「のらてつの茶の間」というミニブログを作った(半年前に)。位置づけとしてはTwitterとScrapboxの間のものである。
Twitterでは時々茶の間茶の間と言っているのだが、それが何なのかということについてきちんと書いたことはなかったので、今更ながら記事にしておこうと思った。読んでもらいたいというより、言語化したものを置いておきたいという意味で書いた記事になっている。
※2023/02/08追記
(リニューアルして極限までシンプルな形に変更しました。現在は記事内の説明とは全く異なったものになっています。)
見た目はこんな感じ。
スマートフォンの画面だとちょっと狭くて苦しいが、サイドメニューがないと自分が使いづらいため強引に2カラムにしている。
形としてはGitHubのpages機能を利用して個人サイトを公開したという格好だ。中身のデータをJSONファイルで公開リポジトリにプッシュ(≒アップロード)し、それを訪問者がHTMLを開いた時点で読み込んで表示している。
各ノートはタグで整理され、本文内のリンクで他のノートやキーワードとネットワークを形成する。タグとリンクの挙動はそれぞれ結構こだわっている。
冒頭でも書いたように一応これを「ミニブログ」と位置づけているが、発信用であると同時に、自分が自分のノートを管理しやすいようにと作ったシステムでもある。
Scrapboxがあるのにわざわざ別のものを自作した理由のひとつとして、ついさっき書いたように「タグ」と「リンク」の機能がそれぞれ欲しいということがある。タグは「こういう領域の話」、リンクは「これについての話」というふうに使い分けている。私の中では、どうもこの二つに混ざってもらっちゃ困るようなのである。
スクリーンショット内にあるように、タグの方には「生きる」とか「前に進む」とか、ベクトルを表してはいるが何の話なのかは示していないワードを設定している。これらのワードは話の対象を表してはいないので、基本的に本文中には登場しない。
自分が自分の書いたものを探す時、キーワードで検索することもあるが、「こういう気持ちでこういう方向性の話を書いたんだよなあ」という形で覚えていることが多々あり、それはキーワードでは検索しづらい。なので「雰囲気」とか「ベクトル」で括っておくものが必要なのだ。
それはリンクと一緒では駄目なのだろうか、と考えると、「一緒にするのは無理ではないが、一緒にすることにメリットはない」というのが今のところの結論である。自分の頭の中で「こういう領域」と「これについて」は混ざっていないので、わざわざごちゃごちゃにする必要がない。それぞれ同じワードが使われる可能性はあるが、それらは明らかに違う意味合いで使っているのである。
一方リンクは、本文中に含まれる類のキーワードである。Scrapboxはハッシュタグを兼ねているが、茶の間では本文にあるワードやフレーズをダブルブラケットで括る形のみをリンクとして使っている。
リンク欄には、本文内にリンクがあるキーワードと、開いているノートに対するバックリンクのほか、Scrapboxを参考に「同じワードをリンクしているノート」もリンク欄に子項目として表示している。
更に、「このノートのタイトルについて、リンクでない形で言及しているノート」と「他のノートではリンクにしているがこのノート内ではリンクでない形で言及しているワード」を表示するようにしている。それぞれ「非明示的バックリンク」「非明示的フォワードリンク」と呼んでいる(一般的にどう呼ぶのかよくわからなかった)。
非明示的バックリンクは、ScrapboxにはなくてRoam ResearchとLogseqにはある機能だ。茶の間では、例えば「JavaScript」というワードを開いてみると、明示的にリンクを貼ってJavaScriptの話を積極的にしているノートと、話の流れでJavaScriptというワードも出したという程度のノートとが、色で区別された状態で両方列挙されている。つまり検索結果が関連度別に並んでいるということなのだが、これが結構便利である。
非明示的フォワードリンクの方は、はっきり機能として搭載しているツールはあまり見たことがない。でもずっと欲していた機能で、Scrapboxにはそれがないから「全部見直してリンク貼り直すか…?」とかいう血迷ったことが頭をよぎったりする。もちろんScrapboxも「とりあえずキーワードは全部リンク」ってやっていけば良いだけの話ではあるのだが、個人的には「他のページではこの本文中にあるこのキーワードをリンクにしていますよ」というのが表示されていると非常にありがたい。ので、作った。
ちなみに、どこかでリンクにしているキーワードの一覧を「リンク済みキーワード一覧」としてサイドメニュー上部のピン欄から確認できるようにしている。便利というほど実用性を実感しているわけではないが、全体を把握できる安心感があるので気に入っている。
ツールとしての茶の間の存在意義はこんなところだが、もうひとつ、敢えてこういう形でミニブログを作った理由がある。急な方向転換で恐縮だが、先に進む前に次の記事をお読みいただければと思う。文量としては短めでするっと読めるものなので、構えなくて大丈夫です。はいカチッとクリック。あるいはペタッとタップ。
この「個人の総合的な表現」という言い回しに甚く納得したのだが、人間の表現には話題や意味でスパスパ切り分けるわけにはいかない領域というものがあると思う。というか、そうやって分けてしまうとそこには現れることができなくなる種類の何かがある。その人が有機的に生きている存在であることを感じさせる何か、と言えるかもしれない。
一行目にある、
このブログには「Diary」というカテゴリがあって、もちろんそれは「日記」を意味しているのだが、実際の「日記」が書かれることはまずない。
というのが、多分「ブログあるある」なことだが考えてみると深い話でもある。
記事内では「単なる『日記』をブログに上げることは、昨今なぜか抵抗がある。」と続くので、ブログ内の「日記」の実態が日記として自然な形から離れているという意味合いが含まれていると思うが、本当の意味で日記らしくはないものが「日記」というカテゴリに収められるということの意味を考えると興味深い。
おそらくは、カテゴライズできないもの、もっと言うとカテゴライズ「したくない」ものが、「日記」というラベルをつけて語られるのではないだろうか。この時、日記とは「私の日記」である。つまり、「私」という文脈に沿って読んでもらいたい、他の具体的な何かのキーワードにまつわる文脈によって恣意的に読まないでほしい、そんな願いがうっすら込められているように思う。「日記」というラベルを付けられた記事は、その筆者から分離し得ないものであり、「情報」として利用されることを筆者に全く望まれていないものなのだと思う。
しかし筆者が望まなくとも、他人が部分を分離して語ることが容易な形態ならそうされてしまうリスクがある(現に今私がTak.さんの記事についてそうしているように)。
ということは、とりあえず「分離して語ることが容易な形態」をやめればよいのではないか。そう思って、記事ごとにURLが発行されることがない形式のものを作ってみた。
もちろん、そうするとブログと比べて失われるものはたくさんある。何人が読みに来たかわからないし、そもそも読みにくいので読まれにくいものになる。感想をもらえることもないだろう。言及しにくい形にしているのだから、当然言及されないのである。広告収入が入ることもない(そもそもブログでもそれは得ていないけれども)。ただただ「書きたいから書いた」だけがそこに蓄積する。
まあでも、それでいいのです。そうでは困るものは他の場所に書けばよく、ここにはこの面倒臭さに付き合ってくれる人だけ(数にして3人もいなさそうですが)立ち寄ってくれればいい。つまり私を「情報」ではなく「生き物」として見ようと思ってくれる人向けの場所。ゆえに情報として役に立つようなことは何も書いていないし、啓発的なことも書いていないし、早い話が自分以外の存在にとって「良いこと」は何もない。でも生きている自分にとってのリアルを表現している。
そういう意味でこれに「茶の間」と名付けている。誰でも読める形にしているけれど、外に向かっているわけではない。「開いている」が、「出る」ことはしていない。影響力を持たないのだから、誰かに存在を咎められる謂れもない。
昔は「それがブログ」だったかもしれないけれど、ソーシャルな種々のサービスによってそうではなくなってしまった。読まれにくくなった割にリスクは高い。数字で言えば可能性はほぼゼロに等しいとしても、いつ何の咎で日本中から責められるかわからないのは恐ろしい。日本中まで炎上しなくたって、どこの誰かもわからない人間に突然謎の憤怒をぶつけられたらたまったものではない。
そんな近年の殺伐とした時流の中で少しでも自由と安心を守るための試みとして、今更素人がHTMLやJavaScriptをちまちま書いて作ったのがこれなのである。
なのである、と格好つけて言ってみたものの、正直そんなに活用できているわけでもない。というのも、長らく更新手段の整備に迷走していたからだ。
最初はmdファイルを編集の場にして、茶の間の1ノートを1ファイルとしてデータを作り、Pythonを使ってmdファイル群からJSONファイルを生成していた(その時点ではNode.jsがわかっていなかったのでPythonを使っていた)。自分の中では「バラバラのmdファイルからミニブログのデータを作れる!」ということが画期的だったのだが、ちょっと他の作業との都合上、茶の間用のmdファイルの更新が捗らなくなっていった。
次は自作のカード式アウトライナーで編集できるようにした。これも仕組みとしては自分の中で超すごいことだったのだが、mdファイルでの管理以上に更新の手は鈍った。うまくいくと信じて疑っていなかったので、この失敗は割とショックである。
しばらく停滞が続き、やっと最近になって、茶の間自体にエディットモードを作って茶の間のビューの中で編集できるようにした。このためには、半年も前、つまりコーディングの技術が非常に未熟な頃に作ったスクリプトをほぼ全部書き直す必要があり(何がなんだかわからなくなっていたので)、大変な手間がかかった。しかしその甲斐あって、更新がものすごく楽になった。
そんな感じで劇的に編集しやすくなり、ようやく軌道に乗りつつある、それに伴ってか、Noratetsu Lab(このブログ)やnoteの更新頻度も急に増している。
ひょっとすると、茶の間自体が人に読まれることはどうでもよく、それ以外のものをどんどか生み出せるようにするための助走として私にとって重要なものなのかもしれない。