こちらを拝聴しました。
第百九十一回:Tak.さんとツールとメタファーについて - 知的生産の技術
二か月ほど前に書いたアウトライナーのメタファーが一連の話のきっかけになっているようです。ちなみにこの記事では、アウトライナーがもたらすイメージが如何に多様であるか、アウトライナーの操作感をメタファーで言い表すのが如何に困難か、そしてアウトライナーというものが如何に有機的であるかを書いています。うちあわせCast内では触れられていない方向性の話を結構書いているのでよろしければお読みください。
さて、うちあわせCastの中でTak.さんが以下のように仰っています。
だから仮に従来の伝統的な意味でのアウトラインを作ってないとしても、アウトライナーで作っているのはアウトラインだと考えればアウトライナーでいいんじゃないかという。
メタファーって本当は理解しやすくするためにあるはずなのに、むしろイメージを限定する方向に働いちゃうっていうメタファーの失敗みたいなものがあって。アウトラインっていうのは多分ずっとそういうネガティブな役割を果たしてきたんですよね、アウトライナーに対して。
またBlueskyで以下のポストをご投稿なさっており、
アウトライナーにおいてはそもそも「アウトライン」という言葉自体が一種のメタファーだったとも言えるんですよね(と、うちあわせCastのあとで考えました)。
更に今日投稿された次の記事では以下のようにお書きになっています。
アウトライナーの定義2026|Tak.(Word Piece)
アウトライナーに「アウトライナー」という名前が相応しいかどうかというのは長年考え続けてきたことです。
だってどう考えても「アウトラインを作るもの」ではないからです(アウトラインを作ることは、できます。そこがまたややこしいところです)。
Tak.さんのこれらの主張に私は我が意を得たりと勝手ながら感じており(前々から仰っていたであろうことをやっと今飲み込めたということなのだと思います)、自分の認識を言葉にすることを昨日Blueskyで試みていたのですが、わちゃくちゃと喋ってしまったので一旦整理したいと思います。
Tak.さんは誰よりもアウトライナーとその歴史に精通しデイブ・ワイナーの考えも深く理解なさっていて更に英語も得意でいらっしゃいますから、「outliner」および「outline」という語が実際に何を表現していて、そのことが何をもたらしているかを正しく感じ取っておられるのだろうと思います。
一方で私は英語圏の感覚はよくわからないので、「outliner」という語が英語圏で実際どのように受け止められるものかを想像し得ず、その是非を論じることは当然できません。なので、あくまで「私の話」として、この種のアプリケーションを「アウトライナー」と呼ぶことに納得感がないということで、別の言い方をできないかと考えてきました。「アウトライン」という言葉自体が日本人にとっては抽象的すぎると私は思ったわけです。
あと自分がアウトライナーを使っていて生み出している情報というのが到底「アウトライン」という言葉の定義とマッチしていないという思いがずっとありました。もしも「アウトライナーで作られる、あの形」を「アウトライン」を呼んでいいのならば話は簡単ですが、「アウトライン」という語にはそれが何かの輪郭であるとか概要であるとか骨子であるとかいう意味が含まれます。「アウトライナー」で私は必ずしもその意味の「アウトライン」は作っていません。なので単に情報の形式を指す言い方(例えば「樹状エディタ」とかいう感じに)を欲していました。
他の種のアプリケーションなら、例えば「画像編集ソフト」とか「文書作成ソフト」とか言うのに、「アウトライナー」はそれ以上日本語に表現することがなされていません。挑んだ人はいたかもしれませんが、少なくとも何の言い方も定着しないで終わっています。つまるところ、「何を、どうしているのか」がわからないので言葉にできないのです。私はアウトライナーが扱う情報の形式を的確に言い表し、そしてそれに対して加えている操作(=動詞)を明らかにできれば、「アウトライン」という語の抽象性の問題から逃れて形式的にこのアプリケーションをカテゴリ化できるはずだと期待しました。それを成すべくメタファーによってなんとか言い表そうと努めてきましたが、しかしそれが如何に無理であったかを先述の記事で書いて匙を投げてしまいました。
この度のTak.さんのお話にはっとさせられたのは、以下のポイントです。(別々に語られたのを勝手ながら自分なりに咀嚼して繋いでいます。)
- アウトライナーはどう考えても「アウトラインを作るもの」ではない
- アウトライナーは従来の伝統的な意味でのアウトラインを作っていない
- 「アウトライン」という言葉自体が一種のメタファーだった
- 「アウトライン」というメタファーはイメージを限定する方向に働いてきた
何がインパクトになったかといえば、そもそも「outliner」は「outlineを扱うもの」ではなく「outline的なものを扱えるイメージのもの」という意味であったかもしれない、ということです。「outlineを扱うもの」と「outline的なものを扱えるイメージのもの」とは大変に大きな違いがあります。全く違う、というレベルで違います。「outline」が実際の対象なのかメタファー(=喩え)なのかでは、「outliner」という言葉の意味が根本的に変わってくるのです。
となれば、アウトライナーが生成する情報というのは結局なんなのでしょうか。それは誰も言い表せないでしょう。「アウトライナーが生成する形の情報」以外に言いようがありません。少なくとも、アウトラインという語の解釈を変えない限りはアウトラインであるとは言えません。
そこで、Tak.さんはこの結論に達したのだと私は思いました。
アウトライナーで作っているのはアウトラインだと考えればアウトライナーでいいんじゃないか
つまりアウトライン(outline)という言葉に、「アウトライナーが生成する形式の情報」という定義を加えてしまうということです。その形式に従って私たちが生成した情報が従来のアウトライン(outline)の語義と一致しなくても構わないということになるわけです。これをやっていいなら問題はほとんど全て解決します。
この構図に類似するものとして思い浮かんだのが「テキストエディタ」です。コンピュータについて厳密な理解を持っている人でもなければ、ふつう「テキストエディタ」と言えば、「メモ帳」的な、ただ文字を入力してそのまま保存するツールです。パソコンというものに触り始めてほとんど最初の時点で出会うアプリケーションであり、これにより「テキストエディタで生成する文字情報」を「テキスト」と言うのだなと私たちは理解します。
このことにほとんど違和感はないのではないかと思いますが、しかしよく考えてみると、本来「テキスト」という言葉は単なる文字の羅列を意味するものではありません。きちんと内容を持つ、ある程度の規模の文章のことを指すはずです。「書物の本文」とか「教科書」とかそういう意味です。なので「テキストエディタで言うテキスト」とそれまで私たちが認識していたはずの「テキスト」との間には実は乖離があります。でも混乱はありません。なぜなら、「テキストエディタで生成する文字情報」を「テキスト」と呼んでしまっても構わないことになっているからです。多分。
これと同じことで、「アウトライナーで生成する形の情報」を「アウトライン」と呼んでしまっても構わないと誰もが了解するならば、もはや「アウトラインとは何か」などという問いは不要です。そう定義してあるからそう言うというだけのことで、従来の定義とのズレを云々する必要はないのです。
私は上の方で書いた通り「『アウトライナーで作られる、あの形』を『アウトライン』を呼んでいいのならば話は簡単」と元から思っていました。でもそれは不適切なように感じていました。なぜならば、outlinerを「(従来の語義の)outlineを扱うもの」という命名として捉えていたからです。そのように捉えたならば、outlineという言葉のイメージを正確に理解し、その語義に自分の解釈を寄せていかなくてはならないことになってしまいます。でも、「outlineという語がどういう意味を持つのであれ、アウトライナーで作るあの種の形式はoutlineなのである」と言っていいのなら何も難しいことはなくなります。
これで万事解決です――この新用法としての解釈を誰もが了解するならば。
もちろん、ただこれだけではアウトライナーについて定義を考えようとした時には「アウトライナーは、アウトラインを扱うものである」「アウトラインは、アウトライナーで扱われるものである」という循環が発生してしまうので、Tak.さんが「アウトライナーの定義2026」として今回お書きになったような説明が必要になります。
それはそれでこの先も考え続けなくてはなりませんが、しかし「アウトライナーとは何か」と「アウトラインとは何か」をそれぞれ考えなくてはならなかった状況から、「アウトライナーとは何か」だけ考えればよいことになったとなれば、それは革新的なことではないでしょうか。いや、私だけがひとりで勝手に混乱して勝手に納得しているだけかもしれませんが、少なくとも私の中には革命が起きました。
ちなみに倉下さんも「アウトライン」に関して今日記事を投稿なさっています。
アウトラインの二重性 | R-style
昨日はBlueskyでやかましく喋りすぎましたが、紹介した二つの記事がこのタイミングで投稿されたことには私がぎゃあぎゃあ喚いていたことも一応無関係ではないでしょうから、他の方の書き物の呼び水になったのならそれでいいとします。(それはそれとして反省をしていますが、それはさておき。)
