Noratetsu Lab

動じないために。

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ライフ・アウトライン

Tak.氏が提案しているメソッド。
アウトライナーを用いてライフ(生活と人生)を把握したり練ったり前進させたりする方法の例。

著書と連載

以下の四つから構成されている。

  • DO-DAYS(日々のDO)
  • DO-ALL(すべてのDO)
  • LIFE-BE(自分)
  • LIFE-AS(関係)

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「ライフ・アウトライン」タグの記事一覧

2025/02/07

四つのエッセンシャル・アウトラインと四つのエリア

 前回ライフ・アウトライン日記: あり得る未来を考える領域の追加ライフ・アウトラインを改造した結果「LIFE-○○」の領域が二つから四つに増えたので「DO」と「LIFE」で括ることにしたい、という話を最後にした。


 それぞれを括るにあたり、全部を包括する一段階上位の概念がないだろうか、ということを考えた。それが元々は「ライフ・アウトライン」なのだが、「LIFE-○○」の四つを括ったものを「ライフ・アウトライン」と呼び替え、上位概念を改めて考えてみることにした。

 まず本来の「ライフ・アウトライン」の肝心なところは何だったか。自分の中にある思いや自分を取り巻く環境を俯瞰して、自分の人生・生活を自分以外の何かに支配されることなく、自分で手綱を握って日々の行動を選択していく、それをアウトラインというものを使って具体的に試みていくというところだろう。
 つまり「生きる中での選択の候補と選択する根拠」を総合して扱う場と言っていいと思う。このことをまず前提として押さえておく。

 生きていく中で自分の言動や進む道を選択する時、その選択の根拠となるのは何か。まず「自分はどこにいて、どうしたいのか」ということがある。それが「LIFE-○○」で扱っていることだ。しかし根拠となるのはそれだけではないように思う。
 ほかに重要なのは「人間はどういうもので、どうであるべきと自分が認識しているか」ということだ。これは「LIFE-BE」や「LIFE-AS」の中に含めて考えることももちろんあり得る(Tak.さんはそのようにしていらっしゃるということだと思う)が、私は自分の価値観以外のものも併せて扱いたいので、領域を分けて考えている。
 更に、「そもそも自分が世界について何を知っているか」も選択に影響を与える。自分がどういう価値観を持っているかは重要だが、それ以前に知らないことは選べないし、知らないところに道を見出すことはできない。
 ということで、自分の選択の根拠となる情報にはこの三種類があるというふうに整理し、そして「現状自分にどんな責任があり、どんな選択肢を自分が想定し実践しているか」、つまり本来の「ライフ・アウトライン」で言うところの「DO-○○」の領域を加えた四つの領域を、自分の人生に直接関わりうる情報の置き場所として考えたいと思う。

 これらについてこのように名前をつけて整理した。

  • タイム・アウトライン
    • 実際にやることを考え、整理し、実行に繋げる
    • 「ライフ・アウトライン」の「DO-ALL」および「DO-DAYS」
  • ライフ・アウトライン
    • 自分はどこにいて、どうしたいのかを整理する
    • 「ライフ・アウトライン」の「LIFE-BE」「LIFE-AS」および自分で追加した「LIFE-IS」「LIFE-MAY」
  • フィロソフィー・アウトライン
    • 人間はどういうもので、どうであるべきと自分が認識しているかを整理する
    • 哲学、社会学、心理学、人生訓、自分の持論等
  • グローバル・アウトライン
    • 世界について自分が何を知っているかを整理する
    • 哲学以外の領域

 そしてこれらを総称して「四つのエッセンシャル・アウトライン」と呼ぶことにした。生きる上での根本を支える重要な領域ということで「エッセンシャル」とした。Dynalistにはこのようにファイルを作ってある。

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 アウトラインと呼んでいるが、必ずしも「アウトライナーで扱うもの」を意味しているわけではない。例えばSoulLinkMapというツールでは、階層構造を扱いつつも、ひとつの項目が親を複数持てるようになっているのだが、それは普通アウトライナーにはない機能である。しかし親を複数持つ状態もアウトラインに含めたいと私は思っているし、そうなると現状の一般的なアウトライナーではその状態を表現できない(もしくは自然な形になっていない)ので、アウトラインのイメージを持ちつつも別の種類のツールを使うということになる。
 現状、DynalistとCapacitiesの二つを使っている。データの構造としてはSoulLinkMapが非常に面白いのだが(実際先日まで使っていたのだが)、ツールが三つになると統合して扱っている感が薄くなり情報の行き来も難しいので、「フィロソフィー・アウトライン」と「グローバル・アウトライン」という概念を作ったのを機に、DynalistとCapacitiesの二拠点でやる形に変更した。そう考えるまでは、「読書メモ」とか「知識」とか「考え」とかいう括り方によって、そういう「知」っぽいものを扱う場としてSoulLinkMapが良さそうだと思っていた。
 四つのアウトラインそれぞれについてもう少し詳しく書いていく。

タイム・アウトライン

 タイム・アウトラインは「ライフ・アウトライン」の「DO-DAYS」「DO-ALL」とほぼイコールである。
 「○○・アウトライン」の「○○」の部分に何を入れるかは少し考えたが、つまるところ自分の時間に何をどの順番で入れ込むかの話だなと思い、「タイム」にした。英語的には「タイムライン・アウトライン」の方がいいかもと思いつつ、自分が分かればいいのと「ライフ」との音の相性で「タイム・アウトライン」とした。
 「LIFE-○○」と分けたことにより、一緒に括られる要素が「DO-DAYS」「DO-ALL」の二つになった。そうなると他にも何か位置づけられるものがあるかも?と考えたくなる。ちょっと考えてみた結果、所謂「手帳の付録」的な情報をタイム・アウトラインの一要素としてもいいかもしれないと思った。何かをする時に必要な情報の類だが、具体的なプロジェクトと対応するものではなく様々な機会で参照する可能性のある情報は、特定のDOの下位に置くのは不便なので別に欄を作るのが良さそうだ。
 使用ツールは、「DO-DAYS」「DO-ALL」の部分についてはCapacities。「DO-DAYS」はDaily Notesオブジェクトで、Projectオブジェクトその他のいくつかのオブジェクトタイプやまとめページが「DO-ALL」の役割を担っている。
 手帳の付録要素はオブジェクト感がないので、CapacitiesではなくDynalistに場所を作った。「Time」というファイルの中に収まっているわけだが、こういう情報は要は「時短」になるということなので、時短情報であるという意識を持つと「Time」というファイル名に納得できる感じがする。

ライフ・アウトライン

 ライフ・アウトラインは元のメソッドの意味から少し範囲を狭め、「LIFE-BE」「LIFE-AS」および「LIFE-IS(自分のライフを制限するもの)」「LIFE-MAY(自分のライフにあり得る可能性)」の四つを総称している。
 元々ある語の意味を変えてでもライフ・アウトラインという呼称を使っているのは、後述するフィロソフィー・アウトラインとグローバル・アウトラインで扱う広さに対して、あくまで自分ひとり分のライフであるという意味を持たせたいからである。一方で自分と繋がる周辺をも含んだ領域なので、「自分の」「個人の」という意味を持たせると違和感が生じるため「セルフ」などの語は採用しなかった。
 使用ツールはDynalist。「Life」ファイルの直下に以下のように四つのノードを作り、その中に書き込んでいる。

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フィロソフィー・アウトライン

 フィロソフィー・アウトラインは「人間とは」や「人間としてどうあるべきか」を考える場所である。「自分」と「人間」との接点というイメージ。
 使用ツールはDynalist。直下にまず「自分」というノードがあり、続けて哲学者や著名人の名前のノードを置いている。自分はどう思っているのかということと、他の人間はどう思っているのか、学問的にどう論じられているのかということを一ヶ所にまとめて並置し、人間に対する理解と信念を深めていく場とした。

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 自分の考えと合致しようがしまいが関係なく、哲学を学んだり人生訓を読んだりした時にはここに書き留めていくつもりで、その意味で「LIFE-BE」や「LIFE-AS」の中に含めるのは適当でないように思ったのでこの領域を別に作った。
 去年私は、世の中などに対する自分の思いや考えを言葉にした短文を「豆エッセイ」と名付け、それを一体どこで扱ったらいいかということをずっと考えていたのだが、このフィロソフィー・アウトラインの「自分」のノードの下位に居場所を得た。

グローバル・アウトライン

 グローバル・アウトラインは世界の森羅万象について自分が出合ったものを書き留めていく場所である。こちらは「自分」と「世界」の接点のイメージ。といっても単純に事実の類を書くというだけで、特別なことはない。
 ちなみに最初は「ウィズダム・アウトライン」と名付けていたが、そこまで「知」を前面に出す必要はない感じがしたので「グローバル」に変えた。他に「ワールド」や「ユニバーサル」も候補にあった。
 ひとつ注意するとすれば、これは「自分が出合ったもののメモ」に過ぎないということだ。ここに知のすべてを作り上げようなんてことは考えてはいけないし、知そのものについては本があるなら本を開けばいいのである。自分が出合い、調べようと思ったことを書いていくことで、自分が生活の中で世界をどう知ったかをわかるようにするのがこのアウトラインの目的だ。もちろん深く勉強したいとなれば勉強すればよく、その際にはこの領域を使う。
 アウトラインと呼んではいるが、アウトライナーを用いることにはあまり利点がない。頭の中では物事を階層的な分類で認識している面もあるのでそれを忠実に再現できたら嬉しくはあるが、その通りに階層をデータとして作ってしまうとむやみに深くなって認識しづらくなるし、物事同士は複雑にリンクし合うものなので、ツールとしてはネットワーク型の方が相応しいだろう。
 上の方でSoulLinkMapに触れたが、情報の構造としてはSoulLinkMapのやり方が自然に思える。アウトラインであると同時にネットワークで、形式的な深い階層と実用的な浅い階層を同時に作ることもできるので、一般的なアウトライナーの欠点は解消されている。モダンなアプリケーションではないので積極的に人に勧められるわけではないのだが、「本当はああいう感じがいいんだよな」というイメージを表現するのに都合が良い存在なので取り上げた。
 現在の使用ツールはDynalistとCapacitiesの二つで、語彙・語学の類はDynalist、それ以外はCapacitiesで扱う。知識は基本的にはオブジェクトとして認識できるものが多いが、ことばについてはオブジェクトとは解釈しづらくCapacitiesで扱うメリットがなかったのでDynalistにした。なお手書きのノートもある。
 なお、去年までCapacitiesの致命的な弱点だった「日本語での全文検索が機能しない」という問題が先月ほぼ解消したので、その点である程度安心してCapacitiesに任せられるようになったということがある。(「ほぼ」とか「ある程度」とか言っているのは、検索機能自体がまだ不完全な印象があり、挙動が怪しかったり検索の使用感として他のツールに劣る部分があったりするため。)

ふくろ

 Dynalistには四つのアウトラインに加えて「ふくろ」という領域を設けている。これはTak.さんが仰るところの「未使用」のことで、「ふくろ」というファイルを作っているほか、各アウトラインの中にも「【ふくろ】」というノードがあちこちにある。
 命名の由来は以前にも書いたが、ドラゴンクエストシリーズの「ふくろ」である。要は今採用していないものが全部入っている容れ物ということ。「未使用」というと「まだ使っていないが、これから使う可能性がある」という雰囲気を纏うが、どう考えてももう使わないものも一緒に入れたかったので、「ふくろ」に呼び替えている。
 Dynalistはファイルをアーカイブ設定にすることができ、そうするとその中身は全体検索に引っ掛からない(ファイル内で検索することは可能)。なので、「ふくろ」ファイルはアーカイブ設定にして、検索に現れて欲しくないタイプの記述を収納している。アウトラインのバックアップの類も「ふくろ」に入れ、同じ内容が二重三重に引っかかって混乱することを避けている。

四つのエリア

 以上の四つのエッセンシャル・アウトラインとふくろを「Essential」というフォルダに入れているが、日常で発生・収集する全ての情報がこの中に収まったわけではない。
 このフォルダに入っているのは、最初の方で書いたように「自分の人生(の選択)に直接関わりうる情報」である。そうではない情報も様々ある。もちろん自分で集めたり作ったりしている以上すべてが自分に関わっているものではあるが、なくても大勢に影響はない情報というのはある。
 ということで、Dynalist上で扱うものを以下の四つのエリアとしてフォルダ分けした。

  • Essential
    • 四つのエッセンシャル・アウトライン
  • Collection
    • ブックマーク、画像、その他収集物
  • Output
    • 自分の創作物(文章など)
  • Miscellaneous
    • Dynalistの使い方などメタなメモ、どこにも当てはまらない種の情報

 それぞれ三つから五つ程度のファイルが入っている。
 ちなみに「Output」は「自分が作り出している領域だぞ」という意味を込めての命名である。「Creation」とか「Writing」とか「Publishing」とかもあり得るが、それらの語だと例えば「Creationについてのノート」とかもそこに入るような感じがしてきてしまうので、自分の中でその種のものを含まないネーミングとして「Output」を選択している。
 このように整理したことで、未だ嘗てなくDynalistの使用感に納得がいくようになった。

 このサイトでは実践上発生した思いを踏まえてボトムアップで考えて記述してきたが、結局どんな様子かを俯瞰するには向かないので、noteの方に改めて整頓して書いた。

2025/02/07

四つのエッセンシャル・アウトラインで人生を俯瞰する

タスク管理にプロジェクト管理、目標の設定や自分の価値観の整理といった、日常を進めていくための情報を扱う方法論として、私はTak.さんが提案なさっている「ライフ・アウトライン」を取り入れています。
ライフ・アウトライン実践0-1 はじめに|Tak.(Word Piece)
しばらくはほぼ説明通りになぞっていましたが、コアにある思想は忘れないように気をつけながらも徐々にアレンジを加えるようになりました。
最終的に、「ライフ・アウトライン」を取り込みつつよりメタな視点で情報を扱う構造を自分なりに整えられたと感じているので、ここに整理して書き残しておきたいと思います。

概要

大きな構造として、以下の四つの領域を設けています。これらを「四つのエッセンシャル・アウトライン」と名付けることにしました。

実用上は「タイムライン・アウトライン」は「タイム・アウトライン」、「マイライフ・アウトライン」は「ライフ・アウトライン」とすっきりした形で呼んでいますが、意味が曖昧になったり本来の「ライフ・アウトライン」との混同で迷惑がかかったりするのを避けるためにここではより明確な表現をしておきます。
Tak.さんの思想を元に範囲を拡張したものなので「○○・アウトライン」という形で統一しています。輪郭を捉えること、階層的なイメージをある程度持って情報を扱うこと、ということで「アウトライン」という語を用いていますが、私の中ではこれは「すべてアウトライナーを使って階層で情報を管理する」ということを意味しません。適宜他の種類のツールも使います。
Tak.さんの「ライフ・アウトライン」は、そのままなぞるならばWorkflowyやDynalist的なアウトライナー(Tak.さん曰く「プロセス型アウトライナー」)を用いることが前提となります。私は自分流に拡張するにあたってDynalistに加えCapacitiesを活用することになりましたが、具体的な使い分けは後で書いていきます。
Dynalistには以下のようにフォルダとファイルを作っています。

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タイムライン・アウトライン

スケジュール、日誌、タスク管理、プロジェクト管理といった、日々の「やること」を扱う領域です。「ライフ・アウトライン」での「DO-DAYS」「DO-ALL」にあたります。
「やること」というのは結局のところ自分のタイムラインに順番に入れて順番に実行していくほかないので、自分のタイムラインをどのように組み立てるかを考え整理する場として「タイムライン・アウトライン」としました。
タイムラインの縮尺は様々あり得ます。一日の24時間はもちろん、一週間、一ヶ月、一年、一生、色々なスパンがあるでしょう。
また、「やること」にかかる時間の短縮に貢献する情報もこの領域で扱います。例えば地図とか所要時間とか、いちいち確認すると時間がかかることをメモしておくわけです。これを「時短メモ」としておきましょう。
私の使用ツールは基本的には以下の三つになります。

  • Googleカレンダー:スケジュール管理
  • Capacities:日々のやることの管理と記録、各スパンの検討
  • Dynalist:時短メモ

CapacitiesではDaily Notesを拠点とし、ProjectオブジェクトやWeekly Notesオブジェクトなどを用意して検討したり記録したりしていきます。
一方でCapacitiesは「出先でパッと確認する」ということには向かないので、時短メモやその他必要なメモは、より素早く確認・編集できるDynalistに書きます。

マイライフ・アウトライン

自分がどんな状況・環境に身を置き、どのような思いや望みを持っているのかを明らかにするための領域です。「ライフ・アウトライン」での「LIFE-BE」「LIFE-AS」にあたります。イメージを短く説明するのが難しいので、是非Tak.さんの解説をお読みいただきたいと思います。
使用ツールはDynalist一本です。ファイルの直下には以下のようなノードがあります。

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「LIFE-IS」「LIFE-MAY」というのは私が独自に追加した領域です。これについてはまた改めてnoteを書くかもしれません。

フィロソフィー・アウトライン

「人間とは何か」や「人間としてどうあるべきか」を考える領域です。マイライフ・アウトラインでは自分の個人的な生活・人生に焦点を当てていますが、フィロソフィー・アウトラインではもっと広く、「人間として」という視点で考えます。
自分自身が人間というものをどう認識してどういう倫理観を持っているか、ということももちろん含みますが、他の人の思想、あるいは学問領域に於いて人間はどう捉えられているかを学び整理していく場でもあります。簡単に言えば、哲学の勉強をしたりエッセイを読んだりしたらここにメモする、ということです。
あくまで自分が人間をどう見るかを整理するノートなので、色々な層の視点が混ざっていても構いません。アリストテレスの話もあればXで見たどこかの誰かの話もある、というゆるさのものです。
使用ツールはDynalistです。ファイルの直下は以下のようになっています。(これはサンプル用で、私が実際使っているものとは異なります。)

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「自分」も「アリストテレス」も他の偉い人も全部並列しています。その人に関する本や著書を読んだらその人物名の下位にメモを取ります。
「自分」の下位には自分がどう考えているかや、普段何かに対して思ったことなどを書いていきます。まず思うままに書き、後からアウトラインを整理して核にあるものを見出していくことになります。

グローバル・アウトライン

森羅万象について自分が出合ったものを書き留めていく領域です。いわゆる勉強や調べ物の結果はここに書くことになります。
使用ツールはDynalistとCapacities、紙のノートです。事物の多くはオブジェクト的に(「あの人」「あの本」「あの事件」といったふうに)認識することができ、それらはCapacitiesで扱うのが自分の中では自然ですが、語彙や語学についてはどう切り取ってもオブジェクトとしては解釈しづらいので、Dynalistをノートとして用いています。紙に書いたほうがよいものは紙のノートに書きます。
基本的に物事には分類があり、階層で表現されたり認識したりします。その意味で、自分の頭の中でもアウトライン的なイメージがそれぞれの知識に伴い、それをデジタルツール上でもそのまま表現できたら嬉しいという思いもあります。しかし実際ツール上にそのアウトラインを忠実に反映したとしたら、階層が複雑になり過ぎ、おそらく「扱うもの」としては不便でしょう。また、ひとつの事物が複数のアウトラインに属するということが普通にあり得ますが、現在あるアウトライナーではそのことを自在に表現可能とは言えません。
なので、アウトラインというイメージは持ちつつも、実際的にはネットワーク型ツールや紙のノートなど色々なものを適宜使って学びを記録していくのが妥当と考えています。

おわりに

「四つのエッセンシャル・アウトライン」は、一言でまとめると「自分の人生における選択とその背景を可視化するもの」です。
実際に何をどうしなければならないのか、そもそも自分はどういう環境でどういう思いで生きているのか、自分や他者は人間がどうあるべきとしているのか、自分は世界をどれほど知っているのか。日々直面する選択には微細なものから人生を左右するものまで様々なレベルのものがありますが、どんな選択にしろ、何かを根拠にどれかを選ぶことになります。根拠がはっきりしていなければいい加減に選択することになるでしょう。
その場しのぎの選択や他人に依存した選択は自分の人生のコントロール感をすり減らしていきます。自分の選択に確信を持ち納得して生きていくための足場として、(誰しもそれぞれ何らかの形では扱っているであろう)四つの領域を一体のものとしてまとめて考えていこうと思い、このように整理するに至りました。
 

2025/01/29

ライフ・アウトライン日記: あり得る未来を考える領域の追加

 前回、ライフ・アウトラインの要素を増やした話を書いた。

 実は更にもうひとつの領域を作っているので、今回はそのことについて。


 前回増やしたのは、自分のライフの選択肢を制限する要素を並べて考えていく領域で、その結果ライフ・アウトラインは以下のようになった。

  • 日々=DO-DAYS(日々のDO)
  • 地図=DO-ALL(すべてのDO)
  • 内政=LIFE-BE(自分)
  • 外交=LIFE-AS(関係)
  • 計略=LIFE-IS(事実)

 「LIFE-○○」の三つは自分の欲望と現にある事実に基づいてDOに対する意思決定をするために必要な領域ということになる。自分にはこういう思いがある、そしてこういう事実がある、よってDOはこのように選択していこう、という流れがここに生まれている。

 ここに加えるものとして新たに考えたのが、「こんな道もあるかも」を考える領域である。
 絶対叶えたいと思うレベルのものもあり得るし、自分にはこういう可能性もあるのかもとふんわり思う描く程度のものもあり得る。ビジョンとか夢とか言うと、そういったものの中から決めたひとつ、あるいは複数のものをちゃんと統合したひとかたまりにフォーカスしなくてはいけない感じがするが、そのように固める手前の段階がほしいわけである。未来についてのフリーライティングの場とも言える。
 例えば今会社員の人が「カフェをやりたい」とか思っていたら、この領域に「自分のカフェを開店するのはどうか」といったふうに書き、その中で自由に空想したり現実に必要なことを調べて整理したりしていく、というイメージだ。
 思い描くものは「LIFE-BE」や「LIFE-AS」と深く関わるけれども、その中に組み込むというのは自分の中で馴染まなかったので別にしている。理由としては、「LIFE-BE」と「LIFE-AS」の両方に跨るものであるということ、そして思い描いたことは今あるDOと全然結びつかないことが普通ということがある。自分の欲望を元にして思い描くものではあるが、思い描いただけで採用しない道は当たり前にあり、それらは自分のライフの選択を左右しない。
 この領域にも名前を付けておこう。「LIFE-MAY」あたりでどうだろうか。そう思いながらCopilotさんと色々やり取りを重ねた結果、Copilotさんもそれを提案してきたので悪くないかもしれない。二文字で統一するなら「LIFE-IF」でも良さそうだが、「LIFE-MAY」の方が意味的に的確な感じがする。
 恒例の三國志風命名を考えると、「戦略」の二文字を思いついた。相変わらず物々しいが、「取り得る選択肢について実現可能な道を大局的に検討する」的なイメージとして採用した。(毎回強調しているけれども、政治あるいはビジネス的な意味合いはなく、あくまで「子どもの頃遊んだゲーム」の延長にある言葉選びである。)
 整理すると以下のようになる。

  • 日々=DO-DAYS(日々のDO)
  • 地図=DO-ALL(すべてのDO)
  • 内政=LIFE-BE(自分)
  • 外交=LIFE-AS(関係)
  • 計略=LIFE-IS(事実)
  • 戦略=LIFE-MAY(空想)

 全体の流れとしては、「LIFE-BE」「LIFE-AS」で明らかにした自分の欲望と、「LIFE-IS」で整理した現実を踏まえ、今発生している/やろうと考えているDOを選択し、並行して「LIFE-MAY」で自分にあり得る道を見出しその歩き方を検討する、ということになる。「LIFE-MAY」に書かれることは結局死ぬまで自分のライフと実際には関わらないこともあり得るが、「この道に足を踏み入れてみよう」となった時点で「LIFE-BE」「LIFE-AS」にフィードバックされ具体的なDOが発生することになる(はず)

 さて、ここまでの改造でライフ・アウトラインには「DO-○○」が二つと「LIFE-○○」が四つあることになった。こうなると誰しもがこう思うだろう、「多い!!」と。ひとまとまりですんなり認識できるのは四つ程度だろうし、ごちゃつきを解消するためにどう考えても「DO」と「LIFE」で分けたくなる。
 本来そこを分けずに一体で扱うというのがライフ・アウトラインのコンセプトなのでズバッと分けて別のものにしてはならないと理解しているが、「やること」と「その選択基準となるもの」の二つの領域でちょっと括っておきたい。そしてそれでもそれらが一体であることを認識するために、その両方を含む上位項目を設けるのがよいだろう。
 その話についてはそのうちまた改めて書くことにする。

2025/01/21

ライフ・アウトライン日記: 動かない事実を扱う領域の追加

 昨日トンネルChannelへの投稿としてライフ・アウトラインの話を書いたけれど苦手要素への対処自体をプロジェクト化しない/ライフ・アウトラインの拡張、自分の欠点を扱うにはという文脈の中での言及になったので、改めてライフ・アウトラインの話として綴っておきたいと思う。


 ちなみに、前回のライフ・アウトライン日記でライフ・アウトラインの場をDynalistからCapacitiesに移したという話をしたのだがライフ・アウトライン日記: Capacitiesにお引越し、少し前に「LIFE-BE」「LIFE-AS」の部分をDynalistに戻した。
 そしてライフ・アウトラインの各要素について私は以下のように呼び替えている。

  • 日々=DO-DAYS(日々のDO)
  • 地図=DO-ALL(すべてのDO)
  • 内政=LIFE-BE(自分)
  • 外交=LIFE-AS(関係)

 「内政」「外交」の語はゲームの三國志から拝借したもので政治的ニュアンスはないRPG的ライフ・アウトライン

 さて、ライフ・アウトラインの肝は、自分の人生・生活を考える核となるはずの己の欲望を、自分に問うて時間をかけて掘り出して整理していくところにあると思う。具体的な思いとして現れるものを書き出して見つめることで「これはつまりこういう思いなのだ」と気づき、一段階抽象化して括っていくということを繰り返して自分の核に迫っていく。基本的にボトムアップの流れになっていて(そうなることを心がけていて)、そこに自分の意思でトップダウンの視点を挟むことでシェイクが起こる。不定型で流動的な「思い」を扱う手法である。
 一方で、そもそも固定的な要素というのも自分の人生・生活には存在する。家族のこと、健康のこと、性格のこと、住まいのこと等々、自分の思いによって変動する可能性が低いものだ。それらは自分の人生・生活の選択肢の範囲を決めるものでもあり、当然考慮に入れて生きなければならないが、これをどういうものとして位置づけて考えるかが自分の中でこれまで曖昧だった。
 もちろんそれらは「LIFE-BE」「LIFE-AS」の要素と密接なものなので、そちらを考える中での要素として溶け込むものだという捉え方が自然なのかもしれない。

 ところで冒頭で触れたように、このごろ「自分の欠点への対処」の検討場所について考えていたのだが、ネガティブな要素ゆえにライフ・アウトラインの中にうまく填まらないと感じていた。自分がどのような傾向を持っているかを見つめ、そのことに対して自分の意思で何をしていくのか、ということは生きていく上で考えなくてはならないが、それは一体どこに位置づけられるべきなのか。
 で、そもそも「自分の欠点」とはどういう種類のものかというのを考えた時、それが何らかのアプローチで根治可能なら「~~を直す」というプロジェクトにもなり得るが、そのようには解決などしないから欠点としてあり続けるのであって、要は「それ自体は不変のもの」だということに気がついた。自分の人生・生活の中に障害物として存在し続ける。つまり、それがあることによって、自分が進める道がいくらか限られることになる(リカバリー可能だとしても、局所的には制限される)
 そのような、不変不動の障害物として自分の欠点というものを捉えた時に、その他の種類の障害物もあるよねと気づいた。それが上段で触れた固定的な要素である。
 欠点の話に焦点を当てる前はそれらは「LIFE-BE」「LIFE-AS」の中に含まれていたが、なんとなく居心地悪いようなところはあった。シェイクによって形が変わることがないからだろう。液体の中に固体の塊が混ざっているような状態だ。それでも混ぜたままでどうにかなっていたが、自分の欠点のことを考えた時にそこに混ぜたくないという気持ちが強まり、ライフ・アウトラインからはみ出てしまった。よって新たな場所を外に用意した方がいいとなり、元々うっすら場違い感のあったものを「固定的な要素である」という括りでまとめることを思いついたわけである。前の投稿では「動かない事実」と表現した。
 この領域は、シェイクによって形を変えていくことが肝である「LIFE-BE」「LIFE-AS」とは違って、基本的にトップダウン思考の場になる。動かない事実はあちこちに点在するものであって、点在したままだと結局自分は何が可能で何が不可能なのか見えてこないから一ヶ所で扱おうとしているが、集めて考えたとしてもそれらは収束していくものではない。だからライフ・アウトラインのコアのコンセプトからは外れた領域ということになると思う。

 ライフ・アウトラインに要素を増やすにあたって、この領域に名前が必要だ。一応「LIFE-BE」「LIFE-AS」のきょうだい的なものだから、「LIFE-○○」で揃えてみたい。そう考えた時に、既に決まっているものだというニュアンスで「LIFE-IS」としてみることにした。英語的に的確かはわからないし、あくまで仮の命名だ。
 そもそも、最初に示したように私自身はライフ・アウトラインの各アウトラインの名前を自分に馴染む語彙で言い換えている。「LIFE-IS」なる命名は外向けの「言ってみればこういう感じ」を示すためのものであって、実際に自分が使う上では他の名前を付けている。
 「LIFE-○○」については子どもの頃に遊んでいた光栄の三國志シリーズから着想を得た名前に言い換えているので、三國志的世界観で何かないかなと考えた。動かない事実、つまり自分の思いだけで形を変えることのない要素に対する対処を前もって考える場だから、「策を講じる」感がある。三國志で策を講じることを指す単語といえば「計略」だろう。よしこれで行こう。
 なんとなく悪いニュアンスを含む言葉なのは了解しているが、日本国語大辞典では「はかりごと。計画。工夫。」とか「よいように処置すること。管理すること。」という意味が示されている。そうなると割に妥当な気がしてくる。
 そんな感じで、ライフ・アウトラインはこのようになった。

  • 日々=DO-DAYS(日々のDO)
  • 地図=DO-ALL(すべてのDO)
  • 内政=LIFE-BE(自分)
  • 外交=LIFE-AS(関係)
  • 計略=LIFE-IS(事実)

 が、実はライフ・アウトラインの改造はこれだけではなく、もっと根本的な構造改革をしていたりするのだが、また別の機会に書こうと思う。

2025/01/20

苦手要素への対処自体をプロジェクト化しない/ライフ・アウトラインの拡張

先日の問いかけに早速お答えいただきありがとうございます。重要な気づきを得られたと思います。
苦手なことはどこに整理したらいい?
このこと、つまり自分のネガティブ要素(≒欠点)とその対応の検討場所について二つのことを考えました。

2024/09/20

ライフ・アウトライン日記: Capacitiesにお引越し

 普段開いているツールがDynalistからCapacitiesに移ったので、ライフ・アウトラインもCapacitiesに引っ越した。


 とりあえず「ライフ・アウトライン」というページを作り、その中に各要素のページのリンクを貼る。

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 「日々(DO-DAYS)」についてはデイリーページ機能があるのでそれを使う。
 各要素の具体的な中身はちょっと個人的過ぎるので公開しないが、もはやアウトラインという言葉でイメージされる形態にはなっていない。もちろん箇条書きも使っているが、トグルでまとめたり、プレーンテキストをただ書いたり、ページを作ってリンクを貼ったり、複数の形式がごちゃごちゃと並んでいる。
 しかし、そもそも何を達成するためにこれをやっているのか、という精神は受け継いでいるつもりなので、ライフ・アウトラインとしての役割は果たしていると思う。つまり己に問いかけながらより上位の(より根幹に迫る)要素を探り、自分の人生と生活の指針を見出していくということである。

 といっても、なかなか自分との対話は進んでいかないから、このページの中が何かすごく豊かなものになっているとは言えない。そもそも時間がかかる営為だろうし、とにかく頻繁に開いて手を加えようと思うことが今の私には重要だ。
 ということで、デイリーページのテンプレートに「ライフ・アウトラインを充実させる」という記述を入れておいて、毎日意識を誘導するようにしている。だからといって毎日必ず開くというわけではないのだが、少なくとも存在を忘れることはない。
 Dynalistでやっていた時よりもCapacitiesの方が個人的には気分が良い見た目をしているので、前よりは積極的にアクセスして手入れをしている。特に「内政(LIFE-BE)」「外交(LIFE-AS)」を開く頻度はかなり増した。

 ちなみに、これらのページは「Mapオブジェクト」になっているが、これは自分で作ったオブジェクトタイプで、自分や生活について何か俯瞰する系の情報を扱っている。例えば○○リストの類はここに入る。
 このような自分にしか通用しない括りをオブジェクトとして用意できるのはCapacitiesの楽しいポイントのひとつだ。
 

2024/03/05

自分の「知」に必要な三つの箱

 ここ数日デジタルノートツールの使い方について色々考えている。

 がらくた箱・知の箱の話と豆エッセイの話は特に関連性なく考えていたことだけれど、統合できる気がするので併せて考えてみる。


※2024/03/16 最終的にできた構造はこちら→三つの箱(領域)の整理

 容れ物の話をしているので、豆エッセイについても容れ物の方に着目しよう。上記の記事では「濃いタイムライン」と表現している。「濃い」とは、別種のものが混在していない、または混在していてもそれが十分気にならない状態であるということ。
 呼称の不揃いはそのうちどうにかするとして、まずそれぞれの性格について整理してみる。

  • がらくた箱
    • 内容物
      • 好きなもの、面白いと思うもの、へ~と思ったもの
    • 必要な機能
      • 無限に収納できること
      • 曖昧な検索で取り出せること
    • 採用ツール
      • Scrapbox
  • 知の箱
    • 内容物
      • 知っておいた方がいいこと、考えておいた方がいいこと
    • 必要な機能
      • 無限に収納できること
      • 何があるかわかること
      • 情報と情報を繋げられること
      • 体系的に整理できること
      • 体系的でない整理もできること
    • 採用ツール
      • Obsidian
  • 濃いタイムライン
    • 内容物
      • 豆エッセイ(自分の中にあるイメージを文章にしたもの)
    • 必要な機能
      • 無限に収納できること
      • 時系列で保存できること
      • 無題が許されること
    • 採用ツール

 これら三つの場所があれば、自分の私的な知的営為全体がカバーされるように思う。
 前記事を書いた後に気づいたことだが、多分「がらくた箱」と「知の箱」を分ける必要は全くない人もたくさんいると思う。私がこの二つのものを分けているのは、何かを積極的に知ろうとするということ自体にあまり関心がないからだ。一言で言うと知的好奇心というものがない。
 ただしそれは、何かを知ることに喜びがないという意味ではないし、何かを見てもそこから知的刺激を受け取らないという意味でもない。単に「もっと深く知ろう、もっとたくさん知ろう」という欲がないということで、何かを知ること自体にはそれなりの感動を抱く。喩えるなら、ケーキを食べれば喜びを感じるしケーキを味わうつもりもあるが、積極的にケーキを食べたいと思うわけではない、というようなものだ。
 自分のこの淡白さは私自身が長い間苦しんできたことで、「もっと好奇心持たないと!」と言われてもどうにもならない。仕方ないので、「頑張って知っておこうとしなくてはならない」と思って生きている。
 仕方なくやっていることのための場所は、自分の喜びのための場所と一緒にしたいとは思わない。なので別個の場所を必要としている。前回書いたように情報の性質の違いでツールを使い分けるというのももちろんあるが、ツールの機能からすればそこまで大きな違いはないわけで、一緒にしたいという気持ちがあるならば細かい違いは気にせずまとめてしまえるだろう。

 さて、ここまでの記事ではあまり深く掘り下げなかった「濃いタイムライン(=豆エッセイのタイムライン)」についてちょっと考え直してみたい。
 豆エッセイというのは基本的に「思いついてしまったもの」でできている。「思いついてしまう」というのは結構難しい性質を持っていると思っていて、自分の中から生まれてくるのだから一見能動的で積極性があるもののようだが、実際は自分の脳が自分の意識の都合にはお構いなしに勝手にやっていることだ。自分の意識としてはむしろ受動的な情報のように思える。受動的なもの向けの設計をしないとうまくいかない。
 何かの情報ツールのここに書きたいという気持ちがあったとしても、思いつくのは大概それを開いていない時だし、それを開いて画面とにらめっこしてもそれで思いつくわけではない。溜めておきたい場所があるならそれは後からそこに転記するシステムを作らないと成り立たないだろう。
 思いついた時に即書ける場所というのがまず必要だ。ツイ廃にとってのTwitterのように「とりあえず何か思ったらここに書く」という回路が自分にできている場所である。Twitterでもいいし、デイリーページの類を作っているならそこでもいい。

 難しいのはその次で、書き込む場所と溜めていく場所を一緒にすべきかどうか。豆エッセイはその場ですぐはけりがつかないことが多いので、場所を分けると転記のタイミングに悩む。逆手に取って転記のタイミングを締切として書ききってしまうという考えはあり得る。
 一緒にするならば、他の記述との間で相互にノイズにならないような工夫が要る。また、もしデイリーページのような場所に書くとすると、その日が過ぎた後で手を入れるということがやりにくくならないようにする必要がある。つまり抽出できるのが重要だ。Tak.さんのライフ・アウトラインならば、「DO-DAYS」で「▼」を付けて書き、「▼」で検索をかけて抽出するというのが、まさにこれを実現するやり方だ。
 そう思いつつも試しにObsidianに場所を作ってみたのだが、日常を回すものとして常に開いているのはDynalistの方なので、やはりちょっと微妙だ。形になったら手動でObsidianに転記すればいいと思ったものの、その作業が妙に面倒くさく感じる。実際の手間の数倍面倒くさい気持ちが生じている。やっぱりライフ・アウトライン式をベースにした方が良い気がする。
 ただし、デイリーのアウトラインの中にあるというのが少しくせものだ。というのは、後から手を入れた場合、それはその日やったことではない。その日の項目の中にあるということに自分で納得できるかどうか。完成させた日に移せばいいかというとそれも違う。今度は「思いついたのは別の日」ということになるからだ。

 この記事を書き始めた時点でどうしたらいいか思いついていなかったのだが、今書いていて、「バージョンが分かるようにすればいいのでは」と思い至った。
 まず、何か思いついたらその日のアウトラインの中に「▼」を付けて書く。十数文字の場合もあれば最初から数十字数百字になることもある。

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 当日に完成せず、別の日に手を加えたとする。その場合は、最初の文に直に手を入れるのではなく、項目を新たに作って書いてみる。3/8にやったとしよう。
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 なおこれは大幅に書き足す場合の話で、最初の日にほとんど出来ている場合には直に加筆してバージョン履歴は作らない。
 必要があればまた別の日にも同じように加筆し、大方完成となったらタイトルを付け、元々「▼」の横にあった初期バージョンは一番下に項目を作って移す。(この移動は最初の加筆前にやった方がよさそうならはじめにやる。)
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 これなら思いついた日と完成日の幅によって置き場所に悩む必要はなくなる気がする。
 これは作業量の記録のためにやるものではないから、手を加えるたびに必ずその日の版を作らなくてはならないというのではない。あくまで気分的に納得できればいいので大幅に変わる時だけ新バージョンを作る。大幅に変わるかなと思って新バージョンを作っても、書いてみて別に分けなくても良かったと思ったら元のバージョンに上書きする。

 とりあえず「濃いタイムライン」はこの形でやってみようかと思う。ツールとしてはDynalistを使う。デイリーアウトラインというあれこれ記録が混ざった「薄いタイムライン」から、「▼」で検索することで「濃いタイムライン」になるわけである。
 「がらくた箱」「知の箱」とは呼称が揃っていないのが気になるが、「濃いタイムライン」はライフ・アウトラインという謂わば「生活の箱」の中の一部分なので、ここは揃えない方が良さそうだ。(「濃いタイムライン」に何か別の名前を付けた方がいいにしても。)
 自分の「私的な知的営為」は「がらくた箱」「知の箱」「濃いタイムライン」の三つでカバーされるが、「私的な情報管理」で見るとすれば「がらくた箱」「知の箱」「生活の箱(=ライフ・アウトライン)」ということになるかもしれない。
 

2024/02/21

ライフ・アウトライン日記: ノート欄を楽しむ

 ライフ・アウトラインの話でもあり、単にアウトライナー(というかDynalist)の話でもあるが、各ノードのノート欄を積極的に使うということが私にとってとても重要なことのようだ。


 ノート欄を使うようになったということについては以前ちょっと書いた。

 昔は、「すべての記述が操作可能な単位になるのがプロセス型アウトライナーの良いところなのに、どうして項目の操作を困難にするノート欄を使うのか」と思っていた。実際、ノート欄を無計画に使うと項目がそれに縛られることはあり得る。
 逆に、項目を縛るものがないということは「動かせてしまう」ということでもある。すべての項目を全く自由にしておきたいかというと、必ずしもそうではない。「これは親項目なのである!」と思いたい時は、むしろゴテゴテと修飾して「重く」した方が納得感があったりする。修飾が複雑になると別のストレスが生まれるのであまり変なことはしない方がいいが、敢えてどっしりさせるというのはひとつの選択肢だ。

 ノート欄を使うタイミングの代表は、子孫項目の内容を要約するということだろう。
 何十行にもわたる考え事をした時などは、それを開いたままにしておくわけにはいかないので親項目を閉じてしまうことになる。すると、親項目を工夫しないと中身の存在感が消え去ってしまい、「すごく考えた」という雰囲気がそこから失われる。視覚的に邪魔だから閉じるのだが、そこにあった空気まで霧散するとちょっと困ることがある。
 そんなとき子孫項目の内容を親項目のノート欄にまとめれば、どのくらいの思索がそこにあったのかを表現することができるし、ノート欄が場所を取ることでそのノードに重量を感じられるようになる。ノート欄に記述する量と子孫項目での思索の量とをおおよそ比例させることがコツになるだろう。大したことないものはノート欄にも大したことないように書く。

 で、肝心のライフ・アウトラインの話である。「DO-DAYS」「DO-ALL」「LIFE-BE」「LIFE-AS」のいずれでも、このように親項目を重くするということを必要に応じてやる。
 ただし流動的に変化できることが重要なので、ノート欄も常に更新したり場合によっては消してしまったりということを「普通にやる」ように意識する。ノート欄は中身を開ければそこに書いてあることをまとめるものとして扱い、ゆえにノート欄の記述は消しても問題ないというのを前提にしている。ノート欄に初登場の情報を書いてしまうと身動きが取りづらくなるだろう。
 現在、特に「DO-DAYS」でノート欄が活躍している。
 日付の下にあるDOは、着手はしてもすっかり完了はしないことがある。そういう時、その日やれるだけの作業が終わった時点でコンプリート扱いにした上で、ノート欄に「進捗:○○までやった」というふうに書いておく。

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 最初から「○○まで」と決まっていたならDOの内容自体を「○○までやる」にしてそれを完了したということにすればスッキリするが、どこまでか決まっていなかったりもっと多くやるつもりだったりした場合には、どういう心づもりでいたのかがわかるようにDOの記述はそのままにして進捗をノート欄に書くことにした。もちろんそもそも着手しなかったらコンプリートにはしない。コンプリートは「私なりに頑張りました」の記録として使う。
 そして一日が終わったら、その日の様子を日付項目のノート欄に書く。やったこと、気分、体調、天気、ニュースなど、その日の自分に強く影響したことを書くようにする。1行のこともあれば5行くらいになることもある。あんまり要約しようとはせず、自分の気持ちに任せる。中身は開けばわかるのだから、ノート欄だけで把握できるようにしなければみたいな気負いは要らない。何もないと思ったら書かない。でも何日かして見直すと書いておきたいことが見つかることもある。
 更に、一週間が過ぎたら週の項目を作って一週間分の日付項目を入れてしまい、これまた各週のノート欄に一週間の様子をまとめる。とにかく雰囲気がわかるようにする。一週間通じてやっていても日単位だとそれほど印象深くはならないことというのもあるので、そういうのは各週のまとめで拾っておく。
 まだライフ・アウトラインを始めて日が浅いので今のところ週単位までにしているけれど、月、四半期、半期、年単位でやっていってもいいだろう。そうしたくなったらそうする。やろうと決めるとあまり良いことはないので事前に決めることはしないでおく。

 自分だけかもしれないが、項目数を増やしていくことには特に何も充実感がない一方で、ノート欄にまとめを書けるという時にはどことなく充実感を覚える。書こうとして書いているというよりは、子孫項目を眺めた時に「まとめるとこんな感じだな!」と思って、それをメモしているという形になる。
 そしてまとめを書いたら「安心して子項目を畳む」ということができる。それについてはもう頭の中から片付けていい、という感じだ。
 つまるところ、「よし」と思うタイミングが生まれるということなのだろう。ノート欄を充実させることを楽しむ姿勢の有無が、かつてアウトライナーと仲良くなれないでいた自分との違いのひとつである。
 

2024/02/14

ライフ・アウトライン日記: メソッドをなぞる効能

 ライフ・アウトラインを始めてちょっと経った。


 前に書いた通り、のらてつver.の表記はこうなっている。

  • 日々=DO-DAYS(日々のDO)
  • 地図=DO-ALL(すべてのDO)
  • 内政=LIFE-BE(自分)
  • 外交=LIFE-AS(関係)

 今のところ「日々」と「地図」を往復している形で、「内政」と「外交」はまだあんまり取り組んでいないけれど、現時点ではこの形式に違和感はない。
 発想の転換があったかというと、大きな変化は特にない。というのは、元々Tak.さんが重視していらっしゃるのと似た観点でものを考えていたからで、それゆえ理解に苦戦することもないし、このアウトラインをすんなり始められた。
 重要なのは、そのように元々あった要素を、Tak.さん式のフレームに収めて扱うようになったということだ。適当な段ボール箱に突っ込んでいたものをちゃんとした棚に並べるようになったみたいな感覚だ。

 「日々(DO-DAYS)」は毎日日付の項目を作ってその下にやることやアイデア、所感などを記述していく形だが、この形式は過去に何度も試したことがあった。しかしいずれも長くて数ヶ月でやめてしまった。「地図(DO-ALL)」にしてもそうだ。そういうものは繰り返し作っているのだが、使用ツールの変更などによりやがて見なくなっていく。
 その時は何かのメソッドに従ったわけではなく「自分で思いついた」ことによって始めたものだったから、常に「もっと良い方法」を考え続けていた。根本的に違うやり方にした方がいいかもしれないという余地があったから、途中でやめてガラッと変えてしまうということになった。
 これまでと表面上はほぼ同じことをライフ・アウトラインとして今やっているのだが、心の持ちようは結構違っている。
 まず前提として「Tak.さんはこれでうまくいっている」ということがある。もちろん私とTak.さんは異なる人間なので「だから私もうまくいく」という話ではないのだが、自分の思いつきのやり方と比べると方法としての強度に安心感がある。「もしかしたら自分にとってベストではないかもしれないが、ある程度は有効なはずだ」という信頼がある。
 そして方法の解釈の道筋も違ってくる。自分の思いつきの場合はダイレクトに目的を達成しようとしてしまうが、人のメソッドをなぞる場合には提唱者の視点を想像して考えてみることができる。例えばTak.さんならこういうところに気をつけるに違いなく、そのための工夫としてここがこうなっているはずだ、的な見方で方法を注意深く咀嚼できるということだ。「敢えてやらないでいること」も含めて、コツとして提示されていることの背景を想像できる(想像しようと思える)。ただしこれは人となりを十分知っている場合に限られる感もあるし、単に「本屋でたまたま見かけたハウツー本」ではそのように読むことは難しいかもしれない。

 取り組む際に「とりあえずは忠実にやってみよう」という意識を持てることは大事なことだ。自分で考え出したものはあまりに有効性の保証が乏しいので、「とりあえず続けてみよう」と決めるのはなかなか難しい。実際は「なんでもいいからそのまま続ける」ということこそが重要で「どうやるか」は割と二の次だったりするのだが、より良い方法を探さずにいられない欲張りな人間にはそれが呆れるほど困難だ。
 自分で考えたものは続けにくいからといって、人のメソッドならなんでも続けられるというわけではない。自分にとってなんとなく「カッコつけてる」感があるものは大体無理が来る。憧れやコンプレックスに押されて背伸びをしているようじゃ疲れてしまう。もしカッコつけるのなら期間限定と割り切ってやった方が良い。
 その点、私にとってTak.さんのライフ・アウトラインは、「そもそもあったものを整えた」ようなところがあるので、背伸び感がないところがいい。

 忠実にやってみようという気持ちでやっているわけだが、それは完全に同じようにやるということではない。メソッドが実現せんとしていること(つまり提唱者の思想)を念頭に置きつつ、「ちょっと拡張する」ということは試みる。
 例えば「DO-DAYS」に関して言えば、Tak.さんのやり方ではアイデア類は「▼」を頭につけて記述なさっている。なるほどと思って私もそれをそのままやっている。加えて、「▲」という記号も使うことにした。こちらはアイデアではなく感想の類だ。後からものを書く時に引っ張り出したいようなものは「▼」をつけるが、そういう素材となるわけではないが自分のその日の行動と結びついているわけでもないものを「▲」をつけて書いている。たまたま読んで面白かったWeb記事も「▲」をつけてリンクを貼る。具体的な感想があればその下に何か書くけれど、何もなくとも「▲」がついていれば何かしら面白かったものだというのが自分でわかる[1]
 その他にもちょっとしたカスタマイズはしている。しかしフォーマット化しないように気をつけている。なぜTak.さんのライフ・アウトラインはこうなっているのか、ということをよくよく考えることが、自分の中に生まれる「良いこと」面した規範性を撃退するひとつの有効な手立てとなっている。
 小規模の「自分なり」を少しだけ加えながら、今のところ「日々」と「地図」を自然に行ったり来たりできている。

 兎にも角にも「(過去に遡って振り返ることができる形で)継続する」が必要なことに於いて、最大の敵は己の中にある「もっと良い方法があるはず」「もっとピシッとしたらスマートになるはず」という欲だ。その欲に従って試行錯誤することは楽しいので一切封じるのが幸福なわけではないが、振り回されっぱなしでは後々困ることになる。
 とりあえず忠実にやってみよう、と思えるメソッドをなぞることは、自分のそういう欲が好き放題しないように大人しくさせておく効能があるようだ。これは自然体でやれるメソッドであることが肝要で、背伸びしようとしている時は「より背が高くなれそうな方法」を編み出そうとしてしまう。既に無理しているものを、己の欲が一層自分を苦しめることになる。背伸びが功を奏さないタイプの人は、自分の体温と同じ温度の方法論を選択するのが良いのだろう。


  1. 「▲」という記号は単体で見るとあまりポジティブなイメージがないが、ここでは「▼」が先にあってその対として使うものなので、ポジティブな内容を書いていても特に気にならない。「○」や「✕」などを使うとすればまた違ってくるだろう。 ↩︎

2024/01/29

RPG的ライフ・アウトライン

 Dynalistにライフ・アウトラインを作ることにした。
 ライフ・アウトラインとは、Tak.さんが著書およびnoteの連載にて提案なさっている、アウトライナーを用いてライフ(生活と人生)を把握したり練ったり前進させたりするメソッドである。

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