Noratetsu Lab

動じないために。

ライフ・アウトライン日記: 動かない事実を扱う領域の追加

 昨日トンネルChannelへの投稿としてライフ・アウトラインの話を書いたけれど苦手要素への対処自体をプロジェクト化しない/ライフ・アウトラインの拡張、自分の欠点を扱うにはという文脈の中での言及になったので、改めてライフ・アウトラインの話として綴っておきたいと思う。

 ちなみに、前回のライフ・アウトライン日記でライフ・アウトラインの場をDynalistからCapacitiesに移したという話をしたのだがライフ・アウトライン日記: Capacitiesにお引越し、少し前に「LIFE-BE」「LIFE-AS」の部分をDynalistに戻した。

 そしてライフ・アウトラインの各要素について私は以下のように呼び替えている。

  • 日々=DO-DAYS(日々のDO)

  • 地図=DO-ALL(すべてのDO)

  • 内政=LIFE-BE(自分)

  • 外交=LIFE-AS(関係)

 「内政」「外交」の語はゲームの三國志から拝借したもので政治的ニュアンスはないRPG的ライフ・アウトライン

 

 さて、ライフ・アウトラインの肝は、自分の人生・生活を考える核となるはずの己の欲望を、自分に問うて時間をかけて掘り出して整理していくところにあると思う。具体的な思いとして現れるものを書き出して見つめることで「これはつまりこういう思いなのだ」と気づき、一段階抽象化して括っていくということを繰り返して自分の核に迫っていく。基本的にボトムアップの流れになっていて(そうなることを心がけていて)、そこに自分の意思でトップダウンの視点を挟むことでシェイクが起こる。不定型で流動的な「思い」を扱う手法である。

 一方で、そもそも固定的な要素というのも自分の人生・生活には存在する。家族のこと、健康のこと、性格のこと、住まいのこと等々、自分の思いによって変動する可能性が低いものだ。それらは自分の人生・生活の選択肢の範囲を決めるものでもあり、当然考慮に入れて生きなければならないが、これをどういうものとして位置づけて考えるかが自分の中でこれまで曖昧だった。

 もちろんそれらは「LIFE-BE」「LIFE-AS」の要素と密接なものなので、そちらを考える中での要素として溶け込むものだという捉え方が自然なのかもしれない。

 

 ところで冒頭で触れたように、このごろ「自分の欠点への対処」の検討場所について考えていたのだが、ネガティブな要素ゆえにライフ・アウトラインの中にうまく填まらないと感じていた。自分がどのような傾向を持っているかを見つめ、そのことに対して自分の意思で何をしていくのか、ということは生きていく上で考えなくてはならないが、それは一体どこに位置づけられるべきなのか。

 で、そもそも「自分の欠点」とはどういう種類のものかというのを考えた時、それが何らかのアプローチで根治可能なら「~~を直す」というプロジェクトにもなり得るが、そのようには解決などしないから欠点としてあり続けるのであって、要は「それ自体は不変のもの」だということに気がついた。自分の人生・生活の中に障害物として存在し続ける。つまり、それがあることによって、自分が進める道がいくらか限られることになる(リカバリー可能だとしても、局所的には制限される)

 そのような、不変不動の障害物として自分の欠点というものを捉えた時に、その他の種類の障害物もあるよねと気づいた。それが上段で触れた固定的な要素である。

 欠点の話に焦点を当てる前はそれらは「LIFE-BE」「LIFE-AS」の中に含まれていたが、なんとなく居心地悪いようなところはあった。シェイクによって形が変わることがないからだろう。液体の中に固体の塊が混ざっているような状態だ。それでも混ぜたままでどうにかなっていたが、自分の欠点のことを考えた時にそこに混ぜたくないという気持ちが強まり、ライフ・アウトラインからはみ出てしまった。よって新たな場所を外に用意した方がいいとなり、元々うっすら場違い感のあったものを「固定的な要素である」という括りでまとめることを思いついたわけである。前の投稿では「動かない事実」と表現した。

 この領域は、シェイクによって形を変えていくことが肝である「LIFE-BE」「LIFE-AS」とは違って、基本的にトップダウン思考の場になる。動かない事実はあちこちに点在するものであって、点在したままだと結局自分は何が可能で何が不可能なのか見えてこないから一ヶ所で扱おうとしているが、集めて考えたとしてもそれらは収束していくものではない。だからライフ・アウトラインのコアのコンセプトからは外れた領域ということになると思う。

 

 ライフ・アウトラインに要素を増やすにあたって、この領域に名前が必要だ。一応「LIFE-BE」「LIFE-AS」のきょうだい的なものだから、「LIFE-○○」で揃えてみたい。そう考えた時に、既に決まっているものだというニュアンスで「LIFE-IS」としてみることにした。英語的に的確かはわからないし、あくまで仮の命名だ。

 そもそも、最初に示したように私自身はライフ・アウトラインの各アウトラインの名前を自分に馴染む語彙で言い換えている。「LIFE-IS」なる命名は外向けの「言ってみればこういう感じ」を示すためのものであって、実際に自分が使う上では他の名前を付けている。

 「LIFE-○○」については子どもの頃に遊んでいた光栄の三國志シリーズから着想を得た名前に言い換えているので、三國志的世界観で何かないかなと考えた。動かない事実、つまり自分の思いだけで形を変えることのない要素に対する対処を前もって考える場だから、「策を講じる」感がある。三國志で策を講じることを指す単語といえば「計略」だろう。よしこれで行こう。

 なんとなく悪いニュアンスを含む言葉なのは了解しているが、日本国語大辞典では「はかりごと。計画。工夫。」とか「よいように処置すること。管理すること。」という意味が示されている。そうなると割に妥当な気がしてくる。

 そんな感じで、ライフ・アウトラインはこのようになった。

  • 日々=DO-DAYS(日々のDO)

  • 地図=DO-ALL(すべてのDO)

  • 内政=LIFE-BE(自分)

  • 外交=LIFE-AS(関係)

  • 計略=LIFE-IS(事実)

 が、実はライフ・アウトラインの改造はこれだけではなく、もっと根本的な構造改革をしていたりするのだが、また別の機会に書こうと思う。

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