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デジタル手帳会議

デジタルツールについて「手帳会議」風に使途を検討すること。
手帳会議とは…

  • 任意のタイミングで手帳の使い方を振り返って何をどう使っていくことにするのか考えること
    • 特に年末に翌年の手帳について検討するパターンが多く見られる
  • 自分と自分の手帳の間の対話であり、ひとりで考えるもの
    • 手帳の在り方を問うことは同時に自分の生活そのものを問うことにもなる

デジタルツールについてどれを選択しそしてどう使うかを考えることも「手帳会議」でやっていることと同じ。
よって、この行為を「デジタル手帳会議」と呼ぶことにした。

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2025/03/25

Capacitiesのマイオブジェクト⑦ Container

 ナンバリングの数字が巻き戻っていますが、過去記事のタイトルを一部変更したことによるものです。
 さて、今回は前の記事Capacitiesのマイオブジェクト定点観測(2025/03) 生活に関わるもの以外のオブジェクトの除去で触れたContainerオブジェクトについてです。


 情報の扱いを考える上では、情報を置く場所、あるいは容れ物について考えることが不可避でしょう。仮に全ての情報をひとつのツールで扱ったとしても、そのツールの中にフォルダ的なものや内容ごとのトップページにあたるようなものがおそらくあり、それぞれが容れ物の役目を果たしていると思います。
 この情報はあれに入れようと考える時、その容れ物に名前がついていると考えやすいです。意識しなくとも大抵識別のために何らかの名前はつけるものと思います。
 そういった容れ物は、新たに作ったり解体したり統合したり意味合いを変えたり、様々な操作をして在り方がしばしば変化していきます。こうしようと思いつくとすぐ着手して変更を加えがちですが、その場その場でやっていると後から変遷を追えなくなります。そうすると前にやった失敗を数年後に繰り返すようなことも起こり得ます。
 なので、容れ物自体の検討や記録をする場所があると便利です。少し前からContainerオブジェクトとしてCapacitiesに用意することにしました。現在作っているコレクションは以下の通りです。

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 ちなみにアイコンは弁当箱です。このうちCapacitiesオブジェクトのコレクションはこうなっています。
画像

 頭に「❌️」がついているのは既に削除したオブジェクトです。他のアプリケーションについても、活用をやめたり解体したりした領域は❌️をつけています。今あるものだけ表示したい場合はFilterで「タイトルに❌️を含まないもの」を抽出します。
 中身のページの記述量は様々です。どのように運用するか、今感じている問題点は何かなどを細かく書いていることもあれば、ページを作っただけで中にはほとんど書いていないものもあります。
 このオブジェクトの存在意義はページを用意してそこに書き込むことだけではなく、Daily Noteなどからリンクを貼れることにもあります。例えばタスク欄に「Mapオブジェクトの○○をTime(Dynalist)に移動」と書いて「Mapオブジェクト」と「Time(Dynalist)」というページにリンクしておけば、それぞれのバックリンクに履歴が並びます。いつどういう意図で何をしたかが蓄積されていくわけです。情報がどの容れ物からどの容れ物に渡っていったかも追跡することができます。

 結局今どこにどんな場所を作っているのかというのがこのオブジェクトの一覧を見れば一目瞭然です。色々なところに情報が分散していたとしても、リストによって把握できるならばそれほど混乱しません。Containerオブジェクトを見ればいいわけなので、情報の所在を思い出すために認知資源を消費するということがなくなります。
 また、「こうした方がいいんじゃないか」と思った時に、本当にそれが妥当かを検討することが簡単になります。検討の場がページとして用意されていること、今運用している全ての場を把握できること、リンクによって過去の記述の参照が可能になること、これらによって検討をスムーズに進められます。
 このようにContainerオブジェクトを用意したことで、情報の整理方法を考えるのが随分楽になりました。

2023/12/07

デジタル三術法から見えるもの

 前回の記事デジタル手帳会議から話を膨らませていただいたこちらの記事を読みました。


 これは、デジタル手帳術、デジタルノート術、デジタルファイル術の三つの視点で「デジタルツールを扱う」ということを説明しようとする試みと言えるだろうと思う。つまり、デジタルツールそのものにデジタル手帳とかデジタルノートとかデジタルファイルといった呼称を与えるのではなく、デジタルツールを使うという行為の方にいくつかの切り口によって名称を与える試みである。
 そうして考え出された三つの名称を見ると、一周回って普通のことに見えてしまうのだが、一方でこれがなかなか当たり前ではないとも感じる。

 ところで、この区分けは前に自分もやったような気がしないでもないと思って記事を探したら、以下の二つを見つけた。

 名前は違うが、指し示したい領域としてはだいぶ重なるところがあると思う。問題意識が別のところにあるので話の内容としてはドンピシャではないけども。
 なおこの分類については当時倉下さんに別の観点で整理し直していただいた。

 時間軸に沿う・沿わない、終わりがある・ないの二軸でマトリクスができ、そのうちの三つの領域が私の出した「タイムライン型・カード型・デスクトップ型」、倉下さんの表現では「タイムライン(ジャーナル型)・非時間/恒久(カード型)・期間(プロジェクト型)」ということになる。

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 さて、表まで作って可視化したけれどもこれについては置いておいて、デジタル三術法のほうに話を戻すことにする。今のところ私もこの三分類に「確かにその通りだな」と納得している。
 倉下さんは以下のように仰っている。

よく言われる言い方を拝借すれば、デジタル手帳術がセルフマネジメントであり、デジタルノート術がナレッジマネジメントになる。
そうファイルだ。資料などを束ねておくためのもの。「ナレッジ」そのものというよりは、それを表したもの。そうしたものの扱いも、ビジネスワーカーには必要だろう。とすれば、「デジタルファイル術」が三つ目の術法としてあがってくる。
 前者二つと後者に性格の違いを感じ取ったのだが、何かと考えてみると、「捕捉」と「把握」の違いではないか。情報が失われてしまわないために必要なものと、情報を使えるようにするために必要なものである。そしてそれぞれ姿が違い、取り扱い方が変わってくるということになるだろう。
 手帳術は元々両方に跨っているが、手帳術をその二つの性格で分割することには意味はなく、自分の生活を司るものとしてまとめて扱ったほうが現実的であろう。
 ナレッジについては倉下さんがお書きになっているように、「ナレッジそのもの」と「ナレッジを表したもの」の二つのものを扱う手法がそれぞれ必要だ。これは結構難しい問題である。
 例えばEvernoteは全部をまとめて扱えることが売りだったが、実際には「ナレッジを表したもの」の収集・保管、つまりデジタルファイル術のツールとして使うことに落ち着いた人が多いのではないかと思う。今でもその点に於いてはEvernoteは他の追随を許していない気がしている。一方でデジタルノート術のツールとしては挫折して他のアプリケーションに移っていったユーザーが少なくないと推測する。そして当のEvernoteはデジタル手帳術をカバーしようと進化(?)してきたように見えるが、それが功を奏しているのかは微妙なところだ。
 Notionも全部を扱えるようになっている。手帳的運用もノート的運用もEvernoteより自然にでき、全ての問題がNotionで解決したという人はかなりいるのではないか。
 私自身はNotionに全てを解決してもらえはしていないのだが、それはおそらく、デジタル手帳術・デジタルノート術・デジタルファイル術をそれぞれ別の場所かつ別の見た目で実践したいということが前提にあるからだと思う。Notionの場合は「処理がちょっと遅い」というストレスも感じてはいるが、仮に爆速処理になったとしても多分「Notionひとつで万事解決!」とはならない。LogseqでもObsidianでも同じである。
 このことは自分でツールを作る時にも非常に厄介である。自分で自由に作れるとなれば、ぼくのかんがえたさいきょうの情報ツールを作ってしまいたくなる。頑張って考えて頑張ってコードを書いて、すごいものが爆誕したような気持ちになる。しかし最強に思われたそのツールは、どうにも上手く働かない。プログラミングが下手だからか。欠けている要素が何かあるのか。いや、全てを兼ねようということ自体が自分に合っていないのだ。その「全て」とは具体的に何なのかと言えば、それがきっと手帳術とノート術とファイル術だったのだ。
 また、メタ認知によって生まれる自己についての情報の位置づけに混乱しがちなのだが、それも領域の越境に起因しているかもしれない。自分のことなのだからセルフマネジメントの領域として「手帳術」の範疇で扱いたくなるが、しかし自分を分析対象とした研究と思えばナレッジとして「ノート術」の範疇で扱った方が自然に思える。分析結果が自分の今日明日の行動に直結するのでいずれにせよ切り離して考えることは不可能だが、二種類の領域に跨っているものではないかと思っておくとやりようはまた違ってくる気がする。跨っているから併せてシームレスに扱った方がいいのか、跨っているから線を引いて二段階で扱った方がいいのか、正解は各々違っていると思う。

 これまで、「手帳とデジタルツール」「ノートとデジタルツール」「書棚とデジタルツール」といった対比は当たり前になされてきたと思う。しかし、それらを三本柱として総合的に考えることは意外にもなかったのかもしれない。汎用的なデジタルツールはいずれも広く兼ねてしまえるので、アプリケーションの名前を主語にして話をしてしまうと曖昧にならざるを得なかった感もある。
 この見方で「デジタルツールを使う」という行為を捉え直すことは、キーワードの普通っぽさとは裏腹に、とても面白い展開を導くのではないかと感じている。

2023/11/29

デジタル手帳会議

 手帳好き界隈には「手帳会議」という概念がある。


 翌年の手帳をどうするかの検討が多いが、任意のタイミングで手帳の使い方を振り返って何をどう使っていくことにするのか考えることを指している。「会議」とは言うが、自分と自分の手帳の間の対話であり、要するにひとりで考えるものだ。その内容はもちろん手帳に書く。
 そして手帳というのは日々の生活を記録したり管理したりするものなので、手帳の在り方を問うということは、同時に自分の生活そのものを問うことでもある。手帳会議というのは自分の生活を設計する時間と言えるだろう。

 かつて手帳術を追い求めていた頃は「手帳会議」というワードをそれはもう頻繁に目にしたが、手帳界隈から離れたら全く見かけなくなってしまった。なので今まで忘れていた。
 今は紙の手帳自体ほとんど使っていないので、手帳会議というのはやる機会がない。しかし、それと同じようなことはやっている。「デジタルツールはどれをどう使うべきか」という自問自答だ。
 手帳会議というものの良いところの一つが、その行為に「手帳会議」という名前がついていることだと思う。そのことによって手帳会議は手帳界隈に浸透し、毎年やり方をいろいろ変えてみたいタイプの手帳好きならば当たり前のようにやっている。(特に女性が多い印象。)
 一方でデジタルツールの検討についてはいまいちこれという名称が浮かばない。そもそも、ツールのことをなんと呼ぶべきかも曖昧だ。EvernoteとかWorkflowyとかScrapboxとかObsidianとかNotionとかHeptabaseとかその辺のアプリケーションのことなわけだが、「手帳」みたいにズバッと万人に通じて表記揺れが起こらない総称は思いつかない。「デジタルツール」と言うと、確かにこの界隈では「ノート・カードなどのアナログツールに対するデジタルツール」という意味で通じるが、言葉だけで見れば示している範囲が広すぎる。「情報管理ツール」と言うとデータベースっぽいイメージに寄っている感があるし、やっているのは「管理」だけではない。一般的なのは「ノートアプリ」だろうか。最近のものはもはや「ノート」のイメージからは大きく離れた機能がたくさん搭載されている感があるけれども。
 ……うん、面倒くさい! この名称検討は全く本質的ではない気がする。それらのアプリケーションをどう呼ぶかより、要するにデジタルツールに於ける手帳会議的なことを指したいということが重要だ。なので、いっそのこと「デジタル手帳会議」と呼ぶことにしよう。意味としては「『デジタル手帳』の会議」ではなく「デジタルの『手帳会議(的なもの)』」である。
 Evernote、Workflowy、……が「デジタルな手帳」かというと、紙の手帳のイメージをそのまま持ってくるならそれはちょっと違うだろう。しかし、要するに自分の生活上で発生する情報をうまいこと扱うツールとして使われているのだという意味では紙の手帳と同じ役割を担っているし、「手帳会議」で手帳について検討していることと、デジタルツールの使い方について検討することというのは大体同じことをやっていると思う。
 なので、まあツールの使い方を見直すにあたっては、その一連のことを「デジタル手帳会議」と呼ぶことにしようかと思う。

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