今月のお題、「どうやって文章を書いているのか」について私も改めて書いてみたいと思います。
文章を書くという工程を以下の三段階に分解して考えてみます。
対象の決定
本文の構築
推敲と投稿
対象の決定
何を書くかということはいつどうやって決めるのか。
私の場合、最初の一歩は大きく分けて二通り、「人の投稿を見る」と「ふと思って呟こうとする」のどちらかです。
誰かがSNSかブログに何かを書いているのを読んで、それに対して自分の反応を書こうと思うというのがひとつのパターンです。その場合、書く対象というのは他の誰かが生み出してくれているということになります。連想によって少しジャンプすることはありますが、大まかな方向性は見かけた話題によって決定づけられます。例えばこの記事は提示されたお題によって決まったものということになります。
自分で対象を生み出すこともあります。ふと頭に浮かんだことを、大抵はTwitterその他に投稿しようとして言葉にして、それが文章の元になるパターンです。厳密には他の人の何かに影響を受けているかもしれませんが、そういう自覚が薄いか、直接的な関係性を感じないほど飛躍しているかすれば、自分の感覚としては自分がふと思ったことということになります。
Twitterに実際に投稿したのを後から文章にすることもありますし、投稿せずに取っておいて文章化することもあります。かなり前に呟いたことをサルベージするということもあり得ます。
なお、何かがふと浮かぶ頻度というのはムラがあります。いくらでも湧いてくるような時期もあれば、探したって見つからないという時期もあります。
その差が何によって生じているのかは正直よくわからないので、自分をアクティブにする手立てみたいなものは残念ながら書くことができません。強いて言えば楽しい気分でいることだろうかと思っています。
本文の構築
本文の種類には、私の中ではこれまた大きく分けて二つのものがあります。先日書きましたが(脱「運頼み」の道のり)、「自分の言語化のための文章」と「人への伝達のための文章」です。なお自分のために書いたことが結果的に人に伝えるべきことになったという場合、それらは分かち難いものになりますが、その場合は書く過程としては前者にカテゴライズされます。
どう違うかと言えば、書き表すことが次の書き表すものを生むか、書き表すべきことをピックアップして整理しておいて書き表すか、ということになるでしょう。
これは個人差が大きく出そうなところだと想像しますが、自分が自分を知るという点に於いて有効な言語化というのは、私の場合文の形になっているものです。単語やフレーズを並べていくのではなく、きちんと句点が付くような文を綴っていく形です。そうやって書いた文は、次の言語化を生みます。それが繋がってひとまとまりの文章になっていきます。
一方で、既に知っているものを並べることで人に伝達するものを作る場合には、文の形にしておかなくても構想を練ることができます。キーワードを並べて構成するということが可能です。アウトライナーが活躍するケースです。ただしこのパターンの場合も、実際に文章化していくと、書いていく中で自分が自分を知る瞬間というのがあちこちに発生するので、必ずしも事前の想定通りの構成にはなりません。それは倉下さんやTak.さんが繰り返し書いたり述べたりしておられることでもあります。
全体の流れとしてはこのどちらかということになりますが、どちらの場合にしても文章化が常にすいすい進んでいくわけではありません。次が浮かばずに手が止まるということが当然あります。
この場合、次を捻り出そうと頑張りがちですが、しかし実のところ、「次に繋がらない道に一歩進んでしまった」ということがかなり多いです。なまじ文を作れてしまったのでもったいないのですが、それはあってはいけない文だったということがあるのです。そういう時はその文を削除します。
と言ってもバックスペースでばっさり消すというのではなく、没の欄に移動する(没とわかるようにする)という処理をします。今使っているツール(TextManagerと名付けた自作ツール)では、プログラミングのようにコメントアウトできるようにしていて、「// 」を頭に付けて「そこにあるけど(本文としては)ない」という状態にします。本文をコピーした時にコメントアウト部分は自動的に取り除かれるようになっています。
推敲と投稿
ここまでは基本的に、書くために使っている何かしらのツール上でやります。
一通り書き終えたら投稿先のエディタにコピペします。そのまま投稿ボタンを押せるつもりで文章をペーストしますが、実際にはそのエディタ上であちこち推敲することになります。
最初から最後まで何度か読み返し、リズムが悪いところや意味の通りにくいところを修正していきます。投稿先のレイアウトでプレビューするとそれまで気づかなかったことが見えてきたりします。
この段階で内容が大きく変わったということは今のところありませんが、表現は結構変わることがあります。
推敲は念入りにやる場合もありますし、簡単に済ませてしまうこともあります。
ざっとやるだけで終えてしまったものは後から読んだ時に読みにくいことがよくあります。なのでやはり入念にやるのが理想ですが、当然手間がかかることなので、実際どの程度労力を割くかは内容次第です。絶対に伝えたいようなことなら読みにくさがなくなるまで自分なりに頑張り、そこまででもない時は他のことに時間を費やすことを優先してさっと済ませています。
同じ時間推敲したとしても、推敲の出来自体もまたムラがあります。推敲力が下がっているタイミングだと、何度読んでもわかりにくさを自分では認識できなかったりします。日を置いて読み返して「何言ってるんだこいつは」と自分で思うことになります。
また、初稿を書いた時点の自分の状態がいまいちだと、推敲に苦労するような変な文章を自分で生み出してしまっていて、頑張ってもうまく推敲が進まないということにもなります。
推敲力の上下をコントロールすることは多分無理なので、無難な対処法は「必ず日を置く」ということだと思います。が、それより投稿したい気持ちが勝っていれば投稿してしまいます。
大した文章を書いているわけでもありませんが、自分の書き物について整理するならばこんな感じになります。