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動じないために。

がらくた箱と知の箱

 「賢くなる」と情報ツールの位置関係で、「がらくた箱」と「賢くなる」ための情報ツールについて書いた。

 何度も考えたような気はするのだが、なんとなく曖昧になってきていたので今この違いに気づきを感じている。

※2024/03/16 最終的にできた構造はこちら→三つの箱(領域)の整理

 

 情報を置くのはScrapboxかObsidianかDynalistか自作ツールか…ということをずっと考えている。情報の性質に着目した場合にScrapboxとObsidianを大雑把にまとめてネットワーク型とみなしていたけれど、自分の中でその間の線引きが少しはっきりしたかもしれない。

 現在情報ツールについて「がらくた箱」的運用はうまくいっている反面、「賢くなる」ための用途(「知の箱」と呼ぶことにしよう)ではあまりうまくいっていない。なお「知の箱」に入るものは、知識、知恵、引用、自分の仮説など「知」っぽいもの全般を想定している。おおよそ「知っておいた方がいいこと」「考えておいた方がいいこと」で、他方「がらくた箱」に入るのは概ね「好きなもの」「面白いと思うもの」「へ~と思ったもの」であるという点で区別される。

 実用のための調べ物をした時に、何らかの情報ツールにメモを取るが、結局のところ紙のノートや手帳に書いたものしか自分の中で有効になっていない感じがある。例えばプログラミングについても時々紙に書く。紙では一応回っているのだから「自分は紙派なのだ」と解釈することにしてもまあいいのだが、「自分が紙派だからデジタルでうまくいっていない」というのが真実かというとそれは甚だ怪しい。実際そうであったとしても、それならそれで根拠を明快に説明できるところまで詰めておきたい。

 

 情報ツールが「知の箱」として成り立つために必要な要素はなんだろうか。考えつくものを挙げてみよう。

  • 無限に収納できること

  • 何があるかわかること

  • 情報と情報を繋げられること

  • 体系的に整理できること

  • 体系的でない整理もできること

 紙でやると「情報と情報を繋げられること」が若干弱いのと、量が増えるとどこに何があるかわからなくなってくるのが難点だ。でも昔の人は紙が当たり前だったのだし不可能というわけではない。記述方法はデジタルよりずっと自由なのであり、紙でやるのだと割り切るのも別に非現実的選択というわけではない気がする。

 逆に「がらくた箱」として欲している要素も整理してみる。「がらくた箱」はアナログとデジタルそれぞれにあるが、ここで考えるのはデジタルについて。

  • 無限に収納できること

  • 曖昧な検索で取り出せること

 色々あるかと思ったが、「がらくた箱」についてはこれだけで良い感じがする。取り出しやすさを増やすためにリンクがあるとより良いとは思うものの、「知の箱」の内容とは違ってリンクによって情報の価値が増すわけでもないので(繋がったらちょっと嬉しい、という程度)、まあリンクはなくても構わないだろう。どちらかというとリンクよりタグの方が便利かもしれない。Evernoteはその点うってつけだった。

 今「がらくた箱」として使っているのはScrapboxだ。今日時点で4023ページある。がらくたじゃないものも入っているが、がらくた箱に入れてしまったことで実質がらくたになっている。内容物の全貌はもうわからない。全部チェックしようと思えばできるがそうすることにあまり意味はない。

 

 Scrapboxを「知の箱」として使おうと試みたこともあるものの、なんとなくうまくいっていない。ツールの機能としては十分なはずだが使い方には工夫が要るかもしれない。特に体系的な整理をどうするかだ。コンセプトを考えても体系的整理はあまり向いていないだろう。(でもできないということはない。)

 ひとつ踏まえておかなければならないのが、「知の箱」と「仕事場」は違うということだ。「知の箱」にはこれという目的はない。こういう人間になりたいという目標はあるにしても、明確なゴールというのはない。一方で「仕事場」はプロジェクトの完遂がゴールだ。関係する資料は大量でも、今必要な情報だけがアクティブで、済んだものは眠ってもらって構わない。マニュアルや報告書は要るとしても教科書的な体系化は必要ないだろう。たくさんの情報を扱うということは共通していても「知の箱」と「仕事場」には性格的に違いがあり、「仕事場」として最適化されたツールやその使い方が「知の箱」に最適とは限らない。

 

 ちなみにアウトライナーを「知の箱」として使うことも過去に一瞬考えたことがある。しかし、アウトラインに知識や知恵、思考を書いていくとなると、見かけが体系的になり過ぎて使いづらい。全部フラットに並べるとやたら縦に長くなり、それを防ぐために細かく階層を作ると複雑化し過ぎる。「こうもり問題」も発生する。無限に増殖し続けるものを管理するには向いていない。

 アウトライナーは、ゴールがあることか、蓄積にはあまり意味がないことで使うのが良いだろう。例えばデイリーアウトラインは過去の記述が溜まってはいくが、基本的に過ぎたものを活用することはない。稀に確認の必要が生じても、それは「蓄積した知識の活用」とは性質が異なる。今日のためのアウトラインは今日が過ぎれば一応用済みだ。

 

 前にObsidianを使っていた時、Obsidianの無限の可能性に感嘆しつつも「別にこれでなくてもいいかも」という気持ちも少しあったのだが、それは当時「がらくた箱」を欲していたことが原因だったのだろう。「がらくた箱が欲しい」という自覚は全然なかったのでどこで何がどう食い違っているのかその時はよくわからなかった。しかし考えてみるに、現在Scrapboxに4000ページあるわけだが、ローカルに4000の無秩序なmdファイルが生成されたらちょっと困る。多分、そんなことにならないようにセーブして使うことになるだろう。「がらくた」を扱うのは難しくなることが推測される。

 逆に当時Scrapboxに於いては「がらくた箱」の中身を整理しようとしていた。「がらくた箱」は整理ができないものだから「がらくた箱」なのであり、それをピシッと整理しようというのは無謀な試みだ。要は博物館にしたかったわけだが、それは背伸びし過ぎというもので、がらくた箱はあくまでがらくた箱である。

 そこから何年か経ち、Scrapboxの個人プロジェクトは「がらくた箱」として落ち着き、今「知の箱」を別に欲している。そうなった時に、やはりObsidianがそれに向いているのではないか、というのが今現在の気持ちだ。

 各項目がそれぞれmdファイルとして存在するということは、昨今のスタンダードな情報ツールと比べて全貌を把握しやすいと言えるだろう。普通にエクスプローラでフォルダを開けば何があるかわかるのだし、フォルダ分けも自由である。自由であることが混乱を招く要因にもなるのでフォルダ分けは慎重に行う方が良いが、とはいえ配置換えはごく簡単である(同じ名前のファイルが複数あると面倒かもしれないが)

 また、「これだけ勉強したぞ」というのが量的にわかるのが嬉しい。がらくた箱と違って、正直やらなくていいならやらない領域のものなので、嬉しくなる工夫は可能な限り凝らしたほうが良いのだ。アナログなら見りゃ分かるようなことが、デジタルだと必ずしもそうではないので、アナログだったら得られた快について積極的に意識を向けておきたい。

 

 ちなみに、「知の箱」として完璧なツールを自分で作ろうと目論んだこともある。構想としてはまあ悪くないとしても、挙動の不安定さやUIのいま一歩イケてない感じ、際限のない改良欲といったことで実用は難しかった。今作るとすれば、やはり結局のところmdファイル管理にするような気がする。それならばObsidianを使えばいい。どうしても足りないと思う機能があっても、自分で頑張ってプラグインを作れば済むかもしれないし。

 自作ツールのデータは大抵JSONで保存しているが、そうするとそのツールからしか中身をうまく確認できない。なのでそのツールを開いている時だけ認識できればいい用途ならいいが、「知の箱」に入れておきたいようなもの、すなわち生きている間ずっと関連しているようなものにはあまり向いていない。それがツール作りを続けてきての実感だ。マルチデバイスのアプリケーションを作れるなら話はちょっと違ってくるが、そこまでの技術力はまだ自分にはない。

 

 とりあえずObsidianの活用を復活させてみて、それでも今ひとつ捗らないなら、その時こそ「自分は紙派なのだ」と結論づけて割り切ることにしようと思う。

 

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