Noratetsu Lab

動じないために。

投稿先: https://note.com/noratetsu/n/nc3757a58449f

「書きたい」とマッチする「書きたいこと」を考える

こちらを読みました。

倉下忠憲さんの記事をまず読んだので自分にとっての書きたいことを自問しようかと考えましたが、泡沫さんの記事を読んでその前に考えてみたいことがあるなと思いました。
二つ目の記事に以下のようにあります。

でも馬鹿みたいに何かを「書きたい!」という気持ちが強いですから、とにかく適当に見繕った「書きたい?こと」を書いてみています。

とてもわかります。そして「書きたい」という気持ちがあることと、「書きたいこと」なるものは別の次元の話である可能性がここから感じ取れます。

「書きたいこと」とは何か

一つ目の記事の方で以下のようにも書かれています。

先に挙げた「書きたいこと」の例は、どれも書けるなら書きたい話だ。だけど、どれを書こうにも確実に沢山のリソースを割かなければいけないと予想できる。それで二の足を踏む。限りある命の中で、大量のリソースを割いてまで、書くべきものかと。

本当に「書きたいこと」は、採算とか、リソースとかを度外視してでも「書いてしまう」ものなのかもしれない。

個人的には「本当の」「真の」のような表現にするとそれ以外が「偽り」であるかのような感じになって気になるので、単純に「書かずにいられないこと」と「書けるなら書きたいこと」という表現に留めたいと思います。前の引用にあった「適当に見繕った『書きたい?こと』」というのは「とりあえずすぐ書けそうなこと」としておきましょう。

まず「書きたい」という願望があるのでその対象を選択することになるわけですが、それが 「やらずにいられない」「やれるならやりたい」「とりあえずすぐやれそう」 の三通りあるということになります。
「やらずにいられない」という状態は、そうなっていない人間の目から見ると羨ましく思われます。私もそうです。「重い腰を上げる」という億劫さをショートカットして自分のエネルギーを全て費やせることが素晴らしいことに感じられるからです。そのように夢中になれれば自分も何かを成せそうな気がします。
なので、苦労して「やれるならやりたい」に挑んだり場当たり的に「とりあえずすぐやれそう」なものでお茶を濁したりするより理想的な印象があります。(ただそれは、「きっとそれが理想なんだろう」という想像でしかないかもしれないことには注意が必要と思います。)

ところで、逆に「書きたくないこと」は自分からは書かないわけです。「書いても何の快にもならないこと」も書かないでしょう。何かしらの意味で「書けば自分が嬉しくなること」だから書くのだと思います。その「何かしら」にいくらか種類があるのでその中でグラデーションを見出そうとしてしまいますが、「何らの意味でも書きたいことではないこと」は書かないとすれば、書いていることは「書きたいこと」の一種であるはずです。

ゆえに、「書き続けている人間が『書きたいことってないんだよね』と言い始めたら多分変に見えるだろう」という予測が成り立ち、実際お二方ともそのことに言及されています。

「書きたいこと」の「予め定まっているべき」っぽさ

釈然としない話になっていますね。わかります。それがなぜかもちゃんと考えます。

二つ目の記事にこうあります。

私の中で書くことの楽しみは、「どこに辿り着くのか分からない」という感覚なんです。探索です、冒険です。

もちろん、書きたいことが有って、それに向かって最高の文章表現を突き詰めるなんて出来るならやってみたいです。

三つ目の記事(倉下さん)にはこうあります。

もちろん、「考えている」ことはいっぱいあります。四六時中何かを考えています。それらがあふれ出すような形で文章を書いてしまっている。そんな感覚が近いような気がします。

倉下さんは他のところでも「書くことで考える」ということをたびたびお話しになっています。

両者ともある程度似た動機と感覚で文章をお書きになっているような気がしますが、「書く」ということへの納得感が違っているようです。ついでに言うと私も「書くことを通じて何かを考える/知る」ということのために書くタイプです。
書くことに楽しみを感じる、つい書いてしまっている、それならばそれが「書きたいこと」でないはずがないと思います。でもそう思えないのはわかります。なぜなら 「書きたいこと」という言葉に無意識に「予め書き終えた状態を想定できること」を設定してしまう からです。「成し遂げたいこと」というイメージを伴わせてしまうと「予め想定できる」必要が生じます。

でも、「書いていく中で自分が何かに気づけそうなこと」が「書きたいこと」である、と言っても別に構わないんじゃないかと私は思います。「書く」ことは必ずしも図面通りに何かを作る作業ではないので、予め完成図が見えている必要はないように思います。計画通りに進めるタイプの「書く」もあるし、そうでないのもあるということです。

そうなると、前項で「やらずにいられない」「やれるならやりたい」「とりあえずすぐやれそう」の三種を挙げましたが、このいずれも「書きたいこと」に含まれ得ると考えることができます。

「書きたい」とは何か

自分に「書きたい」という欲求があり、何らかの意味で「書きたいこと」を書いているはずなのに、そこに「そうではない気がする」という疑念が生じるのはなぜか。多分ですが、「書きたい」という欲求自体に種類があるからだと思います。
各種の「書きたい」に、それぞれ対応する「書きたいこと」があります。自分とは違う「書きたい」に対応する「書きたいこと」を、それこそが「書きたいこと」と言うべきものである、と思うとズレが生じてしまうでしょう。

全部の種類を挙げられる自信はありませんが、例えばこんな欲求があると想像できます。

  • 他者を変える手段としてそれを実現し得る文章を書いて世に知らしめたい
  • 自分の存在価値を実感するために読者が感心するものを書いてみせたい
  • 自分に書く能力があることを実際に書いて証明したい
  • まだ言葉になっていないものを言葉で描写して書き表したい
  • 思いが忘れて消えてしまうと勿体ないから書き留めたい
  • 脳がパンクしそうだから書いて頭の外に出したい
  • 書きながらでないと考えられないから書くことを通じてものを考えたい
  • 書く過程で生まれる発見を楽しむために書いていたい
  • 文章における職人になるべく書くことに没頭したい

他にもあるかもしれません。いずれにしても、それぞれ対応する「書きたいこと」は明らかに違っている感じがします。

そして一人の人間が複数の「書きたい」を抱いていることは普通にあるでしょう。そのことが更に混乱を招く可能性もあります。
基本的には楽しむために書きたいが、自分の信念に従って世の中に訴えたい、知らせたいこともある、という場合、それぞれの「書きたいこと」が発生します。別種の欲求から生まれていますが、それを「書きたい」の四文字でまとめてしまうと、違う種類の「書きたいこと」がそこに混在することが気持ち悪くなるかもしれません。
どちらも自分にとっての本当でありながら、どちらが自分の本当の「書きたいこと」なのか、と問うてしまうこともあるでしょう。

どちらがより強い欲求か、という問いなら成り立つと思います。

書くことで何かを成し遂げるべきか

それぞれの欲求の結果生まれた「書いたもの」はもちろん違った種類のものになります。
最もわかりやすい違いは「誰にどの程度影響するのか」ということでしょう。他人を世界規模で動かす文章もあれば、書いた自分自身を劇的に変えてしまう文章もあり、誰にも何の影響も及ぼさない文章もあります。
予め完成図を想定して書くもの、つまり書くことで何かを成し遂げるものというのは、他人を動かすものであると言える気がします。他人を動かそうとして書くものはもちろんそうですが、黙々と書き上げたものにあまりにも凄みがあって他人を動かしてしまうということもあります。
それほどの力を持った文章を作り上げることには憧れを感じます。その種の「書きたい」があるならば、それがゴールになるでしょう。
しかし文章のゴールはそれだけではないわけです。
自分自身を変えるだけの文章も、「自分のような人」に影響を及ぼすことはあります。蓄積すれば更に影響力を持つこともあるでしょう。「誰かの役に立ったらいい」という思いを持ちつつ、ダイレクトに「誰かの役に立つ書き物」を目指すことはしないという道もあることになります。
他人のことをどの程度動かせるかを評価の尺度とすることは可能ですが、それが書く意味の有無を決定するとは思いません。

文章は自由です。それなのに自分で自分の自由を奪ってしまうことがあります。
自分の欲求の形がなんであるかを自分に問うことは、自分の「書く」を自由にするために意味のあることだと思います。

関連度が高いかもしれない記事

他の「文章を書かずにいられない人間の話」タグの記事

管理人

アイコン画像

のらてつ Noratetsu

キーワード

このブログを検索

検索

ブログ アーカイブ

2025
2024
2023
2022
2021