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尊敬している人の話に「なるほど」と思ってしまうということ

誰かを尊敬すること、そしてその人の話をとりあえず信じるということは悪いことではない。
しかし自力で真偽を判定できない領域の話をされた時に「この人が言うなら正しいはずだ」と判断するということが、積もり積もって困ったことを引き起こすことがある。
特に集団で何かを話している時にそれが発生すると、「これが正しいらしい」が連鎖して疑問を挟めなくなりがちだ。誰かが話をして、別の誰かがそれを肯定する、更に別の誰かが肯定する、というのが続くと、自分の異論に確信がない限り「そうか?」とは言いづらくなっていく。
肯定というのは「なるほどなあ」程度でも力を持つ。直ちに異論をぶつける人がいないなら、それは納得するのが普通の話に感じられてしまう。仮に誰かが異論を唱えてもそれを否定する圧が強ければ異論のほうがおかしく見える。
もちろん、実際そのくらい妥当かもしれない。しかしそうではないこともある。或る偏りがある集団でそうやってなるほどなるほどと言い合っていることが、外から見たら割ととんでもないことだったりする。
 
同じくらい「強い」人で、考え方の違う人が複数いればそれは防げるような気はしてくる。しかしそれには数が十分多くないといけない。揃って偏っていると「その人達がみんな言っているんだから絶対正しい」になってしまう。その方が怖い。

その人の話を聞かなかったらそうは思わなかったこと、には注意が必要。
でもそれこそが自分に欠けていた視点であることもある。だから当然ながら、そういうものを必ず正しいとも必ずおかしいとも言えない。正しいこともあるしおかしいこともある。その当たり前を忘れないということが重要だ。
その人がどれほどいい人であっても賢い人であっても尊敬に値する人であっても話が妥当ではない瞬間はある。別にそれによってその人の価値が損なわれるということではないし尊敬をやめる必要もない。単に、その人の素晴らしさが常にその人の正しさを保証するわけではないということを注意しておく必要がある。

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