Noratetsu Lab

動じないために。

文と文章とレトリック

ここのところ、年がかなり上と思われる人たち(作家ではない)の文章を立て続けに読んだ。

そこで思ったのだけど、これは自分の親もそうなのだが、一文一文は丁寧できちんとした言葉遣いであるものの、文と文の間の繋がりが曖昧で日記のようにぶつ切りの記述が続いているというパターンが少なくない。

生きた年数分だけ言葉自体は豊かになっているが、レトリックを用いるという発想がないままなのだと思う。そして言葉が丁寧であるがゆえに意味の強弱が感じられず、本人にとってどこが肝心なのか読み手にわからない。

もしかしたら実際にどこが肝心なのか曖昧なまま書いているのかもしれない。関連するものがいろいろあり、それらをくっつけた全体に意味を見出していることも考えられる。世界を構成するものをひとつひとつ描写しているようなものだ。

しかしそれを楽しんで読めるほどには一文一文が濃い意味を持ってはいない。やはり思うままに漫然と書くより、何かを「利かせる」ことを狙って書いた方が書いた意義があるものになるだろう。

管理人

アイコン画像

のらてつ Noratetsu

キーワード

このブログを検索

検索

ブログ アーカイブ

2025
2024
2023
2022
2021