浦島太郎再び
ちょっと先月いっぱい、のらてつとしてはほとんど何もできなかった。
去年のGW頃にも浦島太郎になっていたけれど、その時は精神的休養という感じで懐古の旅に出ていた。今回は経緯としてはちょっと事情が違うものの、ただ、単に忙しかっただけでなく、「隙間時間に頑張って記事を書いて投稿する」みたいな気力がなくなってしまっていたことが要素としては大きい。(三月から怪しかった。)
不在の間にちょっとは回復もしたのでぼちぼち更新を再開していきたいと思っている。
動じないために。
ちょっと先月いっぱい、のらてつとしてはほとんど何もできなかった。
去年のGW頃にも浦島太郎になっていたけれど、その時は精神的休養という感じで懐古の旅に出ていた。今回は経緯としてはちょっと事情が違うものの、ただ、単に忙しかっただけでなく、「隙間時間に頑張って記事を書いて投稿する」みたいな気力がなくなってしまっていたことが要素としては大きい。(三月から怪しかった。)
不在の間にちょっとは回復もしたのでぼちぼち更新を再開していきたいと思っている。
Scrapbox自体のスタイルに変更があったので、影響を受けたUserCSSを修正しました。
多分これで大丈夫だと思うけど、他に問題があれば気付き次第対処します。
シソ科の植物。
いかにもシソ科っぽい感じだが、先のほうに先割れスプーンのような切れ込みが入っている。この切れ込みで葉が亀のように見えることから「亀葉」、そして「引き起こし」は弘法大師が病に苦しむ旅人にヒキオコシの葉を摂取するように言って旅人が見事健康を取り戻した伝説が由来のようだ。
で、この切れ込みがあることで、オトシブミが葉を揺籃にしなくなるらしい。
すごい! まあ先が割れていると巻きにくそうだなと思う。化学物質ではなく形の力で生存率を上げているのは面白い工夫だ。
ちなみにNHKの「植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之」で知った。
シュール極まる深夜番組。内容自体は真面目なはずなんだけど深夜じゃないと駄目な番組だ。色々とギリギリを攻め過ぎていて、シュールさを楽しむ心の用意が必要。多分子どもが見るものじゃない。
どういうことかは見ればわかる。林田アナとゲストの人たち、よく笑わないでやれるよなあ…笑 もしかしたらNG連発してるのかもしれないけど。
第一部のドラマ、ロッキード事件で田中角栄逮捕のシーンからスタートして最後もそのシーンで締められたけど、ずっと見ていくと田中角栄が逮捕されたことがどれほどの意味があることだったのかが鮮やかに胸に迫ってきた。
脚本の安達奈緒子さん、おかえりモネの人か!! メインキャストは森山未來と佐藤隆太。
ソ連崩壊後の世界を生きている身には「反共」というものの意味の大きさが体感としてわからない。知識として、どれほど切迫した状態だったかというのは知っていても、その当時の事件とかを見た時に「反共」の二文字は反射的には浮かばない。でも当時は政治の全て、生活の全てにそれが関わっていたのだろう。
このシリーズは前回の帝銀事件で知った。先日再放送したけど初回放送で見ていた。
こちらもドラマ脚本は安達奈緒子。メインキャストは大沢たかおと要潤。
大学でちょっと731部隊についての講義を受けたことがあったものの「その後」がこう繋がっていくことは知らなかった。
戦後から自分が生まれる前の期間のことは知らないことがとても多い。多いというかほぼ何も知らないと言った方がいいレベル。淡々と書かれた記述を見ても想像が難しい。今回のようなドラマが「本当」かどうかは別として、やはり映像のインパクトを借りないと雰囲気が掴めないし、こういう番組はありがたい。
サンキュータツオと柘植恵水アナウンサーがやっているラジオ番組。
冒頭ではある語について街行く人に「もしもあなたが国語辞典ならどう説明しますか」と尋ね、その答えからその語が何かを推測する。そして人々がその語にどういう印象を持っているのかに注目しつつ辞典の記述にあたる。辞典ごとの記述の違いが興味深い。
少し前の、「ツンデレ」の回だったかで「後方腕組み彼氏面」についてちょっと触れていて笑ってしまった。大々的に流行って且つそのまま定着するオタク発祥のパワーワードはやっぱり言葉として上手いんだよね。
昔はそれなりに面白がっていたけど最近はそのエネルギーがない。
自分が人に嘘を仕掛けるとかは全然しないけど(紛らわしい振る舞いはするのもされるのも好きじゃない)、各企業とかゲームとかがエイプリルフール企画をやっているのを前は結構楽しんでいた。
でも最近は一瞬で一日終わってしまうというか、既に色々と詰まっている日常にエイプリルフールという非日常が入るスペースはない。別にネガティブな気持ちはないのに「イベント」的空気に圧倒されて疲れてしまう。
多分この疲労感は、エイプリルフールだということを当日かせいぜい前日に認識するという後手に回っている感が引き起こしていると思う。一週間前とかから意識していればちょっと違うんだろう。(でもそこまで楽しみにする気持ちはないなあ。)
「ディスカバー・ビートルズⅡ」が今日最終回を迎えた。
来週から聴けないのは寂しいなあ。とても楽しかった。
特に印象的だったのは和田唱さんによるレコードのマトリックス解説。いやあ、これにこだわり始めたら果てしないな…笑 でも自分の耳でもわかるほどマトリックスによって違いがあったのでこだわるのも尤も。
ビートルズの曲はそれなりに聞いていたけど(親がファンなので)、知識としてはほとんどないに等しかったので色々と興味深い話を聴いてかなり解像度が上がった。元々の素養がないせいでお話を十分に吸収できなかったのがもったいなかったなと思う。
素晴らしい番組をありがとうございました。Ⅰの再放送とかしてほしいな。
過去の投稿
昨日楽しさが生む虚しさで「楽しんでいるが虚しい」ということを書いた。
で、全体の雰囲気として最近の自分の気分は楽しいのかと言うと、正直言って楽しくない。あははっと笑ってはいるがハッピーではない感じ。
まず書くのが楽しくない。今月は割と色々書いているけど、なんだか急速に嫌になってきた。ちょっと前から嫌になっている。止まったら負けな気がして半ばやけくそで書いている。何かを偽っているわけではないので書けばそれなりに自分に役立つ文章が生まれる。楽しくなくても書き続けられる人間になることは私にとって重要なことだ。でも温かい気持ちはないので人との交流的な要素を含む投稿はしばらくやめておこうと思う(例えばトンネルChannel)。
プログラミングはやることがなくなったのでここのところやっていない。必要があってObsidianのプラグインはちょっといじったけど、それだけ。自作ツールについてわくわく考えることはなくなってしまった。そういうことをするエネルギーが足りていないと感じる。こだわるのが面倒くさい。
あと最近思うのは、お菓子を食べてもあまり嬉しくないということ。味は正しく感じていると思うけど、どうも幸福感がない。
表層で軽くケラケラ笑って、深層では心が動いていないこの感じ、もしかすると鬱の気配が忍び寄っているのかもしれない。
最近とても楽しめるものができて、あははっと笑って過ごしているけれど、同時に虚しさに襲われるようになった。いや元々虚しいので虚しさに襲われること自体は今始まったことではないけれど、今感じている虚しさの大きさにちょっと慄いている。
「あははっ」→「すん…」の高低差が広がったからかとも思ったけれど、なんかちょっと違う気がして、これはなんなのか考えていた。
で、思ったのが、多分その「楽しめる」というのが「お客さん」としてのものだからだろうということだ。誰かの話に笑う、誰かが作ったものにハマる、それは間違いなく楽しいし、そういうものはないよりあった方が良いと思う。ただ自分の楽しみの形が「何かを受け取って、気分が良くなった」ということしかない場合には、気分が良い割に自分の人生は一歩も進んでないことに目を向けてしまった時、底知れない恐ろしさに襲われる。
この感触を味わった時、「とにかく金を払う」という選択が生まれる理由を少し解ったような気がした。虚無が忍び寄る隙間を生まないように思考の全てをそれに向け、それを支えることを「自分は前に進んでいる」という証と感じて貢ぎまくる。時間が経過すればその対象は何かしら変化するわけで、それを追いかけることで時間経過と一緒に自分も前に進んでいるはずだと考える。
推しや趣味にたくさん金を使っている人がみんなこうということではない。ただ、この虚しさをどうにかするにはどうしたらいいかを考えた時に、そういう選択肢の可能性に思い至ったのを考えると、これは自分の中では現実味のあるルートだ。自分自身がそのようにする気はないにしても。
自分を楽しませているその人、そのモノの作り手と違って、自分はなんとつまらない存在だろうか、なんていうこともふと思う。これは結局解決することのない「何者」問題であり、自分をつまらないと思おうと思えば自分の実態とは関係なくつまらないと思い続けられてしまうわけで、どこまでも不毛な自己否定だ。どうせ人気者になっても億万長者になっても「本当の自分はつまらない存在なんだよな」と思うに決まっている。実際、どう見ても個性的な著名人がそういうことを言って悩んでいたりする。
でもやっぱり思ってしまう。自分はなんとつまらない存在だろうか。
まあ、最近自己肯定感が上がるイベントが全然ないから余計にそう思うのだろうと思う。あとは単に、死にものぐるいになってなくて頭が暇ということだ。