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Scrapbox
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- Scrapboxにつくる索引
- がらくた箱と宝石箱
- ScrapboxとObsidianの個人的使い分け(2024年版)
- がらくた箱と知の箱
- Scrapboxの「新規作成ボタン」を非表示にした
- 【こういう】Scrapboxのページタイトルはスレタイ風に隅付き括弧を使うことにした【形式】
- NTA-DIY:余談①~ScrapboxとGitの貢献~
- NTA-DIY:1ヶ月目⑧~ScrapboxのUserScriptを作ってみる~
- ツールを「使いこなす」という余計な構え
- 「いずれでもない」の受け皿としてのScrapbox
- Scrapbox日誌:「整理したい病」には「放置」が効いた
- デジタル日記の試み①~Scrapboxに日記用プロジェクトを作ってみる~
- 【Scrapbox】タグは「タグです!」とわかるようにするといいかも
- Scrapboxのページは三種類――タグ・キーワード・個別記事
- 貧乏性の私はEvernoteの活用に失敗し、やがてScrapboxに出合った
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「Scrapbox」タグの記事一覧
がらくた箱と宝石箱
Scrapboxで自分が扱っていたものはつまり「がらくた箱」なのだ、ということを「賢くなる」と情報ツールの位置関係で見出してから整理を進めてきたわけだが、自分の関心に関わることでもうひとつ考えるべきものに思い当たった。「がらくた箱」に対するものとしての「宝石箱」である。
ScrapboxとObsidianの個人的使い分け(2024年版)
他の年の記事があるわけではないが、「今思っているだけに過ぎない」という意味で「2024年版」としておく。過去に断片的に書いた見解とは大きく違っている可能性がある。
がらくた箱と知の箱
「賢くなる」と情報ツールの位置関係で、「がらくた箱」と「賢くなる」ための情報ツールについて書いた。
何度も考えたような気はするのだが、なんとなく曖昧になってきていたので今この違いに気づきを感じている。
Scrapboxの「新規作成ボタン」を非表示にした
最近Scrapboxの使用頻度が上がっている(逆に言うと少し前までちょっと下がっていた)。
その理由のひとつはUserScriptの工夫で、簡易ながらエイリアスを実現するなどしてページへのアクセスを自分なりに自由にした。それが使いやすさの向上に大きく寄与している。
もうひとつの理由は「新規作成ボタン」を非表示にしたことだ。
【こういう】Scrapboxのページタイトルはスレタイ風に隅付き括弧を使うことにした【形式】
ここのところ、未だかつてなくScrapboxを盛んに使っている。といっても非公開の個人プロジェクトの話だが、きっかけがあって劇的に使いやすくなった。
NTA-DIY:余談①~ScrapboxとGitの貢献~
最初の一ヶ月について十本かけて書いてきました。(もう一本書くつもりでいたので締め的なことを書きませんでしたが、一ヶ月目については前回で終わりです。)
一年も前のことですが、比較的解像度高く書けたのではないかと思います。もう少し細かく書きたい気持ちもありましたが、費やせるリソースはこれが限界と思いちょっと駆け足になりました。
NTA-DIY:1ヶ月目⑧~ScrapboxのUserScriptを作ってみる~
ブックマークレットが作れるようになったので、今度はScrapboxのUserScriptに挑戦することにしました。
ツールを「使いこなす」という余計な構え
一ヶ月ほど前に、最近Scrapboxを自然に使えるようになったという記事を書いた。(「いずれでもない」の受け皿としてのScrapbox)
今回は、要するに何が私を邪魔していたのか、ということについて考えようと思う。
「いずれでもない」の受け皿としてのScrapbox
去年まではScrapboxに入れていた情報のかなりの部分を、ここ数ヶ月で自作のツールに移した。その結果、Scrapboxを使うということの自由度が上がった。
Scrapbox日誌:「整理したい病」には「放置」が効いた
複数の情報を扱う時、何かしらの観点で括れそうな気がすると括りたくなる。
物事と物事の間に共通点や相違点を見出すことは理解の基本であって、見出した瞬間には脳内に快感物質が出ている気もする。括れるところで括り、分けられるところで分けるのは気持ちが良いのである。
それは同時に、括れるはずなのに括れていない、分けられるはずなのに分けられていない、という認識が自分を不満にさせる可能性も示している。