日々様々な記事をインターネット上で読んでいる。たくさん読む方ではないが、ネットを見ていればそれなりの量を読んでしまうものである。
で、読むのは良いのだが、読んだ後にどうするか。というか、読んでいる最中に湧いてくる感想や思いつきはどうしたらいいのか。
これまでやっていたのは大体以下のようなことである。
読んで面白かったものは丸ごと保存する(Evernoteなど)
一部をコピペして保存し、下に感想などを書き添える(Scrapboxなど)
SNSやチャットツールに共有して感想も呟くことで記録代わりにする(Twitter、LINEなど)
心に残った一文はノートに書き写す
やらないよりはやった方が良いというのでずっとやってきたが、正直なところ全然納得感はないままだった。どんどん溜まっていっているのだが、いまひとつ見返したくならない。
ねぎま式読書ノート
「ねぎま式読書ノート」というノート術がある。奥野宣之氏が著書『読書は1冊のノートにまとめなさい』で紹介している技法で、抜き書きと自分の感想をそれとわかるようにそれぞれ頭に記号を付けて交互に書いていくというものである。
前提として、これは手間をかけてでも読書ノートを作りたいと思うレベルの良書についてやるもので、全ての本についてこれをやるわけではないとのことである。書き写しには相当な労力がかかってしまうので、現実的にやれる範囲で妥協する必要がある。
一方、Web記事を読んでデジタルノートにメモを取るという時は、紙の本を読んで紙のノートにメモを取るのとは違って、転記は一瞬で済んでしまう。紙面の制約もないから、上から下へ無限にノートを作れる。特にねぎま式はただ交互に書いていくだけなので、自由に配置しづらいというデジタルツールの制限にも影響を受けない。奥野氏の話を知らなくとも、デジタルツールにメモを取るとなれば自然とねぎま式になるかもしれない。例えばScrapboxで見かけるのは大体当たり前にねぎま式になっている。方法としてはねぎま式とデジタルツールは相性が良いように思われる。
しかしやはり、紙のノートにねぎま式に書くのとデジタルツールでねぎま式に打ち込むのとでは勝手が違っていると感じる。厳選するかしないかという判断で量的にも質的にも変わってしまうだろうし、またそれ以上に平面のレイアウトが存在しないということが見やすさ(というかパッと見た時の認識しやすさ)を減じている感じがある。紙のノートに書く場合、書いている間はレイアウトを考えてはいないが、結果として何ページのどこに何を書いたかという位置情報が生まれる。
よく受験生が写真を撮るように教科書を内容を記憶してしまうという話があるが、「何ページのこの位置にこの記述がある」という情報の威力は記述を把握する上で馬鹿にならない。自分の手で作ったノートにはそれが発揮される。デジタルツールでは表示が固定されないし追記でレイアウトが変わったりするので、位置の情報は使いにくい場合が多々ある。
また、この「表示が変化する」ということが、「自分が作ったノート」への愛着を減らしていると感じる面もある。作り上げている感がちょっと足りないのである。情報が溜まっていけば「これだけ溜めたぞ!」という量的な満足は生まれるのだが、「作った」という感覚がいまいち感じられない(私だけかもしれない)。
そもそも愛着とか要る?という議論もあり得るだろうが、私は必要としているし、考え直すことで「愛着は要らない」という結論に至ることはないと思われるので、そのそもそも論については考えないこととする。
レーニンのノート術
レイアウト要素なしに上から下に書き続けるというのがこの傾向を増しているので、デジタルで別の形態を再現できないかと考えることにした。
次に思い当たったのは、レーニンのノート術である(『哲学ノート』がそれである)。佐藤優氏が著書『読書の技法』で詳しく紹介している。
片側に余白ができるように抜き書きし、余白に自分の感想を書いておくというもので、本文と自分の感想が位置的に区別されているので見た目に明快である。抜き書きが自分の感想で分断されることがないので、引用だけを追うのも簡単になる。レイアウトとしては学生時代に教科書や参考書で普通に見かけたはずの形式だが、あまりにも普通に見かけるがゆえに、見た目からは逆に意義を見出しにくいかもしれない。
レーニンが書いたものの実物については、こちらの記事の後半に写真が掲載されている。
これをデジタルでやるとすれば下方向には無限に書けることになるだろうが、左右の列の区別やその「幅」の概念があることで、交互に書いていく形よりは位置の情報を感じやすくなる。列の幅を固定し、自動で横方向の伸縮をすることがないようにすれば、感覚としては巻物のような感じになるだろう。
レーニンノートはレイアウトとしてはシンプルで、紙に書く分には実践は極めて簡単なのだが(片側に余白を取ればいいだけだ)、しかしながらデジタルで再現するとなると地味に面倒である。普通のテキストエディタ類ではできないし、付箋っぽいツールだと長文を扱うのには向かない。自分で作ってみることも考えたが、とてつもなく面倒くさいことになる感じがして諦めた。
ふと、レイアウトを扱う文書ソフトと言えばWordじゃないかと思ってちょっと試してみた。テキストボックスを使って脇に自分の感想を書いてみたらまあ悪くない。悪くないが、微妙に手間を感じる。印刷レイアウトだと縦方向の連続性が少し失われるのも、今回に限ってはちょっと妨げに感じる。この先ずっとこれを継続するのかと考えるとちょっと無理そうな感じがした。最初のひとつを作ってみた時点で「継続は無理そう」と思ったものが続くはずはないので、惜しいと思いながら却下である。
OneNoteを使ってみる
子ども時代にWordやExcelを遊び道具にしていた人間なのでまずそれらを思い浮かべたが(関連:Office日誌:思想を自分の手に取り戻そう)、いや今ならそれより相応しいものがあるじゃないかということにちょっと遅れて気がついた。例えば、同じくMicrosoft製のOneNoteである。クリックだけで好きな位置にテキストボックスを生成でき、簡単に好きな幅に調整できる。
試しに作ってみたのがこちら。
基本的に今やらんとしていることのターゲットはWeb記事だが、サンプルとして見せるには支障を感じるので青空文庫から適当な文章を探して、高村光太郎『美の影響力』に行き着いた。短い文章だが切れ味鋭くて面白いので是非読んでみて欲しい。
真ん中が本文をそのままペーストした部分で、左に自分の感想、右に要点を書いている。特に重要な文を太字で目立たせ、キーワードやフレーズにハイライトを付けた。手書きも使えるので、(この例では特に意味をなしていないが)色ペンで波括弧や線を描いてみた。
OneNoteについては、面白いなと思いながらも普段はプレーンテキストを扱ったツールを重用しているので使い道を見いだせずにいたのだが、これはなかなか良い使途ではなかろうか。
UIの面で正直不自由を感じる部分がなくもないのだが、それに目を瞑ってでも続けたいという気持ちになる。OneNoteの機能はまだ全然把握できていないので、「OneNoteってめっちゃいいじゃん!」と思う要素をこれから発見できるかもしれない。
Web記事ひとつに1ページ使ってメモを作るとして、そのままだと埋もれて活用しづらくなっていくだろうと思うので、どこかにまとめの場所を作った方が良いだろう。OneNote内でリンクを使ってそれぞれの要点をまとめたページを作ってもいいだろうし、まとめだけ別のアプリケーションでやってもいいだろうし、厳選して紙のノートに書いてもいい。
OneNoteにはサブページという階層化の機能があるので、テーマが決まっているなら親ページをそのまとめの場として、サブページに各記事のノートを作っていくというのも良さそうだ。
とりあえず、しばらくOneNoteを使ってWeb記事の咀嚼と保存をやってみたいと思う。