Noratetsu Lab

動じないために。

2022年6月

2022/06/29

インボックスを飛ばしたほうが良いわけではない、ということ

2022/06/28

Evernoteさん、雑に使ってごめんなさい

久々にEvernoteにログインしてみた。いつからいつまで使っていたのか確認するためだ。


アカウントは愚かにも二つ作っており、もはや使い分けを試みた理由も覚えていない有り様だ。十中八九、先に作っていたほうのごちゃつきに耐えられなくなって仕切り直したとかだろう。
アカウントを複数使い分けているんですよと語っていた誰かの話を口実にして、うまくいかなさの理由を突き詰めることから逃れて「とりあえず」やり直したのだ、きっと。

実態

ノートをエクスポート・インポートで移動させたりしたので、二つのアカウントの使い始め時期のズレがどの程度だったかはよくわからないが、とりあえずEvernoteは2011年5月末あたりから使っていたらしい。
2010年には使っていたような気持ちでいたが、確かに2011年に入ってからプレミアムが1年分無料みたいな話を見たんだったような気がする。その少し前から存在は知っていたはずだが、実際に始めたのは2011年の半ばだったようだ。
そしていつまで使っていたかというと、アカウントAは2015年7月、アカウントBは2018年2月までだ。しかしこれは外部サービスから自動でEvernoteに送っていたノートの日付である。自分の手で作ったらしいページはといえば、アカウントAは2013年5月、アカウントBは2016年9月が最後と思われる。
ノート数はアカウントAがおよそ28000、アカウントBが12000で、合わせてちょうど40000件くらいあるらしい。その内訳はもはや全くわからない。大事なノートはおそらく1000件もない。いや、今となっては大事なノートなど1件もないのかもしれない。久しくEvernoteを開かないでいたのだから。

ちらちら見返してみたところ、なんだか嫌なニュースの記事がたくさんある。世間の現実に目を向けなくてはと勇んでいたに違いない。その割にはその後それをどうともしなかったし、多分本当は大して興味がなかったのだろう。
スクロールしてもスクロールしても、そこにあるのは本当は大して興味のない内容のノートだ。稀におっと思うものもあるが、全て自分で集めたもののはずなのに、その中で今価値を感じるノートは川で砂金を見つけるくらいに希少である。
自分で作ったノートは別だが、「とりあえず」と言って反射でクリップした記事、メールマガジンやキーワードなどから自動で取得した記事などは、集めた甲斐がさっぱりない。そもそも「集めた」と言っちゃいけない気もする。掃除機のようにしてそこらへんのをただ吸っただけだ。

根無し草

Evernoteの使い方を振り返ると、自分の混乱がまざまざと思い出される。
情報管理というものをまともに考え始めたほとんど最初の頃に使い始めたのがEvernoteであったから、何をどう考えて使えば良いのか全くわかっていなかった。
何でも突っ込んでおけるんですよと誰かが言ったから、何でもかんでも突っ込んだ。音楽ファイルとかも入れておくとバックアップになって安心ですよと誰かが言ったから、月間容量を気にしながら音楽ファイルを突っ込んだ。サービスの連携が充実しているから何でも送っておけるんですよと誰かが言ったから、それはすごいと何でも送った。
それぞれ語り手は別だったわけで、幾人もの「誰か」は、いずれも私のようには使っていなかったのではないかと思う。私はひとりで勝手に混沌を生み出していた。
情報を収納すると、待ち構えているのは「整理」である。何もわかっていなかった私は、例によって誰かが言ったことをその都度試した。
ノートブックのタイトルは連番で綺麗に並べるんですよと誰かが言ったらそうしたし、いやノートブックは使わないでタグだけでやってますよと誰かが言ったらそうした。そういうことを思いつくことに憧れがあったから、自分で何かを思いついたらそれもまた試した。
あっちにふらふらこっちにふらふらとして、ついにやり方が定まることはなかった。「私はこれでいく」という形が結局できなかったのだ。

学び

Evernoteが教えてくれたことがある。
ひとつは、「情報を得る」ということについて私は何も知らなかったということだ。「知らないよりは知っていた方が良いのかも」「覚えれば役に立ちそう」「私の関心にマッチしている」「絶対に必要な知識だ」、これらはいずれも「あ、」と思って自分の目に留まるが、それを全部同じように突っ込んで良いのかどうか。
大抵のことが「知らないよりは知っていた方が良い」ことだ。するとつまり大抵のことが網にかかってしまう。それを全部集めていたら、自分のEvernoteが地球か宇宙かになってしまう。自分でピックアップしている意味がない。少なくとも、自分のEvernoteというのが「個人的な関心に沿ったコレクション」なのか「自分の視界に入ったもので作り直した宇宙」なのか、意識した方が良いに違いない。
もうひとつ、Evernoteは大事なことを教えてくれた。それは「私」について、やはり私は何も知らなかったということだ。
何でもかんでも突っ込んで思いつきで区分けを変えたのは、自分がどうしたいのかさっぱりわからなかったからだ。信念も美意識もないから(自分で気付いていないから)、取捨選択が何もできなかった。そしてどうなってほしいのかもわからずに、Evernoteがどうにかしてくれることを期待していた。
恰も「パソコン使えば何でも作れるんでしょ?」「東大生なら何でもわかるんでしょ?」と、「よくわからないけどすごいらしいもの」によくわからないまま謎の期待を寄せる人のように、「Evernoteに情報を入れれば何でも整理できるんでしょ?」と思っていたように思う。
Evernoteを書斎にしたいのか台所にしたいのか倉庫にしたいのかもわからずに、一体どんな整理ができるというのだろう。

「今」とEvernote

そんなわけで、今Evernoteに対して思うことは「雑に使ってごめんなさい」ということだ。Evernote自体に根本的な難しさというものがある気はするが、それにしたって、自分はEvernoteの可能性をあまりにも活かせなかった。
そして「Evernoteの後」に生まれた波に揉まれて、今日(こんにち)に至っている。Evernoteを使い始めた時には全く考えもしなかった方法で、今私は自分に合った情報管理の道を見出そうとしている。
Evernoteを過去に使っていた人、今も使っている人にとって、Evernoteとの戦いあるいは良き付き合いというものがどんな形だったのか、Evernoteがこの世に生まれてから十分な年月が経った今だからこそきちんと聴いてみたいところである。

富山孝裕さんがEvernoteに触れていたので、私もまずはEvernoteについて振り返ってみよう、と思ってひとつ目の記事を書いてみた。

 

2022/06/19

アウトライナーと手帳と表紙

 うちあわせCast第百六回を聴いた(2周した)。「アウトライナー」という概念に対するLogseq(あるいはRoam Research)の位置づけについて議論されていて興味深く思った。自分なりに考えたことを書いておきたいと思う。


 まず「アウトライナー」とは何か。Tak.氏がわかりやすく定義しておられるので、その定義を私の定義としても活用したいと思う。引用すると、以下の3点を満たすものである(参照:【基礎講座1】アウトライナーを定義する|Tak. (Word Piece)|note)。

  1. アウトラインを表示する機能
  2. アウトラインを折りたたむ機能
  3. アウトラインを組み替える機能

 Logseqはこれらを備えているので、この定義に従えばこれはアウトライナーである。体感的にも、普通にアウトライナーだと思う。
 ただ、「アウトライナーとはLogseqである」という命題は当然「偽」である。うちあわせCastで語られていた懸念は「Logseqをアウトライナーだと思われると…」ということであろうし、他の場でも「Workflowyをそれがイコールアウトライナーであると見なされると…」ということが語られていたかと思うが、つまり概念の親子関係が一般的に広く認識されていない気がするのがアウトライナーというツールを語る上での障害になっているのだろうと思う。
 しかし逆に、Logseqのようなツールが存在することによって、「アウトライナーとはWorkflowyのようなものである」という認識の仕方からは一歩離れられるようにも思う。上記の定義を満たしながら複雑に多様で個性的なアウトライナーが様々生まれたほうがかえって「核にあるアウトライナー性」が浮かび上がってくるのではないかと個人的には感じている。帰納的推論が働くためには数が必要である。

 Logseqとアウトライナーの関係についての議論を聴いていて素朴に浮かんだ感想があるのだが、「これは紙の手帳と紙のノートの関係と似たようなものなんじゃないかなあ」ということだ。
 デジタルツールを語る上で安易にアナログのものをメタファーとして使うと、デジタルにしか存在し得ない特徴を認識しにくくなるおそれがあると思うので、「手帳対ノートと同じじゃん」と簡単に言ってしまってはいけないだろうとは思うが、とはいえ類似性を整理することには多少の意味があるだろう。
 なお、「ノート」という言葉は色々なイメージを含みうるので、ここでは「紙のノート」を「内容となる部分が未記入の、同じサイズの紙を重ねて一辺で綴じたもの」ということにする。綴じ方は問わない。

 紙の手帳、特に左ページに一週間分の日付が入っており、右ページが罫線のみ(あるいは白紙)のものを考えてみよう。これは「内容となる部分が未記入の、同じサイズの紙を束ねて一辺で綴じたもの」であるので、もちろん「紙のノート」の一種である。
 左ページが日付と紐付いているわけだから、それと同時に視界に入っている右ページも、基本的にはその期間に書くノートということになる。そうしろという命令は誰にも出されていないのでそうしなければならないという縛りは一切ないが、敢えてそれを無視するという意識がない限りは、そうなるのが「自然」であろう。Logseqが(Journal機能をオンにしている限り)時系列を前提とする思考を惹起するであろうことと同じく、手帳の右ページは左ページの影響を受けて時系列に絡んだ記述がメインになりがちである。
 そうすると、右ページは紙面としてはプレーンな「紙のノート」と全く変わりがないにもかかわらず、使う人間が同じ感覚でその紙面を認識するわけではないということになる。同じように認識している人がいないではないと思うが、多数派ではないように思う。
 「紙の手帳の右ページの使い方の難しさ」は、「紙のノートの使い方の難しさ」と重なりはするが、イコールではない。「紙のノートの使い方の難しさ」に「紙の手帳の右ページゆえの使い方の難しさ」が加わったものが「紙の手帳の右ページの使い方の難しさ」ということになる。つまり、「紙の手帳の右ページって難しいよね」という話が、「日付が入っていないページ(=罫線のみまたは白紙のページ)って難しいよね」という話とそのまま同一視されては困るわけである。
 しかしアウトライナーの話と違って、この同一視はあまり起こりそうには思えない。正確に言うと、同一視して語ったものであっても、それを読んだ側が同一視して認識する可能性は高くないという気がする。なぜなら、学校生活を送ったすべての人がプレーンな紙のノートを知っているからである。手帳の話は手帳の話であって、紙のノート全般についての話だとは思わないだろう。
 また、具体的な商品名で「○○手帳の使い方」として語ったとしても、手帳売り場にいけばちょっと数えられない種類の手帳がずらりと並んでいることを多くの人が知っているし、「他の手帳でも同じことや似たことはできるだろう」という推測が自然に働くように思う。この手帳でしか実現できないメソッドとは思われないのではないか。

 紙の手帳は紙のノートの一種だが、紙の手帳と紙のノートは半ば別のものとして捉えて使い分けるのが当たり前になっていると思う。よって紙の手帳の話を紙のノート一般の話とはそうそう混同しない。しかし同じように手帳っぽいLogseqとノートっぽい他のツールを使い分けるのが当たり前に思えるかというと、それは微妙なところである。
 システム手帳はリフィルの自由性によって手帳とノートを同居させているわけで、いわんや多機能デジタルツールとなれば、同居させてしまおうという方がずっと当たり前かもしれない。

 アウトライナーの話に戻ると、ひとつの問題として、教育を受けたすべての人がプレーンな紙のノートを知っているようには、プレーンなアウトライナーというのが知れ渡っているわけではないということがあるのだろう。
 そもそもプレーンなアウトライナーとして万人が認められるものが具体的にどこかにあるわけでもない。Workflowyは「プレーン」に比較的近いかもしれないが、しかしもはやプレーンではないとも思う。冒頭で挙げた3点を満たしただけのアウトライナーというのが今の時代どこかにあるかというと、とりあえず私はその存在を知らない。
 紙のノートなら何の予備知識も持たなくとも線を引いただけで使用者が新しい機能を付与できる一方で、デジタルツールはそう簡単にはいかないし、ツール側が種々の機能を予め備えておかないとユーザーとしては困る。プレーンなアウトライナーが単体で存在することはかなり難しいのだろう。Tak.氏が何度か語っておられるが、そもそもアウトライナー機能というのはテキストエディタの中に含まれる基本的な機能として位置づけられるべきものと思う。
 そうなると、アウトライナーの性質を感得するには、種々のアウトライナーがいずれも備えている共通の機能を、これがアウトライナーをアウトライナーたらしめているものなのだなと感じ取るしかないかもしれない。最初にも書いたが帰納的推論をするのである。例えばテキストエディタとは何たるか、メタな視点で説明されて知った記憶はない。性質を知ってからメタ視点の解説を見てやっと「そうか、本質はそこにあったのだ」と理解するに至ることはあるが、その前にやはり帰納的推論の力が必要と感じる。
 この時、例えばLogseqに触れたら当たり前のように他のWorkflowyやDynalistやその他諸々のアウトライナーの情報が目に入るなら、「ずらりと並んだ手帳売り場」と同様に「数多あるアウトライナーのひとつなのだ」と思えるだろう。これが手帳なら「○○手帳」という名称で統一して売り出してくれるのに、デジタルツールはてんでばらばらな名前で出してくるのがそのことを難しくしているように思うが、そこはもうツール好きな人々が複数のツールをセットで語ることで「AとBとCはどうやら同じカテゴリに入る名詞らしい」といったことを浸透させていくほかない気がしている。
 あらゆるアウトライナーについて、それぞれで「このツールの話」として語られていることが結局全部ほぼ同じと判った時、「ああ、この特徴は『特殊』ではなく『一般』だったのか」と腑に落ちるのだろう。

 ここまでの話とは別の話になるが、上述のうちあわせCastで、Logseqでは「日付」が最上位項目であるかのように見えてしまい、日々のページの記述に対して自分で判断するための価値基準などを書くことが意識されない可能性があるというような趣旨の話をされていた(理解が正しいか怪しいので正確なところは是非Podcastを聴いて確認いただきたい)
 このことについてはその通りだなと思うし、これもまた紙の手帳が抱えていた問題でもあったと思う。ただ、近年の紙の手帳はそこに注力しているものが非常に多く、ユーザーが個々に手帳術で対処するだけでなく、手帳自体にそれを解決する手助けの機能が搭載されている。
 では手帳のどこにその機能が搭載されているのか。各ページに工夫がある手帳もあるが、よくあるパターンとしては、本来の手帳機能の手前、つまり巻頭に追加されていることが多いだろう。紙のノートに於ける順番というのは手前か後ろかなので、デジタルツールで言う「上の階層」は「より手前」に位置づけられるのが感覚としては自然に思える。(ただし「より後ろ」にあるものが「下の階層」とは限らない。あくまで「全体に対する一段階メタな記述」はその全体の手前にあるとわかりやすいということだ。)
 更に、最も印象づけたい記述はどこに書くかといえば、手帳術としてしばしば見るのが「表紙をめくった最初の紙面」、つまりちょっと厚い紙になっていたり手帳のタイトルか何かがちょこんと書いてあったり逆になんにも書いてなかったりの、手帳の使用にあたっては意味をなさない感じで顔を出すあの部分である。何を書くべきか全く自明ではない(というかほとんどの人がそこに何かを書く選択肢を思い描きもしない)あの場所に、自分が常々意識していたいことをばっちり書いてしまう。あるいは理想を具現化した写真を貼っておく。(年間カレンダーなどがぴしっと印刷されている場合もある。その場合はポストイットなどでその上に貼ってしまう手もあるだろう。)
 表紙に何かを書いても差し支えないなら、もうめくるまでもないように表紙に書いてしまうということもありうる。もしくは表紙裏を使ってもいい。紙のノート、紙の手帳ならそういう場所が存在している。
 一方でデジタルツールはどうか。Logseqに限らず、「表紙」にあたる部分はほとんどない。アプリケーションの起動時にはロゴが表示され、それがツールとしての表紙であろうが、そこには紙の表紙が担えた機能を一切付与させられない。デジタルツールはどれもリーガルパッドのように「いきなり紙面」のような形である。と言ってもいちいち表紙にあたるページをめくらされるのも煩わしいので、「いきなり紙面」であることが悪いというのではなく、デジタルツールの良いところでもある。ただ、「手前」にあたる場所がない、ということは、メタな記述をする場所として自然なスペースがないということでもある。

 Logseqを手帳的に使った場合にひとつ注意すべきことがあるとするなら、「表紙」「巻頭ページ」がないということなのではないか、と思った次第である。
 これはデジタルツール全般が抱える課題でもあり、そして「重要な記述を一望できるダッシュボード」を用意すればよいというものでもないように思う。「状態を示した計器群」と「本体の記述が始まる前に必ず目に入る紙面」とでは意味もイメージするものも違っているだろう。ダッシュボードはダッシュボードでそれも存在してほしいし、またそれとは別の視点として、アナログでは普通に存在していた「表紙」および「巻頭ページ」の概念をデジタルツールにインストールする術を考えたいと個人的には思っている。
 

2022/06/13

タイムライン型・カード型・デスクトップ型②~デスクトップ型~

 前回タイムライン型・カード型・デスクトップ型①~タイムライン型とカード型を使い分ける~Logseqと自作のカード式アウトライナーをそれぞれ「タイムライン型」「カード型」としてはっきり使い分けることにしたという話をした。タイムライン型とカード型については、前回書いた以上に語るべきことは今のところ思いつかないので置いておくとして、今回はタイトルにあるもう一つの型、「デスクトップ型」ととりあえず名付けたものについて書く。


 デスクトップ型とはつまるところ何を指しているかというと、「ある目的のために、資料を集め、自分で考え、成果物を作る過程で用いるツール」というイメージのものである。仕事用の机の上にノートやファイルや書類や資料を広げて行う類の一連の営為を、デジタルでやろうとした場合に適しているであろうツールということだ。

 なお「タイムライン」「カード」「デスクトップ」の三語は語として指し示すものの種類がバラバラで全く揃っていないので、気になる人もいるかもしれない。
 モノで揃えるならば、「巻物、あるいはずっと書き続けている日記帳」「情報カードまたはルーズリーフ」「卓上のノート・ファイル類」といったイメージなのだが、仮に簡潔に書いたとしても、モノ基準にすると逆に揃っていない感じがする。一方、動詞や形容詞などで命名するとたとえ意味として正確でもイメージがしにくい感がある。
 よって、ここではイメージ優先で「タイムライン」「カード」「デスクトップ」と表記することにする。

 指し示したい像を明確にするために、先にそれぞれの型に対応するツールとして私がイメージするものを整理しておく。

  • タイムライン:Roam Research、Logseq(、Twitter)
  • カード:Evernote、Scrapbox、Obsidian
  • デスクトップ:アウトライナー全般、マインドマップツール、Officeソフト、(おそらく)Scrivener

 いずれも可能性の幅が広い万能なツールなのでどの役割も果たすことができるのであって、「他の用途に向いていない」ということを言いたいのではない。ただし万能な中にも「より得意なこと」があるはずで、その分類を試みるものである。Scrivenerについては、用途からしてそうだろうと思うものの私自身は触ったことがないので「おそらく」としている。

 ざっくり「アウトライナー全般」をデスクトップ型のツールとして配置しているが、アウトライナーというのは極めて万能なツールなので、自分で構造を定義しさえすれば、タイムライン型(日記など)としてもカード型(豆論文など)としても自由に使うことができる。ただ、「自分で構造を定義しさえすれば」というのは、正直なところ相当に難易度が高いことのように思う。絶えずそのことについて考えている人でもちょくちょく構造を改めていたりするし、文句のない正解というものに辿り着くのは容易でない。
 更に、万能で汎用性の高いツールであるということは「特定の用途に特化した便利機能」が無いということでもある。たった1ステップ2ステップでできる処理としても、そうする癖を自分に叩き込む必要があるとすれば、それはそれなりに大変なことだろうと思う。たとえツールの機能として搭載されている処理を実行するのと同じくらい手間が少なくても、そうする必然性というのがツールの側にあるのと自分の中にしかないのとでは、場合によっては認知資源の消費に少なくない差を生む気がしている。
 スクリプトを書ける人は、自分に習慣づけるのではなく「見ればわかる」形で処理を用意することも可能だろうが、そういう人が多数派とはとても思えないので、そのような高度な手段はとりあえず選択肢から外して考えることにする。(ちなみにそれができる人はDrummerというアウトライナーを使えば面白いかもしれない。)
 よって、ここでは一般的なアウトライナーを「タイムライン型」や「カード型」のツールとは見なさず、より適した用途である「デスクトップ型」として位置づけて考える。

 さて、はじめにデスクトップ型とは「ある目的のために、資料を集め、自分で考え、成果物を作る過程で用いるツール」を指していると書いた。
 最も重要なのは、何らかの目的があるということだ。仕事にしろ執筆にしろ勉強にしろ、目指す先がどこかにあり、そこに向けて進んでいくことになる(行き先が途中で変わることはあり得る)。そのために必要な資料や思索が如何に膨大であったとしても、目的に向けて進むためのどこかの箇所にはそれを位置づけることができるであろう。
 一方カード型ツールは、もちろん目的のために情報を集めたり思索して書いたりということはあるわけで、その意味でデスクトップ型ツールと密接に結びついているが、しかし常に目的があってカードを作るわけではない。使い途は決まっていないが重要なもの、というのが日々発生する。後から目的が定まって、このカードはその目的のために使えると判断されるパターンがとても多い。このことにより、どこにも位置づけない状態で保管・整理できる必要があるのである。

 目的に向かうためには、一度にできることはひとつである点で時間の流れというリニアな縛りへの対処を考えなくてはならない。一方で、何をしなければならないかを考えるには、同時に存在する物事や概念を俯瞰する必要もある。これを「縦の視点」と「横の視点」などとするとなんとなくビジネス感が漂うが、とはいえその二つが目的を達成するにあたり必ず要求されるものと思う。
 先にデスクトップ型ツールとしてアウトライナー全般、マインドマップツール、Officeソフトを挙げた。Officeソフトという括りは大雑把だが、ここでは要するに「視覚的にわかりやすい、『紙面』の概念のある資料を作るもの」として捉えている。A4紙に印刷するとか、縦横が決まった範囲にプロジェクターで表示するとかいうことだ。Excelは表計算ソフトであるから本来そういう用途のツールではないが、表の作りやすさゆえに書類作りに使われることも多いだろう。なぜExcelでそういうことをしたいかといえば、物事の認識のために何かのツールでそうする必要があるからである。
 アウトライナーは上から下へとリニアに並べるものなので、縦の視点での俯瞰に適しているだろう。その「上から下に並べる」ということに対してもし「リニア」ではなく「フラット」と感じるならば、必ずしもそこに順番を意識しないかもしれないが、意識的に順番をつけるとなればやはり「上から下に並べる」のが自然ではないかと思う。
 一方、同時に存在するものを俯瞰するにあたっては、視界に入る範囲を十分に生かして「面」の形にして横方向にも情報を配置した方がわかりやすいように思う。必ずしも紙面のように範囲を制限する必要はないが(そうした方がいい場合とそうでない場合がある)、ひと目で全体を見渡せるように情報を置くことによって俯瞰は可能になるだろう。
 例えばTransnoというアウトライナーでは、アウトラインからマインドマップを作ることができる。そこにある情報としては全く同じなわけだが、そのように配置を変えることで認識できるものが違ってくるのである。
 とはいえ、「上から下に並べる」ということや「視界に入っている」ということに対する感じ方というのは思いの外多様のようであり、絶対に「面」でなければならないという話ではない。アウトラインの形でも「横の視点」として普通に認識できる人もいるし、その場合はアウトライナーだけで全てを完結させられそうだ。
 アウトライナーの向き不向きも含めて語りたかったので少し話が煩雑になったが、重要なのは面かアウトラインかということではなく、何かの目的に向かって事を進めるならば、面にしろアウトラインにしろ「縦の視点」「横の視点」によって物事を俯瞰する必要があり、そのために私達は種々のツールを使っているということである。それは「タイムライン型」「カード型」の役割とは異なるもので、適切な既存のカテゴリがわからなかったのでこれを「デスクトップ型」とした。「プロジェクト型」とも言えたかもしれないが、先日タスクとプロジェクトを考えるでも書いたように「プロジェクト」という語自体が曖昧に感じるのでその呼称は避けた。

 こうしてみると、月並みな話ではあるが、「タイムライン型」「カード型」「デスクトップ型」はそれぞれ「現在」「過去」「未来」に対応しているようにも思える。「今まさに起きていること、今まさにやろうとしていること」のメモのためにLogseqを使い、「今までに知ったこと、考えたこと」の保管のためにScrapboxを使い、「これから成さんとしていること」のためにWorkflowyを使う、というような使い分けがあり得るのではないか。
 ひとつのツールでその全てをまかなうことも不可能ではなく、それができるだけの懐の深さを昨今の情報管理ツールはいずれも備えている。ただ、「今まさに」と「これまでの」と「これからの」というのは、同時にそれぞれから記述を取り出して考え事をするというようなことが頻繁に起こるため、ひとつのツールの中で行き来するより、一度に別画面でそれぞれを開いておけた方が便利のようには思う。それぞれに必要な処理も違っているので、それぞれ適した機能を持つものに担わせた方が楽に感じることもあるだろう。
 他方、情報の分散を防ぐためにひとつのツールにまとめようというのも至極合理的な判断であって、使い分けはすべきともすべきでないとも言えない。

 ただ、ツールを使い分けるにしろひとつにまとめるにしろ、そのツールで今自分がしようとしていることにはおそらく種類というものがあって(私の中のそれが「タイムライン型」「カード型」「デスクトップ型」ということである)、それを自覚していた方がツールの活用に於いて混乱は減るのではないか、と思っている。
 私個人の話をすると、前回書いたように「タイムライン型」と「カード型」をそれぞれLogseqと自作のカード式アウトライナーに担わせると決め、その結果少し前までメインに使っていたDynalistが暇になった。ずっと使ってはいるもののあれこれやらせすぎてどうにも使い方として納得できていなかったのだが、「タイムライン型」「カード型」の役割をDynalistから引き上げることで「デスクトップ型」の拠点としてスッキリと使えるのではないか、と期待しているところである。
 

2022/06/07

タイムライン型・カード型・デスクトップ型①~タイムライン型とカード型を使い分ける~

 最近LogseqのAndroid版を活用し始めた(参考:Android版のインストール - Logseq日本語マニュアル(非公式))。Logseq自体は結構前にWeb版を使っていた時期があるが、今再び使い始めて、以前には見えなかったことが見えてきたので整理したいと思う。(Logseqの具体的な使い方の話というわけではありません。)


 前にLogseqを使っていた時と今とで決定的に違っているのは、自分でツールを作るようになったという点である。誰かが作ってくれたツールを眺めて「このツールでできること」を察してそれに適応していく、という在り方ではなく、自分の中を眺めて自分に必要なことを見出してそれをツールにする、というのが現在の自分にとって標準の思考回路になっている。ツールがなければ作ればいいので、無理して既存のツールの力を引き出そうとかいうことはしなくて良くなったということだ。(とはいえ理想のツールを自在に作れるほどの力があるわけではない。)
 その結果、各ツールについて、「最も向いていること」だけをそれに担わせればいいや、というふうにシンプルに考えられるようになった。他の形態の方が良さそうなことまでもを頑張って兼ねようとしたり、更にはオールインワンを目指したりという気持ちが薄くなった。また、各ツールで作られるデータをそれぞれ何らかの形でエクスポートさせてもらえるならば、プログラムを介してどうにかすればおおよそ統一した形式のものに作り替えられるだろうという発想も生まれた。実際にそういうプログラムを書いたわけではないが、「いざとなればどうにかなるだろう」という余裕はツール選択を自由なものにさせてくれるという実感がある。

 前回、「カード式アウトライナー」を作ったということを書いたツール製作日誌:カード式アウトライナー①機能説明編。情報の単位は「カード」で、分類ごとのカードボックスに整然とカードが並んでいるような見た目になっている。(他方、例えばScrapboxはそういう形で「整然と並ぶ」ということがないので、「カード式」と言ってもそこには大きな違いがある。)
 これを作ったことで自分の中ではかなり多くのことに整理上の片がついたのだが、一方でこの形式ではどうしてもやりにくいことというのがある。時系列と密接に関わる情報、ひとことで言えば日記的な記述の扱いである。
 日記帳は「日記帳」であり、「日記カード」という言い方は耳にしない。カード状にすることにあまりメリットがないのだと思う。日々のトピックをカード状にして記録するというのはあり得るが(私も実際にScrapboxでそうした時期があったが(デジタル日記の試み①~Scrapboxに日記用プロジェクトを作ってみる~)、何月何日という日単位のカードを作ってもそれを有効に使える場面は想像できない。Scrapboxに何度かそういう単位のページを作って失敗に終わった経験がある。
 それにもかかわらず、なんとなくそういうことをしたくなるというのを過去繰り返してきたのだが、その原因というのは「この日」「この出来事」「この記述」を指し示して取り出せる形式であってほしいからではなかったかと思う。シンプルなプレーンテキストや紙の日記帳だと、後から「あの記述」と言って特定箇所を指し示してリンクさせることが難しい。「あの種類の出来事」をピックアップするのもやや面倒である。プレーンテキストならgrep検索という手はあるが、あくまで行単位であってこちらのイメージするブロック単位でぽんと出してくれるわけではないので、検索結果の表示にはどことなくもどかしい感じがする。ツイート検索のようなことがなかなかできないのである。
 そこに革命的な発想をもたらしたのがRoam Researchだったのだろうと思う。特別な独自ルールによる工夫をあれこれ凝らさなくとも、直感的に「後から見返しやすいデータ」を作ることができる。
 Roam Researchはデイリーページがシームレスに一続きに表示され、且つリンク型ネットワークを構築でき、更に各ページで「このページに対する言及」を確認できることで、「あの記述」「あの種類の出来事」を指し示したり取り出したりすることがごく容易にできるのだ。すごいツールが現れたぞ、と当時は思ったものである。

 しかしながら、これはすごいぞと思ってRoam Researchや(その影響を受けていることが明らかな)Logseqを使ってみたものの、当時はそのすごさをうまく活かせなかった。大方「全部を担わせようとした」ということが原因だが、すごさに夢を見過ぎるあまり、情報の質というものの区別を付けられなくなっていたようだ。
 思索の根幹について文章を用いて使い回しのできる単位でまとめたものを豆論文(梅棹忠夫による)とかアトミックなノートと言ったりするが、そういうものの「小さな塊」の感じと、日々の出来事や自分の気持ちなどを「これ」と指し示せる形でまとめた時の「小さな塊」の感じを、どうも混同してしまっていた。両方とも「小さな塊」であることには違いないが、後からそれらの記述にアクセスする時、前者は「繰り返し使うもの」として取り出し、後者は「事実を確認するもの」として取り出す。そこには、粒度がある程度小さいということくらいしか共通点はなく、それらを交ぜてしまうのはビー玉と大豆を同じ袋に入れておくようなものに思える。
 同じ袋に入っていても工夫次第ではうまく分けて扱うこともできるため、この混在がただちに悪ということではないが、この状態に対して無自覚でいると「なんか微妙」などと言ってよくわからないままツールからフェードアウトしたりするおそれがあるように思う。

 とりあえず私自身のことを言えば、「ツールをひとつにまとめたい」と思うあまり一箇所にごちゃごちゃ集めがちな一方、その割に混在した状態を好ましく思わないタイプのようである。その矛盾はScrapboxとの格闘にも現れていることだが、冒頭に書いたようにツールの自作の試みを通して「理想の(あるいは自然な)区分」を突き詰めて考えるようになったことで、「ここには必ず線を引くべき」というところが見えてきた。
 その線のひとつが、「カード(≒思索・引用)」と「タイムライン(≒日記的な記述)」の区分である。
 その両者が性質的に異なるのはもはや当たり前のことかもしれないが、種々のアウトライナーにしろScrapboxにしろEvernoteにしろ、何らかの万能なデジタルツールをメインの拠点として考えると、書き手が自分一人である以上必然的に交ざってしまうように思う。ツールの設計として、そこに当たり前に線を引くようにはできていない。境界を設けるかどうかはユーザーの意思にかかっている。私には「絶対に交ぜない」というくらいの強い意識が必要で、各ツールについて「最も向いていること」だけを担わせようと思えるようになって初めてそれが可能になった。(普通にできている人は最初から何も迷うことなくそうできているのだと思う。)
 ということで、カード型の記述は自作の「カード式アウトライナー」に、タイムライン型の記述はLogseqにするとはっきり決めることにした。Logseqはカード型の記述もうまくできるようになっているが、兼ねられるからといって兼ねてしまうと遅かれ早かれ混乱が私を襲うので、敢えて機能を活かしきらないという決心をして日誌欄のためだけに使うことにする。逆に「カード式アウトライナー」については、一瞬気の迷いを起こして「一週間の俯瞰モード」などを実装しようかと考えもしたが、そういうことは一切やめて、カードをカードとして使うことに集中する。

 まだ「そうした方が良さそうである」という段階で、この決心が正解か否かはもう少し経ってからでないとはっきり判らないが、これまでに情報管理の在り方を考えた時と比べて強い確信を持てているような気がするので少し期待している。

 タイトルにある「デスクトップ型」については次回。
 

2022/06/02

ツール製作日誌:カード式アウトライナー②背景説明編

 自作の「カード式アウトライナー」についての製作動機・思想説明編。ツール自体についてはツール製作日誌:カード式アウトライナー①機能説明編をどうぞ。


 前回の記事で画面上の要素にひとつひとつ言及したが、肝心なのは「分類と日時で機械的にツリー構造にしたリスト」と「(プロセス型の)アウトライナー機能を含むカード」の二つで成り立っていることである。Evernoteの本文部分がアウトライナーになっているようなものかもしれない。

画像

 これは全体としてはTak.氏の言うプロセス型アウトライナーでもプロダクト型アウトライナーでもない何かであり、そのどちらにもうまく馴染まなかった私が本当に欲していた形式がおそらくこれである。(参照:【基礎講座3】プロセス型アウトライナー|Tak. (Word Piece)|note

 Dynalistを使っていても、あるいはScrapboxを使っていても、結局「混ざってほしくない」ということから「分別」というものが発生して、形式的に分けられたツリーやタグが生まれることになった。混ざってても検索すれば取り出せるじゃんという「合理的な考え方」は「混ざってほしくないという気分」に対しては何の薬にもならないので、「混ざらない」ということが自然に成り立つツールを考える方が結果的に合理的な解決策になったようである。
 そもそも混ざるとか混ざらないとかいうことを考えることになるのは、内容がある程度以上に雑多だからであろう。つまり、アウトラインというものの主目的である「文章を書く」こと以外の情報が多く含まれている状態である。アウトライナーやScrapboxがあらゆる情報に対して威力を発揮するがゆえに、何でも混ざることになる。そうして目的を異にするものが混ざり始めると、積極的にそれらの同居を認めない限り、分類を作って区分したくなるものだろうと思う。
 なお、この「カード式アウトライナー」では、本になるくらいの長い文章を書くために使うことは想定していない。ブログ記事程度なら支障なく書けるが(実際にこの中で書いている)、カードボックス内ではカードは作成日時順に並んでしまうし、章立ての順番を組み替えながら考えるという用途にはあまり向いていない。リンク機能はあるので章立て検討用のカードを作って考えることは可能だが、わざわざこれでやらなくてもという感は否めない。普通に、既存のアウトライナーを使えば良いと思うし、これ以上規模の大きい文章を書く際にはそうするだろうと思う。

 切り口を改めつつ整理すると、まず自分がアウトライナーを使おうとする時には大きく分けて二つの目的、つまり「あらゆる情報を保存し、把握する」と「文章を組み立て、実際に書く」とがある。(タスク管理には元々あまりアウトライナーを活用していないので今回は言及しない。)
 前者についてアウトライナーを使いたくなる理由は、「ツリー状に整理し、一覧できる」というところにある。それは表示の問題なので、必ずしもその構造の全てを手動で作る必要はない。更に、構造が複雑化してくると「どこに配置すべきか」という「位置」を探すのが億劫になるので、だんだんアウトライナーで継続するのが苦しくなってくる場合が多い。一方Scrapboxはその「位置を探す」という手間を一切なくすことに成功しているが、もし「分類」をしたいとなったら逆にやりにくい。分類しない状態で機能するように作られているツールなのだから(すごいことだ)、それはある種当たり前である。
 後者についてアウトライナーを使いたくなる理由は、章立てやパラグラフなどを、自由に組み替えて考えられるからである。いわゆる「分類」はほぼ必要がない。内容をまとめてブロックにしたり、そのブロックを解体して作り直したりということをしたいのであって、構造はそれほど複雑化しない。新たに何かを書き込むという時、それを配置し得る場所はそんなに広範囲にはならず、「探すのに苦労する」ということはまず起こらない。大抵の場合、「ここ」に書きたいという思いがあってそこに書くのである。

 こうしてみると、前者と後者では必要としている要素が全く異なることがわかる。
 前者はそもそも「ツリー」にしたいのであって「アウトライン」ではないかもしれない。しかし「ツリーを作れるツール」として身近で簡便なのが現状アウトライナーなので、ツールを選ぶ際にはアウトライナーが第一の候補になる。ただ、ツリー構造を作るのは簡単だが、それを維持・成長させることにアウトライナーが向いているとは限らない。枝葉の先ひとつひとつを自力で見回ってケアすることになってしまうからだ。
 後者についてはアウトライナーが文句なく適任である。なにしろそのためのツールなのである。
 つまるところ、私としてはこの前者の用途専用のツールと、後者の用途専用のツールがそれぞれあってほしかったのだ。後者については既存のアウトライナーが既に十分な機能を備えており、新たに開発する必要は感じていない。問題は前者であり、それはプロセス型にしろプロダクト型にしろ既存のアウトライナーの延長で考えていても多分納得できる日は来なかっただろうと思う。他方、EvernoteやObsidianなどのツールだと一覧部分の自由度が足りず、見た目もあまり自分好みではなく、自分にとって理想的な表示にならない。今回、自分なりに「正解」のひとつを具現化できたかもしれないという気がしている。
 情報を書き入れる場所は常に「画面の右半分」という一箇所であり、カードの「位置」というのは「どの箱に入れるか」を分類で選択して決めるのであって、置かれる場所を探しに行く必要はない。分類でツリーが構築されるのはObsidianでのタグ機能と似ているが、より「箱に入れている」というイメージを強化し、また自分に必要な情報を付けたり、表示条件を細かくしたり、アウトラインの中身をその場で確認できるようにしたりといった工夫を加えることで、だいぶ違った使用感になっている。

 今回の主題からは外れるが、自作ツールのメリットとして、必要な機能は自分で作って搭載してしまえばいいというのは大きい。基本にある発想がアウトライナーだとしても、全然アウトライナー的でない機能を組み込んでも構わないわけである。
 プラグインという形でカスタマイズができるようになっているツールは様々あるが、プログラマーでない身でそれを実践するのはちょっと容易でない。スキルがあればObsidianやVSCodeなどをカスタマイズして自在に理想の環境を作れるのかもしれないが、自分で作る以前に誰かが作ったプラグインの挙動を理解するのも覚束ない有り様である。イチから自分で素朴に作っていれば、変なところに変な機能を入れてもいいし、自分の手に負えるコードしかそこにはないので、カスタマイズの難易度も下がる。
 ちまちまと進化させて、そのうち自分の脳にぴったりと馴染んだ唯一無二のツールを作れたら良いなと思う。
 

2022/06/02

ツール製作日誌:カード式アウトライナー①機能説明編

 ここ半月ほど、新しいアウトライナーの製作に取り組んでいる。Twitterでは時々それについて呟いているのだが、これと指し示す呼称がなく「今作っているアウトライナー」とか「(引用ツイート内の)これ」とかいう形で呼んでいてもどかしくなってきたので、ズバリ指し示せるように一度記事にしておきたいと思う。


 まず見た目はこんな感じである。

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 このツールを一言で表すなら「カード式アウトライナー」だと自分では思っている。というのは、データの基本単位を「カード」とみなし、以下の3つのことを軸にしているからだ。

  • カードは、分類と作成日時によってアウトライン状に整列する
  • カードの中にアウトライナー機能がある
  • カードの中のアウトライン項目を、付箋(≒小さいカード)のように平面に自由配置できる(未実装)

 三番目はまだコードを練っている途中なのだが、そう遠くないうちに実装するだろうと思う。このように「カード」と「アウトライン」をいくつかの観点で結びつけているものなので、自分の中では「カード式アウトライナー」ということにしている。

 作った理由や背景にある考えを語る前に、一体これは何でどう動くものなのかを具体的に書いておきたいと思う。バックグラウンドは記事を分けてツール製作日誌:カード式アウトライナー②背景説明編に書くことにする。

 まず、右ペインでカードの作成・編集をする。上部のInfo欄はメタデータの記入場所で、折り畳むことができる。

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 記入日時は、新規作成時に自動で現在日時が設定されるが、自由に変更できるようにしてあり、過去や未来の日時にしたい時にも困らない(そうしたいことは数十件に一件あるかないかという頻度だが、やりたい時にできないと地味に困る)
 用の済んだカードはアーカイブにチェックを入れれば左ペインの一覧から非表示にできる。
 大分類・小分類・件名と三段階の分類がある。ただし、これらは「混ざると気持ち悪いものを混ぜない」「頭を使わずに探し出せるようにする」という為に設定するものであって、図書分類のように内容の種類によって分けるとかいうことではない。後からアクセスする可能性が高くないものは、大分類に「タイムライン」、小分類に「感想」を指定して「とりあえず作成日時順に並べれば目に入る」という形にしている。
 大分類と小分類の選択肢は右の編集ボタンで追加・編集でき、設定は必須にしている。
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 件名は空でもよく、過去に使った件名は記入欄をクリックすればサジェストされるようになっている。大分類・小分類が一致しているものがリストの上部に並ぶが、他の分類で使ったものも文字色を薄くした状態で並べるようにしている。
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 タグ欄は欄があるだけで使用していないが、「のらてつの茶の間」というミニブログの編集をここでやってしまおうかと考えており、その時に必要になる予定である。

 Info欄の下がカードタイトルで、その下がカードの本体部分となるアウトライナー機能である。(スクリーンショットはこの記事を書くにあたって作ったアウトライン状のメモ)

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 アウトラインとしての表示、折り畳み、並べ替えができるので、【基礎講座1】アウトライナーを定義する|Tak. (Word Piece)|noteに示されているアウトライナーの定義は一応満たしているだろうと思う。ズーム機能は無いが、個々のカードが京大式カードくらいの粒度をイメージしたものなので、これ以上のズームは必要としていない。
 アウトライン内にユニークIDの形またはカードタイトルの形で書くと、そのカードのタイトルとアウトラインが下部に構築される。そしてCtrl+クリックでそのカードを開く。今開いているカードが他のカードでリンクされていれば、そのバックリンクも下に並ぶ。また、それぞれのカードだけでなくその中のアウトライン項目にも全てユニークIDが設定されており、あるカードの特定のアウトライン項目に対するリンクも貼ることができるようにしてある。
 今のところはカードAの中にあるアウトライン項目をカードBに移動するというような機能は付けていないが、やろうと思えばどうにかなるので、まあ必要を感じたらそういうこともできるようにしたいと思う。ちなみにグループ化機能(指定した一つ以上の項目を子項目とする親項目を生成する)は実装してある。
 一番下はノート欄になっている。アウトラインではなく普通に文章で書きたい時はここに書く。欄は狭いが文字数制限はない。

 左ペインは謂わばカードボックスになっている。並び順は分類と作成日時(自由に変更可)に依存するが、何を表示するかというのは色々と条件を設定できる。

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  • 期間を自由に指定できる。今日を基準にして一週間以内というような基本的な設定はドロップダウンリストで選択できる。
  • 降順か昇順かを指定できる。
  • 大分類のうち、表示するものしないものを指定できる。
  • キーワードでフィルタリングできる。今のところ一語でしか検索できないが、代わりにどの属性の値かを指定できるようにした。無指定なら全属性を検索する。
  • アーカイブ送りにしたカードの表示・非表示を選択できる。
  • フラットモード(大分類ごとに分けず、作成日時順にリスト状に並べる)を選択できる。
  • タイムライン項目は小分類で階層化するか否かを指定できる。
  • それ以外の分類は、件名での階層化、年月日での階層化をするか指定できる。

 これらの指定によって今の自分の気分・関心に合わせた表示をできるようにしている。
 そして並んだカードのタイトル左の「▶」をクリックすれば、そのカードのアウトライン欄の中身を確認することができる。カードボックスなのではあるが、アウトライナーっぽい見た目にもなる。(編集できるようにはしていない。)

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 なおフラットモードに設定すると以下のようになる。階層化はされなくなり、作成日や分類は少し主張を抑えた形でタイトルの上に表示される。タイトルの[]内には、ひと目で種類が判るように小分類と件名を表示している。
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 機能を書いておかないとどういう発想でできているものか伝わらないだろうと思ってとりあえず基本的な機能を駆け足で記載した。工夫の産物みたいなものはまだ他にあるが、ツールの説明をしたくて書いているのではないので省略する。

 なお、スクリーンショット内にあるように、自分ではこれを「Protean Outliner」と名付けて呼んでいる。読みはプロティエンアウトライナーということになろうか。左ペインの並びを条件次第で色々に変えられることから「変幻自在」的な意味をつけたいと思い、ちょっと調べて出てきたのがこの語で、多分日常で使うことはない文語であろうと思うので固有名詞っぽくするには良いかなと思って選んだ。
 普段Twitterなどで指す時には「(自作の)カード式アウトライナー」というような形で書くことにしようかと思う。

 続きはツール製作日誌:カード式アウトライナー②背景説明編へ。
 

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