Noratetsu Lab

動じないために。

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構造ノート

自分の問題意識に基づいて複数のノートを構造化し、文脈を与えるもの。
from 日誌ノート・構造ノート・結論ノート・覚書ノート
のらてつがObsidianなどでカード型の情報管理をする際に作るもののひとつ。
(つまり「構造化」+「文脈の付与」)
発想の大元はZettelkastenの「Index or Structure notes」

構造化に必要な工程

  • 【探す】関連する全情報を探し集める(探し集め続ける)
    • 【仕分ける】種類で分別する
      • 【言い表す】その分類の定義を言語化して明示する
    • 【仕分ける】段階を可視化する
      • 【言い表す】その意図と理由を言語化して明示する
  • 【探す】全体を見渡して不足要素を探す
    • 【仕分ける】不足要素を適切な種類と段階に位置づける
      • 【言い表す】位置づけの理由を言語化して明示する
      • 【言い表す】調べるか考えるかして不足要素を埋める
  • 【探す】全体を見渡して構造の核を見出す
    • 【言い表す】全体像を言語化して明示する
      探す→仕分ける→言い表す、を繰り返す。

文脈の付与(=保存)のために行うこと

  • 前提を整理する
    • 前提とは:主題に対して影響を与え得る、環境や気分、事の経緯などの状態
  • 情報を操作する
    • 操作とは:主に分類・ソート・階層化
  • 操作それぞれの根拠を言葉にする
    • 根拠とは:関連知識・連想・気持ちなど

記事

  • 【Obsidian】ノートの三分類―構造・結論・覚書①
    • 私の場合は構造ノートを「自分の問題意識」の文脈に他のノートをリンクするものとして考えているので、具体的なアイデアや情報を得るより先に問題意識が存在している場合には空っぽの構造ノートが先に生まれることになります。シールを集めるための台紙のようなものです。どんなシールを集めたいかが先に決まっていれば、そのテーマ毎の台紙が先に用意されるのと同じことです。

  • 【Obsidian】ノートの三分類―構造・結論・覚書②実践編
    • 構造ノートについては、「文脈が出来上がっている」「まだ模索中」の二つの状態で分けています。自分の考えの方向性がほぼ明確になれば「構築済」タグをつけることになります。つまりその問題意識について「持論が生まれた」ということを表します。

  • Obsidian日誌:構造ノートとはなんぞや①~構造作りは自動化できない~
    • 私が特に陥りがちなのは、「構造化しよう」という意志に引っ張られて、形式的に整えようとするパターンである。一度うまくいった構造を分析して次もそれでやればうまくいきそうに感じるからだ。

  • Obsidian日誌:構造ノートとはなんぞや②~文脈には前提・操作・根拠が必要である~
    • 文脈というのは、構成要素を見れば毎度必ず同じように捉えられるものではない。条件や他の構成要素が増減すれば変わってしまうし、情報の並び順だけでも認識は変化する。生じたその時に姿を留める処理をしなければ、移ろって失われてゆく。ここにこういう文脈が確かにあった、ということを保存するのが「構造ノート」だと私は認識している。

  • Obsidian日誌:構造ノートとはなんぞや~まとめ~
    • つまり構造ノートというものは、情報の理解に貢献するに留まらず、自己を観察し、自分として生きる場として重要な意味を持つのである。

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他の「情報の種類と性質」カテゴリの語句

「構造ノート」タグの記事一覧

2021/04/25

Obsidian日誌:構造ノートとはなんぞや~まとめ~

 これまで2回に分けて書いてきた、「構造ノート」とはなんであるか、という話をまとめたい。


 まず経緯を整理しておく。

  • Obsidianと縁の深いメソッド「Zettelkasten」の実践にあたっては、「構造ノート」の作成が勧められる。
  • 「構造ノート」の存在意義を、以前私は「自分の問題意識に基づいて複数のノートを構造化し、文脈を与えるため」と表した。
  • しかしその表現が不十分で実用的でないと自分で気がついたので再考しようと思った。

 そして①~構造作りは自動化できない~Obsidian日誌:構造ノートとはなんぞや①~構造作りは自動化できない~では以下のことを書いた。

  • 構造化は「探し集める・仕分ける・言い表す」の繰り返しでできている。
  • 構造化は自動的・機械的にはできない。
  • その工程は「対象を通して自己を綿密に怠りなく観察すること」と言える。

 次に②~文脈には前提・操作・根拠が必要である~Obsidian日誌:構造ノートとはなんぞや②~文脈には前提・操作・根拠が必要である~では以下のことを書いた。

  • 文脈とは、単独の語・フレーズ・文で表現できない意味合いのことである。
  • 構造ノートとは、文脈を保存するものである。
  • 文脈の保存には「前提の整理・情報の操作・根拠の明示」の工程が必要である。
  • 文脈の保存とは、自分として生きることそのものである。

 以上のことを振り返り、「構造化」と「文脈の付与」のふたつの観点を統合しながら「構造ノート」とは何かを考え直してみよう。
 まず定義としては、「何らかの前提に基づいて複数のノートを集め、操作を加えて適切に配置し、その操作の意図を明示することによって文脈を保存したもの」と言い換えられそうである。前提の第一のものとして、当初の表現に用いた「自分の問題意識」がある。
 そしてその実践のためには「対象を通して自己を綿密に怠りなく観察すること」が必要となり、そうやって構造ノートを作っていくことはつまり「自分として生きること」そのものではないか、ということである。
 毎度新たに構造を考え直すのは非効率に感じられることから、一度うまくいった構造は次回以降も流用したくなるかもしれないが、そのまま使いまわそうとすれば「構造に当てはめるために情報の文脈を作る」という主客転倒が起こりかねない。ゆえに如何に大変であっても、フォーマットはヒント程度に留めてあくまで自己の観察によってその都度構造を構築していく必要がある。
 そのように自己を言語化することは認知資源を大きく消費するものであり、到底すべてに対してそれを実践することはできない。そこで、私はこれに取り組むのだという意識を持って対象を選択する必要がある。その選択と実践が「自分として生きること」であるように思う。
 つまり構造ノートというものは、情報の理解に貢献するに留まらず、自己を観察し、自分として生きる場として重要な意味を持つのである。

 構造ノートについてはひとまず以上です。
 

2021/04/20

Obsidian日誌:構造ノートとはなんぞや②~文脈には前提・操作・根拠が必要である~

  • Obsidian日誌:構造ノートとはなんぞや①~構造作りは自動化できない~
    あらすじ
  • 以前noteの記事にて、構造ノートの意義を「自分の問題意識に基づいて複数のノートを構造化し、文脈を与えるために存在しています。」と表した。
  • その表現に対し、自分で不満を感じたので言い直したいと思った。
  • 前回は「構造化」の三文字について考えた。
    • 構造化は自動的機械的にはできない。
    • うまくいった構造の型も使い回せるとは限らない。
    • 事例の特殊性に気づくためには自己観察と言語化の努力が必要である。

 今回考えたいのは、「文脈を与える」という表現で言い表したかった意味合いについてである。


 これは「構造化」から自分なりに更に一歩踏み込んだ表現であって、現時点でも「つまるところ文脈なんだよな」と思うのだが、「つまるところ」と言いたくなるときには大方抽象的過ぎるものである。イメージするには良いのだが、具体的に何をするのかは「つまるところ」だけでははっきりしない。
 「文脈」という言葉にあくまで「文章」のイメージが強いようであれば「コンテクスト」と読み替えてもらえればいいが、要は「脈絡」「筋道」「前後関係」「背景」「論理的・意味的関係」といったことである。接続詞と接続助詞で繋がっていくその繋がりとも言えるだろう。単語だけ、フレーズだけ、単独の文だけでは表現できない意味合いということだ。
 文脈を「与える」と言いたくなったからには、そこには「放っておくと文脈は生まれない」という前提がある。「放っておく」とはつまり、情報を集めない、またはただ列挙するという状態に留まっていることを意味している。並べただけでは文脈は生まれないのである。
 いや、もっと正確に表現しよう。並べられたものを見て、頭の中にはほとんど反射的に何かしらの文脈が生まれる。しかしそれをきちんと書き表さなければ、その文脈が情報として意味を持てないのだ。そこに見出した意味を活用するには、情報の列挙を見る度にいちいち同じ連想をしなければならないことになる。それは不確実で非効率である。
 文脈というのは、構成要素を見れば毎度必ず同じように捉えられるものではない。条件や他の構成要素が増減すれば変わってしまうし、情報の並び順だけでも認識は変化する。生じたその時に姿を留める処理をしなければ、移ろって失われてゆく。ここにこういう文脈が確かにあった、ということを保存するのが「構造ノート」だと私は認識している。
 よって、構造ノートは「ページリンクの列挙」だけではその役目を十分に果たせない。構造とはリストではない。(リストは構造の一部ではある。)

 さて、「文脈を与える」ためには具体的にどうしたらいいのか。前回は「構造化」を考えるにあたって「言語化して明示する」を繰り返したが、まさにその作業はなんであるかということを考えなくてはならない。
 このことについては数多の言説があるし、客観的に見れば敢えてここで私が考える必要があることではないかもしれないが、私には私の言葉が必要なので、私なりに考えて書いていくことにする。
 前回同様、自分が実際に行う行動を整理してみよう。

  • 前提を整理する
    • 前提とは:主題に対して影響を与え得る、環境や気分、事の経緯などの状態
  • 情報を操作する
    • 操作とは:主に分類・ソート・階層化
  • 操作それぞれの根拠を言葉にする
    • 根拠とは:関連知識・連想・気持ちなど

 例えば、「構造ノートとはなんぞや」というテーマには「noteにはこう書いた」「構造化に失敗しがちで困っている」などの前提があり、テーマについて生じたアイデア・情報群に対して「構造化と文脈の付与の二つに分別しよう」「経緯→手順の可視化→現状→検証→結論の順で並べよう」といった操作を加えていく。そしてそれらについて「言葉が表している範囲が違う気がするから」「この順で考えるのが自然だから」というふうに根拠を言葉にする。自明な気がするとしてもきちんと言葉を思い浮かべることが肝腎だが、明らかに「見ればわかる」ものは書き留めるまでしなくともよいだろう。
 そうしていくと、紙面または画面上に並んでいる情報の構造がどういう流れに於いてどういう理由によって形成されたかがわかる形になる。わかる形になるとは、未来の自分が読んでも文脈を再現できるということである。

 文脈は「何を感じたか」「何を思ったか」の世界であり、それを認識の都度、逐一言葉にするのは容易でない。もちろん全ての情報に対して文脈を捉えて書き残すことは到底できない。しかし他ならぬ私が、他ならぬ私のために情報を集めて用いるのならば、それは容易でなくとも取り組まなくてはならないことであろう。それこそが他ならぬ私として生きることそのものであるとも感じている。
 そして「これについてはきちんと取り組まねばならない」という意識を持つためのものとして、構造ノートという場が私のObsidianに存在しているのである。
 

2021/04/19

Obsidian日誌:構造ノートとはなんぞや①~構造作りは自動化できない~

 タイトルに「Obsidian日誌」と示している通り、これは私個人の模索を記録したシリーズとして書くものである。

 以前noteに書いた記事にて、Zettelkastenでノートを作る際には「Index or Structure notes」という役割のページが生み出され、私は(jMatsuzakiさんに倣って)それを「構造ノート」と呼んでいますという話をした。

 この記事の中で当時の私は、構造ノートの意義を「自分の問題意識に基づいて複数のノートを構造化し、文脈を与えるために存在しています。」と書き、また「シールを集めるための台紙のようなものです。」と喩えている。
 これを書いたときはそれで明瞭に定義できているかのような気分になっていたのだが、それから一ヶ月と少し経ち、なんとなく肝心なことを言えていないような気分がじわじわと滲み出てきた。


 まず「構造化」という三文字であっさり片付けてしまっている部分だが、そこには具体的な行動がひとつ以上存在しているはずである。
 自分で集めてきた或いは生み出した情報を構造化すると言った場合、私が実際に行う行動はおそらく以下の通りである。

  • 関連する全情報を探し集める(探し集め続ける)
    • 種類で分別する
      • その分類の定義を言語化して明示する
    • 段階を可視化する
      • その意図と理由を言語化して明示する
  • 全体を見渡して不足要素を探す
    • 不足要素を適切な種類と段階に位置づける
      • 位置づけの理由を言語化して明示する
      • 調べるか考えるかして不足要素を埋める
  • 全体を見渡して構造の核を見出す
    • 全体像を言語化して明示する

 単純化すると、「探す」「仕分ける」「言い表す」の三種の行動を何周かしていることになる。うまく構造化できていると感じるときはこの一連が無意識に行われているのである。
 しかし、この工程は今自分を振り返って「こうしているということなのだな」と思って書き出したものであり、つまり昨日まで全体をはっきり把握してはいなかった。自覚がないということにより、「前は構造化できた」という成功体験がありながら、「でも今回はうまくいかないなあ」と理由もわからずもやもやと悩んで時間を空費する事態が生じる。
 私が特に陥りがちなのは、「構造化しよう」という意志に引っ張られて、形式的に整えようとするパターンである。一度うまくいった構造を分析して次もそれでやればうまくいきそうに感じるからだ。
 ところが、個々人が多種多様な情報を千差万別の目的意識によって収集して整理するとなれば、構造の種類も多様になって当然のような気がしてくる。一度うまくいった構造が次も使える保証はない。個人の好みや思いが反映される以上は、ビジネス文書や学術論文のような画一的な形式にはなり得ないと言ってもいいだろう。うまくいったものをヒントにはできても、それをそのまま使い回せると無警戒に信じるべきではない。

 自分の関心によって構造の形は変わっているにもかかわらず、そのことがしばしば忘れられてしまうのはなぜか。
 それは、その構造がどうしてそこで成立したのかを自分ではっきり認識できていなかったからだろう。上記の工程でしつこく繰り返している、「言語化して明示する」の部分が欠けているのである。**「今回の場合はこう感じたからこうなったのだ」という脳の動きを把握して記しておかなければ、その事例の特殊性が認識されない。**そうなると、それらしく抽象化して考えることによって使い回せそうな枠組みをでっち上げ、なんとかして他の情報にも同じフレームを当てはめられないかと格闘し始めたりすることにもなる。実に不毛な苦闘である。
 構造化するにあたって考えるべきことのパターンを先んじて用意することはできても、構造そのものはその都度考えていかなければならないし、それはその対象を腑に落ちるまで理解することと同義であって、自動化は不可能なのである。
 したがって構造ノートの作成とは、「構造化」のボタンをポチッと押せば一瞬でできるような簡単なものではなく、言い換えるならば「対象を通して自己を綿密に怠りなく観察すること」と表現できるかもしれない。

 次回は「文脈を与える」ということについて考えることにする。
 

2021/03/10

【Obsidian】ノートの三分類―構造・結論・覚書②実践編

前回、Obsidianにノートを作るときは三種類(+一種類)に分類していますというお話をしました。


0. 日誌ノート(とりあえず書く場)

  1. 構造ノート(問題意識に基づいて文脈を作る場)
  2. 結論ノート(ある問題に対しての解答を模索する場)
  3. 覚書ノート(問題意識の伴わない情報を置く場)

今回は、これらを実際どのような形態で分類して活用しているかを記していきたいと思います。
まず原則として、分類はタグによって行い、フォルダ分けは明確に必要を感じた時のみ実行することにしています。(理由は最後に書きます。)

0. 日誌ノート

Obsidianの「デイリーノート」の機能で作られるページのことです。デイリーノート専用のフォルダを設定することができるので、今のところ月ごとに日誌ノート用フォルダを作って管理しています。
日誌ノートに限っては専用のタグは作っていません。前々回の記事に書いたように年月日タグ(YYYY/MM/DD)だけを設定しています。

1. 構造ノート

構造ノートは、自分の問題意識に基づいて複数のノートを構造化し、文脈を与えるためのノートと説明しました。
前回の繰り返しになりますが、例えば「情報管理の基地としてObsidianを活用するには」というような「○○するには」の形で表されるものです。主語は自分自身だけでなく、例えば「世界の人々が寛容になるためには」といったものも含まれます。
構造ノートの分類に使用しているタグは以下の通りです。

  • #01構造/構築済
  • #01構造/構築中

構造ノートについては、「文脈が出来上がっている」「まだ模索中」の二つの状態で分けています。自分の考えの方向性がほぼ明確になれば「構築済」タグをつけることになります。つまりその問題意識について「持論が生まれた」ということを表します。
ただしそれは「完成」を意味しているわけではなく、その後も手は加え続けます。ひとまず「構築済」のタグをつけられる形になることを目指して「構築中」のノートに繰り返しアクセスし、自分の考えを固めていくことになります。

2. 結論ノート

結論ノートは、「結論を出すことを目指すもののノート」であり、或る仮説やアイデアに対して、それが正しいのかを検証したり、どんな手法があるかを考えたり、実現するための道のりを検討したりする場です。
結論ノートの分類に使用しているタグは以下の通りです。

  • #02結論/自分がすること
  • #02結論/世界の在り方

結論というものは、最終的には「私は~するのがよい」「世の中は~であるのがよい」の二つの方向性に集約されると考えています。つまり、「私がすること」と、「私は関われない領域で、他の誰かにしてほしいこと」の二つです。そのどちらかの結論が出ることを目指して考えるものが結論ノートということになります。(事実の分析の類は次の覚書ノートに含めています。)
自分以外の人に関わることでも、自分がアクションを起こすものならば「私がすること」です。例えば「○○はAさんに依頼する」というノートがあったとすれば、〇〇をやるのはAさんですが、Aさんに対してアクションを起こすのは私です。「世界の在り方」タグがつくのは、タグの名前通りもっと一般的で抽象的な思索のノートです。
例えば、「ツールのノウハウはnoteに投稿する」というノートには「自分がすること」タグが設定されます。ノートの中身は、他の場との比較検討や具体的な工程の模索などです。
一方、「××を守る法が整備されるべきである」というノートには「世界の在り方」タグが設定されます。ノートの中身は、現状の分析と自分の思い、理想や展望などが書き連ねられることになります。
「世界の在り方」タグがついたノートは、こうなってほしいという願いがありながら現時点で自分が具体的にアクションを起こすことはできないものですが、自分の立場や環境が変わったときにアクションに繋げられる可能性があります。時々タグを見返して、自分が具体的な行動を起こす機会を常に探せるように潜在意識を刺激することが、このタグの存在理由です。

3. 覚書ノート

覚書ノートは、「○○するには」とか「△△したい」といったベクトルを持たない情報全般です。
覚書ノートの分類に使用しているタグは主に以下の通りです。

  • #03覚書/Log
  • #03覚書/Record
  • #03覚書/Reference
  • #03覚書/Maxim
  • #03覚書/Impression

「Log」は単発の記録全般です。読んだWeb記事のURLのリストからその日見た夢の記録まで様々です(適宜下位タグを作ります)。日誌ノートの覚書欄【Obsidian】デイリーノートの作成と活用参照)に数行書いて済む場合はわざわざ別にページを作りはしませんが、内容にボリュームがある時は日誌ノートから切り出すような形でページを作成し、このタグをつけます。
「Record」は議事録・定点観測・レビューの類です。進行している事物について、その時点の様子を記録したものというイメージです。
「Reference」はよそから仕入れた情報の類です。下位に「Book」「テレビ・ラジオ」「Web記事」などのタグを作っています。
「Maxim」は格言・名言の類です。論語や名言集の一文から、著名人の言葉、小説や漫画の台詞、RTで見かけたツイートなど、自分に響いた言葉を何でも集めます。自分で生み出した格言も含まれます(下位に「Mine」タグをつけます)
「Impression」は結論のない感想の類です。なんとなくこう感じたとか、自分はこういう癖がある気がするとか、それ以上具体的に行動や思索に繋がるわけではないけれど書き留めておきたいこと全般にこのタグをつけています。
今のところはこの五種類に振り分けて整理がついています。

タグを使う理由

フォルダではなくタグを使って管理するのにはいくつか理由があります。
まずObsidianのタグは階層を作れるということです(途中で実装された機能のようですが、素晴らしいアップデートだと思います)
親タグを選択すれば子タグも全部抽出できるのが非常に便利です。ワンクリックでできるというのがポイントです。
次に、ページを複数の分類に所属させることができる点です。今のところおおよそMECEではありますが、内容によっては構造と結論と覚書が必ずしも絶対きっぱり分類できるわけではないことがあります。
更に、途中で性質が変化していくこともあります。結論ノートとして作り始めたけれど、問題意識の規模が大きくなってきてリンクが増え、構造ノートとして整理し直したり。一度結論を出したけれど、前提条件の変化などで結論が根本的に大きく変わってしまったために、「条件が変わる前のログ」として覚書の「Record」に入れることにしたり。その間の曖昧な状態のものは両方のタグをつけて様子を見たり。
また、一緒に表示されてほしいという理由でノート自体の性質とは異なるカテゴリのタグをつけることもできます。
そして何より、操作が素早く出来ることです。「#」の後に文字を打てばサジェストが表示され、「#01」と打っただけで「#01構造」「#01構造/構築済」「#01構造/構築中」が候補に並びますし、「#m」と打っただけで「#03覚書/Maxim」をすぐ選択できます。これは非常に効率的で、またそれ以上に楽しいです。分類が「しなければならないもの」ではなく「やると楽しいもの」になるのです。

まとめ

タグペインに並んだ状態はこうなります。

画像

実際には必要に応じて下位のタグをいくつか作っていますが、基本的にはこの区分と年月日タグとキーワードの検索で目当てのページを抽出しています。
この分け方はObsidianを使い始めてから思いついた分類ですが、それまでのもっと形式的な分け方よりずっと有効に働いており、自分の感覚に馴染んでいるように感じています。
ポイントになるのは、前回も書きましたがこれらが「自分の問題意識」を軸にしているということです。もう一度分類を並べましょう。
0. 日誌ノート(とりあえず書く場)

  1. 構造ノート(問題意識に基づいて文脈を作る場)
  2. 結論ノート(ある問題に対しての解答を模索する場)
  3. 覚書ノート(問題意識の伴わない情報を置く場)

「自分は何を疑問に思っているのか」に沿って構造ノートを用意し、個別の問題について「自分は何が正解だと思うのか」を考えて結論ノートを作る、という流れを明確にし、そしてそれ以外の情報を「問題意識とは直接関係のない領域」としてまとめること。これが、私にとって頭の中での区分けと一致した自然な捉え方なのだろうと思います。

他の人にも馴染むのか、それとも全く馴染まないのか。それは私にはわかりませんが、とりあえず私はすっきりしたので共有してみました。誰かの参考になれば幸いです。

2021/03/04

【Obsidian】ノートの三分類―構造・結論・覚書①

Obsidianには多種多様な情報を格納していくことになるため、完全な無秩序状態を防ぐとするならノートを分類することが必要になります。


最初のヒントとして、私はこちらの記事を拝読しました。

Zettelkastenで作成するノートということですが、ここではZettelkastenというルール内に限定されたものとしてではなく広く「Obsidianで私が扱っている情報」という括りで考えます。
まずZettelkastenを解説したサイトの「PKM Zettelkasten」では、以下の四種のノートが作成されると説明されています。括弧書きで私の解釈を簡単に書き添えますが、正確な理解のため出典のページをご一読ください。

  1. Fleeting notes(一日を通して作成される一時的なメモ)
  2. Literature notes(仕入れた情報を自分の言葉でまとめたノート)
  3. Permanent notes(アイデアを書き、リンクしていくノート)
  4. Index or Structure notes(ノートを目的に沿って構造化し、文脈を作るノート)

更に、jMatsuzakiさんは実用的な形で分類を増やし、次の七種としています。

  1. Fleeting notes:作業用のメモ
  2. Literature notes:文献ノート
  3. Word notes:単語ノート
  4. Permanent notes:永続的ノート
  5. Minute notes:議事ノート
  6. Review notes:振り返りノート
  7. Index or Structure notes:構造ノート

「議事ノート」や「振り返りノート」について、「Permanent notesの亜種」としながら「特殊なテンプレートを持っているため別種として管理」と解釈されているところが注目すべき点と私は感じました。
さて、これらのことを踏まえて私は以下の三種+一種を大分類として捉えることにしました。
  0. 日誌ノート(とりあえず書く場)
  1. 構造ノート(問題意識に基づいて文脈を作る場)
  2. 結論ノート(ある問題に対しての解答を模索する場)
  3. 覚書ノート(問題意識の伴わない情報を置く場)
これは「PKM Zettelkasten」で示された四種と似た区分ですが、気分が少し違っています。

0. 日誌ノート

日誌ノートは前回の記事【Obsidian】デイリーノートの作成と活用でも触れた「デイリーノート」のことです。一日中開いておくもので、その日のうちに発生した事物の記録や考えなどをひとまず書いておく場所になります。
Obsidianに機能として備わっており、テンプレートも自分で設定でき、日毎のページを作るのはとても簡便です。
このノートが必要なのは、その日に属する情報(やったことや食べたものなど)を書き留めたいからというだけでなく、すぐには行き場を決められない思いつきをとりあえず書き込む場所があった方が絶対に良いからです。何かしらの判断をする前に記録する段階がないと、どこにどう書くべきかを考えているうちに思考はどんどん失われていってしまいます。
この日誌ノートは、意味内容を単位として活用するノートではないため、0番としています。

1. 構造ノート

構造ノートは結論ノートや覚書ノートへのリンクをまとめる場所で、自分の問題意識に基づいて複数のノートを構造化し、文脈を与えるために存在しています。
先に挙げた「PKM Zettelkasten」やjMatsuzakiさんの区分ではStructure notesは最後に置かれていましたが、私は「メタ的な位置づけ」というイメージから最初に配置することにしました。
一般的に作業の手順として、アイデアや事実を含む他のノートが先にあって、その後それらをまとめたものとして構造ノートを作る、という順番を想定されることが多いかもしれません。
ただ、私の場合は構造ノートを「自分の問題意識」の文脈に他のノートをリンクするものとして考えているので、具体的なアイデアや情報を得るより先に問題意識が存在している場合には空っぽの構造ノートが先に生まれることになります。シールを集めるための台紙のようなものです。どんなシールを集めたいかが先に決まっていれば、そのテーマ毎の台紙が先に用意されるのと同じことです。
自分の問題意識とは、例えば「情報管理の基地としてObsidianを活用するには」というような「○○するには」の形で表されるものです。主語は自分自身だけでなく、例えば「世界の人々が寛容になるためには」といったものも含まれます。

2. 結論ノート

結論ノートは、二文字に統一するために「結論ノート」という名前をつけていますが、正確にイメージを表すと「結論を出すことを目指すもののノート」という定義になります。或る仮説やアイデアに対して、それが正しいのかを検証したり、どんな手法があるかを考えたり、実現するための道のりを検討したりする場です。
タイトルは初め「○○したい」または「××すべきは誰か?」などという形でスタートし、思索が進んで結論が見えたら「△△する」または「□□は誰それにやってもらう」といった形に書き換えられることになります。例えば「ObsidianとScrapboxで役割分担させたい」でスタートしたノートが「Scrapboxは知識の集積に使う」という名前でゴールする、といった流れです。そして「情報管理の基地としてObsidianを活用するには」や「Scrapboxをゴミ屋敷にしないためには」などといった構造ノートに収録されることになります。状況が変われば結論が変わることもあります。
結論ノートは複数の構造ノートに配置されることがあり得ますし、また結論ノート同士でリンクを貼って繋がりを作ることもあります。繋がりを作れるところは作りたい、と思いながら結論ノートや構造ノートを繰り返し見返すのが肝要だと考えています。そのようにして有機的に進化や変化を経ながら育っていくのが構造ノート及び結論ノートであると言えるでしょう。

3. 覚書ノート

覚書ノートとは、「○○するには」とか「△△したい」といったベクトルを持たない情報全般です。自分の存在とは無関係にある知識や、議事録・観測結果の類、IDのメモや関数の備忘録など種類は多岐にわたります。
例えば読書メモ。本はもちろん著者の問題意識というものがあって書かれていますが、読者にとっては本の中身は自分の問題意識とは別の次元にある「情報」です。「この人はこう言っている」という事実には私の問題意識は関わっていません。これを構造ノートや結論ノートの中にリンクして繋げることで、自分の問題意識の文脈の中に参考資料として位置づけることになります。
名言・格言の類も同様です。自分が見出した教訓なども覚書ノートに含みます。「AとはBである!」と思いついたとして、それは必ずしも自分が抱える問題意識の解決に結びつく種類のものとは限りません。例えば「『わかりやすい要約』はデマの温床である」などと考えついても、直ちにどこかの文脈に置けるわけではないので、いつか何かのタイミングで使うかもしれないものとして(または、自分のポリシーとして覚えておくためのものとして)、問題意識とは無関係に保管することになります。
また、議事録や振り返りのノートもこの区分に含むものとして扱っています。議事録や振り返りは、その時点でどういう事実があってその後どうすると結論づけたか、という記録として解釈しています。議事録や振り返りはあくまで「○月×日■■mtg議事録」とか「○月▲日□□レビュー」といった切り取り方で作られるノートであって、それを思索のパーツとして扱うことはできません。会議やレビューの中で生まれたアイデアは、別途ページを作って検証すべきでしょうし、そのページ(=結論ノート)には事の経緯として議事録のページをリンクして整理するということになるでしょう。
(議事録と振り返りの位置づけを明確にしようというのはjMatsuzakiさんの記事を見て意識したことで、大変参考になりました。)
なお、0番として別枠に位置づけた日誌ノートも情報の中身の性質としては覚書ノートの一種と言えますが、活用の工程が特殊なので別の区分としています。ただ、結果的に残った日誌ノートはその日の記録であり、覚書ノートのひとつとして取り扱われることになります。

以上、Obsidianに作るノートは大きく分けて「構造ノート」「結論ノート」「覚書ノート」そして「日誌ノート」の三+一種類と捉えていますよというお話でした。
今回はここまでですが、次の記事でこれらの情報を具体的にどういう形で分類して整理しているかを書く予定です。
 

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