今月はのんびり進行。
先月までは爆速で色々書いていたけれど、今月はいくつかの理由によりメインのブログの更新はしないでいる。
先日公開したサイト(Noratetsu House)の改良や過去記事の移転作業をやっている。
Evernoteや古いTwitterアカウントのデータなど昔の情報を整理する作業をしている。(エクスポートしたり処理のためのコードを書いたり)
非常に不安になる出来事があってリズムが崩された。
多分三番目が最も影響しており、変なことがあると創造性というのはすぐ潰えてしまう。端的に言って理不尽な存在に意味わからん要求をされて疲弊した。倫理観に自分と一致するところを感じない相手は本当に恐ろしい。
そんな中でも更新を続けていたものもある。サイト内コンテンツの「茶の間」である。
毎日1~2本の短文を追加している。それ以上のペースで書いているのでどんどん溜まっている。
書いている内容はなんてことないというか、ごく個人的な思い出話のようなものだ。今のところ音楽の話が多い。特別音楽が好きというわけでもないが、これまで語る場所もなかったので、書いていて面白い。ここまでの人生で様々な曲から様々なことを感じていたはずだが、それを言葉にはしてこなかった。だから改めて言葉にしてみるということが面白く感じられる。(ポジティブな話ばかりではないけれども)
読む方が楽しいかどうかはわからない。別にそんなに楽しくなくてもいいと思って書いている。何かに役立ててもらうための文ではなく、ただ自分の呼吸の結果として吐き出されているだけの文だからだ。
手本としているものはある。Tak.さんのブログだ。
昔の方の一番最初の記事から読んでいって、まだ全部は読めていないけれど、とても刺激を受けている。面白いと思う。
その面白さというのは、あっと言わせるオチがあるとか、胸を深く抉るとか、そういう騒々しいものではなくて、言ってみればちょんちょんと心をつついてくるような形のものだ。「ぼくはこう思うんだけど」と言ってちょんちょんつついてくる。あんまりつつかれたことのないところをつついてくるのでウッと身体を捩ってしまったりする。あるいはクスッと笑ってしまったりする。そういう感じ。
じゃあそういう面白さを目指そう、とか思っても、それはTak.さん固有の人生経験と類まれな感性から滲み出るから面白いのであって、目指してできるものじゃあないと思う。だから「ああいう面白さを真似したい」とは考えない。
肝心なのは、「自分から滲み出させる」ということに真剣であるかどうかだ。滲み出た結果がどういうものになるかはわからないけれど、前提として「滲み出させる」ことに真剣でなければ面白くはならない。取り繕わないこと。他人のことの前に自分自身を見つめること。自分の感じたことを言い表すために労を惜しまないこと。
ブログを開設して、あるいは投稿サービスにアカウントを取得して何かを書こうとする時、自分の関心や強みの最前線を表現しようとしてしまいがちだと思う。なぜなら、埋もれないため、書き続けるためには、少なくとも自分の中での最前線を走り続けないといけないような気がするからだ。自分の中で最前線でないなら世界にとっても最前線でないのだし、そこに価値を見出してもらうのは難しい。それはそれで、ひとつの真実だと思う。
でも、そもそもみんなが最前線でいたいと思っているわけではない。新しい情報として価値があるのは確かに最前線かもしれないけれど、私たちはあらゆる最前線に関心を持っているわけではない。新しくなくても面白いものは面白い。太古の昔からあるものでも、自分の視界に入ってこなければ自分にとってはなかったのと同じだし、それどころか同じものを何度見ても面白かったりする。
変わらないし新しくもない、だけどみんなが知っているわけでも気づいているわけでもないもの。あるいは、みんなが同じように思うわけではないゆえに、自分と同じように思う人がいることを知るだけで喜びになるもの、そういったものを人間は表現し続けなくてはならないと思う。そういうものはAIに書いてもらってもしょうがないのだ。
手始めに、自分の人生に関わってきた何かについて自分が感じたことをそのまま書いてみようと思って、今「茶の間」にそのような文章を増やしていっているところだ。
前のバージョンの「茶の間」には「ブログやSNSには書きづらいこと」を書こうとしていたが、それがどういう意味で「書きづらい」のかが重要で、「大っぴらに書くとリスクがあること」はやっぱりやめた方がいいし、それより「書いてもまあいいんだけど情報として無意味すぎる気がすること」にスポットライトを当てようと思ったら随分書きやすくなった。そういうのでいいと思う。