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動じないために。

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マイライフ・アウトライン

自分の生活・人生について考えるアウトライン。
四つのエッセンシャル・アウトラインのひとつ。日常的には「ライフ・アウトライン」と呼んでいるが、本家であるところのライフ・アウトラインと同じ表記だと語るのに支障があるので「マイライフ」としている。
ライフ・アウトラインの「LIFE-BE」「LIFE-AS」および、自分で設けた「LIFE-IS(自分のライフを制限するもの)」「LIFE-MAY(自分のライフにあり得る可能性)」の四つを総称している。

  • Dynalist
    • 内政(LIFE-BE)
      • 自分は何を思い、何を望んでいるのか
    • 外交(LIFE-AS)
      • 人間関係や社会の中での自分
    • 計略LIFE-IS
      • 自分の変えがたいもの・制約となるものは何か
    • 戦略LIFE-MAY
      • 自己実現(=自分が満足できる価値創出)の道の検討

言い換えについては日々・地図・内政・外交へ。

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「マイライフ・アウトライン」タグの記事一覧

2025/03/07

EO日記:性格診断の結果をどこに置くか問題

 前まで「ライフ・アウトライン日記」という題にしていたけれど、構造が変わり「エッセンシャル・アウトライン」と呼ぶことにしたのでタイトルも変更。しかし「エッセンシャル・アウトライン」は長いので、「EO日記」とでもするかと思った。一見して何のことかわからないのが微妙だが、まあ仕方がない。


 前々から置き場所が曖昧になっていたものとして、ネットでちょっとやった心理テストや性格診断のスクリーンショットというのがある。正直ぜんぜん重視していないし見返すこともまずないので大事に保管しておかなくてもいいものなのだが、せっかく色々質問に答えてやったものなのでなんとなーく取っておきたい気持ちもあって、適当な場所にフォルダを用意して画像を保存していた。
 しかし、位置づけが曖昧なものなのでそこにあることに必然性がなく、常々邪魔に感じていた。それでもばっさり処分してしまうのは気が引けて、納得できる場所があるならそこにきちっと収めたい。

 昨日ふと思いついたのが、ローカルファイルとして扱うのをやめてDynalist上のマイライフ・アウトラインに組み込んでしまうことだ。マイライフ・アウトラインとは、ファイル名としては「Life」と名付け、直下に「LIFE-○○」の類を四つ並べたものである。
 ただし、「LIFE-○○」のどれかに入れるのではなく、それらとは別に、直下に場所を作ることにした。

画像

(※画像はCSSの上書きやスクリプトで見た目を変えた状態。)
 日付と内容を書いたノードの子項目には、スクリーンショットをアップロードしたGyazoのURLを画像リンク形式で貼ってある。
 性格診断や心理テストの類は、正確性に乏しいしそれを元に実際に何かを決めるということはまずないので、具体的な生活のための情報である各種の「LIFE-○○」の中には入れたくない。しかしながら自分自身と結びついた情報ではあるので、「LIFE-○○」の傍にあるのが一番納得がいく。他の場所だと邪魔になる。
 ということで、LIFE四きょうだいの親戚くらいの位置に置くことにした。今のところ親戚は「性格診断/心理テスト」だけだが、他にも何かあり得るかもしれないし、一応いくつ増えても問題はない。まあこうも曖昧な情報は他にないような気はするので、おそらくそんなに増えることはないだろう。

 今のエッセンシャル・アウトラインの形式にする前は、「LIFE-BE」「LIFE-AS」をそれぞれ個別のファイルにしていたので、「LIFE-○○の隣」という場所は存在していなかった。新たにファイルを作って同じフォルダ内に入れれば隣ではあるが、やはりファイルが別になると別個のものという印象が強くなり、緩くまとめて扱っているような気分にはあまりならない。
 Dynalistのようにファイルとフォルダの概念があると、どこまでひとつのファイルにまとめてどこから個別にするかという判断が生じるが、明確な基準がないので迷ってしまうことがある。組み換えは簡単なのでとりあえず試してみるのがいいが、「後から仲間が増えるかも」と思うようなものはひとつのファイルにまとめて大きく扱った方が上手くいきやすいというのはあるのだろう。

2025/02/07

四つのエッセンシャル・アウトラインと四つのエリア

 前回ライフ・アウトライン日記: あり得る未来を考える領域の追加ライフ・アウトラインを改造した結果「LIFE-○○」の領域が二つから四つに増えたので「DO」と「LIFE」で括ることにしたい、という話を最後にした。


 それぞれを括るにあたり、全部を包括する一段階上位の概念がないだろうか、ということを考えた。それが元々は「ライフ・アウトライン」なのだが、「LIFE-○○」の四つを括ったものを「ライフ・アウトライン」と呼び替え、上位概念を改めて考えてみることにした。

 まず本来の「ライフ・アウトライン」の肝心なところは何だったか。自分の中にある思いや自分を取り巻く環境を俯瞰して、自分の人生・生活を自分以外の何かに支配されることなく、自分で手綱を握って日々の行動を選択していく、それをアウトラインというものを使って具体的に試みていくというところだろう。
 つまり「生きる中での選択の候補と選択する根拠」を総合して扱う場と言っていいと思う。このことをまず前提として押さえておく。

 生きていく中で自分の言動や進む道を選択する時、その選択の根拠となるのは何か。まず「自分はどこにいて、どうしたいのか」ということがある。それが「LIFE-○○」で扱っていることだ。しかし根拠となるのはそれだけではないように思う。
 ほかに重要なのは「人間はどういうもので、どうであるべきと自分が認識しているか」ということだ。これは「LIFE-BE」や「LIFE-AS」の中に含めて考えることももちろんあり得る(Tak.さんはそのようにしていらっしゃるということだと思う)が、私は自分の価値観以外のものも併せて扱いたいので、領域を分けて考えている。
 更に、「そもそも自分が世界について何を知っているか」も選択に影響を与える。自分がどういう価値観を持っているかは重要だが、それ以前に知らないことは選べないし、知らないところに道を見出すことはできない。
 ということで、自分の選択の根拠となる情報にはこの三種類があるというふうに整理し、そして「現状自分にどんな責任があり、どんな選択肢を自分が想定し実践しているか」、つまり本来の「ライフ・アウトライン」で言うところの「DO-○○」の領域を加えた四つの領域を、自分の人生に直接関わりうる情報の置き場所として考えたいと思う。

 これらについてこのように名前をつけて整理した。

  • タイム・アウトライン
    • 実際にやることを考え、整理し、実行に繋げる
    • 「ライフ・アウトライン」の「DO-ALL」および「DO-DAYS」
  • ライフ・アウトライン
    • 自分はどこにいて、どうしたいのかを整理する
    • 「ライフ・アウトライン」の「LIFE-BE」「LIFE-AS」および自分で追加した「LIFE-IS」「LIFE-MAY」
  • フィロソフィー・アウトライン
    • 人間はどういうもので、どうであるべきと自分が認識しているかを整理する
    • 哲学、社会学、心理学、人生訓、自分の持論等
  • グローバル・アウトライン
    • 世界について自分が何を知っているかを整理する
    • 哲学以外の領域

 そしてこれらを総称して「四つのエッセンシャル・アウトライン」と呼ぶことにした。生きる上での根本を支える重要な領域ということで「エッセンシャル」とした。Dynalistにはこのようにファイルを作ってある。

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 アウトラインと呼んでいるが、必ずしも「アウトライナーで扱うもの」を意味しているわけではない。例えばSoulLinkMapというツールでは、階層構造を扱いつつも、ひとつの項目が親を複数持てるようになっているのだが、それは普通アウトライナーにはない機能である。しかし親を複数持つ状態もアウトラインに含めたいと私は思っているし、そうなると現状の一般的なアウトライナーではその状態を表現できない(もしくは自然な形になっていない)ので、アウトラインのイメージを持ちつつも別の種類のツールを使うということになる。
 現状、DynalistとCapacitiesの二つを使っている。データの構造としてはSoulLinkMapが非常に面白いのだが(実際先日まで使っていたのだが)、ツールが三つになると統合して扱っている感が薄くなり情報の行き来も難しいので、「フィロソフィー・アウトライン」と「グローバル・アウトライン」という概念を作ったのを機に、DynalistとCapacitiesの二拠点でやる形に変更した。そう考えるまでは、「読書メモ」とか「知識」とか「考え」とかいう括り方によって、そういう「知」っぽいものを扱う場としてSoulLinkMapが良さそうだと思っていた。
 四つのアウトラインそれぞれについてもう少し詳しく書いていく。

タイム・アウトライン

 タイム・アウトラインは「ライフ・アウトライン」の「DO-DAYS」「DO-ALL」とほぼイコールである。
 「○○・アウトライン」の「○○」の部分に何を入れるかは少し考えたが、つまるところ自分の時間に何をどの順番で入れ込むかの話だなと思い、「タイム」にした。英語的には「タイムライン・アウトライン」の方がいいかもと思いつつ、自分が分かればいいのと「ライフ」との音の相性で「タイム・アウトライン」とした。
 「LIFE-○○」と分けたことにより、一緒に括られる要素が「DO-DAYS」「DO-ALL」の二つになった。そうなると他にも何か位置づけられるものがあるかも?と考えたくなる。ちょっと考えてみた結果、所謂「手帳の付録」的な情報をタイム・アウトラインの一要素としてもいいかもしれないと思った。何かをする時に必要な情報の類だが、具体的なプロジェクトと対応するものではなく様々な機会で参照する可能性のある情報は、特定のDOの下位に置くのは不便なので別に欄を作るのが良さそうだ。
 使用ツールは、「DO-DAYS」「DO-ALL」の部分についてはCapacities。「DO-DAYS」はDaily Notesオブジェクトで、Projectオブジェクトその他のいくつかのオブジェクトタイプやまとめページが「DO-ALL」の役割を担っている。
 手帳の付録要素はオブジェクト感がないので、CapacitiesではなくDynalistに場所を作った。「Time」というファイルの中に収まっているわけだが、こういう情報は要は「時短」になるということなので、時短情報であるという意識を持つと「Time」というファイル名に納得できる感じがする。

ライフ・アウトライン

 ライフ・アウトラインは元のメソッドの意味から少し範囲を狭め、「LIFE-BE」「LIFE-AS」および「LIFE-IS(自分のライフを制限するもの)」「LIFE-MAY(自分のライフにあり得る可能性)」の四つを総称している。
 元々ある語の意味を変えてでもライフ・アウトラインという呼称を使っているのは、後述するフィロソフィー・アウトラインとグローバル・アウトラインで扱う広さに対して、あくまで自分ひとり分のライフであるという意味を持たせたいからである。一方で自分と繋がる周辺をも含んだ領域なので、「自分の」「個人の」という意味を持たせると違和感が生じるため「セルフ」などの語は採用しなかった。
 使用ツールはDynalist。「Life」ファイルの直下に以下のように四つのノードを作り、その中に書き込んでいる。

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フィロソフィー・アウトライン

 フィロソフィー・アウトラインは「人間とは」や「人間としてどうあるべきか」を考える場所である。「自分」と「人間」との接点というイメージ。
 使用ツールはDynalist。直下にまず「自分」というノードがあり、続けて哲学者や著名人の名前のノードを置いている。自分はどう思っているのかということと、他の人間はどう思っているのか、学問的にどう論じられているのかということを一ヶ所にまとめて並置し、人間に対する理解と信念を深めていく場とした。

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 自分の考えと合致しようがしまいが関係なく、哲学を学んだり人生訓を読んだりした時にはここに書き留めていくつもりで、その意味で「LIFE-BE」や「LIFE-AS」の中に含めるのは適当でないように思ったのでこの領域を別に作った。
 去年私は、世の中などに対する自分の思いや考えを言葉にした短文を「豆エッセイ」と名付け、それを一体どこで扱ったらいいかということをずっと考えていたのだが、このフィロソフィー・アウトラインの「自分」のノードの下位に居場所を得た。

グローバル・アウトライン

 グローバル・アウトラインは世界の森羅万象について自分が出合ったものを書き留めていく場所である。こちらは「自分」と「世界」の接点のイメージ。といっても単純に事実の類を書くというだけで、特別なことはない。
 ちなみに最初は「ウィズダム・アウトライン」と名付けていたが、そこまで「知」を前面に出す必要はない感じがしたので「グローバル」に変えた。他に「ワールド」や「ユニバーサル」も候補にあった。
 ひとつ注意するとすれば、これは「自分が出合ったもののメモ」に過ぎないということだ。ここに知のすべてを作り上げようなんてことは考えてはいけないし、知そのものについては本があるなら本を開けばいいのである。自分が出合い、調べようと思ったことを書いていくことで、自分が生活の中で世界をどう知ったかをわかるようにするのがこのアウトラインの目的だ。もちろん深く勉強したいとなれば勉強すればよく、その際にはこの領域を使う。
 アウトラインと呼んではいるが、アウトライナーを用いることにはあまり利点がない。頭の中では物事を階層的な分類で認識している面もあるのでそれを忠実に再現できたら嬉しくはあるが、その通りに階層をデータとして作ってしまうとむやみに深くなって認識しづらくなるし、物事同士は複雑にリンクし合うものなので、ツールとしてはネットワーク型の方が相応しいだろう。
 上の方でSoulLinkMapに触れたが、情報の構造としてはSoulLinkMapのやり方が自然に思える。アウトラインであると同時にネットワークで、形式的な深い階層と実用的な浅い階層を同時に作ることもできるので、一般的なアウトライナーの欠点は解消されている。モダンなアプリケーションではないので積極的に人に勧められるわけではないのだが、「本当はああいう感じがいいんだよな」というイメージを表現するのに都合が良い存在なので取り上げた。
 現在の使用ツールはDynalistとCapacitiesの二つで、語彙・語学の類はDynalist、それ以外はCapacitiesで扱う。知識は基本的にはオブジェクトとして認識できるものが多いが、ことばについてはオブジェクトとは解釈しづらくCapacitiesで扱うメリットがなかったのでDynalistにした。なお手書きのノートもある。
 なお、去年までCapacitiesの致命的な弱点だった「日本語での全文検索が機能しない」という問題が先月ほぼ解消したので、その点である程度安心してCapacitiesに任せられるようになったということがある。(「ほぼ」とか「ある程度」とか言っているのは、検索機能自体がまだ不完全な印象があり、挙動が怪しかったり検索の使用感として他のツールに劣る部分があったりするため。)

ふくろ

 Dynalistには四つのアウトラインに加えて「ふくろ」という領域を設けている。これはTak.さんが仰るところの「未使用」のことで、「ふくろ」というファイルを作っているほか、各アウトラインの中にも「【ふくろ】」というノードがあちこちにある。
 命名の由来は以前にも書いたが、ドラゴンクエストシリーズの「ふくろ」である。要は今採用していないものが全部入っている容れ物ということ。「未使用」というと「まだ使っていないが、これから使う可能性がある」という雰囲気を纏うが、どう考えてももう使わないものも一緒に入れたかったので、「ふくろ」に呼び替えている。
 Dynalistはファイルをアーカイブ設定にすることができ、そうするとその中身は全体検索に引っ掛からない(ファイル内で検索することは可能)。なので、「ふくろ」ファイルはアーカイブ設定にして、検索に現れて欲しくないタイプの記述を収納している。アウトラインのバックアップの類も「ふくろ」に入れ、同じ内容が二重三重に引っかかって混乱することを避けている。

四つのエリア

 以上の四つのエッセンシャル・アウトラインとふくろを「Essential」というフォルダに入れているが、日常で発生・収集する全ての情報がこの中に収まったわけではない。
 このフォルダに入っているのは、最初の方で書いたように「自分の人生(の選択)に直接関わりうる情報」である。そうではない情報も様々ある。もちろん自分で集めたり作ったりしている以上すべてが自分に関わっているものではあるが、なくても大勢に影響はない情報というのはある。
 ということで、Dynalist上で扱うものを以下の四つのエリアとしてフォルダ分けした。

  • Essential
    • 四つのエッセンシャル・アウトライン
  • Collection
    • ブックマーク、画像、その他収集物
  • Output
    • 自分の創作物(文章など)
  • Miscellaneous
    • Dynalistの使い方などメタなメモ、どこにも当てはまらない種の情報

 それぞれ三つから五つ程度のファイルが入っている。
 ちなみに「Output」は「自分が作り出している領域だぞ」という意味を込めての命名である。「Creation」とか「Writing」とか「Publishing」とかもあり得るが、それらの語だと例えば「Creationについてのノート」とかもそこに入るような感じがしてきてしまうので、自分の中でその種のものを含まないネーミングとして「Output」を選択している。
 このように整理したことで、未だ嘗てなくDynalistの使用感に納得がいくようになった。

 このサイトでは実践上発生した思いを踏まえてボトムアップで考えて記述してきたが、結局どんな様子かを俯瞰するには向かないので、noteの方に改めて整頓して書いた。

2025/01/29

ライフ・アウトライン日記: あり得る未来を考える領域の追加

 前回、ライフ・アウトラインの要素を増やした話を書いた。

 実は更にもうひとつの領域を作っているので、今回はそのことについて。


 前回増やしたのは、自分のライフの選択肢を制限する要素を並べて考えていく領域で、その結果ライフ・アウトラインは以下のようになった。

  • 日々=DO-DAYS(日々のDO)
  • 地図=DO-ALL(すべてのDO)
  • 内政=LIFE-BE(自分)
  • 外交=LIFE-AS(関係)
  • 計略=LIFE-IS(事実)

 「LIFE-○○」の三つは自分の欲望と現にある事実に基づいてDOに対する意思決定をするために必要な領域ということになる。自分にはこういう思いがある、そしてこういう事実がある、よってDOはこのように選択していこう、という流れがここに生まれている。

 ここに加えるものとして新たに考えたのが、「こんな道もあるかも」を考える領域である。
 絶対叶えたいと思うレベルのものもあり得るし、自分にはこういう可能性もあるのかもとふんわり思う描く程度のものもあり得る。ビジョンとか夢とか言うと、そういったものの中から決めたひとつ、あるいは複数のものをちゃんと統合したひとかたまりにフォーカスしなくてはいけない感じがするが、そのように固める手前の段階がほしいわけである。未来についてのフリーライティングの場とも言える。
 例えば今会社員の人が「カフェをやりたい」とか思っていたら、この領域に「自分のカフェを開店するのはどうか」といったふうに書き、その中で自由に空想したり現実に必要なことを調べて整理したりしていく、というイメージだ。
 思い描くものは「LIFE-BE」や「LIFE-AS」と深く関わるけれども、その中に組み込むというのは自分の中で馴染まなかったので別にしている。理由としては、「LIFE-BE」と「LIFE-AS」の両方に跨るものであるということ、そして思い描いたことは今あるDOと全然結びつかないことが普通ということがある。自分の欲望を元にして思い描くものではあるが、思い描いただけで採用しない道は当たり前にあり、それらは自分のライフの選択を左右しない。
 この領域にも名前を付けておこう。「LIFE-MAY」あたりでどうだろうか。そう思いながらCopilotさんと色々やり取りを重ねた結果、Copilotさんもそれを提案してきたので悪くないかもしれない。二文字で統一するなら「LIFE-IF」でも良さそうだが、「LIFE-MAY」の方が意味的に的確な感じがする。
 恒例の三國志風命名を考えると、「戦略」の二文字を思いついた。相変わらず物々しいが、「取り得る選択肢について実現可能な道を大局的に検討する」的なイメージとして採用した。(毎回強調しているけれども、政治あるいはビジネス的な意味合いはなく、あくまで「子どもの頃遊んだゲーム」の延長にある言葉選びである。)
 整理すると以下のようになる。

  • 日々=DO-DAYS(日々のDO)
  • 地図=DO-ALL(すべてのDO)
  • 内政=LIFE-BE(自分)
  • 外交=LIFE-AS(関係)
  • 計略=LIFE-IS(事実)
  • 戦略=LIFE-MAY(空想)

 全体の流れとしては、「LIFE-BE」「LIFE-AS」で明らかにした自分の欲望と、「LIFE-IS」で整理した現実を踏まえ、今発生している/やろうと考えているDOを選択し、並行して「LIFE-MAY」で自分にあり得る道を見出しその歩き方を検討する、ということになる。「LIFE-MAY」に書かれることは結局死ぬまで自分のライフと実際には関わらないこともあり得るが、「この道に足を踏み入れてみよう」となった時点で「LIFE-BE」「LIFE-AS」にフィードバックされ具体的なDOが発生することになる(はず)

 さて、ここまでの改造でライフ・アウトラインには「DO-○○」が二つと「LIFE-○○」が四つあることになった。こうなると誰しもがこう思うだろう、「多い!!」と。ひとまとまりですんなり認識できるのは四つ程度だろうし、ごちゃつきを解消するためにどう考えても「DO」と「LIFE」で分けたくなる。
 本来そこを分けずに一体で扱うというのがライフ・アウトラインのコンセプトなのでズバッと分けて別のものにしてはならないと理解しているが、「やること」と「その選択基準となるもの」の二つの領域でちょっと括っておきたい。そしてそれでもそれらが一体であることを認識するために、その両方を含む上位項目を設けるのがよいだろう。
 その話についてはそのうちまた改めて書くことにする。

2025/01/21

ライフ・アウトライン日記: 動かない事実を扱う領域の追加

 昨日トンネルChannelへの投稿としてライフ・アウトラインの話を書いたけれど苦手要素への対処自体をプロジェクト化しない/ライフ・アウトラインの拡張、自分の欠点を扱うにはという文脈の中での言及になったので、改めてライフ・アウトラインの話として綴っておきたいと思う。


 ちなみに、前回のライフ・アウトライン日記でライフ・アウトラインの場をDynalistからCapacitiesに移したという話をしたのだがライフ・アウトライン日記: Capacitiesにお引越し、少し前に「LIFE-BE」「LIFE-AS」の部分をDynalistに戻した。
 そしてライフ・アウトラインの各要素について私は以下のように呼び替えている。

  • 日々=DO-DAYS(日々のDO)
  • 地図=DO-ALL(すべてのDO)
  • 内政=LIFE-BE(自分)
  • 外交=LIFE-AS(関係)

 「内政」「外交」の語はゲームの三國志から拝借したもので政治的ニュアンスはないRPG的ライフ・アウトライン

 さて、ライフ・アウトラインの肝は、自分の人生・生活を考える核となるはずの己の欲望を、自分に問うて時間をかけて掘り出して整理していくところにあると思う。具体的な思いとして現れるものを書き出して見つめることで「これはつまりこういう思いなのだ」と気づき、一段階抽象化して括っていくということを繰り返して自分の核に迫っていく。基本的にボトムアップの流れになっていて(そうなることを心がけていて)、そこに自分の意思でトップダウンの視点を挟むことでシェイクが起こる。不定型で流動的な「思い」を扱う手法である。
 一方で、そもそも固定的な要素というのも自分の人生・生活には存在する。家族のこと、健康のこと、性格のこと、住まいのこと等々、自分の思いによって変動する可能性が低いものだ。それらは自分の人生・生活の選択肢の範囲を決めるものでもあり、当然考慮に入れて生きなければならないが、これをどういうものとして位置づけて考えるかが自分の中でこれまで曖昧だった。
 もちろんそれらは「LIFE-BE」「LIFE-AS」の要素と密接なものなので、そちらを考える中での要素として溶け込むものだという捉え方が自然なのかもしれない。

 ところで冒頭で触れたように、このごろ「自分の欠点への対処」の検討場所について考えていたのだが、ネガティブな要素ゆえにライフ・アウトラインの中にうまく填まらないと感じていた。自分がどのような傾向を持っているかを見つめ、そのことに対して自分の意思で何をしていくのか、ということは生きていく上で考えなくてはならないが、それは一体どこに位置づけられるべきなのか。
 で、そもそも「自分の欠点」とはどういう種類のものかというのを考えた時、それが何らかのアプローチで根治可能なら「~~を直す」というプロジェクトにもなり得るが、そのようには解決などしないから欠点としてあり続けるのであって、要は「それ自体は不変のもの」だということに気がついた。自分の人生・生活の中に障害物として存在し続ける。つまり、それがあることによって、自分が進める道がいくらか限られることになる(リカバリー可能だとしても、局所的には制限される)
 そのような、不変不動の障害物として自分の欠点というものを捉えた時に、その他の種類の障害物もあるよねと気づいた。それが上段で触れた固定的な要素である。
 欠点の話に焦点を当てる前はそれらは「LIFE-BE」「LIFE-AS」の中に含まれていたが、なんとなく居心地悪いようなところはあった。シェイクによって形が変わることがないからだろう。液体の中に固体の塊が混ざっているような状態だ。それでも混ぜたままでどうにかなっていたが、自分の欠点のことを考えた時にそこに混ぜたくないという気持ちが強まり、ライフ・アウトラインからはみ出てしまった。よって新たな場所を外に用意した方がいいとなり、元々うっすら場違い感のあったものを「固定的な要素である」という括りでまとめることを思いついたわけである。前の投稿では「動かない事実」と表現した。
 この領域は、シェイクによって形を変えていくことが肝である「LIFE-BE」「LIFE-AS」とは違って、基本的にトップダウン思考の場になる。動かない事実はあちこちに点在するものであって、点在したままだと結局自分は何が可能で何が不可能なのか見えてこないから一ヶ所で扱おうとしているが、集めて考えたとしてもそれらは収束していくものではない。だからライフ・アウトラインのコアのコンセプトからは外れた領域ということになると思う。

 ライフ・アウトラインに要素を増やすにあたって、この領域に名前が必要だ。一応「LIFE-BE」「LIFE-AS」のきょうだい的なものだから、「LIFE-○○」で揃えてみたい。そう考えた時に、既に決まっているものだというニュアンスで「LIFE-IS」としてみることにした。英語的に的確かはわからないし、あくまで仮の命名だ。
 そもそも、最初に示したように私自身はライフ・アウトラインの各アウトラインの名前を自分に馴染む語彙で言い換えている。「LIFE-IS」なる命名は外向けの「言ってみればこういう感じ」を示すためのものであって、実際に自分が使う上では他の名前を付けている。
 「LIFE-○○」については子どもの頃に遊んでいた光栄の三國志シリーズから着想を得た名前に言い換えているので、三國志的世界観で何かないかなと考えた。動かない事実、つまり自分の思いだけで形を変えることのない要素に対する対処を前もって考える場だから、「策を講じる」感がある。三國志で策を講じることを指す単語といえば「計略」だろう。よしこれで行こう。
 なんとなく悪いニュアンスを含む言葉なのは了解しているが、日本国語大辞典では「はかりごと。計画。工夫。」とか「よいように処置すること。管理すること。」という意味が示されている。そうなると割に妥当な気がしてくる。
 そんな感じで、ライフ・アウトラインはこのようになった。

  • 日々=DO-DAYS(日々のDO)
  • 地図=DO-ALL(すべてのDO)
  • 内政=LIFE-BE(自分)
  • 外交=LIFE-AS(関係)
  • 計略=LIFE-IS(事実)

 が、実はライフ・アウトラインの改造はこれだけではなく、もっと根本的な構造改革をしていたりするのだが、また別の機会に書こうと思う。

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