこのような感じ。(一度手書きで書きましたが字が汚かったので打ち直しました。)

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 左上の1マスに本の情報を記入します(2マス分以上使ってももちろん構いません)。あとは書き抜きやメモの量に合わせて必要なマスを作って書きます。線で区切っていると、隣あった内容の間に繋がりが全然なくてもあまり気になりません。
 引用は長くなりがちなので横長2マス分になることが多いですが、単語のメモなどは1マス分あれば足りるので、そのような知識系のメモが多いタイプの本ほどマスは細かく分割されています。

 もうひとつ実例を貼っておきます。

画像

 左ページは書き抜きごとに線で区切っていますが、右ページは「知的生産の定義」に関わる部分をゆるくまとめたものという感じで、どこも区切らずに書いています。細かいマスだらけにしてもいいし大きく1ページで書いてもいいのです。大事なのは気分です。
 区切って書くと各マスにゆとりが生まれるので、ページあたりの記述量は減ることが多いです。逆に、区切ることで隣との隙間なくみっちり書き込んでも気になりにくい面もあるので、むしろ増やすことも可能ではあります。マスというものの解釈次第でノートの雰囲気は変わるでしょう。
 罫線のない無地であることで、マスの中の密度は全く自由に決められます。大きい字で何文字かだけ書いたマスの隣が極小の文字で埋め尽くされていても問題は何もありません。
 各マスに余裕があると、そこに自分の感想や考えを書き込みやすくなります。埋めないともったいないような感じもしてきて「この引用部分にコメントを付けるなら何か」と考えたりもします。後で加筆できるようにと漠然と余白を取るとその空間の必然性のなさが気になってしまうのですが、このようにガイドに合わせて区切ると「この謎の空間が気になる!」ということにはなりません。

 ちなみに、見開き単位でノートを作ればいいので、ある本についての読書ノートを最初から最後まで全部続けて書こうとする必要は全然ありません。他の本についてのノートが挟まってもいいし、読書ノートではないものが間にあっても構いません。続きは何番にあるのか、何番からの続きなのか、を書いておけばいいのです。
 考えてみると、巻物のように全部広げて見られるならともかく、ノートはどう頑張っても見開き単位でしか見られないわけですから、続きの内容がすぐ次に書いてあろうが離れて書いてあろうが割とどうでもいいことですよね。
 

2024/01/28

じゆうちょうノート術(仮)③16分割レイアウト

 前回までの記事はこちら。


 じゆうちょうノート術(仮)と称しているこの使い方は、ノートの罫線に縛られない(罫線があるとそれに従おうとしてしまう己の心に縛られない)ために無地のノートを使っています。決まったフォーマットも作りません。
 とはいえいつも無秩序で行き当たりばったりなのが良いというわけでもありません。境界によって領域が区切られていた方が良い場合もあります。

 そんなわけで、このノートには四辺に境界線のガイドを付けています。

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 はっきり見えるように大袈裟に記していますが実際にはもっと控えめです。なお以前には印刷していたことがありましたが(前記事に書いた両端の線と一緒に)、今はマッキーで小口と天地をちょちょっと塗るだけで済ませています。
 四辺に付けられたガイドにそって線を引けば、見開きを最大4列×4行=16分割できるようになっています。
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 4分割で使っていることもあれば……。
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 変則的に区切っていることもあります。
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 先に区切っておいて書き込むこともありますが、書きながら区切りたいところで区切っていることも多々あります。もちろん前記事の例のように全然区切らないページもあります(ここ数年はどこも区切らないページの方が多いです)

 区切って使うのはどんな時か、例を挙げてみます。

  • 【4列4行】思いついたものをとりあえず書き込むInbox的メモ
  • 【4列4行】16マス埋まるまでアイデア出し
  • 【4列1行】バーティカル手帳風スケジュール(4日分)
  • 【2列4行】名言集
  • 【変則分割】読書ノート など

 活用法は無数にあるでしょう。次の記事でいくつか具体的に書いていきます。
 

2024/01/24

じゆうちょうノート術(仮)②中身の書き方

 前回の記事はこちら。

2024/01/21

じゆうちょうノート術(仮)

 こちらの記事を読みました。

 私のノートもまさにこんな感じになっています。


 かつてはテーマごとにノートを用意してということをやっていましたが、まともに継続できたためしがなく挫折感を増すばかりだったので、だんだんと一冊に統合するようになっていきました。一冊にまとめようと決めたというよりは、「必要になったら後でノートを作って転記しよう…」と思いながらとりあえず雑記帳に書いてそのままになっているという感じです。
 加えて私は無地にこだわっているので、自分のイメージに合った語彙を選択する意味でも「じゆうちょうノート術」と呼ぶことにします。メソッドとして形ができているわけではありませんから「じゆうちょうノート術(仮)」としておきましょう。

経緯

 私の場合の元ネタはバレットジャーナルです。バレットジャーナルそのものというよりは、バレットジャーナル界隈で常識になっていたことと言った方がいいかもしれません。もはや「バレット」は全然関係ないからです。
 ページまたは見開きごとにその都度役割を持たせ、冒頭のインデックスページに各ページの内容が何なのかを書いておく。と言っても、それだけならバレットジャーナル以前から普通にあったことでしょうし、インデックスページが備えられている大学ノートもあります。
 バレットジャーナル界隈で流行しているノート術のキモは「1冊のノートに多様なフォーマットが同居する」ことにあります。フューチャーログ、マンスリー、ウィクリー、トラッカー、ウィッシュリスト、各種の○○リスト、といった様々な役割のページのフォーマットを、それぞれの内容に合わせて自分で作るわけです。必然的に各ページは全然違う見た目になります。基本的には本来のバレットジャーナルのページの合間合間にこういった特別なページを必要に応じて作っていくので、互いに連続性を断ち切るような形でノートができていくことになります(几帳面な人はそうではないかもしれませんが)
 月末には翌月の分のフォーマットをきっちり作ったりしますが、前月までのフォーマットの具合を省みて改良していくことになるでしょうから、毎月全く同じ見た目にするとは限りません。最初は毎月作ろうと思っていたページや欄も、うまく働いていなければやがて除去されることになります[1]。時間があれば凝ったものを作り多忙なら簡素になる、という変化もあり得ます。自分に必要なフォームとは何なのかを自問自答し続けるノート術と言えるでしょう。
 とはいえ私の場合は、フォーマットを作るために行を数えたり線を引いたりする手間を費やすのが無理になってきて、バレットジャーナル界隈で定番になっているような方式のノート作りは途中で(割と早いうちに)やめてしまいました。しかしながらそういったノートの使い方の精神は私の中に残りました。
 奥野宣之著『情報は1冊のノートにまとめなさい』やモレスキンブーム、ほぼ日手帳ブームなどの影響も受けてはいますが、それらを直に取り込んだというよりは、バレットジャーナル界隈に染まった後に紆余曲折を経て最終的にそれらと同じ形になったと言った方が良さそうです。全てのものをタイムライン式で一冊に書き込んでいくという発想より、見開きごとに色々な要素があって良いという発想の方が私に強い影響をもたらしました。

インデックス

 先ほど「冒頭のインデックスページ」と書きましたが、倉下さんの記事では以下のように語られています。

まずノートは、先頭のページから書き込んでいきます。よくある使い方として先頭の数ページを『目次用』として空けておく使い方がありますが、それをしないわけです。
目次ページを作っておくと利便性が上がるのですが、その代わり「きちんと書いていかないと」という気持ちも同時に高まります。
 これは私もそう思います。私の使い方としては、単純な話、見開き単位にすると先頭の1ページが余るので、じゃあそこにノートの中身を書いておくか、という感じです。目次のために取っておいたのではなく、使わない場所なので目次にでもしよう、という順番です。
 具体的にはこのように目次を作っています。(これはサンプル用に作った目次ですが実際にこのようなページがどこかにはあります。)

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 このノートはA4のコピー用紙15枚を折って留めただけのもので、見開きが29あります。A5縦の長さはやや小さめの字で書けばちょうど30行くらい書けるので(1行7mm)、目次は1ページに収まります。縦に薄く線が引いてあり、左半分が左ページ、右半分が右ページの内容です。見開きを単位としつつ、左右で別の内容があっても構わないようにしています。
 ただのコピー用紙なので見ての通り罫線がありません。多分そのことが要因として大きいのですが、このノートには全然「きちんと書いていかないと」感が発生しません。以前普通に罫線があるノートにインデックスページを作った時は「今このノートに何があるのか」が妙に気になっていました。倉下さんのご指摘の通りです。
 今のところ、このインデックスはノートを半分くらい使ったあたりに「そろそろ書いとくかあ」と思って振り返って書き始めることが多いです。欄自体はノートを作った時点で準備しますが、しばらくそのまま放置しています。一方できちんと罫線があるノートに書いていた時は、新たなページに進むごとにきっちりインデックスを更新していました。そうすることで少しでも達成感を得て自分を慰めようとしていたのだと思いますが、長期的に見るとそれは私にとってプラスには働いていなかったようです。
 ちなみに、見開き単位でいくと最後の1ページもあぶれます。これをどうしているかというと、どうもしていません。白いままです。書かないと決めているわけではないので気が向いたら何か書くでしょうが、埋める必要もないので特に気が向かなければそのまま次のノートに移ります。昔はそこに、そのノートについての振り返りや次以降も引き続き考えたいことを書いたりしていました。

内容

 書いている内容は色々です。とにかくノートをテーマごとに分けようとしないことを重要視しています。
 例えば読書ノートの取り方に思いを巡らせてみたりすると、一念発起して専用ノートを用意してびしっといい感じに書き込んでいきたくなるのですが、そう思った時は「血迷うな!」と自分を止めます。
 もちろん専用ノートを作れた方が、情報を探しやすくまた見た目も良くて理想的です。そうできる人はそうした方がきっと良いと思います。しかし私はそれをやりだすと絶対に挫折するので(幾度となく挫折してきたので)、そういう身の丈に合わない欲を出してはならぬと戒めています。それでも時たま「やっぱりこれは分けた方が…」と思ってノートを作って案の定失敗するのです。
 ちなみに読書ノートのページは写真を撮ってパソコンやスマホで見られるようにしています。ノートの全ページをデジタル化できたらそれが良いのですが、実際に必要を感じるのは読書ノート部分だけなので、手間を考えてとりあえず写真を撮るのはそれだけに限っています。
 また、後から参照する種の情報はバイブルサイズのシステム手帳に転記しています。

実態

 じゃあ毎日活発に使っているのかというと、毎日何かしら書いている時期と全然書いていない時期とが交互にあるという感じです。
 以前なら「書いていない」ということの原因はノートの使い方にあることが多かったのですが、最近要因になっているのはデジタルツールとの兼ね合いで、単純に紙を使う気分になっていないから使っていないというパターンがほとんどです。使わないでいると使い方がわからなくなってくるので、再開には自問自答が必要になったりします。

 アナログツールとしては今のところ、このガワも中身もテキトーな作りのノートとシステム手帳の二つを使っています(後はスクラップ用のリングノートがあります)。過去に作ったノートはハードカバーやらダブルリングやらバインダーやら形態もサイズも色々ですが、結局一番有効に使えているのが「コピー用紙を折って留めただけ」のものなので、この先もこのテキトーノートを使い続けるでしょう。現時点で20冊以上使っていると思います。
 このノート術(仮)については書こうと思えば書けることがまだあるので、シリーズ的にちょこちょこ書いていこうかと思います。

関連


  1. 没にしたページに大きくバツ印を書いている人も見かけたことがあります。そして何事もなかったかのように次のページは作られていきます。 ↩︎

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