こちらを拝聴した。
その中でタイプライターやワープロといった書くための専用機の話があった。(なお『思考のエンジン』については私はまだ冒頭をちょっと読んだところで止まってしまっている。)
同年代の中ではもしかしたら珍しいかもしれないが、私はタイプライターもワープロも触ったことがある。タイプライターは母親が持っていて、ワープロは電子レンジみたいなサイズのごついものを父親が持っていた。小さい頃だったのでそれで何か文章を綴るということをしたわけではないけれども、どういうものかくらいは一応理解している。
特に何が言いたいということもないけれど、この機会に記憶を辿ってみようかと思う。
タイプライターの愉快なところは、ボタンを押すとガチャンと文字の判子が捺されて即座に印字されるところだ。アナログだが機械的で、もはや道具としてそれを使う必要性を失った今の時代からすると、シンプルに「面白い」感じがする。
今はアナログイコール手書き、デジタルイコール印刷(もしくはデータのまま)、というふうな住み分けになっているから、電気を使わずに「ボタンを押すと、印字される」という機構とは縁遠くなっている。
日本語が打てないことを考えるとタイプライターは後のワープロやパソコンほど手書きの代替になったわけではないのだろうし、母語のタイプライターがない人間にとっては単純に「手書きとワープロの間」と言えるものではないが、もしも自由自在に日本語が打てるタイプライターがあったとしたら、「間」のものとして働いて情報管理における紙の扱いはかなり違ったものになるのだろうなと思う。今でもただ綺麗な統一された字体で表現したいという理由だけで印刷をしたくなることは普通にあり、それを叶えてくれる簡単な道具があったらアナログのテクニックはもっと豊かに育っただろう。
タイプライターについて母親が繰り返し話していたのが、「打つのが速すぎるとキーのアームが噛んじゃうんだよ」ということだ。それを防ぐために今パソコンのキーボードでもお馴染みのQWERTY配列が生まれたという説があるが、打鍵速度に気を使わなくてはならないというのは今のキーボード入力とはだいぶ異なった感覚だなと思う。打鍵速度が指を動かせる速さの限界まで高められるということもデジタルの利点なのだ。
タイプライターに初めて触った時、私はピアノのようだなと思った。無個性に並んだボタンを押すと、「文字を打つ」という範囲内でそれぞれ違った結果が現れる。ピアノの鍵盤が「ひとつの音を出す」という範囲内でそれぞれ違った結果を生じるのと同じように感じたのだ。今パソコンのキーボードに対してそういうある種詩的な感慨というのは全然抱かないのだが、それは「操作」という動詞に寄り過ぎているからかもしれない。パソコンのキーボードはパソコンの処理を操作するためのものだが、タイプライターのキーやピアノの鍵盤には何かを「操作する」ためのものという印象は持たない。あくまで「書く」「弾く」ためのものである。
父親が持っていたワープロは、今見たらまた違う印象になるのかもしれないが、幼少の私からするととにかくでっかい塊という感じだった。前面のカバーが手前に開くようになっており、その内側の部分がキーボードになっている。
今なら大抵キーボードが本体側で開く蓋の方がディスプレイであり、まあどっちを動かすかの違いに過ぎないが、手前に倒したカバーがそのままキーボードになるというのは今考えてもちょっと面白く感じる。箱に画面がついている、というのはブラウン管テレビと似たような見た目だし、その時は画面というのは本体と一体という印象が強かったなと思う。その後登場した薄型ディスプレイには「画面って薄くなるの!?」という驚きがあったのを覚えている。
ワープロの黒い画面の右側にはフロッピーディスクの挿入口が二つついていたと思う。そしてその隣にはフロッピーディスクを数枚収納するための空間があった。「置き場」があるというのは小型化が徹底される今となってはあり得ない工夫かもしれない。でも便利だったと思う。
ワープロは印刷機を兼ねていたから、上面に紙を差し込んで横のツマミをくるくる回してセットして、インクリボンなるもので文書を印刷できた。当時はリボンというのはアクセサリーや包装に使う平たい紐のイメージしかなかったから、ワープロという無機質な機械とリボンという華やかな装飾品が言葉として結びつかずに混乱したことを覚えている。
父親がそのワープロを使って具体的にどのような仕事をしていたのかは全然わからないのだが、私が触っても良かったフロッピーディスクの中には父親の書きかけの物語が三つほど入っていた。いや、書きかけともちょっと言い難いようなごく短い冒頭部分だけだったのだが、父親が物語を書くことを試みていたということはそれで私は知ったわけである。内容も文体も子ども向けという感じだったから私のために書こうとしていたのかもしれないけれど、完成させる時間か気力かその両方かが足りないままに私は育ってしまった。もしかしたらそれらについて何らかのやり取りを父親としたかもしれないが、とりあえず覚えていない。
それらが結局どういう話になるはずだったのかはわからないが、当時の私はお話を作るということをまるっきりの無から有を生み出すことのように感じていたから、書き出しだけでも創造したことには素朴にすごいなと思っていた。
ちなみに私は後に言うアスキーアートのようなものを描いて遊んでいた。幼すぎて文章は書けなかったから、記号でお絵描きしていたのだ。その分だけどんどん巧みに……ということは特になく、いつまでもいくつかの決まった記号を並べるだけだった気がするが、楽しんで遊んでいたということは覚えている。
そういえば、当時のワープロは黒い画面に白い文字だったから、今で言うダークモードが当たり前だった。私にとってはそれは如何にもデジタルな、しかも初期のデジタルという印象が強い。ドラゴンクエストのコマンドも黒い背景に白文字だ。子どもの頃に見たデジタルっぽいものの印象と「黒い背景に白の文字」ということが私の中で強く結びついている。ワープロでは文字列の選択部分が白背景に黒文字になっていたが、その状態はあまり綺麗には見えなかった。
今私はなんでも極力ライトモードに設定しているのだが、かつて家にやってきたWindowsの画面で白い背景に黒い文字が美しく映ったことに感動したのをずっと引きずっているのかもしれない。