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よくわかるNoratetsu Lab(2021年版)
一年の総集編として、今年このブログに書いた全ての記事からそれぞれ一部分をピックアップしてみた。
記事の内容の核になっているとは限らないが、このブログがどういうブログかが大体わかると良いなと思ってコアな部分を選んだつもりでいる。
01:Restart
少しでもまともに見せたい――今の自分はきっとまともの域に達していないから――と背伸びをすることは、自分自身を否定し侮辱することに他ならない。我が子を人に紹介するときにわざわざ「豚児」だの「愚息」だのと言えば、その度にかすかな復讐心が子の胸中に居場所を得るだろう。己への侮蔑も、己からの復讐として返ってくることになる。
02:情報整理と執筆作業は「有機度」が異なるせいでひとつのツールに同居させられない
情報の整理とは、有機的に存在しているものを一度分解して無機的なパーツにバラし、再び別な手続きで有機的に組み直すことのように思う。人と人との間で情報を伝達するには必ず有機的な形でなければならないが、有機的に組んでいる箇所は服薬ゼリーのようなもので、飲み込んだら本体から外されていくことになる。脳に届くのは無機的な本体の部分である。
どうして私はアウトライナーとともに情報管理の「系」を作り上げていくことができなかったのか?
04:アウトライナーの使い方ド下手問題①~「きちんとしている感」との格闘~
そしてこの「どこにも位置づけられない思いつきの集合」が比較的短い時間で解体されていくのならよいのだが、ある程度はどこかへ巣立っていかせられても全てに就職先を斡旋できるわけではないし、もしデイリーやウィークリーで区切るということをしないならばむしろ膨張していくばかりである。「位置づけられないという場所に位置づけられた情報」が、どこかに位置づけられたいというメッセージを放ちながら、ほとんど無秩序にごちゃっとまとめられたままになる。いつか使えるかもしれない原石の山、と大きく構える心は残念ながら持てずにいる。
05:アウトライナーの使い方ド下手問題②~アウトライナーは「今」のものである~
作家の構想が箇条書きのまま本になることはないように、人に情報を伝達するには必ず「肉付け」をしなくてはならない。たとえ、読者が作った読書メモが結果的に作家のアウトラインとほとんど似通った形になるとしても、作家と読者の間には周到に肉付けされた文章が必要である。肉付けとはつまり文脈である。もう一歩突っ込めば、文脈とは「他の解釈の可能性」を断って読み手に一本の道を確実に歩かせるものと言えるように思う。
06:アウトライナーの使い方ド下手問題③~「自分」はもはや「宇宙」である~
ここで今日のテーマを確認するが、私が感じている問題は「情報の種類が雑多で量が多い」ことである。「量が多い」はともかくとして、どうして「種類が雑多」になってしまうのか。端的に言って、アウトライナーに書き込む対象の範囲が広すぎるのだ。日記や日誌を兼ねてしまうなら、広く「自分」のことを書いている状態と言えるだろう。「自分」を対象にするというのは、もはや「宇宙」を対象にするも同然である。
07:アウトライナーの使い方ド下手問題④~オールインワンという幻想~
アウトライナーは身体で言えば手指のようなもので、その存在は極めて重要だが、身体全体ではない。足で踏ん張らなければならないものを手指に支えさせたら当然に無理が来る。手指はいつも自由に動かせるようにしておく必要がある。
08:アウトライナーの使い方ド下手問題⑤~事前アウトラインと事後アウトライン~
文章を書いていると、自分でもよくわからないままにエンジンがグオオオッとピストン運動して文章が文章を生むという状態になることがある。それも割とよくある。文章を書くという行為をすればどこかしらには必ずその瞬間が訪れる気すらする。そうなったとき、その過程を逐一「構想メモ」であるアウトライナーに書き込むだろうか? 几帳面な人は書き込んでいくかもしれないが、私は全く書き込まない。よってアウトラインを大幅に無視して且つその結果がアウトラインに反映されないままになる事態が度々発生する。それは別に悪いこととは思っていないし、アウトラインのおかげでそういう脱線をどれだけしても本筋に戻ってくることが可能になる、ということにこそ執筆に於けるアウトラインの価値を感じている。
アウトライナーはとても自由なツールだ。順番を入れ替える、そして階層を作る、というのは人間の思考の基本であると思うし、原則としてその二つの操作だけを行うものであることが、アウトライナーを使う人間の性質を露見させているように思う。果たして「完璧な使い方」というものが存在するのか私にはわからないが、アウトライナーを使っていてどうにもうまくいかない部分には、その人の思考の流れを妨げる癖が潜んでいる気がする。
10:アウトライナー日誌:「設計図」または「説明図」という意識を持ってみた
なお、ここで削ぎ落としてはならないのは自分の「気持ち」である。最近は思索をまとめるにもまず「気持ち」「前提」「経緯」といった欄を作るようにしているが、私自身のベクトルの記録というのはいつも忘れられがちだった。
11:Obsidian日誌:フォルダ分けにDoMA式の「フラットスタイル」を採用する
常に自分の注意に合わせてフォルダを作ってしまいながら、結局それが整理上の混乱の元になるか、それともそれこそが整理に成功する要となるかという正反対の結果があり得るのである。DoMA式に対して感じるひとつの大きな意義は、自分の注意に基づく塊を作るということを、「分類が面倒くさい」という怠惰の結果ではなく「そういうシステムである」と考える発想の転換をもたらしてくれたことである。大袈裟なようだが、私にとってそれは確実にコペルニクス的転回であった。
12:Obsidian日誌:構造ノートとはなんぞや①~構造作りは自動化できない~
ところが、個々人が多種多様な情報を千差万別の目的意識によって収集して整理するとなれば、構造の種類も多様になって当然のような気がしてくる。一度うまくいった構造が次も使える保証はない。個人の好みや思いが反映される以上は、ビジネス文書や学術論文のような画一的な形式にはなり得ないと言ってもいいだろう。うまくいったものをヒントにはできても、それをそのまま使い回せると無警戒に信じるべきではない。
13:Obsidian日誌:構造ノートとはなんぞや②~文脈には前提・操作・根拠が必要である~
並べられたものを見て、頭の中にはほとんど反射的に何かしらの文脈が生まれる。しかしそれをきちんと書き表さなければ、その文脈が情報として意味を持てないのだ。そこに見出した意味を活用するには、情報の列挙を見る度にいちいち同じ連想をしなければならないことになる。それは不確実で非効率である。
14:Obsidian日誌:構造ノートとはなんぞや~まとめ~
そしてその実践のためには「対象を通して自己を綿密に怠りなく観察すること」が必要となり、そうやって構造ノートを作っていくことはつまり「自分として生きること」そのものではないか、ということである。
15:発想を文脈から解放するには①~実はみんないつもやっている~
ブログを書く上での地味な悩みとして、「導入をどうするか」というものがあり、ぬるっと入っていくうまい書き出しが思いつかなくてしばしばエンジンがかからず仕舞いになる。一ヶ月半ほどの空白ができた理由のひとつでもあるのだが、しばらく考えて今しがた出した結論は、「導入などない」である。
すなわち、使うためには、使えるフレーズでなければならない。当たり前のことを言っているようだが、私はそのことに長らく思い至らなかった。うまく言い表せたような気分で満足してしまって、それを用いるということを考えていなかったのである。
たまたま最初から活用可能なフレーズを思いつくこともあるし、そうなったならばラッキーだが、多くの場合は「状態を言い表してはいるが活用しにくいフレーズ」を核として取り出してしまう。それをそのままにしていては、いい感じのことを言えたはずなのに風化したという悲劇が待っているかもしれない。本当に風化させたくない大事な閃きならば、自由に使えるように形を整えておくべきなのである。
分岐以前と以後は、分かれてはいるがそこに断絶があるわけではない。遡れば繋がっている。今文章をひとつ書くにあたって分岐してしまったかもしれないが、そういう縛りがなければもやもやと一緒に漂っていたような思考なのである。その思考は今文章を書くためだけにあるのではなく、もっと根源的な「解明したいこと」のためにあるわけで、関係する全てがなるべくアクセスの良い近い場所にあってほしいものなのだ。
19:Git日誌:テキストファイルをホワイトボードのように使う
実際問題、分岐させて残すこと自体が愚かなのではなく、むしろ適切な方法でやらなくてはならないものとも言えるが、凡人には「適切な方法」が一向に培われないのが致命的である。既に要らなくなっているファイルに対して「要らない」と評価する仕組みが自分の中に確立されないので、よくわからないゴミファイルが「もしかしたら要るのかも…?」という儚い可能性によって残されたままになる。ついぞロードしなかったセーブデータのように、当時の文脈を完全に失って、ただセーブした瞬間の「念の為」が亡霊として彷徨っているのだ。
何かを書こうとするとき、何らかの意味で書く場所に制限があるということに大きな意味がある。制限がないことは自由かもしれないが、それは自分の脳を自在に働かせることに貢献するとは限らない。脳の中の芋づるを引き出してこなければならないなら、それを引き出す鈎が用意されていたほうがよいこともある。いきなり大海に放り出されるよりも、泳ぐ目安のある小さな川や市民プールに足を運んだ方が楽しく泳げることもあるだろう。
21:知的生産を「自分の想像を大事にしようとすること」と言い換える
私たちは数多の賢人の後に、あるいは同時に生きているのであり、天才でも何でもない身では「自分にしか言えないこと」などほとんどありはしない。自分の想像は誰かが検証しており、大抵は自分の知らないところでそこにいる人々の間での常識になっている。何を書いても内容に真に新しさが含まれることはほぼあり得ない。しかし、何かを書こうとしたとき、そこには自分の人生に於いて今初めて生じた想像があるはずである。何かを思ったから、自分の頭の中にあるものをわざわざ残そうとしているのだ。もう少しはっきりさせると、実際に残したいと自覚している想像と、それを自分の頭に呼び出した想像とがあるのである。たとえ他の人にとってわかりきったことでも、自分の人生でそれが生まれたことには自分固有の経緯がある。それは全く別の事とも繋がっていく可能性があり、その経緯こそが自分の個性だと私は思っている。
22:アウトライナー日誌:アウトライナーとは何型のメモなのか
アウトライナーというツールを使って項目を編集し操作していくことを「要するに細かいメモを作って動かしているのだ」と言ってしまって良いかどうかはまだ判断しかねるところだが、そういうツールであると言えるとするならば、「○○型メモ」という名称を捻り出すことによってアウトライナーなるもののわからなさが多少軽減されるのではないかという淡い期待を私はこっそり抱いている。
誰かが開発したツールを利用することにすっかり慣れてしまった今となってはとてつもなく原始的な工夫をしているような気がするが、私にとってはこれでいいし、これがいいのだと思った。
24:ブログの書き方ド下手問題①~世に訴えたいことはないのだが私は書きたい~
表現をしたいという願望はありながら、私には世に訴えたいことがない。何かを見れば批判的な態度になることはままあるが、批判のための表現をしたいとは思わない。他者の批判には礼を尽くした取材が必要で、大変な労力のかかるその仕事をやり遂げてでも自分の思う正義を表明しなければ、という使命感は私にはないのである。あらゆることに私より相応しい論者が存在し、実際に世界中であらゆる意見表明が生まれている。その中のどれを選んで賛同するか考えるだけで精一杯だ。
25:ブログの書き方ド下手問題②~自己の言語化を意味あるものにするには~
エネルギーは形を作らなくてはならない。かめはめ波でも気円斬でも気功砲でも魔貫光殺砲でもビッグバンアタックでも、エネルギーを自分が放出できる形に整えるから放つことができるのである。そしてその形は人それぞれ違っている。観察力があれば他人の形のコピーもできてしまうかもしれないが、それが自分にとって最強の技になることはあまりないだろう。
どうしたいのかということは自分の内側に最初からあるのだが、それを自分で捕まえることは驚くほど難しい。外れていけば違和感として心が訴えてくるが、この道を行きたいのだと明確に知らせてくれるわけではない。ひたすら自分の内面を描写して納得がいくまで検証するほかないのである。
もし何かを物理的あるいはシステム的に構築することだけが創造ならば、構築するものそのもの、それを説明するもの、それを進める先として胸に刻むもの、というふうに整理されるかもしれないが、「執筆」のように物理的な構築無しに思考を人に伝えることを創造の本体とするとなると、全ての段階、全ての種類の発想が創造の種となり得てしまう。ネタの位置づけと扱いは複雑で流動的になり、書くにあたって実際にどう使うかが決まる瞬間まで整理がつかない。ネタをどう育てていけるかがわからないのである。ある程度整理できたとしてもそこからどこまでどう膨らむかわからないのに、整理すらできないとなるとひとつひとつがまるで宇宙か何かのように途方も無い存在になってしまう。
28:ブログの書き方ド下手問題⑤~結論が出ないことを恐れない~
ブログを書くというとき、核にはそうやって「エネルギーを形にして放出したい」という願望があるのだが、自己を見つめてみるとそれとは別に「せっかく思いついたからなるべく面白い形にして発表したいなー」というライトな欲求もある。
人の思想に幾度も染まり直したことは私に多くの学びをもたらし、それは今の私を作る大切な蓄積になった。そこに、十年前に置き去りにした私の素朴な思いと望みを重ねて、今こそ自分らしいコンピューターライフを送ろうと思うのである。
30:Office日誌:フォントと背景で「自分の場」感を演出する
自分にとって気分の良い背景は何かということは私自身長らくわかっていなかったし、だんだんとツールが嫌になってくる要因として背景に納得できていないことがあるというのもごく最近気がついたのだが、気分が良くなる見た目を見つけて設定してからは「ここは私の場である」という意識を持てるようになった。
31:ブログの書き方ド下手問題⑥~試行風景を実例にしようとしない~
人に読んでもらうために書くのだから価値のある情報を出すのはある意味当たり前のことではあるのだが、ここで問題なのは、私がこうせねばと思っていた「価値」と、実際に文章に生まれる「価値」が違っているということである。文章が持つ価値というのは、「ここにこういう価値がありますよ」という語りではない。読み手の中の何かを動かしたということが価値になるはずである。「これに何の意味があるのかわからないけどなんか楽しそう」という感想を生むのも価値なのである。
32:ブログの書き方ド下手問題⑦~考えが整ったのに記事にしにくいものたち~
文章を書く時というのは、書きながら書き手自身に発見がないととてもやっていられない。自分としては既にわかりきっていることを、ただ人に読めるように翻訳するだけの作業というのは大変に苦痛なのである。書くということ自体が謎を解く探検の旅であるからこそ、私たちは何千字や何万字とかいう量の文字を拵えることができるのだと思う。
書くことがむしろ自分に何かをチャージするような形でないと、ブログというものを書く甲斐はないように思う。
34:Notion日誌:自己不在の不安が私を「データベース」に憧れさせた
今となってはそんな希望は幻でしかないことは当たり前にわかるのだが、当時はデータベースが放つ全能感に強く惹きつけられ、一方でデータベースの仕組みを今ひとつ掴めない文系思考人間の自分に無能感を募らせていた。私の中でデータベースという概念はコンプレックスとともにあった。コンプレックスによって惹かれ、惹かれることでコンプレックスが強化されていった。
35:デジタル日記の試み①~Scrapboxに日記用プロジェクトを作ってみる~
結局のところ紙にしてもパソコンにしても、何でもいいからどれかひとつの形式を決めてそこに淡々と書き続ければいいだけの話であるにもかかわらず、私の気質に問題があるのかそれがなんとしてもできないのである。大学ノートに書き始めていつの間にか何十冊に、みたいな話を聞くたびに私もそうでありたかったと溜息をついてしまう。
36:デジタル日記の試み②~Notionに日誌用データベースを作ってみる~
私の理想としては日記は巻物のようであってほしく、時系列順にずーっと続いた形で表示されてほしいのだ。実物の巻物は後から加筆するのが難しいのでアナログ巻物を日記とするわけにはいかないが、頭の中にあるイメージとしては巻物に見立てられることを前提としている。
37:デジタル日記の試み③~Wordで日記らしい日記を書いてみる~
必ず書くと決めることによって生み出される成果ももちろんあると思うが、私の場合はそういう自分ルールは己を雁字搦めにするデメリットがメリットを遥かに上回ってしまうので、「とにかく書く」より「とにかく書きにくくしない」ということを重視することにした。
38:デジタル日記の試み④~Dynalistに日記と日誌のファイルを作る~
(アウトライナーは)むしろ好きな粒度で「巻く」ことのできる柔軟なデジタル巻物と言えるかもしれない。アウトライナーの折り畳みはパタッと折り込むあるいはグシャッと潰す(collapse)イメージを持っていたが、模造紙にそうするようにくるくる巻いたり広げたりするイメージを当てはめることも可能だろう。
気をつけていることというのは、ずばり「思った通りに書く」ということだ。「なあんだ、月並みな」と思われそうなので念を押すが、厳密に「思った通りに書く」ということである。「思いつくままに書く」のではなく、「思った通りに書く」のである。「思い通りに書く」「自由自在に書く」「言葉巧みに書く」のでもない。真剣に、努力して「思った通りに書く」。
自分の思念を他人が読める形に文章化するというのは、腹に溜まっていたものを口から吐いていくようなイメージがある。下から上へ、時に心地よい深呼吸のように、時に苦痛を伴う吐逆のように、体内の諸器官をくねらせてどうにか吐き出していく。上手くいっていたとしても、やがて上半身が疲れて休みたくなる。
演出を加えずに正直に書くほど、進展した時にはそれが実際にどういう状態だったのか忘れてしまうように思う。書くにあたって拵えた「設定」は覚えている一方で、その時頭の中にあった光景は記憶に留めていられない。盛った嘘は覚えていても純粋な主観はあっという間に移ろってしまう。
今年はあとひとつ振り返りの記事を書いて一年を終えようと思う。
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