- 早くわかろうとしない
- 知らないことを語らない
- 身の丈に合わない語彙を用いない
自分の実際より少しだけ浮いたあたりを「自己像として本来相応しいものだ」と感じていると何か言うたびに黒歴史を製造してしまう。経験者は語る。
落ち着いて、着実に、堅実に、身体化を待って語る、それで自分の言葉は残すべき歴史になる。稚拙かもしれないと思っても、実際自分の程度がその段階にあるんだからしょうがない。そして自分の程度が不本意に感じられたとしても他の人が常にその上というわけではない。自分がその程度なら、他の人だってだいたいはその程度と思ってもそんなに間違いではない(そこらじゅうに上がいることを忘れてはならないにしても)。だから正直に語っても別に何も恥にならないことの方が多い。
専門用語は自在に使えた方が「ちゃんと勉強しているんだな、先達に敬意を払っているんだな」と思ってもらえる可能性は高まるだろう。でも別に、自分の思いを述べたいだけなら専門用語なんか使わなくていい。たまたま自分が話したい内容に既に誰かが名前をつけていたとしても、それは自分の人生とは関係がない。専門用語を用いたほうが正確に伝わって喜ばしいならそうすればいい。それは自分の目的次第だ。
高度な語彙ほど使われ方は厳密であり、それを外すとたちまち自分の程度が露見する。新たな知を獲得した喜びに溢れていれば「覚えたばかりの言葉」の使い方を外しても別に恥にはならない。でも自分を何かに見せかけようとして放った場合には、全ての知に対してそういう扱いなのだなということが透けて見え、致命的に信頼を失う可能性もある。
とはいえ殊更無邪気ぶる必要はない。わざわざ子どものような言葉選びをして語る人もいるが、それが自分にぴったりだと本当に思っているならそれで構わないけれども、自分の背伸びを恥じて逆に退行しているのなら、それもそれで不自然だ。普通に自分に相応な語りをすればいい。柔らかい文体がいいならそうする。硬い文体がいいならそうする。何が合っているかは自分に聞けばわかるだろう。
これが昔の自分に言ってやりたいこと。
