2026/04/18
『わたしの知的生産の技術』と語り口
『わたしの知的生産の技術』という本を読み始めた。1978年出版(講談社)の昔の本である。
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動じないために。
口で何か喋る時に使ったら負けだと思っているもの。
「なんか」「すごい」「~かなあと」「~だったり、~だったり」「<感謝など>しかない」「うん」「ほぼほぼ」「めっちゃ」「めちゃくちゃ」(以下適宜追加)
なお一部を除いて、書く時は逆に気にならない。
というか、自分がいま公と私の数直線上のどこにいるものとして言葉を使っているのかの問題なのだろう。
テレビでもラジオでも頻繁に耳にするが、「やる」の尊敬語として「やられている」と表現するのはどうも馴染まない。
「されている」「なさる」「おやりになる」ではいかんのか?
というか、「やる」を日常的に使いすぎでつい「や」で始めてしまうからもう「やられている」と繋げるしかなくなってしまうのではないか。
総じて話す態度が軽率過ぎる。考える間もなく発話してしまうから後手後手で帳尻を合わせる羽目になっているように思う。そしてそんな調子で帳尻が合うわけがない。
仕事として人と話をする場なら発話にあたって表現を適切に整えるくらいの思考時間はあって然るべきだし、相手がそれすら待てないようならばそちらの方が公の場で話す態度としてどうかしている。
心はかたく、頭はやわらかく。それがダンディってもんだぜ。
「おしりたんてい」に登場の、おしりたんていの父親おしりダンディの若かりし日の台詞。
なんだか妙に納得してしまって印象に残った。