ライフ・アウトラインの話でもあり、単にアウトライナー(というかDynalist)の話でもあるが、各ノードのノート欄を積極的に使うということが私にとってとても重要なことのようだ。
ノート欄を使うようになったということについては以前ちょっと書いた。
昔は、「すべての記述が操作可能な単位になるのがプロセス型アウトライナーの良いところなのに、どうして項目の操作を困難にするノート欄を使うのか」と思っていた。実際、ノート欄を無計画に使うと項目がそれに縛られることはあり得る。
逆に、項目を縛るものがないということは「動かせてしまう」ということでもある。すべての項目を全く自由にしておきたいかというと、必ずしもそうではない。「これは親項目なのである!」と思いたい時は、むしろゴテゴテと修飾して「重く」した方が納得感があったりする。修飾が複雑になると別のストレスが生まれるのであまり変なことはしない方がいいが、敢えてどっしりさせるというのはひとつの選択肢だ。
ノート欄を使うタイミングの代表は、子孫項目の内容を要約するということだろう。
何十行にもわたる考え事をした時などは、それを開いたままにしておくわけにはいかないので親項目を閉じてしまうことになる。すると、親項目を工夫しないと中身の存在感が消え去ってしまい、「すごく考えた」という雰囲気がそこから失われる。視覚的に邪魔だから閉じるのだが、そこにあった空気まで霧散するとちょっと困ることがある。
そんなとき子孫項目の内容を親項目のノート欄にまとめれば、どのくらいの思索がそこにあったのかを表現することができるし、ノート欄が場所を取ることでそのノードに重量を感じられるようになる。ノート欄に記述する量と子孫項目での思索の量とをおおよそ比例させることがコツになるだろう。大したことないものはノート欄にも大したことないように書く。
で、肝心のライフ・アウトラインの話である。「DO-DAYS」「DO-ALL」「LIFE-BE」「LIFE-AS」のいずれでも、このように親項目を重くするということを必要に応じてやる。
ただし流動的に変化できることが重要なので、ノート欄も常に更新したり場合によっては消してしまったりということを「普通にやる」ように意識する。ノート欄は中身を開ければそこに書いてあることをまとめるものとして扱い、ゆえにノート欄の記述は消しても問題ないというのを前提にしている。ノート欄に初登場の情報を書いてしまうと身動きが取りづらくなるだろう。
現在、特に「DO-DAYS」でノート欄が活躍している。
日付の下にあるDOは、着手はしてもすっかり完了はしないことがある。そういう時、その日やれるだけの作業が終わった時点でコンプリート扱いにした上で、ノート欄に「進捗:○○までやった」というふうに書いておく。
最初から「○○まで」と決まっていたならDOの内容自体を「○○までやる」にしてそれを完了したということにすればスッキリするが、どこまでか決まっていなかったりもっと多くやるつもりだったりした場合には、どういう心づもりでいたのかがわかるようにDOの記述はそのままにして進捗をノート欄に書くことにした。もちろんそもそも着手しなかったらコンプリートにはしない。コンプリートは「私なりに頑張りました」の記録として使う。
そして一日が終わったら、その日の様子を日付項目のノート欄に書く。やったこと、気分、体調、天気、ニュースなど、その日の自分に強く影響したことを書くようにする。1行のこともあれば5行くらいになることもある。あんまり要約しようとはせず、自分の気持ちに任せる。中身は開けばわかるのだから、ノート欄だけで把握できるようにしなければみたいな気負いは要らない。何もないと思ったら書かない。でも何日かして見直すと書いておきたいことが見つかることもある。
更に、一週間が過ぎたら週の項目を作って一週間分の日付項目を入れてしまい、これまた各週のノート欄に一週間の様子をまとめる。とにかく雰囲気がわかるようにする。一週間通じてやっていても日単位だとそれほど印象深くはならないことというのもあるので、そういうのは各週のまとめで拾っておく。
まだライフ・アウトラインを始めて日が浅いので今のところ週単位までにしているけれど、月、四半期、半期、年単位でやっていってもいいだろう。そうしたくなったらそうする。やろうと決めるとあまり良いことはないので事前に決めることはしないでおく。
自分だけかもしれないが、項目数を増やしていくことには特に何も充実感がない一方で、ノート欄にまとめを書けるという時にはどことなく充実感を覚える。書こうとして書いているというよりは、子孫項目を眺めた時に「まとめるとこんな感じだな!」と思って、それをメモしているという形になる。
そしてまとめを書いたら「安心して子項目を畳む」ということができる。それについてはもう頭の中から片付けていい、という感じだ。
つまるところ、「よし」と思うタイミングが生まれるということなのだろう。ノート欄を充実させることを楽しむ姿勢の有無が、かつてアウトライナーと仲良くなれないでいた自分との違いのひとつである。