正規表現との戦い
サイトの構築に苦戦している。(※公開前の記述)
コーディングがどうというより正規表現との戦い。
動じないために。
シャッフルしていたら、GLAY×EXILE「SCREAM」がかかった。2005年の曲だ。
SCREAM (EXILE ENTERTAINMENT) - YouTube
ひたすらカッコイイ曲で甚く痺れたのを覚えている。昔は繰り返し聴いていた。
「どーこえーゆーけばー、いたみはきえゆくのだろおかー」
「なーにをーえーがきー、このよにいかされるのだろおかー」
と口ずさんだ。
今聞くと、
「何処へ行けば痛みは消え行くのだろうか?」
「何を描きこの世に生かされるのだろうか?」
と正しく言葉が脳に届く。
カッコイイお兄さん達が歌うカッコイイ曲であることは変わらないけど、今の私は苦しみを孕んだ叫びを聞き取れるようになってしまった。
少し前に、ちょっと不安を生じる出来事があり、ここ一週間くらいずっとJ-POPをかけ続けて聴覚を塞いでいる。お気に入りのプレイリストではなく、膨大な曲数のシャッフル再生。
その中には特別好きな曲が混じることもあるけれど、そこまででもない曲の方が多く続く。嫌いな曲はそもそも入っていないから、前提としてどれもまあまあ好きではある。
お気に入りのプレイリストをかけてしまうと、逃避のためにそれを聞いているという経験がそのプレイリストやお気に入りの曲たちに紐づいてしまう。そういう紐づきというのは私の中でとてつもなく強力に働いてしまうので、自分を癒やしながらも紐づけが起こらない方法を選択しなければならない。
私自身に、それとこれが関係していると察知されないようにしなければならない。
今月のお題について、既に書いた気になって書いていなかったので、滑り込みで書きたいと思います。(別にオーバーしても全然構わない場だと思います、念の為。)
最近すいすいと文章が書けている感じがする。
波に乗って二ヶ月ちょっとくらいはノンストップで書いているのだが、今までにない自由さと手応えを感じている。
今度こそ茶の間復活。
Tak.さんの旧ブログ(Word Piece >>by Tak.:SSブログ)を古い方からずっと読んでいって、自分が本当には何を目指したいのかを考え直していた。
書いた方が自分が嬉しいこと、書いてしまうと自分が嬉しくないこと。何かに突き動かされても、しかし衝動のために書かないということ。
ずっとまともに使えていなかったDynalistのノート機能を使えるようになってきたという記事を先日書いた。
この記事を踏まえて、tksさん*1がノート欄で書き物を進めるというアイデアを実例付きでご紹介くださっている。