Noratetsu Lab

動じないために。

結局考え事はどこでしているか

 ここまで色々ツールの使い方について考えてきた。今回は「考え事」に焦点を当ててみることにする。

 

現在の様子

 考え事には、何かを理解するための格闘のほか、自分の価値観を明らかにするためのものと、何かをリニアにするためのものとがある(と思う)。リニアにするとは、段取りを決めるとか人に伝えるための文書を作るといったことだ。三つの箱(領域)の整理で整理したことを踏まえて「考え事」について捉え直すとこんな感じ。

  • 考え事

    • 何かを理解する

      • 知の箱

        • 知っておきたいこと

        • 考えておきたいこと

          • アトミックなノート*1
    • 自分の価値観を明らかにする

      • 思考の描写ログ

        • 豆エッセイ
    • 何かをリニアにする

      • (仕事・表現など)

 知の箱はObsidian、思考の描写ログはDynalistということで現在は落ち着いている。そしてリニアにする作業もDynalistにしている(アウトライナーが最も得意とするものだろう*2。ただしかなり長い書き物(連載とか小説とか)は資料が多かったり同時に見たいものが色々あったりして、アウトライナーオンリーだとちょっと辛い。その場合の最適なツールはまだ定まっていないが、今のところはObsidianを活用している。

 

アトミックなノートの迷走

 前回土であって種ではないアトミックなノートについてちょっと書いたが、そういうノートはどうしているか。「必ずしもカードにしなくてもいいかもしれないよね」というようなことを書いたが、それはうちあわせCast内のTak.さんの語りを受けてのものであり、自分が全然カードを作らない派という話ではない。バリバリ作っている人たちと比べるとスムーズにいっていない感じはあるしTak.さんの感覚に大変共感しているのだが、ある程度試み続けてはいる。

 かなり昔からそういうノートを作ろうとしてはいるが、一応最も多く作れたのがScrapboxだ。公開プロジェクトにもそれなりに作ってある。公開・非公開合わせると、千に届くか届かないかくらいかなと思う。ただし滑らかにやれているとはちょっと言い難い。ここでは詳しく書かないが、ちょっと悩んでいるポイントがあり「Scrapboxで全てが解決!」ということにはなっていない。とはいえ、数あるデジタルツールの中でScrapboxが最も直感的で且つ飽きにくいと思っている。そして情報を取り出しやすい。他のツールの検索機能と気分的に何が違うのかというのははっきりわからないのだが、Scrapboxは過去の記述をとても取り出しやすいと感じる。もちろんサジェストが強力であることも大いに貢献している。

 今現在は、これについては知の箱に含めているのでObsidianでやっている。アトミックなノートづくりだけに着目すればScrapboxの方に軍配が上がるのだが、知識類をObsidianで扱いたいので、それらとリンクしやすいようにアトミックなノートもObsidianを選択することにした。ちなみにScrapboxとObsidianの間にどういう違いを見出しているかというのはScrapboxとObsidianの個人的使い分け(2024年版)で書いた。

 過去には紙のノートやカードに書いていたこともあった。しかしうまくいったためしがない。ノートだとどうも見返す機会やそのモチベーションを生むことができずに書いたきりになっていたし、カードはなんとなく面倒になってくる。後から見たくなるレベルの筆跡で書くのが難しいというのもある。自分の汚い字は見ていて苛々してくるのだ。まあ筆跡の問題はともかく、書いたきりになってしまったのはノート作り・カード作りについての自分の熟練度の低さが原因だったように思う。というかそもそも自分の「考え事」の質が低かった感もある。

 あとここ1~2年は自分でツールを作っていたが、自分で作ったUIに飽きるという問題があってうまくいかなかった。スキル不足のせいで使うたびに微妙に認知資源を消費するUIになっているということなのだと思う。今ならもうちょっとうまく作れるかもとは思うものの、最近はあまりツール開発に積極的になっていない。

 

豆エッセイの迷走

 アトミックなノートと長らく混同して迷走していたのが豆エッセイである。アトミックなノートは非文脈的だが、豆エッセイは文脈的な短文だ。自分が世の中をどう見るか、あるいは誰それが世の中をどう見ているか、という視点によって書くものであって、ひとつひとつのサイズが小さくともアトミックなノートのような「その後の活用」はあまり期待できない。読み返すことには意味があるが「使う」ことにはなりにくい。

 豆エッセイはTwitterをやり始めて爆発的に増えた。Foam_Crabではそれほどでもないが、ごく親しい数人の間でフォローし合っている鍵垢(裏垢なるものではない)にかなりの量を呟いている。「つぶやき」に留まらないサイズの何かをTwitterで言い始めた時には、それはもう豆エッセイなのである。何か人に伝えたいこと、つまり文脈があり、それを人が読める程度の言葉にしている。それらは大体自分にとって重要な内容で、ツイートを書くというまさにその行為によって形を成したものであることが多く、なるべくきちんと保存しておきたい。しかしそれがなかなか難しかった。

 ひとまとまりで区切って何かのツールの1ページにコピペしてみても、なんだかいまいちしっくり来ないのだ。タイトルも付けにくいし、ページを作っても「で?」という感があった。Twitterのままだと編集ができないので他のツールに移すことで追記などが可能になるのは良いのだが、ひとまとまりに括っていくことで得られるものは意外なほどない。カードとして扱う意味があまり感じられないのである。

 本当はどうであるのが納得いくのかと考えると、おそらくエッセイ集の本のような形なのだと思う。ちょきちょき切り取らないでむしろ全部繋がったままの方が好ましく、どこに何が書いてあるのかは見出しやブックマークで表示する形が良いのだろう。

 一時期はWordでやろうとしていたことがあったが、コピペするのが面倒くさくなってきたし、編集中の見た目もそんなによろしくない。もっとデジタルらしいやり方を模索するべきだろう。ぱっと閃いた時にすぐ書けるのも重要で、専用ファイルを探して開いてとやっていると捗らない。

 なので現在はDynalist内に作ったライフ・アウトラインの「DO-DAYS」内に書いている。頭につけた記号で抽出すると一応エッセイ集のような状態になるわけである。

 ただし、一度SNSに投稿した豆エッセイを「DO-DAYS」にコピペするのが正解なのかというと微妙な感じがして、「DO-DAYS」に集約することはできていない。まだ悩んでいる。

 


*1: 「アトミックノート」ではなく「アトミックなノート」としているのは、専門用語ではなくそういう性質のものを指しているに過ぎないことを表現するため。

*2: うちあわせCast第百二十六回で詳しく語られている。
第百二十六回:Tak.さんとアウトライナーの用途について - 知的生産の技術

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