Noratetsu Lab

動じないために。

タグの定義・詳細

ノートツール環境スナップショット

情報管理のためのノートやアプリケーションの活用状況の定点観測。

2025年

月間振り返りの中に組み込む形になったため、以後個別に記事を書くことはないかもしれない。


2023年

結局何を使っているのか、を時々まとめておこうという企画(?) ノートフローを定期的に記録していく。
その時点の状況は記事に詳しく書き、このページではツールだけまとめておく。

[2023年9月ノートツール環境スナップショット(2023/09)]

  • 常に開いている
    • TextManager(自作ツール)
    • 自作ノート(A5無地)
    • システム手帳(バイブルサイズ)
  • 時々必要に応じて
    • Dynalist
    • Notion
    • Scrapbox
    • OneNote

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「ノートツール環境スナップショット」タグの記事一覧

2025/02/25

Dynalistにデジタルメモを集約した

 ここのところデジタルのメモの整理を大規模に進めている。


  

これまでの様子

 なかなかアプリケーションに納得できずあっちこっちを渡り歩いてきたので、色々なところに色々な形式で散らばっていた。少し前にエクスポートデータの整頓は済ませていたので一応おおよそ一箇所に集まってはいたが、ほとんどがそれぞれの形式でエクスポートしたままになっているのでひとまとめに扱える状態ではなかった。
 大体はテキストエディタで開けば見れなくはないものだが、やはり専用のビューがないと見づらいし、結局は死蔵になってしまっていた。見づらいというだけで見なくなってそれで大して不都合を感じないのだから、その程度のものと言えばそれまでだが、やはりその時その時は一生懸命考えたようなことがたくさんあるし、日記の類を確認できなくなるとその期間が空白だったかのような気持ちにもなってしまうので、いつでも確認できる状態にして安心したいと前から思っていた。
 一応ある程度のコーディング能力は獲得しているのでデータの加工はもう少し前から可能だったわけだが、問題は「どこに集めるか」だ。これだと思うものがなかなかなく、それまでの放浪の経験から「このアプリケーションも結局途中で嫌になっちゃうんじゃないか」という予感があってどこにも集められずにいた。

Dynalistへの認識の変化

 これまでに何度も書いているけれど、最近はデジタルノートツールについてはCapacities+Dynalistという形で安定している。自分が混乱しない枠組み作りもできて、どの情報についても「これはここだな」とあるべき場所を迷いなく判定できるようになった。
 特にDynalistの位置づけが定まったのが大きいが、実のところ最も重要なのはCapacitiesとの棲み分け方やアウトライナーというものの理解の進み方ではない。やや大きいテーマなので別途記事を書くけれども、Dynalistが私にとってこれほど必要不可欠になったのは以下の理由がある。

  • APIがあること
  • ノート欄があること
  • WebアプリなのでChrome拡張機能で干渉できること

 これらは「アウトライナーの特徴」ではない。Dynalistがたまたま備えている仕組み・特徴であって、私がDynalistを使ってやっていることをアウトライナーの良さとして語ることはできない。
 Dynalistを使い始めたのはそれなりに昔のことだが、その当時はプログラミングのプの字もわからずAPIだの拡張機能開発だのはすごいプログラマのためのものと思っていて、ノート欄については存在意義がわからなかった。ノート欄にごてごてと書いたらそのノードを操作しづらくなるからだ。なので今感じているような自由というのは昔は想像もできなかったし、そのために一時はDynalistから離れることにもなった。
 かつては「紙に書いたら動かせないが、デジタルなら動かせる」程度にしかDynalistの良さをわかっていなかったのが、今は「各ノードのデータは自由自在に利用できる」という認識を強く持ち、その変化によって、Dynalistを情報の置き場として捉えることに納得できるようになった。

実行

 そのような前提のもと、これまでに発生した文字情報を全てまとめてしまう場としてDynalistを使ってもいいんじゃないかと思えるようになり、ここ半月ばかりでそれを実行に移した。
 各ツールのエクスポートデータの形式に合わせてそれぞれOPMLファイルを生成するコードを書き、そのOPMLをDynalist上でインポートして取り込んでいった。XMLの知識がまだあまりないために謎のエラーに苦しめられたが、どのデータについてもどうにかOPMLに変換できた。
 インポートしたツール類は以下のものたちだ。

  • Diaro
  • UniversalDiary
  • POPdiary
  • Clipto
  • ミミノート
  • XTMemo
  • CatMemoNote
  • ハルナアウトライン 18ファイル
  • Transno
  • Logseq
  • Obsidian 4Vault
  • Cosense(Scrapbox)9プロジェクト
  • 階層付きテキストファイル 2ファイル
  • 自作ツール 4種

 一部は既に自作ツールに取り込んであったものなので、これら全種類のコードを書いたわけではない。データの出自を辿るとこれらのものが集約されたことになる(厳密にはもっと多い気がする)
 これだけの散らかり具合ではデータの活用も何もあったもんじゃないが、ようやくひとつの規格で統一することができ、探し出すのも極めて容易になった。JSONなどに対してただテキスト検索しても結果は見づらいが、Dynalistのノード検索ならとても視認性が良い。
 一番スッキリしたのは日記類の集約だ。ツールを乗り換える度に日記の場が移ってしまい、データの加工技術もなかった時は引っ越しは容易でなく(そもそも不可能なこともある)、散らばるだけ散らばった状態になっていた。今回の整理で2014年頃から2024年8月までのほとんどがひとつのアウトラインに集まった。(2024年8月以降はCapacitiesにある。)

 デジタルツールに書き留めた日記やメモの類がこのように一箇所に集まったことは未だ嘗てない。なので私の中では人生史上で割とすごい出来事である。

2024/12/24

自分のノートフローを明らかにするために

 以下の記事を読んでいて、私は結局どういうシステムを働かせて動いているのだろうか、と考えた。(※記事の内容自体の感想ではありません)


 このツールでこうやっている、ということをその都度描写しても「つまるところどういうシステムか」が自分でもはっきりしてこない。もう一段抽象の階段を昇らないといけないのだろう。

 そういうことを考える時に、まずどこにどう書いて考えるのか、それもはっきりしない。というのは、考えようとしている領域を指し示す呼称がないからだ。もちろん、単に考える場を作るという意味ではどのツールでもいいから「私は結局どういうシステムを働かせて動いているのだろうか」という項目なりページなりを作ってその中に書けばいいのだが、名前がないと考えた結果を取り扱いづらいし多分継続的に考え続けられない。
 そしてシステムの様子を反映した適切な名前をつけるには全体像がわからなくてはならないので、事前には特徴を示した名前はつけられないということになる。メソッド風の名付けを目指す前に、結局何をどうするシステムの話なのか、ということで一般的な名称を用意する必要がある。ブレストしてみよう。
何を:情報、メモ、ノート、タスク、生活
どうする:管理する、取り扱う、回す、流れさせる
 やっていることは情報の管理ではあるけれども、情報管理という表現は実際の雰囲気から離れているような感じがする。情報を管理する目的は生活および頭の中をうまく回していくことで、語感に生活感が足りない。また情報の範囲についても、この場合自分の生活のための情報ということなので、単に情報とかインフォメーションとかいう表現だと大仰過ぎる感がある。
 資料庫の管理人をやっているのではないので、自分が取り扱いたいものというのは自分の手で作ったか集めたかした情報であり、『すべてはノートからはじまる』を踏まえるとそれらは全て広義のノートであると言える。とはいえ自分が生成または収集したものなのだから、広義と言ってもより一般的意味合いの「ノート」に近いものだ。例えば会社の書類を「ノート」とは言いづらいし、「ノート」という表現をするだけで、個人的なもの、属人的なものという印象が生まれるように思う。
 ということで、自分が考えようとしていることを「ノートの流れ」、つまり「ノートフロー(note flow)」と表現することにした。ChatGPTに「これこれこういうことを指してノートフローと言い表そうと思うがどうか」ということを尋ねたら「英語的にも自然だし良いと思うよ!」という旨が返ってきたのでこれでよしとする。
 これまではこの種のことを「ノートツール環境」と表現していて、このサイトでもノートツール環境スナップショットというタグを付けていたが、ツールがどうというより「書かれたものの流れ」が重要なので「ノートフロー」の方が良いだろう。

 早速Capacitiesに「私のノートフロー」というページを作る。オブジェクトタイプはMapオブジェクトにしておこう。これで私の中でこの領域を「あれ」と指させるようになった。(MapオブジェクトなるものについてはCapacitiesのマイオブジェクト⑥ セルフマネジメント系で書いた。)

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 ノートフローの姿は頻繁に変化するのでバージョン管理したいところだ。しかしver.1とかver.2とかやると、どこを1にするのか、それ以前のものはどうナンバリングするのか、という問題が発生するので、年ごとに「2024年のver.1」といった風に捉えるのが無難だろう。
 今現在がバージョンいくつになるのかわからないので、とりあえず「2024-xx」としよう。例えば3段階目だなと判明したら「2024-03」という感じにする。そしていつの話なのかわかった方がいいので、日付をリンクしておく。
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 何月何日版というふうに表記する方法もあるが、そうすると前後に書かれているものが繋がっているのかそうでないのか曖昧になるので、通し番号を打てたほうが良いと感じる。
 2025年のver.1は、元日に改めない限りは2024年の最終バージョンと同じものになるだろう。なので「=2024-xx」とか書いておく。
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 こんな感じで書いていけばノートフローのフローが明快になる。だがしかしこれだけでは足りないのだった。抽象化・一般化を試みる場が必要だ。上の方に場所を作ろう。
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 今考え始めたことなので内容はまだ適当。そのうちまとまってくるはずだ。
 以後は定点観測的な内容や一般化したものを「のらてつのノートフロー」と称して記事にしたら良いだろう。
 

2024/12/16

手帳についての自分語りおよび来年の手帳・ノートのこと

手帳と私

「手帳とともにある生活」に漠然と憧れがあります。いや、憧れというより、そのようでなければ生活というものは完成しない、というような気持ちがあります。


それゆえ手帳を使うということをずっと試み続けていますが、「試み続けている」という状態から前進できている感じはしません。パートナーのような存在になっていかないのです。そもそもの話、自分が手帳に何を求めているのかが曖昧です。言うなれば、人を愛するイメージも人と暮らすイメージもないのに漠然と結婚した~いと言っているかの如き体たらくです。
かつて手帳が担ってきた役割というのは、その多くがパソコンやスマートフォンの中にあるアプリケーションに移っていきました。スケジュールもメモも連絡先も地図も、今となっては紙で扱う必要はあまりありません。デジタルだと電気とインターネットの状況、デバイスの健康状態に左右されるという理由で「念の為」紙にも情報を用意しておくということはありますが、デジタルでやれるならデジタルでやるという方が多くなっています。
「手帳とともにある生活」に近づけるために、これまで手帳の役割を増やすことを考えていましたが、それはつまり、既にデジタルでやっているものをわざわざ紙の手帳に戻すということになります。手帳がなくても回っている生活に、手帳を使いたいがために変更を加えるということです。このように言い表すと土台無理なこと(あるいは余計なこと)をやろうとしている感が滲み出てきます。

ところで、現時点で手帳を全くまともに使えていないのかというと、実はそんなこともなく、バイブルサイズの6穴システム手帳に自前のA6紙をセットしたものをずっと使っています。むしろほぼ毎日開いています。
しかしながら、それでも「手帳とともにある生活」を送っている感覚はありません。このシステム手帳の役割は「参照」に限られていて、サッと確認できなくてはならない各種の情報や、あるいはWindowsのショートカットキーや正規表現の書き方など画面の外にあると嬉しい情報といったものを入れています。ほぼ毎日開いてはいますが、新たに書き込むことは稀です。つまり、対話がないのです。
やはり「ともにある」「パートナーである」という感覚のためには対話が必要でしょう。実際にはあくまで壁打ちの壁であって対話相手は自分自身であるにしても、過去の自分を保存し未来の自分に向けてそれを放ってくれることで対話を成り立たせる、その役目を担ってくれるかどうかが「パートナー」と言えるか否かを決めているように思います。
ここで、二つの選択肢が私の中に生まれました。ひとつは、手帳にパートナーとしての役割を担ってもらうこと。それは私がずっと手帳に対する憧れとして抱いてきた道です。もうひとつは、パートナー感に飢えることをやめ、「参照」のために使うと割り切ること。イメージとしては最強の「生き字引」になってもらうことです。
いやそもそも生きてないしそれはただの字引だろう、というツッコミが入るに違いありませんが、手帳を最強の字引にするには私が育てなければなりません。現時点の私の手帳はまだまだ頼りないものです。その意味で手帳には生きもの的側面があり、やはり単に字引というよりは「生き字引」のイメージがより相応しく思えます。
そして、私は後者を選択することにしました。対話相手は既に別のアプリケーションが務めてくれています。なんとなく、無機質なデジタルツールをパートナーとは思いにくいところがありますが、幸い最近は特定のアプリケーションへの愛が深まっています。今ならそれらをパートナーと表現して構わないと思え、そうであれば無理して手帳をパートナーにしなくてもいいだろうと。同時に、「生き字引」として傍に控えていてくれるイメージを持つことで「手帳とともにある生活」として納得がいくのではないかと思うに至りました。

来年の手帳・ノート

ということで本題です。来年は以下のような編成でいこうと思っています。

  • アナログ
    • バイブルサイズ6穴システム手帳
    • A5サイズ綴じノート(無地)
    • B5サイズWリングノート
  • デジタル
    • Capacities
    • SoulLinkMap
    • Dynalist
    • Googleカレンダー

ノートとしては基本的にA5サイズのノートを使っていますが、これはどうにもデジタルでは表現しがたいことを手で書く(描く)ためのもので、使用頻度はそれほど高くありません。今のところタブレットを使っていないため紙のままになっているのであり、ゆくゆくは消滅する役目かもしれません。
他に雑学的なものをメモする雑記帳として、ページ数の多いB5ノートを用意しています。以前は小さめのノートを使っていたことがありましたが、この用途では紙面が小さいことには何もメリットがないと気がついたのでB5サイズになりました。デジタルツールのどれかに書くことにしようとしていたこともあったものの、検索するよりパラパラ見られた方が良く、デジタルである必要が全くないのでデジタルツールから引き上げました。
デジタルツールについては、スケジュールはやはりGoogleカレンダーに頼ることとして、それ以外の個人的なメモおよびノート要素はCapacitiesSoulLinkMap、Dynalistの三つのアプリケーションに担ってもらうことにします。この形態はつい最近確立しましたが、三本柱として私の中で非常に納得感があります。(ツールの話は個人サイト内で諸々書いています。)
三つの役割を書き表すとこのようになります。

  • Capacities
    • 日々の拠点にする(デイリーノート)
    • タスクおよびプロジェクトを管理する
    • 「あれ」と指せる類の情報を保管する
  • SoulLinkMap
    • 文章で説明するほかないもの(考え、アイデア、概念等)を収集・編集する
  • Dynalist
    • 文章を書く
    • URLを保存する

例えば読書メモ、Web記事のメモ、自分が思いついたことのメモ、といったものは全てSoulLinkMapに取ります。所謂「勉強」もSoulLinkMap上でやっていこうかと思っています。
このような感じです。未だ嘗てなくスッキリとした気分でいるので、少なくとも手帳・ノートに関しては気持ちよく新年を迎えることができそうです。

2024/11/23

Capacitiesとマインドマップの両輪でいくことにした

 私の情報管理では相変わらずCapacitiesが大活躍している。


 しかし全ての情報をCapacitiesで扱えているわけではない。そもそもCapacitiesの開発チームもオールインワンを目指してはいない。
 Capacitiesは情報をオブジェクトとして扱うのが売りだ。というか、そもそも自分の中でオブジェクトであるものを、素直にそのように扱えるというのが特徴である。このことにより、オブジェクトっぽいものとオブジェクトではないが個別に扱った方が良さそうな記述などが混在したカオスから解放され、手元にある情報は随分クリアになった。
 しかし逆に、元々オブジェクトでないものはCapacitiesを使ったからといってすっきり解決はしない。Capacitiesはオブジェクトという仕組みの他は昨今一般的なネットワーク型ノートツールと同様の機能なので、別に混乱が増すわけでは無いが、鮮やかに道が拓ける感じではない。

 オブジェクトではない、つまりページを分けるほどの存在感はない、且つ個別の断片として扱いたい。そのような情報(例えばアイデアや何かに対する見解)の居場所というのがなかなか難しい。
 個別の断片として扱うと同時に、それが育つことも期待しているので、そうなると例えば付箋ツールのようなものだとちょっとやりにくい。断片を扱うイメージとしてはよいのだが、たくさん書けるようになっていないし、書けたとしてそれをどうするかが難しい。
 アウトライナーは記述を育てやすいが、位置が固定的にならざるを得ないのが難点だ。この固定的というのは動かしにくいということではない。上から下までのどこかに、根拠はなくとも必ず位置づけなくてはならないという意味である。また、個別の断片という感覚が薄いのも微妙なところだ。いや、むしろ全てが断片なのだが、ほとんど無個性な行として境界もなくずらっと並んでいる状態だと「個別」のものには感じにくい。もちろん工夫はいくらでもしようがあるが、工夫をするという気合が要る。

 しばらく考えていて、付箋とアウトライナーのある種あいだの存在としてマインドマップ型ツールはどうだろうかと思い至った。マインドマップ本来の使い方を考えるとやや邪道な感があるが、ひとまず「付箋とアウトライナーの中間っぽい形態」という点にだけ注目する。
 マインドマップ型ツールには配置の種類を選べるものがある。例えばこのような形。(画像は「Blumind」というWindows用フリーウェア。→Vector 新着ソフトレビュー 「Blumind」 - トップダウン型のアイデア整理やメモに最適なマインドマップ作成ソフト

画像

 こうすると、配置も操作感もほぼアウトライナーである。しかし断片ひとつひとつが枠で囲ってあることで個別っぽさがあるし、更にこの構造とは関係なくリンクをぐいと引っ張って繋げることができる。アウトライナー風であると同時にネットワーク型ということになる。
 ノードそれぞれにメモを付けられるアプリケーションだとより便利だ。考えが育った時に、ノードを増やすのではなくメモ欄に文章として書いてしまえば良い。普段は表示されないから全体の見通しも邪魔しない。(もちろん広がる方向に発想が膨らんだらその都度ノードは増やしていく。)
 色々なことを一気に解決してくれそうな気がするが、しかしひとつ残っている難題が「位置づけなくてはならない」問題だ。Blumindではノードは必ずどこかに繋がっている必要がある。アプリケーションによっては付箋ツールのように単独で浮いた状態にできるが、それでも何かしらの基準で平面上のどこかの位置は選ぶ必要があり、必然性のなさに少しもやもやすることはある。位置づけから自由なネットワーク型ノートツールでは考えなくてよいことと向き合う必要がある。

 このことについては「解決」はしていない(しようがない)が、このもやもやはエネルギーにもなり得る。あらゆる思考や思いつきは、発生時点で何とも結びつけられそうになかったとしても、完全に単独で存在しているということは多分ありえない。それが生まれた経緯や動機というものがあるはずで、自分の中にどういう思いがあることでそこに至ったのかを考える余地がある。それが見つかればその下に思考や思いつきをくっつけることができる。
 客観的な分類ではなく自分の思いを突き詰める方向で上位ノードを考えていけばだんだんと集約される方向に向かうだろう。もちろん全てを一点に繋げる必要はなく、自分の中で分けて考えた方がいいものは違うマップにするなどして分けて考えれば良い。いずれにしろ、位置づけに納得したいという気持ちを燃料にして整理を進めるというのは位置づけなくていいツールでは生まれない流れであり、それを積極的に利用するのはひとつの手だ。
 縦に並んでいくアウトライナーと、付箋ツールやマインドマップなどの平面配置のツールとでは、ひとつ大きな違いがある。アウトライナーは基本的に縦一列でしか表示できない都合上、一度に視界に入れられる情報量には限りがある。その一方で平面配置のツールは縦横に広げられるので、PCを使うならかなりの情報量が画面に収まる。どこに位置づけるにしてもそれらが全部視界に入った状態にしておける。「あれはこっちと繋がるんじゃないか」的なひらめきも生まれやすい。今更にも程がある話だが、最近はマインドマップ型ツールからも付箋型ツールからも離れていたので、このパワーについて真剣に見直す必要が自分の中にはあった。(世のノートツールの展開を見ると、平面配置のビューの採用はメジャーになりつつあるような気がする。)

 で、かつてマインドマップ単体で考えていた時には結局何をどこまでマインドマップ型ツールで扱うべきかがわからなかったので、余計なことをしてかえって複雑化するなどしてツールの力を活かせなかったのだが、今「Capacitiesでやりにくいことを補う」という前提でマインドマップを見ると、マインドマップが真に威力を発揮するポイントに絞って使えるのではないかという感じがしている。
 自分が「あれ」と指させるものはCapacities、そのように形を成していないもやもやしたものはマインドマップ、というふうに役割分担することで、相互にノイズがなくなり思考に適切に集中できるかもしれない。
 ちなみに、今回紹介したBlumindはファイルの中身がxmlで、いざとなればデータを好きに加工して再利用できるなと思ったので安心して採用している。
 

2024/09/21

ノートツール環境スナップショット(2024/09)

 Capacitiesがメインの場となったことでノートツール環境はどうなったのか、現時点の様子を書いておこうかなと思う。


 まずCapacities以前はどうだったかというと、大体こんな感じ。

  • Dynalist
    • ライフ・アウトライン(生活上で発生する事柄全般)
    • 書き物
  • Cosense(Scrapbox)
    • 自分の関心に基づく情報保管庫
  • Obsidian
    • 自分の必要に基づく情報保管庫
    • 規模の大きい書き物の作業場
  • Notion
    • 自分以外の人と共有する情報保管庫

 ScrapboxとObsidianの使い分けについては3月時点で以下に書き留めている。(ただしそこから8月までの間に少し変化している。)

 現在はこう。

  • Capacities
    • ライフ・アウトライン(生活上で発生する事柄全般)
    • 自分の関心に基づく情報保管庫
    • 自分の必要に基づく情報保管庫
    • 規模の大きい書き物の作業場(本文以外)
  • Dynalist
    • 書き物
  • Notion
    • 自分以外の人と共有する情報保管庫

 情報の混在を嫌って場を分けていたようなものについては、Capacitiesが全てを解決してくれたので全部まとめられるようになった。Obsidianに置いていた情報は全部Capacitiesに移した。Scrapboxの中身を移すのは現実的ではないので、基本的に既存のデータはそのままにして必要を感じた時だけその都度移すことにしている。
 書き物については、Dynalistに自作のChrome拡張機能を合わせてうまくやれるように環境を整えているので、それをそのまま継続している。Chrome拡張機能を自分で作って活用する(Dynalist)
 自作ツールはもう全然使っていない。こうだったらいいのになあと思っていたことのほとんどをCapacitiesが実現してくれているので作る必要がもうなくなってしまった。割と最近マルチウインドウのプロセス型アウトライナーを作ったりしていたが、それを重用する未来がイメージできなくなったので中断した。
 頑張って獲得したプログラミングのスキルは、自分用のChrome拡張機能を作るとかAPIを活用してデータを取得・加工するとかで発揮されているので、まあ無駄になったわけではない。
 紙のノートは最近出番が少ない。これは別にCapacitiesに役割が吸収されたということではなく、単純に紙のノートが活躍するようなことをたまたましていないというだけ。まあ「どこでもいい」種のメモを紙に書くかデジタルツールに打ち込むかということはあって、そのブームが今はデジタルツールの方に来ている状態ではある。

 Capacitiesによってツールの使い分けが減り、情報管理がだいぶ単純になった。
 Capacitiesには既に何百かのページができているが、それでもScrapboxの蓄積と比べれば全然なので、このままCapacitiesに情報が増えて使い勝手がどうなるかはまだ未知数だ。現時点の感触ではデータが増え続けても問題は起こらないような気がしているが、果たしてどうか今後わかってくるだろう。
 

2024/03/17

ScrapboxとObsidianの個人的使い分け(2024年版)

 他の年の記事があるわけではないが、「今思っているだけに過ぎない」という意味で「2024年版」としておく。過去に断片的に書いた見解とは大きく違っている可能性がある。


 現在、ScrapboxとObsidianにはそれぞれ以下の役割を持たせている。(「がらくた箱」「知の箱」については三つの箱(領域)の整理参照)

  • Scrapbox
    • がらくた箱(好きなもの、面白いと思うもの、へ~と思ったものを集める場)
    • 特定の領域・ジャンルの調べ物や記録(ジャンル毎に1プロジェクト)
    • 個人サイト用のデータベース
  • Obsidian

 個人で使う場合、どちらも大雑把に言えば似たようなツールだ。ページ間リンクに優れているネットワーク型のデジタルノートツールと言えるだろう。なので使い分けに客観的な必然性はない。どちらでもやろうと思えば同じことができるからだ。
 有志が作ったプラグインの多彩さから言って「できること」の幅はObsidianの方がずっと広いようには思えるが、それにしたって、自分でスクリプトを書けるならScrapboxのUserScriptでもかなりのことができる。決定的な差があるとは言えない。

 大きく異なることを挙げるならば、ページがひとつひとつファイルとして存在するかどうかの違いがある。Scrapboxはページそれぞれをファイルとして扱うことはない。エクスポートする際も全部まとめてひとつのjsonファイルに入った状態で出力される。Obsidianは個別にmdファイルとしてローカルに存在している。Scrapboxの中身を分類することは仕組みとしてほぼ不可能だが、Obsidianが扱うmdファイルはフォルダを分けて分類することが容易である。また、ただのmdファイルであることにより他のアプリケーションを併用することも可能だ。
 ページがひとつひとつ存在していることが常に良いかというと、必ずしもそうとは言えない。というのは、例えば今現在私が「がらくた箱」として使っているScrapboxプロジェクトには4000ページほど存在しているが、これが全て個別のファイルとしてローカルに出力されたらちょっと耐えられない。ファイルが何千もあるということ自体圧倒される感じがして嫌だし、実体を持った形で並んでしまうとページの無秩序さが気になってくる。適当に使うことが難しくなるのだ。
 その点Scrapboxはページの数が増えればほとんどのページが視界から消えていくので、見えていないものの無秩序さは(一覧しないということに慣れてしまえば)無視できる。無価値なページが存在していても、その存在が視界に入る機会自体がほぼないので気にならない。

 逆に、内容によってはScrapboxではちょっと困るのだが、その要因はこの「視界に入る機会」にある。あるページが存在していても、そのページに至る導線がその後全く作られなければ、そのページに行き着くことはない。そういうページは別に見えなくなっても構わないのだ、と思える領域ならそれで全く困らないが、そういう「必要が生じた時に見つかればいい」型の情報ではないものを扱うとするならば、それでは少し不便になる。
 例えばその典型が「常識として知っておいた方がいいこと」みたいな情報だ。自分の関心と強く結びついている情報なら「そういえばあれがどこかにあったよな」という感じで探しに行く機会が発生するが、個人的には別に興味はないという場合には思い出すことが難しい。つまり自分がどういう人間かと関わりなく覚えなければならないもの、時折見返して思い出しておかなければならないものの扱いが難しい。こういう時、Ankiを活用する人も多いだろう。それはひとつの有効なアイデアだと思う。
 もちろん、Scrapboxでもきちんとリンクやタグを整理して網羅的に辿れるように整えていけば問題はない。なので「Scrapboxではできないこと」の話をしているわけではない。ただ、そのような几帳面さを維持するのは私には不可能なので、ページが個々に存在し、フォルダを開けばそれらが整列した状態で確認できるObsidianの方が、自分の感性や生活、仕事と直接的に関わりのない情報を扱うのは楽だろうと思う。(そういう情報を扱う必要があるのか?というのは個々人のスタンスによりけり。ない人はない。ある人はある。)

まとめ

 現時点での私の中での使い分け。

  • Scrapbox
    • 体系的でないもの
    • 自分の関心、生活、仕事と直接的に結びつくもの
      • =情報にたどり着くトリガーが自分の中に存在するもの
    • 見つかったり見つからなかったりしてもいいもの
  • Obsidian
    • 体系的なもの
    • 自分の関心、生活、仕事との結びつきが薄いもの
      • =情報にたどり着くトリガーが自分の中にないもの
    • 確実に見つかってほしいもの、ぱらぱら見たいもの

 

2024/03/11

今年新規導入・再導入したもの

【トリガ・エントリ】新しく導入したものは? - by 倉下忠憲@rashita2 - トンネルChannel
今年に入って導入したもので、私の日々に大きな変化をもたらしたものが三つあります。Fresh(Denoフレームワーク)、ライフ・アウトライン、そしてObsidianです。

Fresh

FreshはWebアプリケーションフレームワークとかフロントエンドフレームワークと呼ばれる類のものです。私はプログラマーではないので詳しい説明はできませんが、一言で言うと静的サイトを作るための強力な味方で、「Deno版Next.js」と表現されているのを見かけたことがあります。
PreactというJavaScriptライブラリ(Reactの軽量版)を使ってコーディングするのですが、そうするとJSXで書くことができ、HTMLとスクリプトをそれぞれ書く煩わしさから解放されました。また、TypeScriptで書いたコードをいちいちコンパイルしたりバンドルしたりしなくてよくなり、コードを書いた後の管理の手間がなくなりました。
できることが増えるのも大きなことですが、それ以上に「できるにはできるけどすごく面倒くさいこと」が色々解消されたことが私にとってはとても重要です。以前書きましたが、Node.jsからDenoにしたのもその意味で大きな変化でした。(ただしFreshおよびPreactの学習コストは私にとってはそれなりに高かったです。)
先日新しく公開した個人サイト(Noratetsu House)はFreshで構築しています。ローカルで使う自分用のデジタルノートツールもFreshで作るようになりました。

ライフ・アウトライン

ライフ・アウトラインはTak.さんが提案なさっているアウトライナー活用法です。

生活・人生の舵取りに関わる情報を包括的に扱う手法で、私としては何か初めてのことをやっているというよりは、今まで秩序なくとっ散らかった状態でやっていたことを「Tak.さんが設計した棚」に収めてやるようになったという感じです。その意味ではファイリングの技法を学んだような感覚でもあります。
元々自分の中にあった問題意識や基本的な価値観がおそらくTak.さんに近いものだったので、ライフ・アウトラインというメソッドが含む要素が劇的に私を変えたということではないのですが(するっと納得しました)、どのツールにどういう形でやるのがベストかと考えてうろうろし続けていたものをひとまず型にはめてみたことで随分落ち着きを得ました。
余計な「よりよいもの探し」から解放されたわけです。自分なりのライフ・アウトラインになるようなチューニングを試みることはしていますが、使うツールごとあっち行ったりこっち行ったりという大騒ぎはせずに済むということです。今のところの感触だと、Dynalistが生きている限りは続けられそうな感じがしています。
もっと早く導入していればよかったのでは、という気持ちは無いではないですが、しかし自分の癖を考えるに、多分知った時点で飛びついていたら遵守しようとし過ぎて勝手に雁字搦めになって駄目になっていたような気がします。重要なのはメソッドの柱になっている思想であって、今だからこそその「根幹」と「枝葉」を見分けて取り込むことができているのかもしれません。

Obsidian

しばらく眠っていたObsidianをまた使い始めました。
明確な目的がある限定的用途で活用するために復活させたのですが、先日トンネルChannelにてtksさんと倉下さんのお話(「賢くなる」とはどういうことか?について本気出して考えてみる - by tks - トンネルChannelほか)について考えたのをきっかけに、Obsidianにもっと大きな役目を担ってもらうことにしました。「知っておいた方がいいこと、考えておいた方がいいこと」全般を扱うということです。
以前Obsidianを使っていた時(3年程前)もそのような役割を持たせていました。しかしその時は、他の種類の情報も一緒に扱おうとしたり、Obsidianにできることをフル活用しようと意気込みすぎたりして、大量の経験値を得つつもその時点で万事解決ということにはなりませんでした(その後Obsidianを使わなくなったのは機能の問題ではなく「より軽いもの」を求めたことによります)
当時は自分に関わる情報をあまりにごっちゃに扱っていました。一緒くたに扱えることが良いことだと思っていたからです。ですが自分の性質を考えるに、明らかに関連の薄いものは別の箱に入っていた方が良いようです。
Obsidianで扱うことにした「知っておいた方がいいこと、考えておいた方がいいこと」というのは、必ずしも自分の関心に沿っているわけではなく、備えているべき教養や人の間で生きるのに必要な哲学といった、社会性のためのものを指しています。例えばブログ記事に書きたいようなことは含みません(それはDynalistでやります)。以前は「考えていること」みたいな大きな括りで捉えていたので、所謂ペルソナで分けることをしていなかったのですが、実際はそのあたりを分別して扱ったほうが自分には合っているようだと思っているところです。

2023/10/29

2023年10月時点のメモ環境

今月のお題について、既に書いた気になって書いていなかったので、滑り込みで書きたいと思います。(別にオーバーしても全然構わない場だと思います、念の為。)


メモ環境はころころ変わっているので、とりあえずここ半月くらいのことについて書いてみます。
まずメモの場として使っているのは以下のものたちです。

  • 紙のノート(A5無地)→詳細
  • TextManager(自作ツール)→詳細
  • Dynalist
  • NanaTerry(少し前まではVaNT)

メモの種類としては、大きく分けて「計算用紙的メモ」と「残すメモ」を区別しています。

計算用紙的メモ

要するに適当な紙に筆算するとか、テキストを整形するにあたってちょっとコピペしておくとか、何かをする途中段階に発生する諸々のメモです。
前はチラシの裏みたいな紙に書いてその後捨てたり、テキストエディタに書いてファイルとして保存はせずに消去したりしていたのですが、残っていた方が嬉しい感じがすると思い始めたので残すようになりました。消えても別に構わないことには変わりないので、その意味で「残すメモ」と区別しています。
紙の場合はノートに適宜「計算用紙ページ」を設けてそこに書きます。他のページはペン書きで、計算用紙ページは鉛筆で書いていますが、これはそう決めているというよりはただの気分です。
デジタル(PC)では少し前までVaNT (Vanilla Note Taker)を使っていました。大変素晴らしいアプリケーションなのですが、ただちょっと重さが気になって、最近はNanaTerryを使っています。随分昔にNanaTreeを使っていたので大変懐かしい心地です。
ローカルなデスクトップアプリケーションを使っているのは、集中したいなどの理由によりブラウザを閉じている間に使えるものが欲しいこと、明示的に残すメモとの混在を避けるために専用のアプリケーションを割り当てたいことが理由です。
以前はScrapboxにこの種のメモも残していたりしましたが、やっぱりノイズになる感じがあるので混ぜないように気をつけています。

残すメモ

残すメモというのは、「日記・日誌」「知ったこと・調べたこと」「今後の予定・計画」「書くネタ」「それ以外の思いつき」といったことがあります。それぞれ違う場所が最終的な居場所になります。
日記・日誌は以前にもトンネルChannelや自分のブログで言及した「TextManager」という自作ツールが終着点です。前の記事で倉下さんがお書きになっているTextboxと同じように、ローカルサーバーを立ててWebブラウザ上でローカルファイルを編集しています。(元々倉下さんに影響を受けて自作ツールを作るようになりました。)
知ったこと・調べたことはDynalistに専用のドキュメントを作っています。今後の予定・計画についてもDynalistを使い、イベント毎プロジェクト毎にドキュメントを作っています。これらは語り始めると長くなってしまいますが、詳しくはちょっと前にブログに書いたのでよろしければお立ち寄りください。

書くネタもDynalistですが、実質的にはどちらかというとSNSの方がメモ帳として機能しているかもしれません。以前はTwitter、今はBlueskyです。最終的に書く作業場がDynalistなので(この文章もDynalistで書いています)、Dynalistを開いている時は直接書きます。
それ以外の思いつき、つまり生活上のアイデアやプログラミングに関する閃きや社会に対する気づきや自己分析等々は、紙のノートかTextManagerに書いていることが多いです。TextManagerにはWiki風のページリンクを使えるノート機能を実装しているので、以前ならScrapboxやmdファイル系のアプリケーション(ObsidianやLogseq)でやっていたようなことはこのツールでやってしまいます。逆に言うと前はそれらのアプリケーションでやっていました。

とりあえず書く場

残すメモはいずれも、情報が発生した時に然るべき場所を開いていれば直接書きますが、そうでなければ「とりあえず書く」ための場に書いておいて後で移すことになります。
紙の場合は、ノートに「Temp」ページを設け(左上に「Temp」と書いているだけです)、そこに日時付きで書いておきます。最終地点がノートでよいメモも多くあるのでそれはそれぞれページを当てて書きますが、日記・日誌の類などはTempページに書いておいて後でPCで入力し直すことになります。
PCでは上述のNanaTerryに日付をタイトルにしたノードを作っておいて書きます。あくまで計算用紙的メモの場なので後で移すのが基本ですが、プログラミングのアイデアなどは転記しないままのこともあります。
スマートフォンからは、QuickDynalistというアプリを経由してDynalistの特定のドキュメントをInboxとして追記していきます。
といっても、紙のノートのTempページとDynalistのInboxについてはそこに置きっぱなしでもそんなに困ることにはならないので(記述を探すことに苦労しないため)、そのままになっていることもしばしばあります。

こんな感じです。

2023/09/16

ノートツール環境スナップショット(2023/09)

 自分が日常でどういうツールを使うかというのは日々変化している。そうそう変化しない方がいいと思うのだが、しかしそう思っても絶えず変化してしまっている。
 ブログ記事にあれこれ書きながらも程なくしてそのやり方はやめてしまった、というようなこともかなりあるので、結局実情はどうなのかというのは別途定期的に残した方がいいのかもしれない。


 現在使っているのは以下のものたち。

  • 常に開いている
    • TextManager(自作ツール)
    • 紙のノート(A5無地)
    • システム手帳(バイブルサイズ)
  • 時々必要に応じて
    • Dynalist
    • Notion
    • Scrapbox
    • OneNote

自作ツールの重用

 前回の記事作るためのツール作りから使うためのツール作りへ③力量の変化で少し書いたが、自分の短いプログラミング史の中で圧倒的に便利なツールができたので、五月あたりからずっとそれを使っている。「TextManager」と名付けた。
 この自作ツールは現状PCでしか使えないので、出先で必要な情報の管理には向かない。そういう情報については基本的には出先で見やすい道具、つまりスマホのアプリや紙のノートを用いることにして、そうでない情報は大体全部このツールで扱っている。ただまあデータが入ったJSONファイルはクラウドを通じてどこでも見られるので、内容を確認するだけなら探そうと思えば探し出せるようになっている。
 文章を書く時に便利な機能も色々搭載していて、ブログ記事の類はもう全部これでやっている。唯一「ノートテイキングアプリDIY体験記」に関しては大きな構造をDynalistに作っているのでそちらと行き来してはいるが、それも全部引っ越してもいいかもしれない。TextManagerでは見出しと折りたたみとアウトラインを使えるようにしているので、構造の整理はアウトライナーを使わなくてもやれるようになっている。

アウトライナーに関する状況

 世にあるアウトライナーのうち、今使っているのはDynalistだけだが、それもアウトライナーであることを生かした使い方はあまりしていない。自分にとってメインの場ではなくなっている。
 最近ではRemNoteなんかも試したものの、自由度が高すぎてドキュメントの扱いに混乱してしまって馴染めなかった。フラッシュカードシステムは非常に面白いと思うので、そのうちまたチャレンジしてみたいとは思っている。

 自分で作るツールに於いてもアウトライナー機能の位置付けは変わってきた。詳しくは作るためのツール作りから使うためのツール作りへ②感覚の変化にまとめたが、「アウトライナーに分類されるアプリケーション」よりも、色々とやれるツールの中にアウトライン機能がある状態が私にとっては良いようだ。
 なんにしてもアウトライン操作を手放したことはないので、「アウトライナーに分類されるアプリケーション」を使う頻度が減っていっても、それはアウトライナー離れを意味しているわけではないだろう。

Notion再び

 出始めの頃に触って、爆発的に流行り始めた時にまた触って、結局ずっと使わないでいたNotionを、最近また使ってみるようになった。
 今のところの用途は主に読書関係である。紙の本の読書メモをスマホで取りたいのだが(物理的に一番楽な方法であるため)、そのメモを書き込む先としてNotionを使うことにした。本のデータや図書館の利用記録についてもテーブルで管理するということを試している。
 あとは文章の元になりそうなメモをとりあえず置いておく場所にしている。前まではAndroidアプリのハルナアウトラインを使っていた。なるべくローカルのプレーンなテキストファイルで管理したいという気持ちがあっての選択だったので、Notionの活用はその動機からは外れてしまう。あくまで「とりあえず置いておく」ために使っていて、それ以上蓄積させていく場所としては予定していないが、今後どうなっていくかはまだわからない。
 他にもいくつかのことで使っているが、感触としてはまだどうとも評価しがたい感じなので詳しくは触れないでおく。TextManagerで済むのかNotionを使った方がいいのかということには慎重になっており、ノートに書いて検討してから試行に移るようにしている。

今現在使っていないもの

 これまでに情報管理のために重用したことがあるアプリケーションで今現在はあまり使っていないものを書き留めておく。

  • Evernote
  • Obsidian
  • Logseq
  • Treeify
  • Transno
  • ハルナアウトライン
  • Officeソフト群
  • TextManager以前の自作ツール

 いずれもアプリケーションの側に決定的な不足があるというのではないし(自作ツールを除いて)、また使うこともあると思う。
 また、現在これらのアプリケーションそのものは使っていなくとも、それぞれの思想は他のツールの使い方や自分で作る時の設計に反映されている。
 

2023/02/07

タスク管理の変遷語り

今月のテーマである「今日(こんにち/きょう)のタスク管理」について。自分のこんにちの形式に至るまでの経緯を振り返ってみたいと思います。フローの説明というより認識の変化の話になるのでちょっと長くなります。

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