こちらの投稿を読みました。
productivity(生産性)よりpracticality(実用性)の尺度を物差しとしてはどうか、というお話にはその通りだなと頷いて読みました。
多分議題としてズレたものになるのでこのお話に対する新たな提案というわけではありませんが、ちょっと考えたことがあったので書こうと思います。
生産性にしても実用性にしても、これは「客観的に測るもの」であることを前提とした尺度と感じました。生産者に依存するのではなく、単位時間当たりにどの程度生産されるのかとか生産物が世の中でどう価値を持つのかということです。そもそもが「しょうもないものをただバンバン生産できたからってしょうがないよね」という文脈なので当たり前の視点かと思います。
外国語ではどのようなイメージを伴っているのかわかりませんが、日本語では「知的生産」という言葉に工業的な響きがあり、否応なしに「質」と「量」の概念を引き連れてくるという感じもします。「知的生産」と呼ぶ限り、書き手は「生産者」なのです。
一方で、私が個人的にイメージしていたのは、「その人に可能な最大限のもの」を上限とした尺度です。少し俗っぽい言い方ですが、巷で言われている「パフォーマンス」です。
performanceを辞書で引くと、2番目に「仕事ぶり」、3番目に「(スポーツ選手などの)プレーぶり」とありました。1番目には「業績」とか「成績」とあって、それはカタカナ語として使われている用法から少し離れるなと感じるので、ここで採用したいのは「仕事ぶり」「プレーぶり」の方のニュアンスです。ここに「上げる」とか「下がる」とかの動詞がつくことで、その人なりの「○○ぶり」の程度が上下するイメージが生まれるように思います。
アスリートのプレーぶりに使われることが多いので、パフォーマンスという言葉の背景には「質を最大限に高めないと勝てない」という世界観を感じます。つまり効率性ではなく実際的な価値を追求するものということです。仮に練習メニューを手早くこなせるようになっても、試合で自分が発揮する力に貢献しなければ意味がないわけです。
また、一般的に「仕事ぶり」と言った場合も、ただ「早く仕事を片付けられる」という意味で言うわけではないと感じます。仕事が早いことも含みますが、本人としても周りとしても気持ちが良い仕事の仕方であるという意味合いが込められているでしょう。
ただまあ、「パフォーマンスを上げる」という表現には真新しさもなければカッコよさもないので、「知的生産のパフォーマンスを上げる」ということを掲げてもなんだかスッキリしません。そもそも、パフォーマンスを上げるという表現が出てくる場面がスポーツかビジネスかで、結局競争の文脈がついて回るのもこの表現が最善ではない感じをもたらしています。
知的生産という文脈に合わせて日本語に戻すならば「書きぶり」ということになるでしょうか。これなら競争している感はありません。ただし向上させるイメージもちょっと失われます。その人固有の能力っぽい感じを纏い始める気がするからです。
となると、もったりとした表現になりますが、気持ちとしては「良い書きっぷりを目指す」というのがよい感じです。「良い文章を目指す」としてしまうとどこかに正解があるかのようで迷走の元になりかねませんが、「良い書きっぷり」とすると私の感覚としては適度に主観的に思えます。
例えばAIの力を借りて知的生産をするという時、効率の話が主になると如何にも「要領の良さ」が明暗を分けるかのようで、AIが世界の無味乾燥度合いを増進させるような雰囲気が漂います。
しかし、素朴に「自分の質を上げてくれる」ことに感動している人はたくさんいるわけで、「社会で勝ち抜く」的な雑音に惑わされずに自分の○○ぶりを良くするイメージを持ち続けたいものだと思っています。
「自分なりの」という面を中心に置いた見方について綴ろうとしてみたわけですが、でも結論としては倉下さんのお話と同じことを繰り返しただけな気もします。望ましいと思うベクトルの向きが同じだからですね。