Noratetsu Lab

動じないために。

道徳を秘める

「基本的には広く当てはまる」という種の道徳みたいなことを喋ると、それに武器にされて苦しんでいる人たちから、それを武器にしている当人かのように敵視されて袋叩きに遭う。
結局そういう道徳というのは公に言うと何かに「使われる」ことになるので、それを避けるならば家族とか仲間内とかの閉ざされた空間で継承するしかないのではと思う。
そっちの方が幸せになるのかは疑わしいが、攻撃されたり攻撃に使われたりするのだから仕方がない。

親から子へと何かを受け継いでいくというのはもはや一般家庭に於いてはほとんどファンタジーだが、そうしなければならないという使命感を忘れたらいよいよおとぎ話の世界の話になってしまう。
いま努力家な親の関心は「我が子が生きたいように生きられるか」に集中している。それはとても大事なことだが、同時に、まず我々は社会的生物であることを認めて社会にいるためのルールと心がけを知らなければならないだろう。
といって、誰かが作った道徳をなぞって叩き込んだんじゃ洗脳と変わらない。親は(というか人は)、自らが人生を生きているということを自分で教えに転換して己の言葉で語らなければならないと思う。それが結果的に正しくないとしても、それを修正する選択肢が子ないしは下の世代にあればいい。
そう考えると、道徳というのはそもそも個人的に伝えられるものと思ったほうがいいのかもしれない。そうであればこそ、「誰それはこう言っていたけど自分は違うと思う」と言う余地も生まれる。

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