デジタル日記の試み語り第三回。
前回は「日誌」をNotionにつける試みについて書いたが、今回はその間「日記」をどのように書いていたかという話を書いていきたい。
前回の最後に以下のように書いた。
私の理想としては日記は巻物のようであってほしく、時系列順にずーっと続いた形で表示されてほしいのだ。実物の巻物は後から加筆するのが難しいのでアナログ巻物を日記とするわけにはいかないが、頭の中にあるイメージとしては巻物に見立てられることを前提としている。
これを踏まえて、適切なツールを考えてみると、まず浮かぶのはプレーンテキストである。メモ帳を開いてただ書いていってもいいし、階層付きテキストを扱えるソフトを使ってもいいし、Markdown形式で適宜見出しを付けながら書いてもいい。テキストだけなら余程の量を書かない限りは動作に支障が出ることもなく、管理上分割する必要があるというのでなければたったひとつのファイルに丸一年分くらいは書けそうである。見た目にあまりこだわらないのならプレーンテキストで十分であろう。
ただ、個人的には自由に修飾を加えたいし、且つプレビュー画面がエディタ画面と分かれていないWYSIWYGのツールを使いたい。
その結果思い至ったのが、Microsoft Wordの活用である。
なおOfficeソフトとの付き合いや思い入れについては、先日Office日誌:思想を自分の手に取り戻そうにまとめた。また、ファイルやツールの見た目を自分の感性に合うように整えて使うということをOffice日誌:フォントと背景で「自分の場」感を演出するで書いた。Officeソフトに対する私の基本姿勢について書いているので、よかったらそちらもどうぞ。
さてWordで書く日記が具体的にどのような形式かというと、以下のような形である。(内容はサンプル用)
実に「どうということもない」という感じの、普通の見た目をしている。
日付は見出しレベル1、下線の引かれた部分が見出しレベル2で、必要に応じてレベル3、レベル4まで用いている(基本的にはなるべく階層を浅く保っている)。Wordは左ペインにナビゲーションウィンドウを表示することで常時アウトラインを俯瞰できるので、見出しを活用すれば記述が増えても全体を把握できなくなるおそれはない。
見出しの書式は自分でスタイルに手を加えて自分好みになるように設定した。印刷するものでも発表するものでもないので、シンプル且つ一目でレベルが判るような見た目にしている。
Webレイアウトにすれば改ページを気にする必要はないが、私は紙のノート感を若干感じたいので、A4横で余白やや狭めの二段組に設定して印刷レイアウトで表示している。だいたい日単位で改ページしているが、一日の記述が紙面の半分にも満たない日が続いた時は改ページしないこともある。気分で適当にやっている。
更に、Officeソフトはファイル内の要素にジャンプするハイパーリンクも設定でき、Wordでは見出しに設定されている要素と自分でブックマークを設定した部分にリンクすることができる。よって過去の特定の記述にジャンプするリンクを貼ることも可能である。
あと忘れてはならないのは画像の取り回しである。今改めてOfficeソフトと向き合ってみると今更に驚いてしまうのだが、画像の加工や表示方法の豊かさは一般的な情報整理ツールでは到底得難い。
単に画像を表示できればいいのなら画像をそのままベタッと貼れればそれで十分だろうが、例えば日記のように自分の気分が良くなるように色々と調整したい場合には、ただそのまま貼り付けただけでは味気ないし気分が乗らない。縁を付けたり影を添えたり斜めに傾けたりトリミングしたり色を変えたりと多様な手段によって自分好みに加工し、また前面でも背面でも文中でも自由に配置することができるのは、仕事用以上に自分用のファイルでこそ威力を発揮する機能なのではなかろうか。(Officeソフトでできること以上の細かいこだわりがある場合には別途専用の画像編集ソフトを使う必要があるだろうが、ある程度見た目を整える程度なら十分である。)
腐れ縁の気分で「Wordの機能」として見てしまうともしかするとどれもダサいかのような気がするかもしれないが、ダサいかどうかは使い方の問題であり、Wordでできる加工自体が全部ダサいわけではないように思う。用いる効果と色味の組み合わせ次第である。
また、肝心の内容は前々回で書いた通りだが(要するに何でも良い)、とにかく「フォーマットを作らない」ということを決めて死守している。夏休みの絵日記の宿題ではないのだし天気も書いたり書かなかったりで、どの要素についても書きたければ書けばいいし書く気が起きなければ書かなくていい。日記と言っているが書かない日もあるし、書くことがないと自分が思ったならそれで良いことにしている。
必ず書くと決めることによって生み出される成果ももちろんあると思うが、私の場合はそういう自分ルールは己を雁字搦めにするデメリットがメリットを遥かに上回ってしまうので、「とにかく書く」より「とにかく書きにくくしない」ということを重視することにした。
Wordに書くことによって、巻物のように時系列に並び続け、アウトラインを俯瞰でき、ファイル内リンクも設定可能で、画像は様々に加工し得て、またフォントや背景に各種スタイルなど全体のテーマも好みの形にでき、手書きの日記に近い自由度とデジタルならではの処理をどちらも獲得できることに気がついた。
もしもっと明確な(あるいは対外的な)目的がある用途で用いるならば各機能に力不足感を覚えるかもしれないが、日記というごく個人的でライトな用途で使う上では「色々なことがおおよそできる」というOfficeソフトのバランスに助けられる。
そしてもうひとつ個人的に大きな変化があったのだが、それは「スマホでも扱えるということにこだわらない」という感覚を取り戻したことである。
Office日誌:思想を自分の手に取り戻そうでも書いたが、環境の都合によって一度スマートフォンをデジタルの拠点にした時期があったために、PCの比重が増してからも「スマホでも見れる・編集できる」ということに固執するようになってしまった。スマートフォンから見ることができない情報にどことなく不安を覚えるのである。
しかし、日記なんて別に四六時中アクセス可能性が保証されていなくても構わない。確認したくなることがあるとすれば「いつ、何をやったか」という事実の情報で、それは前回書いたようにNotionに書き出していた。そのように日記と日誌を分けることによって、全部一箇所に、そしていつどこからでも見れる形にしなければ、というこだわりを手放すことができた。不安に対して視覚的な楽しさの方が勝ったから上手くいったのだろう。
日記を通じてその感覚を得たことにより、日記以外のことでも冷静にスマートフォンからのアクセスの必要性について検討することができるようになりつつある。この点でも、情報整理ツールの群雄割拠時代に敢えてWordに立ち戻る選択をした甲斐があったと感じている。
次回は、今回までのことを踏まえて結局今現在やっていることについてまとめることにする。