「美の壺」の茶碗の回を見た。
その中で曜変天目の再現に挑む人の話があった。
父親がそれに打ち込み、かなり近づいたにもかかわらず、資料をほとんど残さずに亡くなってしまった。息子は父親の姿に最初は反発していたようだが、やはり曜変天目の再現に挑む人生に。
折角迫りながらも肝心の記録を残さなかったということに、心の中で「馬鹿!!!!!」と叫んでしまった(色々そっちのけでやっていたのにそれはあんまりだろう)。後を継いだ息子の涙ぐましい努力の何割かは、しなくていい努力だったのではないかと思ってしまう。研究するならやはり記録は残さなければ駄目だ。
なおこの方の対談記事はこちら。(「美の壺」とは関係ない記事)
曜変天目が生み出された中国の建窯に幾度も通って学んだとか。
ある時、砕かれた蛍石の存在に気がつく。普通は絶対に使わないものらしい。しかしタイミングを見計らって窯に投入することで、蛍石はガスとなって釉薬と反応し、特異な光彩が生まれるとのこと。
そうして作られた茶碗は、かなり曜変天目に近づいていて驚いた。あともう少しという感じだ。
もう少しだけど、ここからが長いのかも知れない。そして失敗作の山を見ると、なんというか、人間の営みの罪深さを思ってしまう。陶芸の世界の人々はみんな戦っていることなのだろうけど。
関連:曜変天目ぬいぐるみ