浦島太郎再び
ちょっと先月いっぱい、のらてつとしてはほとんど何もできなかった。
去年のGW頃にも浦島太郎になっていたけれど、その時は精神的休養という感じで懐古の旅に出ていた。今回は経緯としてはちょっと事情が違うものの、ただ、単に忙しかっただけでなく、「隙間時間に頑張って記事を書いて投稿する」みたいな気力がなくなってしまっていたことが要素としては大きい。(三月から怪しかった。)
不在の間にちょっとは回復もしたのでぼちぼち更新を再開していきたいと思っている。
動じないために。
ちょっと先月いっぱい、のらてつとしてはほとんど何もできなかった。
去年のGW頃にも浦島太郎になっていたけれど、その時は精神的休養という感じで懐古の旅に出ていた。今回は経緯としてはちょっと事情が違うものの、ただ、単に忙しかっただけでなく、「隙間時間に頑張って記事を書いて投稿する」みたいな気力がなくなってしまっていたことが要素としては大きい。(三月から怪しかった。)
不在の間にちょっとは回復もしたのでぼちぼち更新を再開していきたいと思っている。
Scrapbox自体のスタイルに変更があったので、影響を受けたUserCSSを修正しました。
多分これで大丈夫だと思うけど、他に問題があれば気付き次第対処します。
雑記帳(BBS風コンテンツ)に書いていくことにした。
Noratetsu House: ライフ・アウトライン実践ログ
書いておきたいが記事にはしづらいこと、もこれなら書ける。
古いノート・メモを年ごとに角2封筒に突っ込んだらスッキリしたでは、形式が不揃いなメモ・ノート類を角2封筒に放り込むことで規格化したことを書いたわけだが、ポイントは以下の二点になるだろう。
もうひとつ、前記事では強調しなかったポイントがあるので、今回はそれについて書いてみる。
角2封筒で統一する、つまり「揃っていないなら角2封筒に突っ込む」という力技は、自分の中に湧いてくる余計な整理欲を問答無用で切り捨てつつ、自然と実際的に有効な粒度での管理を可能にする(と思う)。
というのも、デジタルと違って封筒は内容物に応じて物理的に様子が変わるからだ。少ししか入れなければぺたんとして軽いし、大量に入れれば分厚くなって重くもなる。みっちり入れると片手で取り出すのがやや辛い重さになる。
前記事の文脈では、封筒は丈夫な紙でできているからペラペラの紙に留まらずノートまでもを突っ込んでしまえる、ということを強調したが、しかしながら丈夫だからといって詰められるだけ詰めるのが正解というわけではない。
重要なのは、取り回しが楽な範囲で管理することだろう。パンパンに詰め込んだ場合、重くて取り出しにくい上に中身も出しづらい。そしてゆとりがないと内容物の確認のためにはいちいちすっかり出してしまわなくてはならない。それはひとまとめの粒度が大き過ぎる。封筒をケチってはいけない。
年単位でまとめたら捗ると言っても、一年分を一袋に入れてしまわなければならないということではない。一袋で差し支えない場合は一袋でいいし、紙が大量にあるなら何らかの基準で分割すればよい。
逆に、あんまり細かく分割するとそれもそれで大変になる。クリアホルダーならまだしも、紙の封筒の場合は中身の確認に一手間かかるわけで、ひとつの作業のためにいくつもの封筒を参照しなければならないとなると面倒である。
やはり前回書いたように、「逆さにして全部ガサッと出す」ということができるくらいの粒度が良いだろう。それなりには入っているが、取り出すのに苦労はしない程度、机の上に広げられる程度の量であるということ。
自分で封筒を手に取った時にちょうどよいと感じる粒度が、情報の管理上もちょうどよい粒度なのではないかと思う。物質的な感触を基準にして決めるというのはアナログならではのことだ。[1]
不揃いなメモ・ノートを封筒を使って管理する際のポイントとなるであろう点をまとめ直してみよう。
要するにこれは、放っておくとそうではない形でやろうとしてしまう自分への戒めである。規範意識の暴走を防ぐための自分用三ヶ条が今できたということだ。
もちろん、客観的な基準が明確な書類はその限りではない。そういうものは「山根式袋ファイルシステム」や「押し出しファイリング」を実践することにして、それに相応しい単位で扱うのが良いだろう。 ↩︎
紙のノートについての自分語りの続きのような話。結論としてはタイトルに書いたことが全て。
何ヶ月か前に、過去のメモ・ノート類の整理をした。上記の記事の時点で「一箇所にまとめる」ということは完了していたので、その上でより納得感のある形にすることを試みていた。
時期によって規格がばらばらなのは過去記事に書いた通りで、ノート的なものをコピー用紙などのペラ紙に書いていることもしばしばある。自分のブームがかなり短期間で移り変わってしまうので、「この年はこの形式」みたいにキリの良い期間で綺麗に分かれるわけでもない。
前はサイズごとに扱っていたので時系列がよくわからなくなっていたのだが、やはりメモ・ノートの整理の大前提として時系列に並んでいる必要があると思う。自分のテーマとしてはっきりしているものはテーマごとでいいが、それにしてもそのテーマ内ではやはり原則として時系列で整理されているべきだろう。
ただし時系列といっても絶対に日時順を厳守するということではない。どの程度順番が厳密であるべきかは内容にもよるだろうが、個人的なノートはとりあえず何年のものかくらいはわかるようにした方がよさそうだと考えた。「2023年の箱」みたいなものにその年の分が入っていて、箱の中の順番はあまり気にしないでおく。
きちんとしたノートに書いているならば箱やブックエンドで区切った空間に立てていくだけで済むのだが、既に書いたようにぺらぺらな紙に書いているパターンもかなりある。穴を開けて綴じたり括ったりしていることもあるが、それもしていないこともある。そのままでは立てておけないので、何かしっかりしたものに入れなくてはならない。
そこで活躍するのが角形2号封筒だ。「山根式袋ファイルシステム」や「押し出しファイリング」でお馴染みのA4大の封筒である。とりあえず年単位の封筒を用意し、全部突っ込んでいく。小さいメモはクリアホルダーに挟むなどして、そのクリアホルダーごと封筒に入れる。クリアファイル(40Pなどのもの)に入れているような紙も、そのファイルが現在アクティブでないなら全部ファイルから出して封筒へ移動した。
ノートも薄いものは一緒に封筒に入れた。丈夫な紙でできているので結構な容量になっても耐えられる。
こうすることで、それなりの量の紙で膨らんだ角2封筒と、封筒には入れられないくらいのしっかりしたノート類とにメモ・ノート類がまとめられたことになる。見た目としてはかなりすっきりした。
この一連で何が行われたことになるのかというと、メモ・ノートの管理上適当でない形式的な規格化から、体感として納得し得る規格化に変更したということだ。サイズ基準の整頓にはあまり意味がないにしても、明らかに小さいものと明らかに大きいものを一緒に扱うのはなかなか面倒である。角2封筒はそれを強引に成立させている。
全部ただ突っ込んでいるので封筒の中は綺麗ではない[1]。しかし個人的なノートに関して言えば、実際取り出す時は「2018年頃って何考えてたんだっけな」みたいな流れで探すことになっているので、なんでもいいからとにかく一箇所にあればそれで事足りる。
例えば「ノートの使い方に関する自分の思索の変遷」みたいなことを辿るとすれば、それ用のノートを作っていたのでない限りは、年単位でごちゃごちゃと入っている中から漁って確認することになり、如何にも効率が悪い。が、年単位でごちゃごちゃと入っている中を漁るということは、実のところ事前に想像するよりは簡単に済む作業でもある。それ以上の効率は必要なのかどうか。
もちろん仕事の資料や事務的な書類はきちんと整理しておかないとまずいが、そういったものは大抵整理の基準が明確なので(時間さえ取れれば)簡単である。一方、個人的なノートは自分の関心の分だけ記述に種類があるので、整理しようと思うと何をどこまでどのようにやるか決めるのに苦労する。ルールを設けると維持するのは楽ではない。その上、おそらく几帳面に整理してもそれに労力を使った甲斐はそれほどないだろうと思う。
なので、もうまとめて角2封筒に突っ込んでしまい、見返したい時は封筒を逆さにして全部ガサッと机の上に出す。整理したい気分になったらその都度整理する。整理されていないと成り立たないような保管方法は維持が大変なので、整理してもしなくても大勢に影響がないのは重要である。整理を必須にすると、その条件をクリアするために形式的に整頓だけして自分の必要には沿っていない、ということが起こり得るのだ。
このずぼら極まる保管方法は非常に楽だが、封筒に入れてしまうと「さっと取り出してぱらぱら見る」みたいなことは難しくなるので、十分に時間が経ってアクティブでなくなったものをまとめるようにしている。また、繰り返し参照するようなものは必要に応じて別途参照用のノートに書き出しておく。要はアーカイブ扱いのものを封筒に入れているということだ。
様々な形式で書いたものが封筒というひとつの入れ物にまとめて収納されている状態は、私にとっては思いのほか気分が良かった。こんなにもめちゃくちゃにノートを書いてきたのにそれが全部ひとまとめになっている、ということになぜだか感動を覚えた。きちんとバインダーに綴じたりノートに紙片を貼ったりして集約するよりむしろ「ひとまとめになっている」感があるのだが、多分そうやって変形したりせずに元の形のままであることを許容しているからだろうと思う。(そう感じるのは私だけかもしれない。)
理想を言えば、デジタルで書いたものも全部紙に印刷してこの封筒にまとめられたら安心できるのだが、それはさすがに現実的ではないだろう。角2封筒の役割を果たすデジタルツールがあればいい気はするものの、現状イメージに合うツールはない。年単位で括ることはできても、「逆さにして全部ガサッと出す」的な操作が既存ツールでは難しい。ファイル名やページ名が並んだリストはちょっと違う。
VR空間を使わない限りはデジタルではそもそも無理な気もするし、「こういうのがあったらいいのに」と思ってもそれをいざ実現してみると「思ってたんと違った」ということになる可能性はかなり高い。理想のデジタルツールを求めるよりかは全部紙に印刷してしまう方がいくらか現実的かもしれない。
デジタルの話はまあいいとしよう。角2封筒を使い、ピシッとした整理を諦めて雑にまとめてみたことにより、逆に読み返しが気分的に楽になったのが面白いところで、やってみなくちゃわからない種の現象だなと感じている。
クリアホルダーを駆使するなどすればある程度綺麗にすることは可能である。私は敢えてやらないでいる。 ↩︎
シソ科の植物。
いかにもシソ科っぽい感じだが、先のほうに先割れスプーンのような切れ込みが入っている。この切れ込みで葉が亀のように見えることから「亀葉」、そして「引き起こし」は弘法大師が病に苦しむ旅人にヒキオコシの葉を摂取するように言って旅人が見事健康を取り戻した伝説が由来のようだ。
で、この切れ込みがあることで、オトシブミが葉を揺籃にしなくなるらしい。
すごい! まあ先が割れていると巻きにくそうだなと思う。化学物質ではなく形の力で生存率を上げているのは面白い工夫だ。
シュール極まる深夜番組。内容自体は真面目なはずなんだけど深夜じゃないと駄目な番組だ。色々とギリギリを攻め過ぎていて、シュールさを楽しむ心の用意が必要。多分子どもが見るものじゃない。
どういうことかは見ればわかる。林田アナとゲストの人たち、よく笑わないでやれるよなあ…笑 もしかしたらNG連発してるのかもしれないけど。
久々にDynalistのカスタマイズの話。
MarkdownやScrapboxを常用していると、Dynalistでも似たような形で書式が反映されればいいのに、と思うことがある。例えば引用やコードブロック。
Dynalistでは各ノードに色を設定でき、そうするとノードのHTML要素にclassが適用されるので、CSSをいじれば「紫色設定は引用書式ということにする」みたいなことも可能である。最初はそうやっていた。
しかしこのやり方だとその情報はDynalist上でしか有効でないし、未来永劫同じルールで運用しなければならなくなる。色の設定も微妙に手間だ。だんだん苦しくなってきたので、別のやり方を考えることにした。
コピペで他のツールと行き来できた方が良いので、例えば引用は「> 」を頭に付けることで引用判定されるといい。つまり、本文が「> 」で始まるノードに引用スタイルを適用したclassを付けたい。
これはDynalistの機能ではできない操作なので、自分でスクリプトを書いて実行する。具体的にはChrome拡張機能を作る。あるいはブックマークレットにしてロード時に手動で実行する。
Chrome拡張機能開発については以前Chrome拡張機能を自分で作って活用する(Dynalist)でちょっと書いた。
class付与のタイミングをイベントで判定するのは面倒な気がしたので、setIntervalを使っている(試していないがblur時とかでもいいかも)。実際に使っているコードの一部がこちら。
// styleを記述しやすいようにclassを整理しておく
const IS_COMMENT = 'is-comment';
const IS_QUOTE = 'is-quote';
const IS_CODE = 'is-code';
const IS_BODY = 'is-body';
// スタイルを記述する(ここでは引用のみ例示)
const style = document.body.appendChild(document.createElement('style'));
style.textContent = `
.${IS_QUOTE} > .Node-self .Node-renderedContent {
background-color: #f0f0f0;
padding: 2px 4px;
font-size: 12px;
border: 1px solid #888;
}
`;
// 条件を整理しておく(今回は本文が何で始まるかで判定するものとする)
const condition = [
{ start: '🖋', className: IS_BODY },
{ start: '//', className: IS_COMMENT },
{ start: '> ', className: IS_QUOTE },
{ start: 'Code:', className: IS_CODE }
]
// 毎秒各条件をチェックしてclassを付け外し
setInterval(() => {
const lines = document.querySelectorAll('.node-line.Node-renderedContent');
lines.forEach(elm => {
condition.forEach(({ start, className }) => {
if (elm.textContent.startsWith(start)) {
elm.closest('.Node').classList.add(className);
} else {
elm.closest('.Node').classList.remove(className);
}
})
})
}, 1000);
ここでは「何で始まるか」だけで判定しているが、何を含むかや何で終わるかで判定しても良い。こうすると本文次第でスタイルを変更できるので、Dynalist固有のメタデータに依存することもなく、また条件の数も無制限に設定できる。(とはいえあんまり複雑にすると後で嫌になってくる可能性がある。意味が自明なルールに限った方が健康的だろう。)
現在実際に設定しているのはコード例に書いた四種だけで、それぞれ以下のような意味と見た目になっている。
Webブラウザの仕組みに頼ったものなのでスマホアプリでは反映されないのが難点だが、今現在はほとんどPCで編集しているのでPCだけでも効果は高い。
ちなみにこのようにしてからもう半年近く経っているけれど、今のところ飽きはないし便利に思っている。
NHKスペシャル 未解決事件
第一部のドラマ、ロッキード事件で田中角栄逮捕のシーンからスタートして最後もそのシーンで締められたけど、ずっと見ていくと田中角栄が逮捕されたことがどれほどの意味があることだったのかが鮮やかに胸に迫ってきた。
脚本の安達奈緒子さん、おかえりモネの人か!! メインキャストは森山未來と佐藤隆太。
ソ連崩壊後の世界を生きている身には「反共」というものの意味の大きさが体感としてわからない。知識として、どれほど切迫した状態だったかというのは知っていても、その当時の事件とかを見た時に「反共」の二文字は反射的には浮かばない。でも当時は政治の全て、生活の全てにそれが関わっていたのだろう。
このシリーズは前回の帝銀事件で知った。先日再放送したけど初回放送で見ていた。
NHKスペシャル 未解決事件 File.09 帝銀事件
こちらもドラマ脚本は安達奈緒子。メインキャストは大沢たかおと要潤。
大学でちょっと731部隊についての講義を受けたことがあったものの「その後」がこう繋がっていくことは知らなかった。
戦後から自分が生まれる前の期間のことは知らないことがとても多い。多いというかほぼ何も知らないと言った方がいいレベル。淡々と書かれた記述を見ても想像が難しい。今回のようなドラマが「本当」かどうかは別として、やはり映像のインパクトを借りないと雰囲気が掴めないし、こういう番組はありがたい。
国語辞典サーフィン - NHK
サンキュータツオと柘植恵水アナウンサーがやっているラジオ番組。
冒頭ではある語について街行く人に「もしもあなたが国語辞典ならどう説明しますか」と尋ね、その答えからその語が何かを推測する。そして人々がその語にどういう印象を持っているのかに注目しつつ辞典の記述にあたる。辞典ごとの記述の違いが興味深い。
少し前の、「ツンデレ」の回だったかで「後方腕組み彼氏面」についてちょっと触れていて笑ってしまった。大々的に流行って且つそのまま定着するオタク発祥のパワーワードはやっぱり言葉として上手いんだよね。