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自分を「普通」と信じて疑わないということ

自分は絶対に「普通」である、「普通」でないはずはない、と固く信じている人というのがいるが、その頑なさが既に「普通」ではないように思える。
逆に「普通でない」方が都合がよい人は、自分は絶対に「普通」でない、「普通」であるはずはない、と固く信じていたりする。「普通でない」というのはそうやって信じることによって生まれるものではない。

どちらも似たりよったりというか、多分同じことなのだが、自分と他人のずれを当たり前のこととして許容できていないということなのだろう。そのずれは必ず他人の異常性によると思えば自分の方が普通だと主張するし、必ず自分の異常性による(=ずれが生じないように自分が努力することは不可能である)と思えば自分は普通でないと主張する。
はっきり言ってほぼ全ての人間が何かしらおかしいし、何かしらおかしいのが普通だと思う。まあ一切なんにもおかしいところなどないという人もいくらかはいるだろうが、それ自体が極端な偏りを示していて、ある種のおかしさがある。
当たり前におかしい者同士の間で、どうにかずれを減らして円滑に過ごしていく、そのために各々が努力していく必要があるのが社会というものだろう。

「普通」に対する感覚は大抵親などからそのまま引き継いで引きずっているのだと思うが、親が己を普通だと信じていても、まあ当たり前に何らかの異常性はあるし(それが普通)、自分の親がまずおかしかったということを認めることが第一歩だろう。

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