最近Notionを使い込んでいる。
と言っても、しばしば見かけるゴージャスでファビュラスなお城みたいな感じではなく、単に自分史上で過去一番使えているというだけのことなので、何かイケてる感じの使い方の話を期待されているならばここに足を止めず他の例をお探しになってください。
Notionは何度か付き合いを試みて失敗に終わってということを繰り返してきた。その失敗のほとんどが、「継続できない」ことにある。このまま続けられたらきっと素敵になるだろうと思いつつ、継続できないのだ。その時点の生活に、「Notionの手入れをする」という時間を加えることができない。
で、そもそもの話、継続が必要なものをNotionでやろうとするのが駄目なのではないか。「手入れをしたい」なら続くが、「手入れをしたらきっと良い」だと続かない。Notionの手入れ自体が自分の欲望を満たすのでなければ、いくら必要を感じても継続は困難なのだ。
つまり、「これを続けていった暁には」という種の期待によって自分をドライブしようというのは、少なくとも私にとっては現実的ではない。今入力したことが今の私にとってダイレクトに嬉しい必要がある。
几帳面さが足りない人間がNotionを活用する上で重要なのは、「何に使うか」より「何に使わないのか」だろう。
Notionについて「何に使うか」を考えると、何でも素敵な気がしてきてしまう。実際自分が継続できさえすれば素敵な世界にしていってくれるのがNotionというオシャレな万能ツールのすごいところであって、Notionの可能性に思いを馳せる限り自己不在の幻想が無限に広がっていく。
でも実際にその世界を作っていくために働く労働者は私なのである。できないことはできない。「続けていった暁には素敵になる"かも"」という期待で自分に鞭打ち続けるのは無理がある。
肝心なのは、先に書いたように「今入力したことが今の私にとって嬉しい」ということだ。今助かる必要がある。それは仕事のことでも趣味的なことでも同じで、明日以降も継続するかどうかとは関係なく、今書けば今嬉しいということが結果的に継続にも繋がっていく。
私にとってやってはいけない使い方の代表が、自分史的なもの、つまり人生や生活についての蓄積である。自分という存在についてのデータベースを作ろうとし始めると失敗する。日誌も同様だ。あるいは所有している本や読んだ本の記録もそう。これはあくまで私にとってであって、他の人も駄目だということではない。むしろそれこそNotionでやりたいし実際上手くやれているという人も普通にいると思う。
自分史系の情報というのは、実際問題いつ見たいものなのか。私の場合は、極端に言えば自分が九十歳になった時なんかに見たい。今ここまでの人生を振り返るのももちろん喜びにはなるが、しかし振り返りたいタイミングはその後自分が死ぬまで生じ続けるわけで、つまりそういうスパンで自分についての情報の更新は続いていく可能性が普通にある。それをNotionでやろうというのはちょっと違和感がある。入力や管理にNotionのシステムは非常に便利なのだが、「これずっと続けるのか?」と考えた時に、対象が「自分」だと継続するには規模が大きすぎる。
そこで考えた目安として、最長十年で更新不要になるかどうか、ということがある。
十年というのは適当な数字なので何も根拠はないけれども、ともかく、データベースにすることが活きる程度には更新が続きつつも何年かで締めることになる類の対象がちょうどよいと思う。仕事のプロジェクトなんかはまさにNotionが活きる規模だろう。最初からNotionはそういう使い方を前提としたサービスに思う。
で、これは規模の問題でもあるが、それと同時に、そもそもそのくらいのスパンで更新不要になることというのは、情報が今今必要であるパターンがほとんどだろうと思う。つまり今情報入力することが今嬉しいようなものだ。それなら当然手入れの継続も容易である。その意味でも期間が比較的短く限定された対象を想定するのは迷走の予防に役立つ。
他にもいくつか自分にとってのポイントがある。ひとつずつ書いていこうと思う。