情報管理のためのノートやアプリケーションの活用状況の定点観測。
結局何を使っているのか、を時々まとめておこうという企画(?)
その時点の状況は記事に詳しく書き、このページではツールだけまとめておく。
* 2023年9月
常に開いている
TextManager(自作ツール)
システム手帳(バイブルサイズ)
時々必要に応じて
Dynalist
Notion
Scrapbox
OneNote
動じないために。
情報管理のためのノートやアプリケーションの活用状況の定点観測。
結局何を使っているのか、を時々まとめておこうという企画(?)
その時点の状況は記事に詳しく書き、このページではツールだけまとめておく。
* 2023年9月
常に開いている
TextManager(自作ツール)
システム手帳(バイブルサイズ)
時々必要に応じて
Dynalist
Notion
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以下の記事を読んでいて、私は結局どういうシステムを働かせて動いているのだろうか、と考えた。(※記事の内容自体の感想ではありません)
「手帳とともにある生活」に漠然と憧れがあります。いや、憧れというより、そのようでなければ生活というものは完成しない、というような気持ちがあります。
それゆえ手帳を使うということをずっと試み続けていますが、「試み続けている」という状態から前進できている感じはしません。パートナーのような存在になっていかないのです。そもそもの話、自分が手帳に何を求めているのかが曖昧です。言うなれば、人を愛するイメージも人と暮らすイメージもないのに漠然と結婚した~いと言っているかの如き体たらくです。
かつて手帳が担ってきた役割というのは、その多くがパソコンやスマートフォンの中にあるアプリケーションに移っていきました。スケジュールもメモも連絡先も地図も、今となっては紙で扱う必要はあまりありません。デジタルだと電気とインターネットの状況、デバイスの健康状態に左右されるという理由で「念の為」紙にも情報を用意しておくということはありますが、デジタルでやれるならデジタルでやるという方が多くなっています。
「手帳とともにある生活」に近づけるために、これまで手帳の役割を増やすことを考えていましたが、それはつまり、既にデジタルでやっているものをわざわざ紙の手帳に戻すということになります。手帳がなくても回っている生活に、手帳を使いたいがために変更を加えるということです。このように言い表すと土台無理なこと(あるいは余計なこと)をやろうとしている感が滲み出てきます。
ところで、現時点で手帳を全くまともに使えていないのかというと、実はそんなこともなく、バイブルサイズの6穴システム手帳に自前のA6紙をセットしたものをずっと使っています。むしろほぼ毎日開いています。
しかしながら、それでも「手帳とともにある生活」を送っている感覚はありません。このシステム手帳の役割は「参照」に限られていて、サッと確認できなくてはならない各種の情報や、あるいはWindowsのショートカットキーや正規表現の書き方など画面の外にあると嬉しい情報といったものを入れています。ほぼ毎日開いてはいますが、新たに書き込むことは稀です。つまり、対話がないのです。
やはり「ともにある」「パートナーである」という感覚のためには対話が必要でしょう。実際にはあくまで壁打ちの壁であって対話相手は自分自身であるにしても、過去の自分を保存し未来の自分に向けてそれを放ってくれることで対話を成り立たせる、その役目を担ってくれるかどうかが「パートナー」と言えるか否かを決めているように思います。
ここで、二つの選択肢が私の中に生まれました。ひとつは、手帳にパートナーとしての役割を担ってもらうこと。それは私がずっと手帳に対する憧れとして抱いてきた道です。もうひとつは、パートナー感に飢えることをやめ、「参照」のために使うと割り切ること。イメージとしては最強の「生き字引」になってもらうことです。
いやそもそも生きてないしそれはただの字引だろう、というツッコミが入るに違いありませんが、手帳を最強の字引にするには私が育てなければなりません。現時点の私の手帳はまだまだ頼りないものです。その意味で手帳には生きもの的側面があり、やはり単に字引というよりは「生き字引」のイメージがより相応しく思えます。
そして、私は後者を選択することにしました。対話相手は既に別のアプリケーションが務めてくれています。なんとなく、無機質なデジタルツールをパートナーとは思いにくいところがありますが、幸い最近は特定のアプリケーションへの愛が深まっています。今ならそれらをパートナーと表現して構わないと思え、そうであれば無理して手帳をパートナーにしなくてもいいだろうと。同時に、「生き字引」として傍に控えていてくれるイメージを持つことで「手帳とともにある生活」として納得がいくのではないかと思うに至りました。
ということで本題です。来年は以下のような編成でいこうと思っています。
アナログ
バイブルサイズ6穴システム手帳
A5サイズ綴じノート(無地)
B5サイズWリングノート
デジタル
Capacities
SoulLinkMap
Dynalist
Googleカレンダー
ノートとしては基本的にA5サイズのノートを使っていますが、これはどうにもデジタルでは表現しがたいことを手で書く(描く)ためのもので、使用頻度はそれほど高くありません。今のところタブレットを使っていないため紙のままになっているのであり、ゆくゆくは消滅する役目かもしれません。
他に雑学的なものをメモする雑記帳として、ページ数の多いB5ノートを用意しています。以前は小さめのノートを使っていたことがありましたが、この用途では紙面が小さいことには何もメリットがないと気がついたのでB5サイズになりました。デジタルツールのどれかに書くことにしようとしていたこともあったものの、検索するよりパラパラ見られた方が良く、デジタルである必要が全くないのでデジタルツールから引き上げました。
デジタルツールについては、スケジュールはやはりGoogleカレンダーに頼ることとして、それ以外の個人的なメモおよびノート要素はCapacities、SoulLinkMap、Dynalistの三つのアプリケーションに担ってもらうことにします。この形態はつい最近確立しましたが、三本柱として私の中で非常に納得感があります。(ツールの話は個人サイト内で諸々書いています。)
三つの役割を書き表すとこのようになります。
Capacities
日々の拠点にする(デイリーノート)
タスクおよびプロジェクトを管理する
「あれ」と指せる類の情報を保管する
SoulLinkMap
Dynalist
文章を書く
URLを保存する
例えば読書メモ、Web記事のメモ、自分が思いついたことのメモ、といったものは全てSoulLinkMapに取ります。所謂「勉強」もSoulLinkMap上でやっていこうかと思っています。
このような感じです。未だ嘗てなくスッキリとした気分でいるので、少なくとも手帳・ノートに関しては気持ちよく新年を迎えることができそうです。
他の年の記事があるわけではないが、「今思っているだけに過ぎない」という意味で「2024年版」としておく。過去に断片的に書いた見解とは大きく違っている可能性がある。
【トリガ・エントリ】新しく導入したものは? - by 倉下忠憲@rashita2 - トンネルChannel
今年に入って導入したもので、私の日々に大きな変化をもたらしたものが三つあります。Fresh(Denoフレームワーク)、ライフ・アウトライン、そしてObsidianです。
FreshはWebアプリケーションフレームワークとかフロントエンドフレームワークと呼ばれる類のものです。私はプログラマーではないので詳しい説明はできませんが、一言で言うと静的サイトを作るための強力な味方で、「Deno版Next.js」と表現されているのを見かけたことがあります。
PreactというJavaScriptライブラリ(Reactの軽量版)を使ってコーディングするのですが、そうするとJSXで書くことができ、HTMLとスクリプトをそれぞれ書く煩わしさから解放されました。また、TypeScriptで書いたコードをいちいちコンパイルしたりバンドルしたりしなくてよくなり、コードを書いた後の管理の手間がなくなりました。
できることが増えるのも大きなことですが、それ以上に「できるにはできるけどすごく面倒くさいこと」が色々解消されたことが私にとってはとても重要です。以前書きましたが、Node.jsからDenoにしたのもその意味で大きな変化でした。(ただしFreshおよびPreactの学習コストは私にとってはそれなりに高かったです。)
先日新しく公開した個人サイト(Noratetsu House)はFreshで構築しています。ローカルで使う自分用のデジタルノートツールもFreshで作るようになりました。
ライフ・アウトラインはTak.さんが提案なさっているアウトライナー活用法です。
生活・人生の舵取りに関わる情報を包括的に扱う手法で、私としては何か初めてのことをやっているというよりは、今まで秩序なくとっ散らかった状態でやっていたことを「Tak.さんが設計した棚」に収めてやるようになったという感じです。その意味ではファイリングの技法を学んだような感覚でもあります。
元々自分の中にあった問題意識や基本的な価値観がおそらくTak.さんに近いものだったので、ライフ・アウトラインというメソッドが含む要素が劇的に私を変えたということではないのですが(するっと納得しました)、どのツールにどういう形でやるのがベストかと考えてうろうろし続けていたものをひとまず型にはめてみたことで随分落ち着きを得ました。
余計な「よりよいもの探し」から解放されたわけです。自分なりのライフ・アウトラインになるようなチューニングを試みることはしていますが、使うツールごとあっち行ったりこっち行ったりという大騒ぎはせずに済むということです。今のところの感触だと、Dynalistが生きている限りは続けられそうな感じがしています。
もっと早く導入していればよかったのでは、という気持ちは無いではないですが、しかし自分の癖を考えるに、多分知った時点で飛びついていたら遵守しようとし過ぎて勝手に雁字搦めになって駄目になっていたような気がします。重要なのはメソッドの柱になっている思想であって、今だからこそその「根幹」と「枝葉」を見分けて取り込むことができているのかもしれません。
しばらく眠っていたObsidianをまた使い始めました。
明確な目的がある限定的用途で活用するために復活させたのですが、先日トンネルChannelにてtksさんと倉下さんのお話(「賢くなる」とはどういうことか?について本気出して考えてみる - by tks - トンネルChannelほか)について考えたのをきっかけに、Obsidianにもっと大きな役目を担ってもらうことにしました。「知っておいた方がいいこと、考えておいた方がいいこと」全般を扱うということです。
以前Obsidianを使っていた時(3年程前)もそのような役割を持たせていました。しかしその時は、他の種類の情報も一緒に扱おうとしたり、Obsidianにできることをフル活用しようと意気込みすぎたりして、大量の経験値を得つつもその時点で万事解決ということにはなりませんでした(その後Obsidianを使わなくなったのは機能の問題ではなく「より軽いもの」を求めたことによります)。
当時は自分に関わる情報をあまりにごっちゃに扱っていました。一緒くたに扱えることが良いことだと思っていたからです。ですが自分の性質を考えるに、明らかに関連の薄いものは別の箱に入っていた方が良いようです。
Obsidianで扱うことにした「知っておいた方がいいこと、考えておいた方がいいこと」というのは、必ずしも自分の関心に沿っているわけではなく、備えているべき教養や人の間で生きるのに必要な哲学といった、社会性のためのものを指しています。例えばブログ記事に書きたいようなことは含みません(それはDynalistでやります)。以前は「考えていること」みたいな大きな括りで捉えていたので、所謂ペルソナで分けることをしていなかったのですが、実際はそのあたりを分別して扱ったほうが自分には合っているようだと思っているところです。
今月のお題について、既に書いた気になって書いていなかったので、滑り込みで書きたいと思います。(別にオーバーしても全然構わない場だと思います、念の為。)
自分が日常でどういうツールを使うかというのは日々変化している。そうそう変化しない方がいいと思うのだが、しかしそう思っても絶えず変化してしまっている。
ブログ記事にあれこれ書きながらも程なくしてそのやり方はやめてしまった、というようなこともかなりあるので、結局実情はどうなのかというのは別途定期的に残した方がいいのかもしれない。
今月のテーマである「今日(こんにち/きょう)のタスク管理」について。自分のこんにちの形式に至るまでの経緯を振り返ってみたいと思います。フローの説明というより認識の変化の話になるのでちょっと長くなります。