前投稿のSPEEDの話、結構長々と書いているけど本当は各所をそれぞれ倍くらい書いていて、これでもばさばさ落としてこの長さ(短さ)になっている。
頭に「//」を付けるかアウトラインを折り畳むかしてしまうだけで公開用データからその部分がカットされるので、没の部分も完成稿の中に混ぜておける。内容によっては採用と没が交互に並んで縞々になっている(没部分は色が薄くなるようにしている)。どういう流れで何を書こうとしてなぜカットしたのか一目瞭然だ。
公開するための文章は公開することによって財産となっていくけれど、結局公開はしなかったけど何かしら考えて言葉にしたというものも私の中では財産になる。公開する部分に必要ないからといってすっかり削除してしまうと財産が失われてしまうと感じる。
没の部分を上とか下にまとめて置いておくのも、私にとってはあんまり有効ではないようだ。私という世界においてのこの話、というのがまず一連としてあって、その中から一文ごとに公開するかしないか決めていくという形式が私には合っているのだろう。