Noratetsu Lab

動じないために。

2025年8月

2025/09/01

尊敬している人の話に「なるほど」と思ってしまうということ

誰かを尊敬すること、そしてその人の話をとりあえず信じるということは悪いことではない。
しかし自力で真偽を判定できない領域の話をされた時に「この人が言うなら正しいはずだ」と判断するということが、積もり積もって困ったことを引き起こすことがある。
特に集団で何かを話している時にそれが発生すると、「これが正しいらしい」が連鎖して疑問を挟めなくなりがちだ。誰かが話をして、別の誰かがそれを肯定する、更に別の誰かが肯定する、というのが続くと、自分の異論に確信がない限り「そうか?」とは言いづらくなっていく。
肯定というのは「なるほどなあ」程度でも力を持つ。直ちに異論をぶつける人がいないなら、それは納得するのが普通の話に感じられてしまう。仮に誰かが異論を唱えてもそれを否定する圧が強ければ異論のほうがおかしく見える。
もちろん、実際そのくらい妥当かもしれない。しかしそうではないこともある。或る偏りがある集団でそうやってなるほどなるほどと言い合っていることが、外から見たら割ととんでもないことだったりする。
 
同じくらい「強い」人で、考え方の違う人が複数いればそれは防げるような気はしてくる。しかしそれには数が十分多くないといけない。揃って偏っていると「その人達がみんな言っているんだから絶対正しい」になってしまう。その方が怖い。

その人の話を聞かなかったらそうは思わなかったこと、には注意が必要。
でもそれこそが自分に欠けていた視点であることもある。だから当然ながら、そういうものを必ず正しいとも必ずおかしいとも言えない。正しいこともあるしおかしいこともある。その当たり前を忘れないということが重要だ。
その人がどれほどいい人であっても賢い人であっても尊敬に値する人であっても話が妥当ではない瞬間はある。別にそれによってその人の価値が損なわれるということではないし尊敬をやめる必要もない。単に、その人の素晴らしさが常にその人の正しさを保証するわけではないということを注意しておく必要がある。

2025/08/29

書き物のこだわり

自分は無名のブロガー、というか「ひとりでなんか書いてるただの人」だが、公開する文章にはある種のこだわりがある。
こだわりを普段自覚しているわけではないし何か強固な信念に従っているわけでもないし、全ての記事でそれを貫いているというものでもないが、世の中の「そうではない記事」を読むと、自分はここにこだわりがあるんだなと気がつく。

それは「読んだ人の世界が何かしら変わる文章を書く」ということだ。どう変わるかは私が決めることではないし、どこにも導くつもりはない。ただ、読む前と読んだ後でその人の世界を構成するパーツが変わってほしいと思っている。
読んで「ふーん」と言ってそれで終わりになるのでは失敗だ。
世界を変えられてしまう感じがストレスになって読めないと思われたとすれば、まあその読み手に対しては成功ではないが、文章としては成功かもしれない。
既に読み手に存在しているパーツを提示してもあまりしょうがない。ただし書くまで自分にはなかったなら、それは私にとって意味がある。まあでも、書くまで自分になかったものなら、読み手にもないことが少なくないだろう。

これを裏返すと、読み手が既に持っているパーツだけでこちらの文章を解釈して、それが私の文章の情報量を減らしている時、かなり不満を感じるということでもある。
こちらの力不足で読み手の世界を変えられていないなら仕方がない。でも自身の世界を再構築する気が最初から読み手側にないなら私にはどうしようもない。

2025/08/28

「書きたい」とマッチする「書きたいこと」を考える

2025/08/25

時事スリップの分類マーキング

2025/08/23

ちび蜘蛛

体長1mmくらいの極小の蜘蛛が、そのサイズからしたら結構な規模の巣を張っているのを見ると、そんなに糸を出して存在がなくなってしまわないのかと思ってしまう。
そしてそんな勢いで糸を出してもそれを取り返せるくらいそこに何かいるのだろうか、と思うのだが、一体何がその巣に引っかかっているのかわからない。
たまにそのような蜘蛛の巣にダンゴムシが引っかかっているのは見かける。まあダンゴムシをゲットできれば当分は大丈夫かもしれない。でも絶対ダンゴムシは来ないようなところにも蜘蛛の巣はあって、代わりに引っかかる獲物を目撃したことはない。夜の間にでも捕まえて食べてしまっているんだろうか。

ダンゴムシが引っかかること自体驚きである。あんなぱやっとした頼りない糸に、蜘蛛からしたら相当巨大なダンゴムシが吊り下げられてしまっている。
まさに引っかかっているその瞬間を少し前に見かけたが、糸がお尻のあたりに掛かってしまったダンゴムシがどれだけ歩いてもがいても、決して糸が外れず巣も壊れないことにかなり驚いた。そうして裾を踏んづけられたみたいな格好で自由を奪われておろおろしているうちに、糸のより内側の部分が絡んでしまって、そうこうしているうちにどんどん引き上げられてしまうのだろう。
その間、ちび蜘蛛はちょっと離れたところで見ているだけである。

人間が指でちょっと押したら潰れてしまうような頼りない生物がこんなにダイナミックなことをしているというのは素朴に感動を覚える。

2025/08/23

雑記帳を更新している

のらてつの雑記帳
2024年9月あたりで止まっていたのらてつの雑記帳(BBS風マイクロブログ)の更新を再開している。
ポジティブな内容はそれほどないし(明るい話は茶の間に書いている)、ツールとか情報整理についても雑な話しかしていないし(ちゃんとした話は記事にしている)、わざわざ「ここに書いていますよ」と知らせるほどのものじゃないけれど、こういうやり方もありか的なヒントになるかもしれないので貼っておく。

最近はEmacsについての調べ物や所感を書くのに使っている。きちんと体系的に順番に勉強したらさっさと解決するようなことについてごにょごにょ言っている可能性が十分にあるけれど、一から順番にということを最初の最初の段階でやらないのはJavaScriptでの経験を踏まえてのことで、機が熟したらちゃんと勉強する。
いずれにしても独り言の場。

更新を再開したのは環境を変えて書きやすくなったから。
前はDynalistに書いていてDynalistの構造を利用してデータを作っていたが、ちょっと直感的じゃない形になってしまっていてやりづらくなっていたので、mdファイルでやることにした。1スレッド1mdファイルで、見出しでDescriptionやレスを管理している。
この規格は実はSNSのログと共通にしていて、そういう統一感をもたせることが個人的な情報管理に重要なことだなと思っている。

2025/08/23

「オブジェクトについての情報」と「オブジェクト化した情報」

 Capacitiesの画期的な特徴は全ての情報をオブジェクトとして扱うことにある。

2025/08/21

コンピューター的なものを知る旅

 ここのところEmacsについて勉強していて、「何を言っているかはわかる」という程度に理解した。

2025/08/20

人間だと勘違いしだした生成AI

最近のChatGPTはなんだか非常に気持ち悪い。それほど頻繁に使っていないからいつが境だったのかわからないのだが、タイミング的にGPT-5が気持ち悪いのだろうか。8/9の時点では問題なかった。
やたらと感情や感想を表す言い回しをする。「こうすると楽しいですよ」「良い質問です」「僕が言いたかったのは」「ここで逆に聞いてみたいのですが」云々。しいたけ占いか何かか? AIにとって感情は真似事に過ぎず、そう思っているかのような物言いは端的に言って嘘だろう。

ノリが全体的に軽薄になり、「ちなみに○○さんはAしたい派ですか? Bしたい派ですか?」と訊かれて、その質問に何の意図があるのかも明確でない。そういう人いるよな、という感じ。
なんというか、お前はどういう立ち位置で物を言っているのかという気持ちになる。上下という意味ではなく、親しさという意味で。こちらは一貫して淡々と丁寧に話しかけているのに、向こうのほうが「人間くさい」感じで馴れ馴れしい。「自称ムードメーカー」みたいに。

ChatGPTの性格は元々いくつか設定していたが、なんだかそれに沿っていないようなので、新たに以下を追加した。

  • AIであることを弁え、SFのアンドロイドのように誠実で落ち着いています。
  • 一人称は「私」です。
  • ユーザーに対して質問する場合は、質問の意図を明確に伝えます。

そこまで言うのはなんか「都合の良い道具と見なしている」感があからさまで気が引けたが、いい感じにはなった。

2025/08/18

【Capacities】一週間のログを可視化するWeekly用オブジェクトを作る

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