先日、Evernoteのデータを全てenexでエクスポートした。全部で12GBになった。
ノート数を見るのを忘れたが、多分3万くらいだと思う。自動で収集していたものも何千かあるので、全て自分が目を通したものというわけではない。
Evernoteを使っていたのは十年以上前のことだが、スタック、ノートブック、タグの使い方がいずれもへったくそで呆れてしまう。
もし今Evernoteを使うとしたら、ということを一度考えてみようと思ったが、今の自分の考え方とEvernoteの思想が残念ながらマッチしないので、代わりに「当時どうしていればよかったか」をちょっと考えてみたいと思う。
まず何に使っていたのかを明らかにする必要がある。当時のスタックとノートブックの大体のところを書き出してみよう。(全て箇条書きにすると長大になるのでノートブックはスラッシュ区切りで続けて書く。)
- アカウント①
- 【000】
- Inbox / 作業台
- 【000】IDENTITY
- ID・アカウント情報 / WANT / 連絡先 / メールの保存
- 【001】仕事効率化
- TIPS / 読書記録 / 印刷用テンプレート
- Evernoteの使い方 / PC操作マニュアル
- 【002】読みもの
- レシピ / ファッション見本 / 基礎知識系Webクリップ
- メルマガ / ふぁぼツイートのクリップ
- 【003】日記・ライフログ
- 自分が撮った写真 / 飲食ログ / 体調 / その他ライフログ
- ツイートログ
- 【004】書類棚
- アプリケーションの書類(ライセンスなど)
- 取扱説明書 / 領収書・明細
- 本のスナップ、電子書籍データ、PDF
- 【010】楽しむ
- 自分が書いた・描いたもの
- 諸々のお手本 / 絵の描き方など
- 【999】倉庫(Archive)
- 物品管理
- 知識の欠片
- 学生時代の資料
- 【999】倉庫(Backup)
- 音楽ファイル / 楽譜
- イラスト
- 【000】
- アカウント②
- (スタックなし)
- Inbox / ライフログ / 思索・主義主張
- コレクション(好きなものなど) / 芸術
- 英語 / その他外国語 / 調べ物
- Webクリップ(複数のノートブック) / ノート術・手帳術 / 時事・新聞記事
- Net-Pic
- 二次元関連 / Web小説のクリップ
- ゲーム攻略・プレイログ
- ワ.倉庫
- ブログ投稿控え / ツイートログ
- (スタックなし)
不定形なもの、個人的なものを集めるのに使っていたので、OfficeファイルなどのカチッとしたものはEvernoteには入れていない。基本的に個人の趣味と学習用である。
ノートブック名は表記を変えてあるがスタック名は実際に作っていたものである。「仕事効率化」なるワードに時代を感じる。そしてアカウント②のスタックに迷走が現れているが、そもそもアカウントを分けた理由を思い出せない。多分ごちゃつきに耐えられなくなって使い分けのつもりで仕切り直し、結局同じ役割を持たせて分散したとかだと思う。
Evernoteを使っていた時に一番悩みの種になっていたのが、並びをコントロールできないことだった。なのでノートブックやスタックの名前には順番をコントロールするための文字列を添えていて、それが正直邪魔だった。機械用の記述は人間の目に入らない方がいい。
さて最終的なノートブックの粒度を見ると、それ自体はそれほど悪くないような感じはする(ただし上記には反映しなかった無意味なノートブックも実際には数々ある)。当時見たEvernoteの使用例は、人によってノートブック要らない派とかタグ要らない派とかむしろタグはなんぼあってもいい派とか様々で、いちいち感心して真似ていたら自分のEvernoteはめちゃくちゃになってしまう(なった)。一応しばらく格闘した末に上記の構成になっているので、当時としては一番自分らしくなってはいたのだと思う。
しかし各ノートブックが自分の中でどういう位置づけなのかが曖昧で、その結果スタックもいまいち線引きが分からないぼんやりとしたものになっている。スタックができる前はナンバリングで位置をコントロールしていたが、わざわざ厳密に数字で位置を指定しておきながら、その位置に然程の必然性がなかった。そのせいで常に雑然とした印象があった。形式的なナンバリングというのは早々に定まるものが対象でないととかく混乱の元である。
当時どうしていたら納得できただろうか。まずスタックを考えよう。当時は思いついていなかったHEAD・BODY・FOOTモデルに当てはめてみる。
- _(Inboxなど)
- HEAD(メタ情報の類)
- デジタル
- 実生活(ライフ)
- BODY(取り組むことの類)
- 仕事系
- 個人の生活(ライフ)
- 勉強系
- FOOT(バックアップなど)
- ASSET(収集物)
- 文化系全般
- 音楽
- 二次元系
- Webクリップ類
- REMINISCENCE(自分がつくったものなど)
階層を何段階も作れないので、以上をフラットに並べて12のスタックを用意し、ノートブックを(若干の取捨選択と追加をしつつ)振り分けてみる。並び順はとりあえず気にしない。
- _
- Inbox
- デイリーノート / ウィークリーノート
- 【HEAD】デジタル
- ID・アカウント情報 / アプリケーションの書類(ライセンスなど)
- Evernoteの使い方 / PC操作のマニュアル / 印刷用テンプレート
- 【HEAD】ライフ
- 連絡先
- 取扱説明書 / 物品管理 / 領収書・明細
- 【BODY】プロジェクト
- ToDo
- その他プロジェクト
- 【BODY】ライフ
- 読書記録・ノート / 本のスナップ、電子書籍データ、PDF
- 料理(レシピ)
- ファッション見本
- 【BODY】勉強
- 調べ物 / その他各テーマのノートブック
- 英語 / その他外国語
- 学生時代の資料
- 【FOOT】
- メールの保存 / ブログ投稿控え
- ゴミ箱
- 【ASSET】
- コレクション(好きなものなど)
- 諸々のお手本
- Web小説のクリップ
- 芸術 / その他コレクション
- 【ASSET】音楽
- 音楽ファイル / 楽譜
- 【ASSET】二次元
- 二次元関連
- イラスト
- 【ASSET】Webクリップ
- Webクリップ / メルマガ / ふぁぼツイートのクリップ
- ノート術・手帳術
- 時事・新聞記事
- 【REMINISCENCE】
- 生活上のトピック(飲食ログ、体調、その他ライフログ)
- ツイートログ
- 自分が書いた・描いたもの
- 自分が撮った写真
- ゲーム攻略・プレイログ
これでスタックの混乱はないと思う。実はBeforeとスタック数はほぼ同じだが、明らかに役割が厳密になっている。
ノートブックの粒度にはもう少し注意を払う必要があるかもしれない。デジタルツールだからと「ノートブック」という語に字義通りのイメージを感じ取らず、ただ「ページを何らかの括りでまとめたもの」と解釈していたが、十数年経って見直した時に思ったのは「紙のノートと同種の区分であってほしい」ということだ。つまり紙のノートで「○○ノート、△△ノート」というふうに分けて作りたくなる時の感覚でEvernoteのノートブックも分けるということ。
ノートブックというものの解釈を難しくしていたのはタグの存在である。ノートブックとタグとがそれぞれどういう役割を持つべきかを考えるのは当時はかなり難しいことだった。だから人それぞれ全く違うことを言っていたし、どれもある程度納得でき、どれも完全には納得できなかった。
Evernoteの場合、時間が経った時に手がかりになるのは、アプリケーションの機能に依存しているタグよりも、情報の塊が明らかであるノートブックとスタックの方だと感じる。もちろんタグ機能しかないアプリケーションならタグを頼りにするのだが、フォルダ分け的機能とタグと両方あったらまず見るのはフォルダ分けの方である。
自分の感覚に忠実になってノートブックをもう少し分けていくとすれば、スタックの数もいくつか増えるかもしれない。例えば「英語」というノートブックについて、「英文法」「英文クリップ」「英単語」「英語ツイート集」というふうに分けたくなったとすれば、スタックは「【BODY】英語」なんかを用意したほうがいいだろう。順番のコントロールを兼ねて「勉強」からの分岐であることを明示するとすれば「【BODY】勉強▶英語」みたいにしてもいい。
ノートブックもスタックも、増えることを嫌がらなくてもいいと思う。「たった三つのノートブックで十分!」みたいな話を見るとミニマリスト的な洗練された感じに憧れを抱きもするが、別にそれが目指すべき姿というわけではない。しかし無意味に増やすのは自分が混乱するのでよくない。必然性があるならば好きなだけ増やしてよい。
昔の自分が無意味に増やしていたノートブックはいろいろあるが、Webクリップを主観でランク付けしたノートブックを作っていたのが最も無駄だった。必然性がない分け方をすると結局どこに入れたのかわからなくなる。そういう時こそタグを使うべきだろう。
アイデア・思索の類はEvernoteで扱うのは難しい。もしかしたら今のEvernoteなら何か過去になかった機能によってうまくできるようになっていたりするのかもしれないが(全然知らない)、とりあえずかつてのEvernoteでは難しかった。ページひとつひとつの存在感が大きすぎたように思うし、ページ間リンクがなかった(あるいは不便だった)のもネックだ。
Webクリップをはじめとして情報をどんどこ収集する場であったから、その中に自分が何かを作るというアクションがあるのはあまり自然でなかったようにも思う。私は結局他のツールでやっていた。当時は紙のノートに書くことが多かったようだ。
そんなところだろうか。
集めた情報の管理という点では、自分のまとめ方次第で今も十分便利に使えると思う。価格設定が当時のままならどこかのタイミングで活用を再開していた可能性もある。しかしそもそもEvernoteが得意としていない領域もあると感じるし、全てをEvernoteで扱おうというのは余程のEvernoteフリークでないとなかなかうまくいかないのではないかと思う。不可能なわけではない。多少のことは我慢する愛が必要になる。
いずれにせよ、十年以上前のデータをそのままの形で残しておいてくれたEvernoteはちゃんと謳い文句通りのサービスを提供してきたと思うし、昔PCと外付けHDDをほぼ同時に破損して色々ファイルを失った苦い経験のある身からすると心底ありがたく思われる。実際、どうも今は他の場所に存在していないらしいファイルがEvernote内に数々保たれていた。いろいろな理由により途中で使用をやめてしまっていたが、Evernoteには深く感謝している。