ブログを無理なく書けるようになろう、という話の第十四回。このテーマでは一年四ヶ月ぶり。
今回は、SNSに投稿しようと思って書き始めたものの考えが深まりすぎて「後で文章にしよう」と思って取っておいて結局書かない問題について。
「後で書こう」と思って書かないということについては過去にも考えたことがある。
これらのことと部分的には重なるが、ちょっと違う問題でもある。今までの問題は「後で書けそう」と思ったネタをいざ書こうとしても書けないというところに悩みがあった。
今回のは、既にある程度書けていてそのまま書いていってもよかったものを、「今はSNSにいるから」という判断によって後回しにして、それが結局放置されるという問題である。放置の仕方によっては文脈を失うなどして頑張っても続きが書けなくなるという問題も伴うが、そもそも書こうという気を起こしていない、存在を忘れている、ということがまずある。
このようにして、絶対に文章になったはずのものが結構な量失われている。もったいない。自分の発信として形にならなかったのももったいないが、それ以上に深められた考えを深めずに終わってしまうことがもったいない。
放置の理由
放置してしまう理由は案外複雑なように思える。
まずなぜ書くのをやめてしまうのか。
SNSに流すには相応しくないと判断した
長すぎる
重すぎる、攻めすぎている
大事すぎる
書き続ける用意がない
スマホでSNSを見ていた
時間がない、より優先度が高い仕事がある
今SNSに流れている文脈に乗る方が大事
そしてなぜ再開しないのか。
切実さがない
- そもそもSNSに流すのでいいやと思って書き始めた内容だから書かなきゃ書かないでいい
内容の位置づけが曖昧
- 普段投稿している文章との繋がりが薄い、投稿するイメージがしにくい
SNS用文章から記事用文章へのモードチェンジが億劫
既に時間が経って解像度が下がってしまった
- 下書きの保存方法が適切でない
こういった小さな複数の理由が重なって、なんとなくやめてなんとなくそれっきり、ということになっていく。
SNSというレールに乗らない荷物があり、それを流すべき別のレールが作られておらず、どこにも繋がらない仮倉庫にただただ積んでいくしかない状態。仮倉庫の膨張が漠然と気になってはいるが、どんなレールがあればいいかがわかっていない(考えてすらいなかった)。
上記の理由を細かく見ていくと作るべきレールの形が見えてくるかもしれない。
SNSにはそのままは出せないとか、今はその続きを書いていられないという「中断する理由」の方は、それはどうしようもないことだろう。なんとしてもSNSに投稿したい、SNSが主戦場である、という場合にはSNSに出せるように工夫するという道もあるが、個人的にはそういうタイプではないのでSNSに書きにくいと感じたものはさっさと撤退でいい。
なので考えるべきは、保留にしたものをどこに向けてどういう形で流してそれをいつ拾うかである。
目的意識の問題と必要な工夫
まず目的意識が薄いという課題がある。別に言わなくていいことなのだ。しかし、言おうとしてみたらすごく重要な気がしてきたから後で深めたいと思った。けれども元々言わなくていいことだったからその後再び取り上げる機会がない。そうしてその多くを単純に忘れてしまう。
これには二つのアプローチがあるかもしれない。ひとつは目的意識を高めること、もうひとつは目的意識に依らない道を作ること。目的意識が薄いことで困るのは、思索の俎上にそれが再び乗らないということにあるので、目的意識がそれほどなくとも俎上に乗るようにすればいいわけである。
目的意識を高めるには、自分の「もっと考えられそう」という感覚をそこで手放すのが非常に大きな損失になることをリアルにイメージすることが必要な気がする。例えば、毎日絶対一本記事を投稿しなければならないとすれば、考えられそうなことをみすみす逃してしまうとネタが足りなくなって切実に困ることになるだろう。実際に自分にそう強いるのはストレスが大きいし粗製乱造になるおそれもあるから慎重になるべきだが、何かしら機会損失を意識することが「まあいいか」という怠惰を減らすことに繋がるだろうとは思う。
これは意識改革の領域だが、そうではなく、仕組みとして思索の再開を促す方法もあるだろう。下書き送りになったものが、次にできた暇な時間にスッと目の前に出てくるみたいなのが理想だ。時間を置いてしまうとうまく進められないので、「過去の蓄積の中からランダムでピックアップ」式よりは「今日の思いを今日かたちにし終える」のを滑らかにする何かがあったほうが(少なくとも私には)よさそうだ。
そう考えると、デイリーノート内で書いてしまうのが簡単だろう。下の方に作業場を用意して、SNSにポストしようとしたけどやめたようなものをそこにどんどん貼っていく。仕事中はそれは画面外にあり、暇ができたらスクロールして表示して書き進める。
メモ置き場にするとメモのまま残ってしまう。なので文章を書くモードになれるかどうかが重要だ。箇条書きスタイルではなく普通のテキストを書ける形のほうがいい。アウトライナーでは駄目とかいう意味ではなく、アウトライナーでも普通のテキストを書くように書けばいい。(実際この文章はアウトライナー上で書いている。)
場を工夫しても全部は書けないだろう。それは仕方がない。近い休日などに見直してケリをつけていくために途中になっているものにはタグを付けておくといいかもしれない。しかし全部は書けないものと考えたほうがいいだろうし(他にやることはいろいろあるのだし)、心構えとしては「全てを失うままにしない」のが大事で、少しでも書き進められる可能性を上げられたらそれでいい。
公開する場と文体
書く動機づけや場の整備ができたとしても、それだけでは捗らない可能性もある。「SNSに書こうとした」というのが少なくとも二つの意味で文章化を難しくしている。
まずひとつは、本来自分が文章を投稿している空間に現状その内容がはまらないかもしれないということだ。自分のブログなどのテーマと合致しているなら、それは最初からブログの記事にしようと思うだろうし、ちょっと考えればそのくらいの文量に膨らむはずだという予想もつく。しかしそうではないのでSNSに流そうとしてしまうというパターンがある(全てがそうというわけではない)。
その場合、文章にするとして、誰に向けて何を言うものとして書くのか、そしてそれをどこにどういう位置づけで公開するのかというのが曖昧だ。なのでもし公開したいなら公開する場のほうを考えておく必要があるだろう。新たなテーマになりそうならタグを用意しておくとか、特定のテーマに属さないものを扱う括りを作っておくとか(例えば「日記」とか「雑記」とか)、場合によっては新たな投稿場所を準備するとか。場に応じて文体や内容の深度などは変わってくるので、「公開するとしたら」を先に具体的にしたほうが文章は書きやすくなるだろう。
実際、SNSに投稿しようとして思いがけず筆が進むのは、SNSに投稿するという前提が読み手や文体を決定づけるからだろうと思う。しかしそうしてすいすい書いた結果、時にSNSにそのまま投稿するには憚られる量または質のものができてしまうのである。自分の意識はその場における相応しさの全てを完璧に考慮するわけではないので、一部分を満たしつつも他の部分で相応しさから外れるということはままある。
もうひとつ文章にするのを億劫にしているのが、ある程度までSNS用に書いてしまっている、ということだ。
今書いたように、SNSに投稿する前提で書いている時にはあくまでSNSの環境に相応しい文体やベクトルで書いているということになる。それをただ膨らませてそのまま他のブログなどに投稿できるとは限らない。
なので、場合によっては既に文章にしてある部分について文の質を改める必要が生じ、その作業というのは結構面倒くさい。「せっかく書いたから」と変に残そうとすると逆に大変だったりするので、脇において一から書き直す決断も必要だ。慣れれば大した手間ではなくなると思われるが、えいやっとやる気力がいくらか要るので疲れているとちょっと大変かもしれない。
ただしそもそもの話、文章にしたからといってそれは必ず公開しなきゃいけないなどということはない。SNSに書き込むつもりで書くのが一番筆が乗るという場合は、そのノリで一通り走り抜けて、自分の中で思索が深まったところでそれでよしとしたって構わないのだ。
公開したいなら公開する場に合わせたほうが書きやすいし、公開しなくてもいいかもと思ったら場を気にせず一番滑らかに文章を紡げる文体を選べばいい。今公開しなくても、一通り考えておきさえすれば、ずっと後になってその思索が生きることもありうる。
下書きの保存方法
途中まで考えたのを取っておいて後で続きを書くとして、重要になるのはその時点の状況を適切に保存しておくことだ。
そこまでに言葉にしたものを適切な場(例えばデイリーノートの下の方)に貼り付けるはいいが、それだけでは足りないかもしれない。何かを言葉にしようと思うのは基本的には何かの事象に対する反応が自分に起こったからであって、その事象がなんだったのかが曖昧になると自分の中で起きた反応も曖昧になってしまう。なので、まずその事象がどんなものであったかをきちんと記しておくことが大切だ。
そして自分の中に起きた反応のうち、まだ一部しか文章にできていないという場合は、後で再開した時にヒントになる文言をメモとして残しておいたほうがいいだろう。
目的意識が薄いと考えたことは時間とともに儚く失われやすいだろうから、一層保存が肝要だ。書かなきゃ書かないでいいようなものなのに逆に手間を掛ける必要があるということになり、最初はかなり意識しないとうまくいかないかもしれない。
簡単にフォーマットを作っておけば意識の力に頼る度合いは軽減できるだろう。例えばこの三点。
話題
所感
思索
まず話題欄にコピペするなり要約するなりして、とりあえず思ったことは「所感」欄に書き留め、文章にしたものは「思索」欄に書いていく。習慣づけば敢えて○○欄というふうにしなくてもよくなるだろう。
今までの私は話題そのものの保存が疎かになっていたから、書いた時は自明に思えた「何の話か」が後になってよくわからなくなったりしていた。必ずセットで保存しておくことが大事だ。
こんなところだろうか。以上のことで「後で続きを書く」送りにして結局書かない問題が解決したらいいなと思っている。(自分がこれからどうしていくかをこの記事を書くことで考えたのであり、実践はこれからになる。)