重要視と重要性
自分が重要視しているものは重要だが、自分が重要視していないものは重要でない、ということはよくある。私も多かれ少なかれそうなのだろうし、これから逃れることはできないのかもしれない。
自分が重要視していることは厳密に理解してもらわねば困るが、自分が特に重要視していないものは別にどこにどういう違いがあろうがどうでもいい、ということ。
自分を世界の基準と一体化させていると、自分にとってそうなら世界にとってもそうと思ってしまう。
万人に共通であろう重要性というのはもちろんある。人として真っ当に生きるとか社会を存続させるとか地球を持続可能にするとか、……いや、これもどうでもいい人はどうでもいいらしいし例として相応しくないな。「自分が明日も生きていること」くらいにしないと万人共通にはならないかもしれない。
要するに、自分の重要視と他者の重要視は全く違っているということ。自分が重要に思っていることも他の人からしたらどうでもいいし、自分がてんで重要視していないことが他の人にとっては何より重要であるということが当たり前にある。
問題は、このことが知性の評価と結びつきやすいということだ。つまり極端に言うと、自分が重要視しているものを厳密に理解できないやつは馬鹿で、自分が重要視していないものに真剣になっているやつも馬鹿ということになる。
恐ろしい話ですね。
