ド下手問題シリーズ
自分がアウトライナーをうまく使えなかった理由について考察した記事群。
全6回。自分はアウトライナーを使うのが下手だということについて書いたもの。
各記事とも、記事を書き始めた時点では実際に下手で、書き終わる時点でいくらか克服することを目指して書いている(実際に克服している)。
なお「のらてつ」として居場所を得たきっかけの連載である。
動じないために。
ド下手問題シリーズ
自分がアウトライナーをうまく使えなかった理由について考察した記事群。
全6回。自分はアウトライナーを使うのが下手だということについて書いたもの。
各記事とも、記事を書き始めた時点では実際に下手で、書き終わる時点でいくらか克服することを目指して書いている(実際に克服している)。
なお「のらてつ」として居場所を得たきっかけの連載である。
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ここまで五回にわたり「私はアウトライナーの使い方が下手くそだった」という話をしてきた。アウトライナーについて話したいことはまだ尽きないが、「アウトライナーの使い方ド下手問題」というテーマとしてはここでひとつの区切りとしたいと思う。
今回は各記事の簡単な振り返りと、今私がアウトライナーに対して持っている認識の整理をしていきたい。
今回が一応この連載の最後の内容となります。
前回までは、いずれも「アウトライナーというツールにどういうスタンスで向き合うべきか」という観点でのド下手要因について考えるものだった(と今気がついた)。
今回は、アウトライナーをそれなりに活用できている状態で、それでも発生するストレスについてひとつ考えていきたいと思う。
それは何かといえば、「最終形態が"未完成"のまま問題」である。
少し間があいてしまいました。
前回は、なぜ倉庫化するかという問いについて、主に情報を置いていく過程で発生する問題を考察した。主に扱う対象が広すぎること、アウトライナーを使った模索にケリがつかないことがゴミ屋敷化を招くという話をした。
今回はそれよりも基本的な、ツールとの向き合い方について考える。
ここまで私がアウトライナーを適切に使えなかった要因を書いてきたが、まとめ直すと以下の通り。
「きちんとしている感」に負けている
箇条書きという形式の引力に負けている
ツールの洗練された見た目に負けている
「倉庫」として使おうとしていた
情報がエネルギーを失い静的になっている
情報の種類が雑多で量が多い
前回、「情報がエネルギーを失い静的になっている」という失敗体験に対し、アウトライナーは「動的」に保ってこそアウトライナーであり、つまり「今」作業するためのものとして使うのがよかろう、という話をした。
今回は「『倉庫』として使おうとしていた」問題の二つ目、「情報の種類が雑多で量が多い」ということについて考えていきたい。要するにゴミ屋敷化である。
アウトライナーを適切に使えない要因として自分の中に以下の二点の理由がある、という話の続き。
「きちんとしている感」に負けている
「倉庫」として使おうとしていた
前回はアウトライナーの「きちんとしている感」、分解すると「箇条書きという形式の引力」と「ツールの洗練された見た目」から来る要因を書いた。
今回は理由の二つ目、「『倉庫』として使おうとしていた」ということについて考えていこうと思う。
前回、アウトライナーを適切に使えない要因として自分の中に以下の二点の理由があると書いた。
「きちんとしている感」に負けている
「倉庫」として使おうとしていた
今回はひとつめの要因、「『きちんとしている感』に負けている」ということについて詳しく考えていきたい。
アウトライナーというものは大変にスグレモノである。という確信のもと、何度も活用を試みては何故か挫折するということを繰り返してきた。
挫折というのはつまり「使い続けられなくなる」ということだが、情報を管理するタイプのツールに於いては、その理由として例えば「ツールの機能が不足している」「UIとの相性が悪い」「自分で集めた情報が自分の望まない形に複雑化している」といったことがあると思う。その中で、私がアウトライナーとこれまで幾度も格闘して繰り返したのは、最後の「自分で集めた情報が自分の望まない形に複雑化している」ということである。すなわち、「情報の集まりが自分のイメージ通りに育っていかない」、そして「結局どこに何を書いたのかよくわからない」という事態を引き起こしているのだ。
情報をスッキリ整理するためのツールなのに、何故か煩雑化している!
これは無論アウトライナーというツールの側に問題があるのではなく、その使い方が下手くそであるということに尽きるので、それを解決すべく、理由と解決策を考えていくことにする。