SPEEDの「Wake Me Up!」に以下のような歌詞がある。(1997年、伊秩弘将作詞)
シャワー浴びて メイクして ラズベリーのパン 頬張って ダッシュで行けば いつものに間に合うよ
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例によって小中学生の女子にとっての背伸び感が漂う言葉づかい。
「ラズベリーのパン」はさすがに狙っていてあざといなと思うし(ラズベリーのパンってそんなに見かけない)、まずそこに注目してしまうのだが、よくよく考えると「シャワー浴びて」も絶妙だ。
というのも、まあ今の子どもの生活がどうなっているのかはわからないが、おそらく基本的には子どもにとって身を清める時間は「親が用意してくれたお風呂」であり、多くは親に促されて(しばしば嫌々に)こなすタスクだ。
しかし高校生以上になると、自分の好きな時に勝手にシャワーを浴びるという選択肢が出てくる。家族の都合と合わせなくてはいけない風呂とは違って、シャワーは(禁じられない限りは)いつでも構わないのだ。入れと人に急かされるのではなく自分でタイミングとやり方を決定するのがシャワーである。お湯はりを待つ時間が要らないという意味でも縛りがない。
しかも朝に浴びるとなれば、それはかなり能動性が高い行動だと感じる。まあ前日のうちにやらなかったから先送りして朝になっているかもしれないが、それも含めて自分の選択である。そういう自由が「シャワーを浴びる」という行為に伴っている。
そんな感じで、「シャワー」「メイク」「ラズベリー」と背伸びワードが三連発で続くのだが、その後に「ダッシュで行けば」と来る。ダッシュ! これはなかなかすごいと思う。
「ダッシュで行く」は実際に使っている年代に割と幅がある表現に思われる。小学生に始まり二十代三十代くらいは使っているんじゃないか。もっと上でも何気なく使っているかもしれない。でも言葉の響きとしてはやはり小中高あたりの語彙だろう。ただし子ども限定の語彙ではないことが重要である。
実際に使っていて馴染みがあり、かつもう少し先まで使えて爽快な動詞。これが「駆ける」とか「急ぐ」じゃあいまひとつなのだ。お行儀良くなりすぎて「自分たちの歌」感が減じる。そちらの方が別種の背伸び感はあるかもしれないが、この曲ではスマートさではなく「自分で自分の一日を決めるぞ」という方向の背伸びを描いているので、やはりここは「ダッシュで行けば」が良い。
聞いていた当時は違和感がないゆえに特別何も感じなかったことが、今振り返ると如何に巧みに計算された結果のものであったかに気がつく。計算と言っても必ずしも理数的なイメージではなく、あくまで感覚的なものかもしれないが、とにかく「適当ではない」ことははっきりしている。
ちなみに後年のセルフカバー版はとてもおしゃれ。