……という感想がおかしいのはわかっているのですが、前は「オプション機能を全然使えない」ということにもどかしい気持ちを強く抱いていました。
私は昔フリーウェアを集めて試すのが好きだったので、Vectorや窓の杜に通っては良さそうなフリーウェアをインストールしていました。当時はSNSなんていうものもなかったしブログを書く習慣もなく、数多のフリーウェアに力を借りながら何もお返しをしていなかったのをちょっと申し訳なく思います。
そうしてダウンロードしたソフトウェアの中には、ユーザーがカスタマイズできるようにオプション機能を提供しているものがしばしばあり、マクロ、コマンド、プラグイン、dllファイル(Dynamic Link Library)といったキーワードをよく見かけました。例えばテキストエディタのMeryなどもそうです(Meryには長年お世話になっています)。
それらについて調べようとしても、どこまでいっても抽象的な意味合いのカタカナ語が並んでいるので、検索すればするほど苦手意識が増悪しましたが、一番の問題は「どういう順番で親しんでいけばいいか」が全くわからなかったことだろうと思います。勉強の方法がわからなかったのです。
そこまでの自分の人生では誰も教えてくれなかったのに、わかる人は中高生の頃からもうわかっていて、専門用語だけで構成された文章を読んでどんどんわかっていく。自分は今調べようにもさっぱり話がわからない。その事実に直面して、「気づいた時には既に手遅れだった」という気分になりました。この世にはプログラミングがすんなりできるタイプの人間と頑張ってもできないタイプの人間がいて、自分はできないタイプの人間なのだ、と感じていたのです。
そういう卑屈な感情を湧かせてしまったのは、多分、そういうことを思いやすい年頃に、たまたまそういうことを思わざるを得ない環境に身を置いていたからでしょう。疎外されることを恐れる精神状態にあったので、勝手に「自分は立ち入らせてもらえないのだ」というイメージを思い浮かべてしまった面があったと思います。今はたとえ還暦過ぎてからスタートしても別に大丈夫だろう、くらいに思っています。なりたいのはプログラミングのプロフェッショナルではないのです。
そもそも、普通に使うにあたって必要な機能は最初から搭載されているのであって、そういうカスタマイズは全然必須のものではないわけです。自分に技術があればこんなことをしたかったのに、というような具体的な願望があったわけでもありません。
というか、そういう思いがあれば頑張って調べて実現したでしょうし、本当にコンプレックスだったのは無能さではなく「願望のなさ」「アイデアの思いつかなさ」だったのではないかと思います。プログラミングができるかどうかというより、「色々思いついて次々新しいことをやっている」という精神的な豊かさに憧れていたのでしょう。自分を引っ張る力と言っても良いと思います。その精神的な豊かさの才能が生まれ持ったもののように思えたので「ずるい」と感じたのです。
その認識が正しいとは最初から思っていませんでしたが、とはいえどうやってその豊かさに辿り着いたらいいのかわからなかったので、自分には見えないものを見ている人たちが羨ましいのはどうしようもないことでした。
今でもプラグインというものについてはよくわかりません。まだJavaScriptしか書けないからです。というより、そう気楽に自作するものではないなというのが今の認識です。JavaScriptやそれに近い言語で書けるスクリプトの類についてはどうにかなる気はしていますが、それもまだ全然試してはいません。AutoHotkeyのスクリプトをちょっと書いたくらいです。なので、昔と今とで、アプリケーションのカスタマイズをできる度合いは大して変わっていません。
でも、昔感じていた悔しいとかずるいとか羨ましいとかいう気持ちは今は特にありません。コンピュータの知識やプログラミング技術の領域に於いて「持たざるもの」の側に固定していた自分を、ちょっとなら「持てるもの」の方に動かすことだってできるのだと知ったからなのでしょう。