明治的・昭和的文体
うちあわせCast第百六十一回で己が影響を受けた文学のこと、第百六十九回で影響を受けている文体のことが語られていた。
そういえば、自発的に読んだ文学で受けた影響というのは、うーん、別に…夏目漱石がちょっと印象的だったかな…くらいしかないけど、学校でやったやつを含めれば、ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』、中島敦『山月記』、夏目漱石『こころ』が深々と刺さって今も根っこにあるというのはある。まあ多分、同じ人はかなり多いと思うけども。
あと問題集にあった文章がいろいろ面白かった記憶がぼんやりとある。幸田文とか。
そうだ、幸田文をちゃんと読みたいのだった。(まだほとんど読んでない)
あとライトノベルという言い方が流行る前のライトノベルのシリーズのいくつかに影響は受けたかなぁ。でも、「楽しんだ」というのが主で、価値観や人生が変わるまではしてないな。
私の人生を大きく左右したのは文学ではなく心理学の本だった。
文学から得る栄養みたいなのはシリアスな描写を含む大河的なRPGから得ていたと思う。語彙もそう。本を大して読んでいない割に言葉や漢字に困ったことはない。現代的な本をいくら読んでも「現代の人に合わせた語彙」しか手に入らない可能性があるが、ファンタジーRPG、歴史RPGではあの手この手で雰囲気づくりがなされているのでありとあらゆる語彙が使われる。同じだけの語彙を小説から得ようと思ったらちょっと大変だなと思う。
自分が影響を受けた文体というのはよくわかっていなかった。誰それの文体というのをそもそもよく覚えていない。
しかし回顧ついでに『山月記』を今読み返してみるに、深々と刺さったとはいえそう何度も読んだという記憶もないけども、自分の文体の割と核の部分にこれがあるような気がする。
あと一時期北大路魯山人の文章を青空文庫で読んでいたことをふと思い出した。その文体をコピーした感もある。でもその前からこうだったような気もしなくもない。微妙なところだが、それはそれとしてついでに紹介しておこう。
北大路魯山人は生まれ育ちの複雑さゆえか非常に気難しいところがあったようだが、文章は飾るところがなく率直であり、批判の仕方は痛烈だが(それがまた人との軋轢を生んでいる)誤解を避けるための配慮も感じる。ちらほら「言い過ぎ」なところが気になるのは事実だが、語り方は軽妙で面白い。
いずれにしても、明治期から昭和初期あたりの文体と相性が良いのだと思う。かぶれているとかではなく、自分の生来のノリがこれだから、最も苦労なく表現ができるのがそのような文体なのだ。ただその辺のが由来かもしれないということ自体今まで気づいていなかったし、本当にその影響なのかもわからない。何しろ染みつくほど読んでいない。
しかしあまりに明治的・昭和的に書いているとかぶれているようにしか見えない感があるし、何にしても今風ではないことは前から感じてはいたので一応努めて現代との間のぐらいで書くようにしているけれど、ノリが混ざらないので交互に出てくるみたいな妙な感じになっているような気がする。まずこの一連も二層の自然さの統合にうっすら苦労しているし、なんなら失敗している。