インターネットで発信するという行為をSNSでスタートした人々は多分もう全くわからないことだと思うけれど、匿名掲示板がメインの場だった時代には「釣り」という概念があった。
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何かを侮辱したり明らかに誤ったことを言ったり、あの手この手で人の感情を煽る書き込みだ。怒らせて場をかき回したいだけのことなので、反応したら負けである。スルースキルの無さにm9(^Д^)プギャーと嗤われるだけだ。私自身はそれほど匿名掲示板らしいスレに顔を出していたわけでもないので「当時をよく知る人間」というのではないけど、まあでも「匿名掲示板にはあって、SNSにはないもの」はなんとなくわかる。
昔も今もそうやって「釣り」をやっている人間はたくさんいる。しかしかつての匿名掲示板とは違って、今のSNSはそれに対してどう反応すべきかというのが全然共有されていない。「釣り」かどうか、というのを判定することができないから、おかしい発言に対して面と向かって「批判」する。
批判せざるを得ない事情もあるだろう。掲示板の場合は「場」に集まって話をするから、その場での常識というのが作られていくが、SNSではそんなものはない。「釣り」の内容を真に受けて心から同意する人は本当にいて、たとえそれが割合で言えば数%もいるかいないか程度だとしても、絶対数にしたらかなりの規模になってしまう。野放しにしておくと危険だからきちんと正す必要が生じる。
結局のところ人間というのは「賢いっぽい選択」をするものだろう。「釣り」を見た時に、その内容が「誰も言わない真実を喝破した」と思えばそれが賢く見えるし、「そうやって煽動したいんだろう、お見通しだぞ」と思えばそれが賢く見える。大抵の場合事実というのは個々人にはわからないのだから(より信頼できるっぽい情報を信じるしかない)、自分の目では確かめようがない事物に対してどうするのが「賢い選択」かというのを学習して判断しているわけで、そこまでの人生で何を学習してしまったかにかかっている。
別に匿名掲示板が「良かった」とは思わない。ただ、「こういうものにはこう対処する」という手法を共有し、ブレーキの踏み方を学習する機会を得られていたのは確かだろう。それが結局冷笑的な態度に繋がってはそれもそれで全然よろしくないのだが、しかし正義感的なもので絶えず馬鹿正直に燃えているのが良いわけでもない。
あとアスキーアートや特有の言い回しによって印象を和らげていたのはひとつの知恵だったなと思う。今なら宇宙猫やコラなど定番の画像がその代わりになっているように思うが(それらは匿名掲示板のAAというよりはLINEのスタンプの感覚だろうか)、当時のAAやスラングというのはそのように単にツッコミの定型文を代替するものではなく、ともすると激しい応酬になりかねないところを「それは阿呆らしいぜ」と宥める効果があった(多分)。無意味に深刻化させない知恵だ。
やはりそれは「場」で生活しているということが生んだ知恵だと思う。みんなが「来る」場所だから、住民の手で過ごしやすくしなければいけない。好き勝手にやっていいところではなかった。
ところで「そんな餌で俺様が釣られクマー」のAAと、釣り針を前に思案しているクマーのAAが好きなのだが、単に「それ釣りだろ」「お前釣りに引っかかってるよ」という二値的なメッセージだけでなく、「釣りだろうとわかっちゃいるがそれはスルーし難い」とか「巧妙に装っているつもりかもしれないが臭ってるぞ」みたいな微妙なニュアンスを表現しているのが面白いし、これもまた知恵だなと思う。