Noratetsu Lab

動じないために。

投稿先: https://noratetsu.blogspot.com/2023/02/RunningOwnBlog.html

自分のブログを持つということ

 こちらのオンライン対談を拝聴しました。

【編集版】ライフハック研究会Online第9回「今個人がBlogで情報発信を行う意義」

 

 興味深い話が色々あって面白かったです。最後のあたりの、beckさんが昔やっていたことのお話は聞いていてわくわくしました。行動力がすごい。開けっぴろげという意味でオープンだけどその界隈にしか知られることはないという意味である程度クローズドだった時代が、気持ちの面では一番自由だったのかもと思います。

 

 以下、この対談を聞いて考えたことをちょっと書いておこうと思います。

 

noteと個人ブログの違い

 noteと個人ブログの違いはどこにあるのか、というお話がありました。対談に出てきたことと私が考えるところを合わせて書き出してみます。なおここでの「個人ブログ」とはアフィリエイトを主目的としたブログは含みません。

  • 読者のスタンス

    • 知名度がなくてもある程度読まれやすいのがnote、読まれるようになるまでが大変なのが個人ブログ

    • 作者読みが比較的されにくいのがnote、比較的されやすいのが個人ブログ

    • 数字(スキ数)で評価されるのがnote、(はてブを見なければ)数字の評価は見えにくいのが個人ブログ

    • 下の世代が「この中から探す」と考える場所がnote、上の世代にとって自分で探し集めるものなのが個人ブログ

  • 手間

    • エディタが簡単なのがnote、場合によっては難解なのが個人ブログ
  • デザイン・個性

    • 記事のデザインが画一的なのがnote、やろうと思えば多様にできるのが個人ブログ

    • 場を自分で作る意識が相対的に弱いのがnote、相対的に強いのが個人ブログ

    • 自分の趣味を反映させる余地があまりないのがnote、自分の趣味で自己満足を追求する余地があるのが個人ブログ

    • 筆者の人となりの判断が難しいのがnote、筆者の人となりを知って親しみを持ちやすいのが個人ブログ

  • 記事の所在

    • 自分の記事がnoteというサイトの1コンテンツになるのがnote、自分の記事はあくまで自分の場の1コンテンツであるのが個人ブログ

    • プラットフォームが終了したら全部なくなってしまうのがnote、自分でサーバーを用意するなら永続するのが個人ブログ

 私のこのブログはGoogleのBloggerというサービスを使ったものなので、GoogleがBloggerをやめてしまえば場としては消滅してしまいます。でもエクスポート機能があるので引っ越しは多分簡単でしょう。HTMLも概ね自由に弄れることから、感覚としては「自分のもの」と思ってこのブログを運営しています。

 さて私も一応noteに時たま投稿していますが、途中からnoteはツールやコードの話だけにして、個人的なことを書くのはやめてしまいました。理由としては色々ありますが、核の部分を一言で言うと、誰に向かって言っているのかわからなくなってしまったからです。私がやりたかったのは、倉下さんが仰っていたように自分なりの「メディア」を作ることで、「情報発信」ではなかったということです。

 私という存在を表現しようとした時、noteの雰囲気、構造、評価システム、SNSでの扱われ方などが、私のやりたいことにはマッチしていないように感じられました。noteは確かに読まれやすいでしょう。そしてそれはつまり、「noteなら読まれやすい」ことを前提にして書いているんだろう、と読み手が思って読むことも意味していると思います。つまり「全世界に向けて言っている」ということを前提として捉えられてしまうのです。そうなると必然的に悪し様に言われる確率もいくらか高まりそうです。人間性や倫理観、常識の度合い、知識の深さ、頭の程度を測ってなんだかんだと言われるわけです。全世界に向けて言うのに相応しい内容かどうかを四方八方からチェックされる、という印象です。私自身の経験ではありませんが、そんな大した話ではなかったのにうっかりバズったせいで面倒くさいことになってしまった記事を幾度も見かけました。はてな匿名ダイアリーと同じようなものです。

 個人ブログならそのリスクはゼロになるかというと別に全然そんなことはないのですが、望まない層にリーチする確率が下がれば面倒事の発生確率も下がることは確かに思えます。もちろんバズる確率も下がりますが、バズりたくないので全然構いません。そもそもバズるようなことを書いてもいないので、別にnoteに投稿したからと言って取り沙汰されることはないでしょうが、私が直接面倒事に巻き込まれるかどうかもさることながら、そういうことが発生しているタイプの場なのかどうかが私にとっては重要です。なぜなら、真剣に文章を書くということができるかどうかが、私の中ではその点にかかっているからです。書きたい内容の都合上、「読まれなくては意味がない」の前に「納得できる形で書けなくては意味がない」と感じています。

(とはいえ、パーセンテージにすればごく小さい事象に対して恐れすぎている面はあります。)

 

noteは文章版Pixiv

 ブログに書いているのに「是非noteで書いてください」と言われたという話を聞いて、イラストに於けるPixivみたいだなということを思いました。

 私自身、Pixivがイラスト界を席巻してからというもの、何かを見たくなったらPixivの中だけを探して終わりにするようになってしまいました。数度の騒動によってPixivから出ていった人が沢山いるのは知っていますが、それでも「じゃあ投稿者それぞれの投稿先を追って見に行こう」とはなりません。去っていく投稿者たちのほとんどがPixiv上で「これからはこっちでやります」というアナウンスをまともにやってくれないこともあって、Pixivの外でどれだけの活動が行われているのかもはや全然わからないのです。

 ここ数年は、画像の複数枚投稿が可能になって久しいTwitterがイラストや漫画の投稿先として隆盛を極めているように思えます。そしてTwitterにはリツイートがあるので、自分の趣味に合うものを流してくれるアカウントをキュレーターとしてフォローしておけば、作家を個別に追うことなしに次々タイムラインに流れてきます。どんどん入ってくるので、一体何という名前のどんな為人の作家が描いたものなのかもまともに意識しないことが増えています。

 PixivにしろTwitterにしろ、個人サイトをリンク集、同盟、サーチサイトで探し回っていた頃と比べると、個々の作者に対する思い入れは無きに等しいものになっています。投稿も交流も昔とは比べ物にならないほど簡便になった反面、「つくっているということ」「つくる人がいるということ」に対してはありがたみを感じにくくなっているように思えます。すごいものを目にしやすくなり「おお、すごい」と感動する頻度は増した気がするのに、そのすごい人にその先も関心を持ち続けることというのは割合的に少なくなりました。出会いが多すぎるからでしょう。もはや飢えていないのです。その分だけ、私は情けなくも怠惰になってしまいました。

 かつてはWeb上に発表している人がいるだけでありがたいことだったのに、今や「神絵師」「神字書き」など「神」的存在になってようやく人々から継続的に関心を持たれるようになるわけです。

 

 何か文章を読みたくなったらnoteから探す、ということが当たり前になると、noteに投稿しなければ存在を認識してもらうことすらなくなります。noteしか見ない人にとっては、noteの外にある文章は存在していないのと一緒でしょう。

 その一方で、noteに投稿している限り、余程飛び抜けなければありがたみを感じてもらうこともないように思えます。「役に立つ」部分だけ齧られて終わりになるかもしれません。何しろ投稿数が膨大です。

 noteは「場」を独自のものにはできません。「その人の総合的な世界観」みたいなものに惚れることは難しくなっています。Pixivでもそのことを強く感じました。そうなると、個々の作品の出来の勝負になってしまいます。作品単位で判定して、相対的に評価が高いものが残り、相対的に劣るものが関心から外れていく。そういう淘汰がともすると自分の中に起こってしまうのです。

 といって、「noteの中しか読まないような人」を自分の場に引き込む必要があるかどうかは微妙だなと感じています。しかし、本来そうではないけど昨今の潮流からなんとなくnoteを読んでいる、という人がいた場合に、そういう人を自分の場に誘導できたら良いことがあるかもしれない……と対談を聞いていて思いました。

 

いっそHTML打って作ってしまえ

 対談の最後の方にもありましたが、ブログというのは読む側としても過去記事にアクセスしにくいという難点があるのを常々感じています。ちょうどこの対談の何日か前に、このブログのサイドメニューを整理しました。前はラベルを機械的に並べていましたが、分類を作って「つまりどんなものがあるブログか」が多少わかりやすくなるように試みたつもりです。

 あとは前に記事を書きましたが、Scrapboxの公開プロジェクトをブログの補助として使うことにしましたNoratetsu Lab Dict.。ブログの記事内で他の記事の内容とリンクさせるのは難しく、またリンクを貼られても読者がそれを読みに行こうと思いそうにないので、記事ではなく単語にジャンプできるようにしたわけです。単語ページに関連する記事へのリンクを貼っているので、Scrapbox上で一応記事同士の関連性も表現しています。

 これはそもそも自分の書きにくさの解消を目的としてやっていることなので、読者にとってどのくらい嬉しいことかはわかりませんが、自分のブログに関するWiki的なものをScrapboxで作るのはブログの欠点を補うひとつの手なのではないかと感じています。(ちなみに「ブログではなくScrapboxに文章を公開する」というのは個人的にやりたい形態ではないので候補から外しています。)

 

 このブログをブログの形で守った上での工夫としてそういうことをちょこちょこ始めてはいるのですが、しかしそもそもの話、倉下さんが仰るようにもうHTMLでサイト作っちゃえばいいんじゃないの、という気持ちも大きくなっています。コンテンツとして記事一覧がドワーッと並んでいたほうが圧巻な感じがして格好良いんじゃないかとも思います。

 私は最近GitHub Pagesを利用してHTMLをちらほら公開するようになりました。HTMLサイト全盛期を「作る側」としては経ていないので、私にとっては今がはじめてのHTML期です。そもそもサイトの公開をしたくてWeb技術を学んだわけでもなく、いろいろできるようになったんだから今更だけどHTMLサイトを作ったら面白いのかも?と思い始めた段階にあります。

 このブログを書いていても、これ日記じゃないんだから時系列順に並ぶ必要ないんじゃないかと感じることがあります。シリーズものはラベルでピックアップするんじゃなくて、普通に記事一覧があってずらっと並んでいて赤字の「NEW!」なんかがついていたほうが良いような気もします。個人的には「洗練された新しいデザイン」みたいなものにはもう慣れきって憧れも褪せてきています。

 

 どうするかはまだ考え中です。なんにしても、訪問者と私自身が楽しい場を作れたらいいなと思っているところです。

 

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