Noratetsu Lab

動じないために。

2025年4月

2025/04/30

2025年4月の振り返り

 今月の振り返り。

2025/04/29

ブログの書き方ド下手問題⑭~「後で続きを書く」送りにして結局書かない問題~

 ブログを無理なく書けるようになろう、という話の第十四回。このテーマでは一年四ヶ月ぶり。
 今回は、SNSに投稿しようと思って書き始めたものの考えが深まりすぎて「後で文章にしよう」と思って取っておいて結局書かない問題について。


 「後で書こう」と思って書かないということについては過去にも考えたことがある。

 これらのことと部分的には重なるが、ちょっと違う問題でもある。今までの問題は「後で書けそう」と思ったネタをいざ書こうとしても書けないというところに悩みがあった。
 今回のは、既にある程度書けていてそのまま書いていってもよかったものを、「今はSNSにいるから」という判断によって後回しにして、それが結局放置されるという問題である。放置の仕方によっては文脈を失うなどして頑張っても続きが書けなくなるという問題も伴うが、そもそも書こうという気を起こしていない、存在を忘れている、ということがまずある。
 このようにして、絶対に文章になったはずのものが結構な量失われている。もったいない。自分の発信として形にならなかったのももったいないが、それ以上に深められた考えを深めずに終わってしまうことがもったいない。

放置の理由

 放置してしまう理由は案外複雑なように思える。
 まずなぜ書くのをやめてしまうのか。

  • SNSに流すには相応しくないと判断した
    • 長すぎる
    • 重すぎる、攻めすぎている
    • 大事すぎる
  • 書き続ける用意がない
    • スマホでSNSを見ていた
    • 時間がない、より優先度が高い仕事がある
    • 今SNSに流れている文脈に乗る方が大事

 そしてなぜ再開しないのか。

  • 切実さがない
    • そもそもSNSに流すのでいいやと思って書き始めた内容だから書かなきゃ書かないでいい
  • 内容の位置づけが曖昧
    • 普段投稿している文章との繋がりが薄い、投稿するイメージがしにくい
  • SNS用文章から記事用文章へのモードチェンジが億劫
  • 既に時間が経って解像度が下がってしまった
    • 下書きの保存方法が適切でない

 こういった小さな複数の理由が重なって、なんとなくやめてなんとなくそれっきり、ということになっていく。
 SNSというレールに乗らない荷物があり、それを流すべき別のレールが作られておらず、どこにも繋がらない仮倉庫にただただ積んでいくしかない状態。仮倉庫の膨張が漠然と気になってはいるが、どんなレールがあればいいかがわかっていない(考えてすらいなかった)
 上記の理由を細かく見ていくと作るべきレールの形が見えてくるかもしれない。

 SNSにはそのままは出せないとか、今はその続きを書いていられないという「中断する理由」の方は、それはどうしようもないことだろう。なんとしてもSNSに投稿したい、SNSが主戦場である、という場合にはSNSに出せるように工夫するという道もあるが、個人的にはそういうタイプではないのでSNSに書きにくいと感じたものはさっさと撤退でいい。
 なので考えるべきは、保留にしたものをどこに向けてどういう形で流してそれをいつ拾うかである。

目的意識の問題と必要な工夫

 まず目的意識が薄いという課題がある。別に言わなくていいことなのだ。しかし、言おうとしてみたらすごく重要な気がしてきたから後で深めたいと思った。けれども元々言わなくていいことだったからその後再び取り上げる機会がない。そうしてその多くを単純に忘れてしまう。
 これには二つのアプローチがあるかもしれない。ひとつは目的意識を高めること、もうひとつは目的意識に依らない道を作ること。目的意識が薄いことで困るのは、思索の俎上にそれが再び乗らないということにあるので、目的意識がそれほどなくとも俎上に乗るようにすればいいわけである。
 目的意識を高めるには、自分の「もっと考えられそう」という感覚をそこで手放すのが非常に大きな損失になることをリアルにイメージすることが必要な気がする。例えば、毎日絶対一本記事を投稿しなければならないとすれば、考えられそうなことをみすみす逃してしまうとネタが足りなくなって切実に困ることになるだろう。実際に自分にそう強いるのはストレスが大きいし粗製乱造になるおそれもあるから慎重になるべきだが、何かしら機会損失を意識することが「まあいいか」という怠惰を減らすことに繋がるだろうとは思う。

 これは意識改革の領域だが、そうではなく、仕組みとして思索の再開を促す方法もあるだろう。下書き送りになったものが、次にできた暇な時間にスッと目の前に出てくるみたいなのが理想だ。時間を置いてしまうとうまく進められないので、「過去の蓄積の中からランダムでピックアップ」式よりは「今日の思いを今日かたちにし終える」のを滑らかにする何かがあったほうが(少なくとも私には)よさそうだ。
 そう考えると、デイリーノート内で書いてしまうのが簡単だろう。下の方に作業場を用意して、SNSにポストしようとしたけどやめたようなものをそこにどんどん貼っていく。仕事中はそれは画面外にあり、暇ができたらスクロールして表示して書き進める。
 メモ置き場にするとメモのまま残ってしまう。なので文章を書くモードになれるかどうかが重要だ。箇条書きスタイルではなく普通のテキストを書ける形のほうがいい。アウトライナーでは駄目とかいう意味ではなく、アウトライナーでも普通のテキストを書くように書けばいい。(実際この文章はアウトライナー上で書いている。)
 場を工夫しても全部は書けないだろう。それは仕方がない。近い休日などに見直してケリをつけていくために途中になっているものにはタグを付けておくといいかもしれない。しかし全部は書けないものと考えたほうがいいだろうし(他にやることはいろいろあるのだし)、心構えとしては「全てを失うままにしない」のが大事で、少しでも書き進められる可能性を上げられたらそれでいい。

公開する場と文体

 書く動機づけや場の整備ができたとしても、それだけでは捗らない可能性もある。「SNSに書こうとした」というのが少なくとも二つの意味で文章化を難しくしている。
 まずひとつは、本来自分が文章を投稿している空間に現状その内容がはまらないかもしれないということだ。自分のブログなどのテーマと合致しているなら、それは最初からブログの記事にしようと思うだろうし、ちょっと考えればそのくらいの文量に膨らむはずだという予想もつく。しかしそうではないのでSNSに流そうとしてしまうというパターンがある(全てがそうというわけではない)
 その場合、文章にするとして、誰に向けて何を言うものとして書くのか、そしてそれをどこにどういう位置づけで公開するのかというのが曖昧だ。なのでもし公開したいなら公開する場のほうを考えておく必要があるだろう。新たなテーマになりそうならタグを用意しておくとか、特定のテーマに属さないものを扱う括りを作っておくとか(例えば「日記」とか「雑記」とか)、場合によっては新たな投稿場所を準備するとか。場に応じて文体や内容の深度などは変わってくるので、「公開するとしたら」を先に具体的にしたほうが文章は書きやすくなるだろう。
 実際、SNSに投稿しようとして思いがけず筆が進むのは、SNSに投稿するという前提が読み手や文体を決定づけるからだろうと思う。しかしそうしてすいすい書いた結果、時にSNSにそのまま投稿するには憚られる量または質のものができてしまうのである。自分の意識はその場における相応しさの全てを完璧に考慮するわけではないので、一部分を満たしつつも他の部分で相応しさから外れるということはままある。

 もうひとつ文章にするのを億劫にしているのが、ある程度までSNS用に書いてしまっている、ということだ。
 今書いたように、SNSに投稿する前提で書いている時にはあくまでSNSの環境に相応しい文体やベクトルで書いているということになる。それをただ膨らませてそのまま他のブログなどに投稿できるとは限らない。
 なので、場合によっては既に文章にしてある部分について文の質を改める必要が生じ、その作業というのは結構面倒くさい。「せっかく書いたから」と変に残そうとすると逆に大変だったりするので、脇において一から書き直す決断も必要だ。慣れれば大した手間ではなくなると思われるが、えいやっとやる気力がいくらか要るので疲れているとちょっと大変かもしれない。

 ただしそもそもの話、文章にしたからといってそれは必ず公開しなきゃいけないなどということはない。SNSに書き込むつもりで書くのが一番筆が乗るという場合は、そのノリで一通り走り抜けて、自分の中で思索が深まったところでそれでよしとしたって構わないのだ。
 公開したいなら公開する場に合わせたほうが書きやすいし、公開しなくてもいいかもと思ったら場を気にせず一番滑らかに文章を紡げる文体を選べばいい。今公開しなくても、一通り考えておきさえすれば、ずっと後になってその思索が生きることもありうる。

下書きの保存方法

 途中まで考えたのを取っておいて後で続きを書くとして、重要になるのはその時点の状況を適切に保存しておくことだ。
 そこまでに言葉にしたものを適切な場(例えばデイリーノートの下の方)に貼り付けるはいいが、それだけでは足りないかもしれない。何かを言葉にしようと思うのは基本的には何かの事象に対する反応が自分に起こったからであって、その事象がなんだったのかが曖昧になると自分の中で起きた反応も曖昧になってしまう。なので、まずその事象がどんなものであったかをきちんと記しておくことが大切だ。
 そして自分の中に起きた反応のうち、まだ一部しか文章にできていないという場合は、後で再開した時にヒントになる文言をメモとして残しておいたほうがいいだろう。
 目的意識が薄いと考えたことは時間とともに儚く失われやすいだろうから、一層保存が肝要だ。書かなきゃ書かないでいいようなものなのに逆に手間を掛ける必要があるということになり、最初はかなり意識しないとうまくいかないかもしれない。
 簡単にフォーマットを作っておけば意識の力に頼る度合いは軽減できるだろう。例えばこの三点。

  • 話題
  • 所感
  • 思索

 まず話題欄にコピペするなり要約するなりして、とりあえず思ったことは「所感」欄に書き留め、文章にしたものは「思索」欄に書いていく。習慣づけば敢えて○○欄というふうにしなくてもよくなるだろう。
 今までの私は話題そのものの保存が疎かになっていたから、書いた時は自明に思えた「何の話か」が後になってよくわからなくなったりしていた。必ずセットで保存しておくことが大事だ。

 こんなところだろうか。以上のことで「後で続きを書く」送りにして結局書かない問題が解決したらいいなと思っている。(自分がこれからどうしていくかをこの記事を書くことで考えたのであり、実践はこれからになる。)
 

2025/04/28

コピー用紙とショッパーで簡易ノートを作る

2025/04/27

オールインワンの夢と複数ツールの越境的活用

 全ての情報をひとつのツールで扱えたらいいのにという思いは絶えずある。


 記事を書き始めた最初の頃にも、アウトライナーをうまく使えないことについて書いた中でその話をした。

 何かのツールで完全にオールインワンを実現している人というのはいるのかどうか、いるとしてどのくらいいるのかは全然わからないのだが、たぶん、実現できていない人(あるいはそうする気がそもそもない人)が多数なのではないかと思う。

 個人的な見解としては、現状のツールだとどれを選んでも私はオールインワンを実現できない。それぞれの機能の特徴が一長一短ということもあるし、「ツールを切り替える」ということが自分の中で必要になっている面もある。
 それは作業を並行して進めたいから複数同時に開いておきたいという意味でもあるし、違うツールを使うということがスイッチになって自分のモードが切り替わるという意味もある。○○用のツールはこれと決めれば、それを開いた時に○○のモードになるということだ。前者はマルチウインドウ式ならひとつのツールで達成できるが、後者はツールが違っていないと成り立たない。

 それならそもそもオールインワンなんか目指さなくてよくない? という疑問が生まれる。それはその通り。
 しかしそれでも複数のツールを使うことに多少の不本意さを感じてきたのは、つまるところ、データがバラバラになっている感じがしていたからだ。それぞれのアプリケーションでデータの規格は違っているし、何かを探すとなればツールごとに検索する必要がある。自分が持っているデータを総合して扱うということができない。
 このことはもうどうしようもないと長い間思っていた。インポートとエクスポートの機能が各ツールに備わっていてかつその形式が一致しなければデータを移すこともできないし、という感じで。

 しかしながらここ最近は、このことについて悩まなくなった。
 同時に使っているツールは過去最多のような気がする。メインのものというのはあるが、限定された用途のみのツールを含めれば、Capacities、Dynalist、Obsidian、Cosense、Notionを全部並行して使っていることになる。それでも混乱はないし不本意さもない。
 というのは、「データを一箇所に集めようと思えば集められる」と思えるようになったからだ。
 複数のツールを使っているが、ツール選択には条件がある。それは完全なデータをエクスポートできるか(あるいはローカルにあるか)、APIで直接取り出せるかということだ。よりよいのはAPIでデータの編集までできることだが、それは全てが備えていなくともとりあえず構わない。
 更に重要なのは、そうして取り出したデータを特定の規格に揃えられること。自力でやるにはプログラミングのスキルが必要だが、別に高度なことはない。ちょっと勉強すればできるようになる。
 ここまで来れば、自分があちこちで扱っている全てのデータがたった数個のコマンドで繋がることになる。アプリケーションとアプリケーションが直接連携しているわけではないが、「バラバラ」感はかなり薄れる。
 実際、ツール間のデータの引っ越しを結構やっている。CosenseのデータをDynalistに移したり、DynalistのデータをmdファイルにしてObsidianに移したり、やろうと思えば大体どうにかなる。

 情報が複数のツールに分かれることによってバラバラになることが気になるのは、「この先ずっとバラバラであり続ける」からというのが大きい。アプリケーションがデータを出力する機能を備えていなかったり、データを加工する手段を自分が持っていなかったりすればデータはアプリケーションの数だけ分かれてそのままになってしまう。
 データを出力できるアプリケーションを選び、データを加工する手立てを得ておけば、オールインワンを理想としながらも複数のツールを使う生活をしてモヤモヤとすることはない――と言い切っていいかわからないが、とりあえず私はモヤモヤしなくなった。

 今気をつけていることは、出力したデータを他の規格に揃えやすいように書き方に注意しておくことだ。あんまり囚われても良くないのでカチッと決めるということではないが、あまりにも無秩序でめちゃくちゃになると加工しにくいのである程度は形式に意識を向ける。特にDynalistやCosenseのような自由度の高いツールは自分なりのフォーマットを作っておくかどうかで活用しやすさが大きく変わってくるだろう。
 また、そういう軽いルールは必ずしも自分を縛るものではなく、どこにどの情報を書くか決めておいた方がその都度判断せずに済んでむしろ助かる場合もある。自由すぎて場当たり的な使い方を続けているようなツールは、後々の加工しやすさを基準にフレームを作ってみるとツールの使用感がよくなる可能性もある。
 とはいえ、データは出力さえできればどうにでもしようがあるので、「気をつけておくと後でちょっと楽」という程度に考えておく。そのうち自分にとっての定番のフォーマットというのが定まるだろうし、そうなれば形式の維持に認知資源コストを費やすこともなくなるだろう。

2025/04/26

五年後楽しくなっているように記録をつける

 最近「記録のつけ方」全般についていろいろ考え直している。


 今までというのは、記録をつけようとして記録をつけていた。それはそうだろう、と思われるかもしれないがちょっと待ってほしい。
 記録をつけようとして記録をつけるというのはつまり、記録をつけられたらそれで万事オーケーかのような態度ということを指している。これで情報の散逸は免れ、後から確認しようと思えばできる、よかったよかった、という状態だ。
 で、どうも「記録をつけようとしてつける私」の感性は、「記録を見たい私」の感性とは随分ずれているらしい。
 何が言いたいかというと、要は記録されたものが総じて面白くないのだ。

 これは別に「漫然と記録をつけていても駄目なんですよ、ちゃんと考えて設計しなきゃいけませんよ」みたいなことを言いたいのではないし、ただの個人的な日記なので真剣に読んでほしい話ではない。
 あと、これは正確な記録をつけることがそもそも目的であるもの(業務記録や研究記録など)の話ではなく、いわゆるライフログを含む「後から読み返した時に自分が助かりたい個人的な記録」について書いている。

 記録をつける時は、記録をつけやすいか、検索で取り出しやすいか、必要な項目があるか、みたいなことを考える。それはまあ大事ではある。しかしながら、それらの条件を満たした、記録として完璧っぽいものを溜めていったとしても、その後それが特に喜びをもたらさないことが割とよくある。
 そうなる理由はいろいろある。ビューが気に入らないとか、無機質過ぎるとか、ごちゃごちゃしているとか、アプリケーションが重いとか、「だから何」感があるとか。記録としての完成度と、自分にとっての感触の良さというのは一致していないので、記録をつけてもそれを利用する気が起きなくて持ち腐れになってしまう場合がある。
 だからといって、記録をつける時に「感覚」でやってしまうと後から困ったりもする。「記録をつけようとしてつける私」の立場のままどう考えても「記録を見たい私」の意には沿わないのだ。いずれにしろ合ってないなら適当にやるよりかは頭でっかちなほうがマシだ。これを忘れて「使えない記録」を生み出してしまったようなことは実際ある。

 記録をあまり見たくならないので、記録に対して意識を向けるのは「記録をつける時」ばかりになりがちだ。それゆえに「記録をつける私」のああしたらいいんじゃないかこうしたらいいんじゃないかが常に先走っていて、肝心の「記録を見たい私」は閉口している。
 記録を見る時にはどうにか探したい情報を探し出し、やれやれどうにか取り出せたと溜め息を吐いて、そしてその記録についてはおしまいになる。前後に目をやってへーとかふーんとか多少は思うが、折を見て読み返したいみたいな気持ちにはそうそうならない。

 なんだかすごくおかしいのだが、「駄目じゃない?」とはっきり思ったのは、自分が年老いた後にどういう記録がどういう形で残ってほしいかを考えてみた時だ。今の時点で納得いっていないような(しかも多くがデジタルの)記録がこの先どんな意味を持てるか考えると、いやシンプルにゴミだなと思った。愛着を持って嬉しさを感じながら(あるいはかつての苦悩をまざまざと思い出しながら)読み返せるようなものでないと、個人の記録としては存在意義が薄い。
 もちろん、今つけている記録がそもそも年寄りになった時にまで必要かというと、全部が全部そうではない。要らないもののほうが多いだろう。しかしこの調子だと将来にわたって残したい記録が納得できる形で残せるとは思えない。
 年寄り視点で考えると、今デジタルが合理的と信じているものも、紙で残したほうが価値があるんじゃないかと思えてくる。で、それは今の時点でも本当はそうだったりする。便利なデジタルツールがあるんだからデジタルがいいに決まっていると思ったりする一方で、例えば大学ノートに膨大な記録を残しているような様子を見るとそちらのほうに強く憧れを感じる。今更大学ノートじゃ捗らないのかと言えば、別にそうでもないような気がする。機械的な「処理」をしないなら人間にとってはどっちも大して変わらないかもしれない。

 便利かどうかで考えるのは、便利でなくてはならないものに限ったほうがいいのかもしれない。便利なほうが良さそうな気がしても実際大して便利でなくてもいいようなものは、むしろ便利でないほうに正解があることもある。
 さすがに年寄り視点で全てを考えるのは現実的ではないが、せめて五年後くらいの自分の視点で考えてみる。そうするととりあえず五年後に続いていないかもしれないツールや、到底五年も継続できそうにないやり方というのはやめたほうがいいとわかる。そして今やっている形で蓄積していった五年分の記録がどうありがたいかを想像する。あんまりありがたくなさそうならやり方を変えたほうがいいかもしれない。

 そんな感じで、五年後の自分がグチグチ文句を言うことにならないようにもうちょっとハッピーな感じでやっていきたいと考えている。
 そのわかりやすい例として、デジタルでつけていた一部の記録を紙に(具体的にはB5のルーズリーフなどに)つけることにする、というのもあるが、別に「アナログの方が良い」という話をしているわけではない。便利っぽさに引きずられているだけのようなものを再考して大胆に(しかし慎重に)改めたいということである。
 

2025/04/25

自作ツール・旧サイトのサンプルを整備

トップの「玄関」ページに昔作ったツールやサイトのサンプルへのリンクを貼りました。
パッと見では正しく動いてそうだけどちゃんと動作確認はしていない。
今となっては初心者も初心者の頃に作ったものたちなのでかなり心もとない感じだけど思い出として置いておくことにした。
自作ツールはもうちょっとまともなのが他にもいくつもあるので、それも公開できたらいいとは思うものの、なかなか手が回らないでいる。

2025/04/24

例の猫ではない猫

ここ数年家の周りによく来る猫がいたので、Capacitiesのデイリーノートに「例の猫が来た」という感じでタグリンクをつけて書いていたのだが、最近は違う猫が何種類か来て、「例の猫ではないサバトラ猫が来た」みたいに書いている。
春になって最初に見た「例の猫」らしき猫は、似ていたけどちょっと柄が違った気がして、もしかしたら娘とかかもしれない。去年「例の猫」は少なくとも二匹の仔猫を連れ歩いていた。
もう「例の猫」は来ないのかもしれないけど、多分「例の猫ではない猫」と書き続ける気がする。

2025/04/23

メモではないマイクロノートの扱い

 Twitterのような短文投稿サービスは二つの意味で書きやすい。


 ひとつは「140字未満でオッケー」というケリのつけ易さ。もうひとつは「人に見られていると思うときちんと書きたくなる」という気持ちの面でのドライブ。これらによって、一定以上文章化が得意な人は果てしなく書き続けられるだろう。
 そしてTwitter系のサービスの良いところは、検索というフィルタリングをすると条件を満たすツイートがそのままの見た目で並んでくれること。内容を確認するためにクリックする必要はない。検索画面然としていないというのはそう当たり前のことではないと思う。
 そういったことが便利なので個人用のメモとして使うという人もいる。わざわざSNS風にデザインしたメモアプリもたくさんある。

 とはいえ、短文投稿サービスそのものは編集もできないし並べ替えもできないし分類もできないしで、ノートツールとして利用するのは心もとない。
 といって、Twitterに書いたことをTwitter以外で管理しようとすると、これが途端に難しくなる。Twitterに「意味のあること」を書き散らしてしまうタイプの場合、その後の扱いに困っているという人が少なくないと想像する。
 デジタルノートツールは数あれど、SNS的な短さの記述を大量に扱うに向いているツールというのが案外ないのだ。

 ひとつひとつにそれなりの意味が含まれているならばカード的なツールがいいんじゃないかと思うかもしれない。しかし短文投稿というのは何年か続けると万単位の件数になる。それら全てが意味のあるポストではないとしても、何百とかで収まるものではないのは明らかだ。
 何千件何万件のカードを、タイムライン的なビューなしに扱うのはちょっと厳しい。現状のカードっぽいツールだとTwitterのような一覧性はあまり伴わない感じがする。
 ひとつあたりの短さだけに注目して付箋ツールを使いたくなったりもするのだが、繰り返すが何千件何万件の世界である。付箋ツールでは一瞬で限界が来る。

 短文投稿サービスの良いところはもうひとつある。それは全てのポストに固有のアドレスがあることだ。URLを記述すればリンクが形成される。このことによって、ひとつの話題を一度に言えなくても後から結びつけて続きを書けるようになるので、「今言えることをとりあえず言う」ということがしやすくなる。また、ひとつのポストのURLを複数に貼れば、話題を枝分かれさせることもできる。
 ツイートを全部コピペしてテキストエディタに貼るとしよう。そうすると個々の記述はアドレスを失う。記述と記述の間に結びつきを作るのが難しくなる。そうなると話の流れというのは直接の並びによって認識するしかなくなって、SNS上にあるより不自由を感じることになる。
 よって、記述を個別に扱えて、他の場所から「あれ」と指し示せることは重要だ。

 ところで、この記述というのはなんなのだろうか。Twitterなんかに投稿する内容は人それぞれだろうから「SNSに書くもの」を定義することには意味がない。ここでは、あることについての説明や主張など、長期的に意味をなす短文について考える。
 これは「メモ」というよりは「ノート」だろう。後々より完成度の高いノートを作る過程で消費されていくかもしれないが、その作業をするかどうかはその人の志次第で、そこまでしなくても既にノートとして成立していると思う。
 しかしながら、その粒度の小ささと数の多さ、内容の種類の雑多さによって、いわゆるノート術がそのまま適用はしづらい感じがある。メモとも性質が違うのでメモ術も当てはまらない。
 日記をマメに書く人は、日記の中にこの種の記述が溜まっていくことになるかもしれない。日記に書いたという時点でそれは目的を達成している、と考えればそれ以上何もしなくてもいいが、もしもそれを「発展させていくもの」として考えるならば急に扱いが難しくなる気がしている。まず続きはそこに書くのか、それとも「続きを書いている日」の日記に書くのか。何の続きなのかをどうやって表記するのか。やりようは色々あるにしても、ちょっと頑張った工夫が必要な感じがある。
 この手の記述を、ひとまず「マイクロノート」と呼ぶことにしておこう。マイクロノートはそれひとつでもう完結しているかもしれないし、何十も連なるかもしれないし、何重にも枝分かれしていくかもしれない。SNSでは当たり前に見られる風景である。

 このマイクロノートを、SNSではない個人的なノートツールでうまく扱うにはどうしたらいいか。ひとつひとつにアドレスがあってほしいとなると、行単位でリンクを持つようなツール、つまりプロセス型アウトライナーのようなものか、ブロック単位でリンクできるNotionのようなものということになる。
 他にあるだろうかと考えてみるが、どうだろう、私も詳しいわけではないので断言することはできないが、いまいちこれというものは思いつかない。カード風のツールならある。しかしビューはTwitterのようには見やすくない。
 現時点ではプロセス型アウトライナー(私の場合はDynalist)が現実的かなとは思うものの、それは単に「行単位で扱える」という点に照らしただけで、構造化されていくとは限らない数千ノードを扱うのにアウトライナーが向いているとも思えない。無理ではないが、ドンピシャではない。
 Notionだと、ブロック単位でアドレスを持つものの検索結果がページ単位だから、やはりTwitterのようにはいかない。いっそデータベースで1レコード1マイクロノートの形にした方が検索という意味では良いが、コピペで一気に移すということが全然できなくなるので、テキストデータとして硬直的になり過ぎる感がある。
 どれも一長一短で、それよりSNSに分類機能と編集機能、まとめ機能があったらな、と思ってしまう。実際にそれらを実装してほしいかというとそういうことではないのだが、要するにTwitterがすごく画期的だったのだ。

 外山滋比古が『思考の整理学』で「手帖」「ノート」「メタ・ノート」の三段階のノートについて書いている。マイクロノートはそのうち「手帖」に書かれるものとおそらく近いと思う。「要点のみ簡潔に書く」とあるので、他人が読める程度に整えたツイートとはちょっと文の質は違うだろうが、例えば「明日不燃ゴミ出さなきゃ」的なメモとは別という意味ではだいたい一緒のものである。
 まず手帖に着想をどんどん書いていく。それには日付と通し番号を添える。通し番号があるので「このアイデア」と指し示すことができる。そして書いたらしばらく寝させて、後から読み返してまだ面白いものはちゃんとしたノートに植え替える。(つまり後日読んで意味を把握できるような文ということだ。)
 これと同じ手順をデジタルのマイクロノートでもなぞった方がいいような気はする。問題は、タイムライン状にただただ並んでいても手帖のようにはパラパラ見れない(気まぐれに適当なところを開くというようなことがしにくい)ことかもしれない。冊子をパラパラ見るというのは大量の記述を高速に捌けるし、アナログの記述ならおおよそどこに書いたかという記憶もしばしば残っているので、検索機能がなくても割とどうにかなる。しかしデジタルデータは「位置」の情報を使いにくいし、スクロールでの確認はパラパラ見るより遅い上に目が非常に疲れる。
 その不便さも相まってSNSに置いたままじゃなくてより扱いやすそうなどこかに移したいという気持ちにもなるのだが、しかし他のデジタルノートでもそれはなかなか解決できない。年ごとや月ごとに区切るくらいか。
 外山滋比古の手帖のように通し番号を振るならば、マイクロノートがそれぞれURLを持つ必要はなくなる。ただ、通し番号というのは書き換えができないアナログだからこそ几帳面にやっていられるとも思う。ツールを替えてノートの形が変わっても維持できるかというと微妙だ。できる人はいるだろうが、私は難しそうだ。

 結局未だ解決していない。理想の光景は紙の手帖にきっちり書いてそれが何十冊もバーンと並んでいるみたいなものだが、Twitterに書き込んだものをわざわざ手で書き写すのは馬鹿げている。
 いっそのこと、Wordか何かにマイクロノートを並べて自動でナンバリングした上で印刷してしまったらどうか、なんてことも考える。せっかくデジタルデータになっているのをわざわざアナログにするのかという感じだが、実際やってみれば悪くないような気がする。ただ個人的に、それをやる気にはなれないでいる。
 ちなみに自分でアプリケーションを設計することも考えてはいるが、メタデータが必要になる都合上、データの形式がどうしてもJSONなどの機械用のものになってしまって、普通にテキストエディタで外から編集できるような形にしづらい。もしスマートフォンから閲覧・編集したいとなったらスマートフォン用アプリも作らなきゃいけなくなってくる。現時点では厳しい。

 理想のデジタルノートはどんなものか。今日も悩んでいる。

2025/04/24 9:15 一部加筆しました
 

2025/04/21

【Capacities】Daily Noteのテンプレートに「今ホットなものまとめ」を組み込む

2025/04/21

Dynalistの通信量問題

ここ最近頭を悩ませていた問題。PC・Androidアプリともに通信量が目立って増えていて、大容量の通信をしている自覚がなかったので原因を突き止めるのに時間がかかった。
DynalistのAndroidアプリがあからさまに多過ぎる通信をしていて、アウトライナーでそれはないだろうと思っておそらく原因はDynalistだというところまではわかったのだが、それ以上を詰める知恵がなくてしばらく悩んでいた。Androidアプリは動作も重いし、全体のノード数が明らかに多かったのでそれはとりあえず一因だろうと思ったのだが、それを解消してもまだ通信が多いので不思議に思っていた。
で、ふとPCのブラウザのデベロッパーツールでネットワークタブを見たらいいんじゃんと気がつき(どうして最初から思い至らなかったのか)、チェックしたところ、ロードした時点で大量の画像ファイルを一気に読み込んでいることがわかった。PCとAndroidアプリの両方で通信量が増えていた理由がこれで判明した。
更に、ブラウザの方では自作のChrome拡張機能のsetInterval処理の一部が、重複しないように設定していたものの予想以上に通信していたので余計に通信量が嵩んでいた。

setInterval処理の方は設計が良くなかったというだけなので対処できる問題だが、画像読み込みについてはDynalist側の問題なので多分どうしようもない。
画像をGyazoにアップロードしてそのリンクをDynalistに貼って画像を管理するということをやっていたので、それがまずいとなると別の方法を考えなくてはならない。
起きていた問題の原因は明らかになったが、まだ頭を悩ませている。

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