Noratetsu Lab

動じないために。

2023年9月

2023/09/27

「使っていない」と書くと使うようになる

 ずっと前から恒例のことなのだが、何かのツールについて「使っていない」と書くと間もなく使い始め、「使っている」と書くと使わなくなっていく。
 なのでつい先日書いた ノートツール環境スナップショット(2023/09) の状況から既に変わりつつある。


 具体的には、Dynalistをあまり使っていないと書いたのでDynalistが復活し、逆にNotionとOneNoteは開く頻度がやや低下している。(他のアプリケーションは状態を維持。)
 Notionでやろうとしていたことの一部がDynalistに移動し、OneNoteでやろうとしていたことはTextManager(自作ツール)に移りつつある。

天の邪鬼?

 自分はどうしても自分の決めたことと逆を行きたいらしい――というのはおそらく間違った解釈である。私はなんて天の邪鬼なんだ!とか思っていないで、何が起きているのかを淡々と見つめることにする。
 自分の脳は別に「逆」をやりたいわけではないと思う。じゃあ何なのかと言うと、たぶん、単に新たな道を見出そうとしているだけなのだ。
 「道を見出していない」と思うと、「いや、実は道はあるんじゃないか」と考え始める。逆に「道を見出した」と思うと、安心してそれを「済んだこと」にしてしまい、別のことを考え始めてしまうのである。

血流

 自分が何に対してどの程度活発に思考を巡らすかというのを、私は日頃「血流」でたとえて考えている。放っておくと血流は滞っていくが、「使えていない」とか「考えたことがない」といった自覚を持つとそこに血が巡りだす。
 すると、ついさっきまで何も思いついていなかったのに、急にアイデアが浮かんだりする。新しいアイデアというのはとても良いものに思えるので、じゃあ試してみようとなる。そうしてあっちにふらふら、こっちにふらふらということになっていく。
 血流は常に全体に全力で巡らせられるわけではないので、どこかが活性化すればどこかが停滞する。新しい領域あるいは滞っていた領域にどわーっと流れ込む時、その直前まで血流が豊かだったところの流量が減じてしまう場合がある。血流を滞らせてはならないと感じている箇所は減らないが、瞬間的にわーっと活発になったようなところは引く時もあっという間である。

振り回される度合いの変化

 この性質は困ったものだし、ずっと振り回され続けているのだが、しかし現在の状況については冒頭で丸括弧内に補足した「他のアプリケーションは状態を維持」の部分が重要だ。昔はメインで使っているツールごとあっちこっちにふらふらしていたから本当にその後が大変になったが、今は不動の領域があるので混乱は少なく済んでいる。
 ツールのことも自分のことも全然わからなかった若かりし頃は、誰かが何か言ったり自分が何かに気づいたりする度にわーっと右に揺れ左に揺れを繰り返した。まあ多分、仕方のないことだったのだと思う。
 今不動だと思っているものがいつふらっと揺れるかはわからないが、前よりは「揺れた後」のことを考えるようになったので、その意味でも安定はしてきているとは思う。

 色々と悟ることによって、振れ幅が大勢に影響のない範囲に収まり、ただ新たな道の模索を楽しむ趣味として落ち着いていけばいいと思う。
 

2023/09/21

流れで書けない時

 自分は流れで書くタイプだ、ということを何度か書いている。

 しかしある話題についていつものように書こうとした時に、全然流れで書けない、流れが発生しない、ということに直面した。

2023/09/19

「活用可能なフレーズ」再考――過去記事を磨く

 かなり前に、「活用可能なフレーズ」について考えた(記事はリンク先にまとめてある)
 ここでの「活用可能なフレーズ」というのは、アイデアを元の文脈から切り離して別の文脈で活用するために作るべきもの、をイメージしている。

2023/09/18

「システム手帳×A6紙」というプチ革命

 バイブルサイズのシステム手帳をずっと使っているが(使おうとしてきたが)、実はリフィルの縦横比が自分はすごく嫌いらしい、という話をした。


 しかしながら今はちゃんとこのシステム手帳を使えているんですよ、というのが今回の話。

手帳を気に入っている理由、リフィルを気に入らない理由

 バイブルサイズのリフィルのサイズは、縦170mm×横95mmで、縦横比はおよそ1.8:1、あるいは9:5くらいだ。新書が182mm×103mmの縦横比1.77:1なので、新書におおよそ近くて且つ新書より更に縦長である。しかも内側にはパンチ穴のスペースが10mmほどあるので、筆記可能な部分で言えば170mm×85mm、つまり2:1になってしまう。A判B判が1.41:1なのと比べるとすごーく長い。
 縦長は駄目だという話じゃあなく、単純に自分が普通の縦横比のものを好きだというだけだが、好きな縦横比があるならこのバランスの違いは無視してはいけないところだろう。

 じゃあなんでこの手帳を使っているのか。それは手帳そのもののサイズ感が好きだからなのだが、私の持っているシステム手帳のサイズは188mm×124mmで、B6サイズ(182mm×128mm)とほぼ一緒である。数字で書くとちょっと比率が違うように見えるが、重ねて持ってみると大体同じだ。
 かなり前に、「自分にとってしっくりする紙面のサイズは何か」と自分に問うたという話をちらっと書いた2022/11/18 ―― Twitterからの垂直移動/紙と筆ペン。その時は結局具体的にどのサイズかというのは書かなかったが、一番はB6サイズだというのが当時出た結論だった。そう気づいてから「そういえばこの手帳もそのくらいだな」と思って、妙に納得した記憶がある。
 余談だが、A5のバインダーがなぜかどうにも気に入らず、自分で自分を不思議に思っていた。それも気づいてみれば同じ話で、A5サイズ自体は良くてもA5のバインダーとなるとだいぶワイドになってしまうからである。A5バインダーの中でも幅が狭めのものならまだ良いが、しっかりした作りでシルエットが正方形に近くなってしまっているものは、質感を気に入っても縦横比の具合でどうしても馴染まないようだ。有名メーカーの立派なものより百均のちゃちなものの方が愛着が湧いてしまったりする。

リフィルをA6紙にする

 さて、このバイブルサイズのシステム手帳がB6サイズに近いのはいいとしても、留め具の具合があるのでB6サイズのリフィルを綴じられるわけではない。どう頑張っても縦も横も1センチずつは足りないので、わざわざギリギリのサイズのものを作って用意するのでもない限り、B6サイズっぽいものとして使うのには無理がある。
 変なサイズを拵えるのは大変なので、もし違うサイズの紙にするならA判かB判のどれかであってほしい。そうして辿り着いたのが(と言うほど紆余曲折は経ていないが)、A6サイズの紙である。とりあえずA4コピー用紙を四分割して穴をあければ導入できるのでとても簡単だ。ちなみにミニ6穴サイズのリフィルがB7くらいなので、それよりは一回り大きいことになる。
 バイブルサイズが170mm×95mmなのに対し、A6サイズは148mm×105mm。幅が10mm増えるが高さは22mm減る。筆記部分の面積は144.5平方センチメートルから140.6平方センチメートルになり、まあ3%減というところだろうか。縦がかなり短くなるので面積はそこそこ小さくなりそうに思えるが、幅の増加分によって実際の減少幅はその程度である。結局ほぼ同じと言っていいくらいかもしれない。

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 幅が10mmも増えたら小口がはみ出すんじゃないかと思われるかもしれないが、インデックスのタブが収まるくらいに余裕があるわけなので、A6サイズを綴じても手帳からはみ出ることはない。ただし5mmくらいしか残らないので、更に外側に出るようにインデックスを付けたり付箋を貼ったりするのは諦めることになる。代わりに上下に余裕ができるので、必要なら上か下にタブや付箋が出るようにすれば良い。

常に開いている

 先日の記事ノートツール環境スナップショット(2023/09)で「常に開いている」と書いたが、どのくらい常に開いているかというと、家にいる間は本当に常に開いている。パソコンの横にスタンドを設置して開いた状態で置いてある。出かける時は持っていき、必要が生じれば出先でも開く。
 今綴じているのは、所謂「手帳の付録」的な情報や自分の生活に関わる諸情報に加え、例えば正規表現とかMarkdownの記法などのチートシートや、ノートで何か考えた時の結論を簡潔にまとめたようなものなどである。
 引用集や読書メモまとめなども綴じるつもりだ。ぎゅうぎゅうになってきたら如何にコンパクトにするかを考えるだろうし、省スペース化のために何回もまとめ直してエッセンスが凝縮されていったら面白いと思う。

 システム手帳にまつわる迷走と長年の不本意感は前の記事で書いた通りだが、リフィルがA判の縦横比になったことで、今のところ「いいじゃん!」という気持ちでいる。なんだかんだ長い付き合いのこの手帳をやっと相棒にできるのかもしれない。

余談

 わざわざ整理するほどでもないが、登場した数字を一応まとめておく。縦横比は短い方を1として小数第三位で四捨五入している(黄金比を除き)

画像

 ついでに黄金比を並べてみて気づいたが、A6紙の幅(105mm)で黄金比になる高さを計算するとほぼ170mmになる。それに合わせて紙を用意するのは現実的でないけれども、へえそうなのかと思った。
 ということは、インデックスのタブや付箋の領域を含めた空間を考えるならば、本来のバイブルサイズのリフィルにしろA6紙に替えたものにしろ、そのスペース全体が黄金比になっているようだ。
 

2023/09/17

システム手帳と過ごした日々

 前回の記事ノートツール環境スナップショット(2023/09)で、常に開いているものとしてシステム手帳と書いたが、今まであまりシステム手帳について書いたことがないし、自分でなんだか唐突な感じがした。この機会にちょっと書いてみてもいいかと思って書いてみる。


 今使っているシステム手帳との付き合いは長い。子どもの頃に父親からもらった(強奪したような気もする)のをずっと持っている。ENXSの塩ビ製?のシンプルなもので、軽くて薄くて丈夫である。色も落ち着いていて気に入っている。見た目はまだ綺麗で、誇張でなしに新品とそう変わらない。逆に、革製でないから味が出てくるという感じでもない。
 付き合いは長いが、使いこなせていたかというと全然である。ずっと使えるなら使いたいと思って何かしら使ってはいたが、さっぱり納得できたためしがなかった。

子どもの頃

 この手帳を手にしたのは小学校の中学年くらいだったのではないかと思うが、しばらくはただこれを持っているということに満足していたと思う。何を綴じていたかは覚えていない。父親が持っていたバイブルサイズ用の6穴パンチを面白がって色々穴を開けていたような記憶はぼんやりとあるが、実物は残っていないから確かめる術がない。とりあえず当時は「手帳を使う」という格好ではなく、遊び道具の一つに過ぎなかった。
 中学校の頃に、学校で習ったことをリフィルに書いて綴じていた。当時のことを覚えているわけではないのだが、そのリフィルの現物はあるので、そうやって使っていたのだということが確認できる。でも気まぐれにちょっとやっただけで、必要な内容を網羅できているわけではないし、そんなに繰り返し見たような覚えはない。
 高校でも一年のうちは同じ気まぐれでちょっと使って、今数えたところ中高併せて64枚のリフィルを勉強のために使っていたらしい。微妙な量である。思ったより活用していたが、勉強のためとしては全く十分ではない。中学高校の学校の勉強にバイブルサイズのシステム手帳を使っていた、というのはちょっと特異な経験かなとは思うが、そのおかげで勉強が捗って捗ってという輝かしいエピソードは残念ながら伴っていない。

B5紙とバイブルサイズ

 その後も野良猫との交流のような付かず離れずの状態が続いた。十歳にもならないくらいからずっと持っているにもかかわらず、一向に仲良くなっていかない。しかしいつもすぐ手に取れるところに置いていて、何かに使えないだろうかと思い続けていた。
 何度か自分の中でブームがあった。最も活発に使っていたのは2015~2017年のことで、有効に使えている感覚が強かったのは読書メモとしての活用だ。しかし既製のリフィルだとちょっと紙のサイズが小さいので、もう少し大きい紙を畳んで使うということをしていた。具体的には主にB5紙だ。
 B5紙を横長に置いて、上辺か下辺を1センチほど切り落とすと、ちょうどバイブルサイズの縦の長さになる。そして端にパンチで穴をあけ、穴の部分を避けて三つ折りに畳むとちょうど横の長さになる。なので、B5紙を切って端にパンチで穴をあけて三つ折りにして綴じる、ということを結構やっていた。書く時は手帳から外して書く。
 日誌として使っていた時期もあった。バレットジャーナルが自分の中で影響力を強めていた時期だったので、トラッカーを作りたいと思い、わざわざルーズリーフの穴部分をカットして、上か下の部分に穴を開けて綴じたりしていた。B5のルーズリーフはA罫ならちょうど31行で、ひと月の記録がしやすいからだ。

画像

(これは専用パンチではなく30穴の穴あけパンチを使ってあけたもの)

 この工夫は悪くなかったが、ずっとこれを続けられたわけではなかった。一番の問題は、綴じられるリフィルの枚数の問題だ。きちんとしたシステム手帳用の紙は相当薄く作られているが、コピー用紙やルーズリーフを使ってしまうと厚みですぐいっぱいになる。そもそも、たとえ正規の薄い紙だけを使っていたとしても限界はある。綴じにくくなったら外して別の方法で保存しなければならない。
 外したものはカードリングでまとめていたが、やはりバインダーに綴じるのとは違って不安定なところがあり、ぱっと手にとってさっと戻すというようなことがしにくい。そうなると参照頻度がどうしても下がっていく。あまり現実的な使い方ではないなと思って、やがてやめてしまった。

その後

 直近五年くらいは、リフィルの枚数の変動があるような使い方、つまりノート的な使い方をしちゃいかんと思い、本来の手帳的な役目を担っていた。ただしスケジュールは別のものでやっていたので、基本的に「手帳の付録」的な情報や個人情報の管理に使っていた。
 まあ、可もなく不可もなく、という感じで、いつも欠かさず持って歩いてはいたが「これがなくては生きていけない」というほどの愛着は感じていなかった。逆に、他のあらゆるノートや手帳よりずっと長く共にしていて、実際にほぼ毎日持って歩いているのにもかかわらず、それで納得感がないというのはなんなのか。

 やがて、根本的なひとつの問題に気がついた。

 このリフィルの縦横比嫌いだ!!!

 次回に続く。

2023/09/16

ノートツール環境スナップショット(2023/09)

 自分が日常でどういうツールを使うかというのは日々変化している。そうそう変化しない方がいいと思うのだが、しかしそう思っても絶えず変化してしまっている。
 ブログ記事にあれこれ書きながらも程なくしてそのやり方はやめてしまった、というようなこともかなりあるので、結局実情はどうなのかというのは別途定期的に残した方がいいのかもしれない。


 現在使っているのは以下のものたち。

  • 常に開いている
    • TextManager(自作ツール)
    • 紙のノート(A5無地)
    • システム手帳(バイブルサイズ)
  • 時々必要に応じて
    • Dynalist
    • Notion
    • Scrapbox
    • OneNote

自作ツールの重用

 前回の記事作るためのツール作りから使うためのツール作りへ③力量の変化で少し書いたが、自分の短いプログラミング史の中で圧倒的に便利なツールができたので、五月あたりからずっとそれを使っている。「TextManager」と名付けた。
 この自作ツールは現状PCでしか使えないので、出先で必要な情報の管理には向かない。そういう情報については基本的には出先で見やすい道具、つまりスマホのアプリや紙のノートを用いることにして、そうでない情報は大体全部このツールで扱っている。ただまあデータが入ったJSONファイルはクラウドを通じてどこでも見られるので、内容を確認するだけなら探そうと思えば探し出せるようになっている。
 文章を書く時に便利な機能も色々搭載していて、ブログ記事の類はもう全部これでやっている。唯一「ノートテイキングアプリDIY体験記」に関しては大きな構造をDynalistに作っているのでそちらと行き来してはいるが、それも全部引っ越してもいいかもしれない。TextManagerでは見出しと折りたたみとアウトラインを使えるようにしているので、構造の整理はアウトライナーを使わなくてもやれるようになっている。

アウトライナーに関する状況

 世にあるアウトライナーのうち、今使っているのはDynalistだけだが、それもアウトライナーであることを生かした使い方はあまりしていない。自分にとってメインの場ではなくなっている。
 最近ではRemNoteなんかも試したものの、自由度が高すぎてドキュメントの扱いに混乱してしまって馴染めなかった。フラッシュカードシステムは非常に面白いと思うので、そのうちまたチャレンジしてみたいとは思っている。

 自分で作るツールに於いてもアウトライナー機能の位置付けは変わってきた。詳しくは作るためのツール作りから使うためのツール作りへ②感覚の変化にまとめたが、「アウトライナーに分類されるアプリケーション」よりも、色々とやれるツールの中にアウトライン機能がある状態が私にとっては良いようだ。
 なんにしてもアウトライン操作を手放したことはないので、「アウトライナーに分類されるアプリケーション」を使う頻度が減っていっても、それはアウトライナー離れを意味しているわけではないだろう。

Notion再び

 出始めの頃に触って、爆発的に流行り始めた時にまた触って、結局ずっと使わないでいたNotionを、最近また使ってみるようになった。
 今のところの用途は主に読書関係である。紙の本の読書メモをスマホで取りたいのだが(物理的に一番楽な方法であるため)、そのメモを書き込む先としてNotionを使うことにした。本のデータや図書館の利用記録についてもテーブルで管理するということを試している。
 あとは文章の元になりそうなメモをとりあえず置いておく場所にしている。前まではAndroidアプリのハルナアウトラインを使っていた。なるべくローカルのプレーンなテキストファイルで管理したいという気持ちがあっての選択だったので、Notionの活用はその動機からは外れてしまう。あくまで「とりあえず置いておく」ために使っていて、それ以上蓄積させていく場所としては予定していないが、今後どうなっていくかはまだわからない。
 他にもいくつかのことで使っているが、感触としてはまだどうとも評価しがたい感じなので詳しくは触れないでおく。TextManagerで済むのかNotionを使った方がいいのかということには慎重になっており、ノートに書いて検討してから試行に移るようにしている。

今現在使っていないもの

 これまでに情報管理のために重用したことがあるアプリケーションで今現在はあまり使っていないものを書き留めておく。

  • Evernote
  • Obsidian
  • Logseq
  • Treeify
  • Transno
  • ハルナアウトライン
  • Officeソフト群
  • TextManager以前の自作ツール

 いずれもアプリケーションの側に決定的な不足があるというのではないし(自作ツールを除いて)、また使うこともあると思う。
 また、現在これらのアプリケーションそのものは使っていなくとも、それぞれの思想は他のツールの使い方や自分で作る時の設計に反映されている。
 

2023/09/15

どうやって文章を書いているのか

今月のお題、「どうやって文章を書いているのか」について私も改めて書いてみたいと思います。


文章を書くという工程を以下の三段階に分解して考えてみます。

  1. 対象の決定
  2. 本文の構築
  3. 推敲と投稿

対象の決定

何を書くかということはいつどうやって決めるのか。
私の場合、最初の一歩は大きく分けて二通り、「人の投稿を見る」と「ふと思って呟こうとする」のどちらかです。
誰かがSNSかブログに何かを書いているのを読んで、それに対して自分の反応を書こうと思うというのがひとつのパターンです。その場合、書く対象というのは他の誰かが生み出してくれているということになります。連想によって少しジャンプすることはありますが、大まかな方向性は見かけた話題によって決定づけられます。例えばこの記事は提示されたお題によって決まったものということになります。
自分で対象を生み出すこともあります。ふと頭に浮かんだことを、大抵はTwitterその他に投稿しようとして言葉にして、それが文章の元になるパターンです。厳密には他の人の何かに影響を受けているかもしれませんが、そういう自覚が薄いか、直接的な関係性を感じないほど飛躍しているかすれば、自分の感覚としては自分がふと思ったことということになります。
Twitterに実際に投稿したのを後から文章にすることもありますし、投稿せずに取っておいて文章化することもあります。かなり前に呟いたことをサルベージするということもあり得ます。

なお、何かがふと浮かぶ頻度というのはムラがあります。いくらでも湧いてくるような時期もあれば、探したって見つからないという時期もあります。
その差が何によって生じているのかは正直よくわからないので、自分をアクティブにする手立てみたいなものは残念ながら書くことができません。強いて言えば楽しい気分でいることだろうかと思っています。

本文の構築

本文の種類には、私の中ではこれまた大きく分けて二つのものがあります。先日書きましたが脱「運頼み」の道のり、「自分の言語化のための文章」と「人への伝達のための文章」です。なお自分のために書いたことが結果的に人に伝えるべきことになったという場合、それらは分かち難いものになりますが、その場合は書く過程としては前者にカテゴライズされます。
どう違うかと言えば、書き表すことが次の書き表すものを生むか、書き表すべきことをピックアップして整理しておいて書き表すか、ということになるでしょう。
これは個人差が大きく出そうなところだと想像しますが、自分が自分を知るという点に於いて有効な言語化というのは、私の場合文の形になっているものです。単語やフレーズを並べていくのではなく、きちんと句点が付くような文を綴っていく形です。そうやって書いた文は、次の言語化を生みます。それが繋がってひとまとまりの文章になっていきます。
一方で、既に知っているものを並べることで人に伝達するものを作る場合には、文の形にしておかなくても構想を練ることができます。キーワードを並べて構成するということが可能です。アウトライナーが活躍するケースです。ただしこのパターンの場合も、実際に文章化していくと、書いていく中で自分が自分を知る瞬間というのがあちこちに発生するので、必ずしも事前の想定通りの構成にはなりません。それは倉下さんやTak.さんが繰り返し書いたり述べたりしておられることでもあります。

全体の流れとしてはこのどちらかということになりますが、どちらの場合にしても文章化が常にすいすい進んでいくわけではありません。次が浮かばずに手が止まるということが当然あります。
この場合、次を捻り出そうと頑張りがちですが、しかし実のところ、「次に繋がらない道に一歩進んでしまった」ということがかなり多いです。なまじ文を作れてしまったのでもったいないのですが、それはあってはいけない文だったということがあるのです。そういう時はその文を削除します。
と言ってもバックスペースでばっさり消すというのではなく、没の欄に移動する(没とわかるようにする)という処理をします。今使っているツール(TextManagerと名付けた自作ツール)では、プログラミングのようにコメントアウトできるようにしていて、「// 」を頭に付けて「そこにあるけど(本文としては)ない」という状態にします。本文をコピーした時にコメントアウト部分は自動的に取り除かれるようになっています。

推敲と投稿

ここまでは基本的に、書くために使っている何かしらのツール上でやります。
一通り書き終えたら投稿先のエディタにコピペします。そのまま投稿ボタンを押せるつもりで文章をペーストしますが、実際にはそのエディタ上であちこち推敲することになります。
最初から最後まで何度か読み返し、リズムが悪いところや意味の通りにくいところを修正していきます。投稿先のレイアウトでプレビューするとそれまで気づかなかったことが見えてきたりします。
この段階で内容が大きく変わったということは今のところありませんが、表現は結構変わることがあります。

推敲は念入りにやる場合もありますし、簡単に済ませてしまうこともあります。
ざっとやるだけで終えてしまったものは後から読んだ時に読みにくいことがよくあります。なのでやはり入念にやるのが理想ですが、当然手間がかかることなので、実際どの程度労力を割くかは内容次第です。絶対に伝えたいようなことなら読みにくさがなくなるまで自分なりに頑張り、そこまででもない時は他のことに時間を費やすことを優先してさっと済ませています。
同じ時間推敲したとしても、推敲の出来自体もまたムラがあります。推敲力が下がっているタイミングだと、何度読んでもわかりにくさを自分では認識できなかったりします。日を置いて読み返して「何言ってるんだこいつは」と自分で思うことになります。
また、初稿を書いた時点の自分の状態がいまいちだと、推敲に苦労するような変な文章を自分で生み出してしまっていて、頑張ってもうまく推敲が進まないということにもなります。
推敲力の上下をコントロールすることは多分無理なので、無難な対処法は「必ず日を置く」ということだと思います。が、それより投稿したい気持ちが勝っていれば投稿してしまいます。

大した文章を書いているわけでもありませんが、自分の書き物について整理するならばこんな感じになります。

2023/09/14

作るためのツール作りから使うためのツール作りへ③力量の変化

 自分用ツール開発に於いての自分自身の変化について、最後は力量の変化の話。ここまでの記事はこちら。

2023/09/13

作るためのツール作りから使うためのツール作りへ②感覚の変化

 自分用ツール開発に於いての自分自身の変化について、二つ目は感覚の変化の話。前回の記事はこちら。


 プログラミングの経験と直接関係しているかどうかは定かでないが、ツールに求めるものというのが結構変わってきたと感じている。変化を一番感じるのは「平面に並べる」ということに関してで、次にアウトライナー機能についてである。

平面に並べるということ

 ツール作りを始めた頃というのは、Scrapboxのページ一覧画面に甚くハマっていた時期で、ツール内に存在しているデータを決まった大きさの小さいカード状にして均等に並べることが自分の感性にぴたりと合致しているような感じがしていた。Notionで言えばギャラリー表示である。
 ブラウザのブックマークがリスト状なのは嫌だという話を前に書いたがNTA-DIY:1ヶ月目⑨~ブックマーク管理ツールを作ってみる~、タイル状に並べたら非常に見やすくなったと感じたので、バカの一つ覚えのごとくタイル状のビューのツールを作った。
 その後、マンダラートの話を聞いたことをきっかけにしてマンダラート風のアウトライナー的なものも作った(Plane Outliner)。アウトライナーのリニアな表示に個人的に不自由さを感じていたので、この「面のアウトライナー」は自分としてはかなり画期的だったし、しばらくは実際に使っていた。ツールとしては今でも面白いと思っている。

 ただ最近は、「平面に並べる」ということについて重視する点がちょっと変わってきたと感じる。メモ群の俯瞰にギャラリービューを使うみたいなことではなく、ダッシュボードのように、限られた画面上に計器を適切にレイアウトする、ということをより重要視するようになった。メモを開いたらメモに関する情報――つまり他のメモからのバックリンクや本文の文字数等――がパッと表示される、というようなことだ。
 要らない情報はあると邪魔だし、表示する情報の見た目もなんでもいいわけではない。「何が同時に表示されている、どういう見た目の画面を欲しているのか」を自分に問い、厳密に自分に合った形を模索して作ることが重要で、最近は一覧ビューの如何よりもそちらに意識を向けている。

アウトライナー機能

 アウトライナー機能についても感覚が変わってきた。
 一時期は自作ツールでアウトライナーを再現することに非常にこだわっていた。上述の「面のアウトライナー」も含めて○○型アウトライナーと名付けられそうなものを頑張って作っていたし、それらは実際にある程度活躍した。

 しかしながら、最近はそうではない。この頃作っているツールでは、テキストエリアにプレーンなテキストを書いて、それをMarkedというライブラリでMarkdownとして解釈してHTMLに出力している。つまり専らMarkdownで書いているので、所謂アウトライナーを使った書き物はほぼしていない。
 といっても、Markdownには箇条書き書式があるし、それを折り畳みできるように機能を加えているし、textarea要素にショートカットを自分で色々搭載して行の入替えやアウトラインのインデント/アンインデントなどはできるようにしているので、アウトライン操作は可能である。Markdownで書く中にアウトライナーの要素を一部吸収したような形だ。

 自分の好きなようにデザインしたツールをあれこれ作っていく中で気づいたが、プロセス型にしろプロダクト型にしろ、アウトライナーというものが一番の大枠にあるツールではなく、色々な機能の中にアウトライナーの発想が包含されているような形式の方が自分に合っているのだと思う。つまり「○○型アウトライナー」よりも「××の中のアウトライナー的機能」という考え方だ。アウトライナーが大枠にあるもので何かをするならその全てがアウトライナーの仕組みに従わなければならないが(如何にその自由度が高くとも)、アウトライナーが主ではなく従ならば、アウトライナーとは異なる仕組みを使いつつ必要に応じてアウトライナーを召喚するということができる。
 当初アウトライナーの再現にこだわっていたのは、前回作るためのツール作りから使うためのツール作りへ①目的の変化書いたように、可能性の開拓に関心を向けていたからである。自分でもアウトライナーを作れるのか、ということがとても重要なことだった。というのも、デジタルノートツールに於いてアウトライン操作は絶対的に必要なものと感じていて、それが実装できないなら結局何を作っても肝心なところを既存のサービスに頼らざるを得ない気がしたからだ。
 その後色々なことを試していくうちに、自分にとって必須なアウトライン操作というのは既存のアウトライナーが持つ形態に沿っていなくてよい、ということがわかったわけである。

 これらのことによって、初めの頃に想像していた「こんなツールが欲しい」と、今考えている「こういうツールを作りたい」とは、かなり大きな違いが生じている。

 次回は力量の変化について。
 

2023/09/12

作るためのツール作りから使うためのツール作りへ①目的の変化

 他の記事を書こうとしていて脱線が膨らんでしまったので、その部分だけ先に切り出しておくことにしようと思う。自分用のツール開発に於いての自分自身の変化について。
 この記事で何かを言いたいというよりは、他の話をする時にその場で経緯を説明するのは大変なので、部品を予め用意するために書いておく。


 そして切り出すか~と思って書き始めたら結局6000字ほどになってしまい、一度に投稿するにはちょっと重くなってしまったので三本立てにすることにした。本流より支流の方が太い感がある。

 さて、自分でコードを書いてツールを作るようになってしばらく経つ。
 最近はワーッと爆走するようにコーディングするみたいなことは減り、必要なものを必要な分だけ作るという形に落ち着きつつある。プログラミングに割く時間は随分少なくなった。前まではほとんど毎日何かしら書いていたが、ここのところはそうでもない。
 まだ「慣れた」という程プログラミングに慣れたわけでもないし、ましてや「わかった」とはとても言えないし、やはり初心者であると思うけれども、その中でも変化したことというのはある。以下の三点にまとめられるだろう。

  • 目的の変化
  • 感覚の変化
  • 力量の変化

 今回はこのうちの「目的の変化」について。

可能性の開拓

 最初の頃というのは、「JavaScriptで一体何をどこまでできるのか」「初心者の私は何をどこまでやれるのか」ということの追求を主目的にしていた。だから思いついたことを再現することが最大の関心事で、作れたという結果を得るために作っていた。「自分でも○○ができるかもしれない!」というワクワク感に突き動かされていたのである。
 その熱意によって、例えばアウトライナー、付箋ツール、Scrapbox風のシステム、テトリス、ぷよぷよ、ドット絵エディタ、といったものを作っていった。(ぷよぷよは公式の教材「ぷよぷよプログラミング」があるが、それを利用したのではなく自分でゼロから考えた。)

 最初のうちは、何かを思いついた時というのは具体的なコードを最初から最後まで細かく想像できるわけではないので、「本当にできるのか」というのはやってみないとわからない。実際、想像できなかった問題にぶち当たることもあるし、最終的に実現に至っても当初の予想とは結構違うコードになっていることもあった。その一連の「ある程度は予想できるけど実態については未知の領域」を探検する試みは、本当に楽しいし、次々思いついてしまうのでやめられない。
 しかしある程度慣れてくると、「何ができるか」ということについては「まあ何でもできんだろ」というような感覚になっていった。具体的なコードが想像できるようになって、その通りに書けば再現できることがわかってくるからだ。もちろん実際に取り組めば気づいていなかった落とし穴に嵌ったりするだろうが、それでも未知への挑戦という気分はだいぶ薄れている。何か思いついても、本当に必要なものでないなら「やろうと思えばこんなこともできるな」と考えるだけで済ませるようになった。

実用性の吟味

 可能性の開拓に全振りしていた状況が落ち着くと、じゃあ自分は何が欲しいのか、ということに関心が移っていった。自分にとって実用的なツールとはなんであるかということだ。それはもちろん最初から考えていたことではあったが、スキルが何もない状態では想像したところでそれを実現できる見込みがないので、本気で考えるには手持ちのカードを増やしておく必要があった。
 関心が移り変わり始めてもしばらくは「可能性の開拓」と「実用性の吟味」の間をふらふらしている状態が続いて、「○○型アウトライナー」のようなツールをたくさん作ったし、「これがあれば便利かも」と思えばそれを片っ端から再現した。自分にとって何が実用的かということ自体がはっきりしていなかった。
 しかしまあ、「便利かも」と思って作ったものは、だいたいコードが複雑でバグの温床になる割に結局「なくてもいいかも」なものであったりする。そこそこよくても面白くても、別になくて構わないもの。「なくてもよかった」は実際作ってみたからこそ出せる結論だが、それが繰り返されると迷走しているようで少し辛い。でも多分近道はないので、耐えて格闘を続けることになった。

 最近は、コードが複雑だとデータの保存処理などを信頼しにくくなってくることも踏まえて、「便利かも」程度では実装しないようになった。
 重要なのは「自分に必要な機能を最も使いやすい形で実装する」ということであり、シンプルで安心できて必要かつ十分な機能を作ることを心がけている。そうなってやっと、自分のツールを重用するということができるようになったと感じる。

 次回は感覚の変化について。
 

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